

日曜日には、ファルチェスフィレという偽物のフィレをローストビーフにした。これは、調べると肩の肉らしい。キロ当たり約8ユーロと、ローストビーフ用の下背の肉と較べると安い。これよりも安いのは、Tボーンステーキに近い胸肉で、BSE騒動後に価格が急落したと見られる。最後にフランス産のローストビーフを食べたのは何時の事か、騒動前は頻繁に食べていた。93年のサンテミリオンを開けて、その力弱さと飲み口の柔らかさを確かめたが、流石に飲んでいるうちに物足りなくなる。
久し振りの牛肉の塊に興奮したのか、夜半に夢とも想像とも付かないエロティックな情景に目が覚めた。若い娘さんが立ったままシャツを捲り、胸元を曝すと、十分に豊かでは無いという批判(肉体的特長の云々ではないので悪しからず。象徴しているものの是非である)に対して、何処からともなく付け乳房を取ってくるというものだ。付け乳房は切断したばかりで血が滴っている。其れをつけてという所で、目が覚めた。
ルートヴィック・フォイヤーバッハは、1849年の書「キリスト教の本質」の中で語っている。実態のある愛を語り、空想や幻想の愛を否定しながら、肉と血の論理的意味づけの中で、「我々の罪業は、我々が抽象的な存在ではなく、肉と血を持った存在である故に許される。」と結論付けている。参考文献として、ルターの説教が挙がる。そして新約聖書の「ヘブライ人への手紙」の五章では、「あなたたちはとうの昔に教師となっているはずなのに、再びだれかに神のことばの初歩的なことを教えてもらわなければならず、また、固い食物の代わりに、乳を必要とするようになっているからです。乳を飲んでいるものはだれでも、幼子ですから、神の御心にかなう生活の教えを理解する事は出来ません。固い食物は、善悪を見分ける感覚を経験によって訓練された、一人前の大人のためのものです。」。これはまたコリントの信徒への手紙1-3に導かれる。
上の夢想から覚醒してこれを記録したのは、決して18世紀に生きた著名な学者エマヌュエル・スヴェーデンボリではなかった。それにしても高名な法律家パウル・ヨハン・アンセルムの四男として生を受けた哲学者フォイヤーバッハのこの要約には驚かされる。へーゲル学徒として、後には急進的に反ヘーゲルへと進み、後年カール・マルクス、フリードリヒ・エンゲルスに影響を与えるだけでなく、最終的にショウペンハウワーに傾倒することになる楽匠リヒャルト・ヴァーグナーとも親交を結ぶ。
なぜフォイヤーバッハかと言うと、先ほど終身刑判決が下った、虐げられたモスリム女性の裸を曝した事でモスリム原理主義者に処刑されたテオ・ファン・ゴッホ殺傷事件と、先日バイエルンやチューリンゲン、ザクセンの警察リストに同性愛者が個人情報としてリストアップされていた事など、開放された現代においても肉欲のそのレアリティーは変わらないからである。前者におけるリベラリズムの限界は幻想的な理想主義そのもので、後者において批判される第三帝國に繋がるような個人情報の処理も本質的な肉欲の暴力性の認知として理解出来るものである。
さて、フィレの形は少し下へ垂れた茄子型の乳房を連想させた訳で、一応一体あの娘は誰だったのかと、実態のある愛を考えさせられるのである。口当たりの良い赤いワインも、貧弱な柔らかいものには相違なくて、その滴りも熱い力強さとは程遠い。
参照:
立ち入り放題のユートピア [ アウトドーア・環境 ] / 2005-04-22
素裸が雄弁に語らないもの [ 文化一般 ] / 2005-04-21
微睡の楽園の響き [ 文学・思想 ] / 2005-02-22
リベラリズムの暴力と無力 [ 歴史・時事 ] / 2004-11-06
desiaseと報道されていました。狂った牛の病気って何なの、と思いました。すっかり蔓延してしまいましたね。
以下は私のblogへ書き込んだものの再録です。よろしく
ドイツ語のことで、ドイツからのコメント嬉しく存じます。そういえば大学の時、エスツェットはssと書くよう教えられたことを思い出しました。ウムラウトはaとoはキリル文字にありましたが、uはありません。
特殊文字はラテン語、ギリシァ語、キリル文字で他の言語はありませんね。としますと、別にドイツ語だけ差別ということはなかったです。フランス語のcに髭のついたものや、スペイン語のさかさまのクエスチョンマークだってないのですから・・・暇な時8020のお返事を・・・
確かプーティンの綴りでしたね。日本語の綴りかたはNHKに聞いて貰うのが良いと思います。西欧語では、エルチィンとの発音の違いがはっきり文字で記されています。
Путин
Ельцин
最後の三文字を見てください。WIKIで発音なども聞けるようです。
政党の支持不支持の話は、政治サイトでないのでしません。ここでは、直接の連邦議会選挙には一切影響しないことを前提として書いています。そもそもここでの政治の取上げ方は、極一部のリーダー層の考え方であるので、これによって必ずしも選挙結果を予想出来るものでもありません。
しかし今後も断トツの人気を伝えられるヨシュカ・フィッシャーの緑の党などにも焦点を当てていきます。主に文化教育環境政策が主になると思います