Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

死んだ方が良い法秩序

2007-11-21 | 歴史・時事
アフガニスタンでNATO軍ISAFに参加していたポーランド兵七人が終身刑を受けた。活動中に、女子供を含む村人六人を殺害した罪である。十八落下傘部隊の七人は、攻撃されたと反論していたが、隊の携帯電話カメラによる手榴弾と自動小銃による攻撃映像が、初めての攻撃を受ける前の蛮行の動かぬ証拠となったと言う。

ポーランド軍は、アフガニスタンには1200人、イラクには900人が活動参加している。刑を受けた家族などは言う。「死んだ方が良かった。アフガニスタンで殺されていれば、英雄となり、家族は年金を貰えたのに、今や戦争犯罪人だ」。実際二日後には、この部隊から攻撃を受けて犠牲者が出たのである。

ポーランドと良く似た極東の日本国は、一人前の国として国連の活動のもと軍隊を派遣したいようである。原理原則があっても、不慮の事故は必ず起こる。その法務大臣が言うように、怨念を重視する量刑への国民の切望から、軍法会議か陪審員制度かは知らないが、こうした大量殺人戦争犯罪にも死刑判決が支持されるのだろうか。

鳩山法務大臣の発言は法曹関係者には話題となっているのだろうが、明らかに優秀な日本法務省とのアジテート共演でありえる「友達はテロリスト」発言は、より一層興味を引く。

これにも関連するもう少し高度な話題である。それはここでも何度も取り上げているショイブレ内務大臣の対テロ対策法案とその憲法裁判判定に因む話題である。先頃、CDUの要請を受けて、憲法裁判所の第二判事ウド・ディ・ファビオが国防軍将校や外交官ならびに官僚を集めてこの問題に関してベルリンの安全保障連邦研究所にて演説した。

その内容は、「内外の事象の境が無くなった内側からの宣戦布告のないテロ攻撃の時代」における議論のあり方と内相のその時代に即した秩序維持への提言に対しての手厳しい学術的見解となった。

その時代の要請に合わせた治安維持や機能については、「グローバルなテロ活動に対する国の責務権限への要請」は無いと明確に否定して、歴史的に見てその機能の低下は背景にある常態の危険性を審査してみなければいけないとした。つまり、内外の法秩序は、其々警察機能と軍機能において、それは文明化の成果として存在していることを強調する。その例として、個人が攻撃されたにも拘らずワールドセンタービル事件にNATO軍が同盟を表明したのだが、このような場合もその二つの機能、つまり、テロ攻撃と戦闘状態は別けられているとしている。

そしてもっと辛辣に、CDUやショイブレ博士が指す、時代に合わなくなった内務機能への懐疑や推進した法的論争が、また敵への処罰の法制化自体が刑法改変学者と同じく、国機構への絶望を示しているものであって、彼らは一列に並んで大きな声で現代の国機構に対してお別れの言葉を唱えているに過ぎないと指摘する。

つまり、「テロ時代」の要請に合わせた為政者の内務権限の拡大強化の法論争は、法と倫理をもった公僕である国の為政者の自己遵守でしかないと非難している。そして、知的に非常事態を予測するのは面白かろう、とこれらの御用法学者やCDUの二人の担当大臣を痛烈に揶揄するのを忘れない。

こうした議論に口を閉ざすことは問題のタブー化とは異なり、こうした議論を検閲すると、本人の主張する「自由の文化」における市民社会の耐久度や予測可能度を基本に据えた保守主義における安然秩序を強調したようだ。

市民社会のヒステリーを諌め市民秩序を重んじる背景には、対テロ法案強化による「内なる戦線」は一般に危惧されている以上に、欧州大陸上で米軍がやったような「拷問」や「射殺」が横行する暗い時代が予想されるからであり、実際にそれだけの「テロリストの友達の輪」の情報を軍の情報局が握っていることが知られている。

「戦時下と平和時の市民の権利を峻別して」、「EU内での内外管轄権限への譲渡に道を開く」とするショイブレ内務大臣の上のような卓越した政治手腕は、こうした暗黒時代への舵取りに向けられており、「自由のための公的暴力の行使は国連憲章にそしてEUの条約に反している」とする明確な法解釈に真っ向から対決していることを指摘したこの法曹界からの反論の意味はあまりにも大きい。

門外漢でも非常事態へのカール・シュミットの解釈ぐらいは頭に浮かぶが、戦争の出来る国どころか対テロ対策の法秩序を支えられるのは、あまりにも優秀な市民と卓越したジャーナリズムやそれに狡猾で強大な権力を持った政治家や行政に違いない。



参照:
"Selbstachtung des Rechtsstaates", Patrick Bahners, FAZ vom 29.11.2007
保守的な社会民主主義 [ 歴史・時事 ] / 2007-11-13
ドイツ語単語の履修義務 [ 女 ] / 2007-07-16
キラキラ注がれる水飛沫 [ 暦 ] / 2007-06-05
推定無罪の立証責任 [ 雑感 ] / 2007-04-21
秘密の無い安全神話 [ 雑感 ] / 2007-02-11
顔のある人命と匿名 [ 歴史・時事 ] / 2007-02-01
イドメネオ検閲の生贄 [ 音 ] / 2006-09-29
自尊心満ちる軽やかさ [ ワールドカップ06 ] / 2006-07-12

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4 コメント

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Pfaelzerweinさん (オレゴンローズ)
2007-11-23 03:41:52
本日Thanksgiving,にあたり、平凡な生活の中でも感謝する事が多くあるということを思いながら、 Maycyのパレードをテレビで見ながらゆっくりすごしています。それにしても中近東では戦争がつずいている、その事実を思いそれに参加している遠く離れた異国にいる兵士達の安全又それぞれの家族のことを祈りました、、、
こちらではブツシュ大統領の裏の行為が暴かれ彼の海外政策が大変批判されている現状です。
戦争はどんな理由があったとしても悲しい。。平和を生み出す事のできる人間になりたいと祈っています。

平和を求める祈り
私を貴方の平和の道具として
お使いください。
憎しみのあるところに愛を
いさかいのあるところに許しを
分裂のあるところに一致を
疑惑のあるところに信仰を
誤っている所に心理を
闇に光を、悲しみのあるところに
喜びをもたらすものとしてください。
慰められるよりは慰める事を
理解されるよりは理解する事を
愛されるよりは愛する事を
私が求めますように
私達は与えるから受け
許すから許され
自分を捨てて死に
永遠の命をいただくのですから。。。
アーメン

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理想の消失 (pfaelzerwein)
2007-11-23 06:24:38
感謝祭は一度調べたことがあるのですが、ドイツではナチスがこれを利用したことが有名で、今でも当時の地元の写真などが残っています。危険なものとしてのイメージが強いようです。

上の話題に米国の市民社会を当てはめると、次のコメントにあるようなプロテスタントの伝統でもある共同体の合唱の存在する保守性の吟味と一方は大都会にある幾多の個人層が活きる経済社会の質の吟味となります。

極端な話、現在米軍であのアフガン・イラクで活動しているのは個人的にも知己がありますが、不法移民すれすれの弱い層で、本来の中産階級とも異なる訳ですね。こうした社会経済構造はホワイトハウスによって変わらない訳で、また油田があの地域に存在する以上紛争は絶えないのですね。

そして、社会の前進によって公平で良識の民主主義社会が成立して、自由に満ちあふれた社会が現出すると言う理想の消失こそが現実の問題のようです。

それを感謝祭に求められるならば楽ですが、農業に活きるセクトでもないかぎり解決不可能なのです。
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Pfaelzerweinさん (オレゴンローズ)
2007-11-24 02:42:02
ナチスが感謝祭を彼ら独特に利用した。。という話はこれまで聞いた事がありませんが、どの様な事でしょうか?こちらでは単に、清教徒が新天地に上陸後その翌年1621年、その当時アメリカインデアンに助けられ、マサツセツツの極寒を乗り切ったという意味で、感謝を表すために野生のヒチメンチョウを料理し祝ったという風な極単純な話を聞いています。しかし歴史の事実はまげて報道される事がありますので、確かではありませんが、。。。
それからこちらの司法もバイブルにもとズいているようで(人間の裁きは完全ではありませんが。。)”神の正義”ということが、聖書の基本のひとつになっているようなきがします。ダイレクトデモクラシー又はもっとも純な民主主義はどういうものでしょうか?日本人は基本的には歴史的を振り返った見て中国の思想の影響のが強く根ざし戦後米国によって自動的に与えられた、民主主義の精神はマダマダ根ずいていないのではないでしょうか?私には難しい事は分かりませんが、そのような気がしないでもありません。
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キリスト教以前のもの (pfaelzerwein)
2007-11-24 03:25:24
「戦後米国によって自動的に与えられた、民主主義の精神はマダマダ根ずいていない」―

そうですね。仰るように、国の成り立ち自体が"神の正義"によってある米国に限らず、国自体がなんらかの根拠をもたないといけないのですから歴史的に王権神授説などが国の基礎にありますね。日本の場合は、開国に際してそれなりの根拠を拵えた智恵や努力が、民主主義運動と共に(また新渡戸稲造などの活動も)、無になった事実に未だに充分に向きあえていないような気がします。

感謝祭は、ドイツでは土着的な豊穣の祝いとして、恐らくキリスト教以前のものを呼び起すように用いられた節があります。この辺りは、改めてここでも扱っていきます。
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