Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

旨味が美味しいのではない!

2009-12-28 | ワイン
クリスマスの前から暖かく、降雨もあり、雪は殆ど消えていた。クリスマス二日目は陽射しも強く絶好の散歩日和となったので、急いで小一時間程歩いてきた。帰ってきた時は汗びっしょりとなるほどであったが、水たまりは凍っていたので零下だったのだろう。

ディナーに開けようと思っているクリスマスプレゼントに貰ったフォルストの地所ウンゲホイヤーの区画を見に行くのも目当てである。何を今更と思うかも知れないが、あまり出入りしていない醸造所のそれとなると記憶にはないのである。現地でざっと目を通すとやはり目印をつけていない区画のようだ。

ダイデスハイムの御三家の一つなのでもっとも良い区画の一つだろうから、恐らくゲオルク・モスバッハー醸造所のそれの横のフォンバッサーマンのそれとに挟まれているところだろうと思った。

しばらく歩いていないのと寒気の中で少し頑張って歩いたお蔭で下半身ががくがくになって戻ってきて、暑いシャワーで汗を流す。一息ついて、ヴィルジンクの野菜を付け合わして焼き栗ザウマーゲンの準備である。

いよいよ、アペリティフも兼ねたお目当てのリースリングの味見である。焼いたザウマーゲンや簡単なキャベツ料理に美味い。味の筋は以前のダインハールトと同じである。フォン・ヴィィニンクとなってそのエチケットからVDPの新入りかと思ったが、地所ウンゲホイヤーをもっている新入りなんていないと、ネットを見るとニーダーベルガー氏が転売した先の名前であった。正直、ワイン造りなどはものになるには十年掛かると思っているが、その新鮮な驚きは飲んでみた第一印象であった。

黄色い果実のような香りも似ていて、酵母などの選定もそのまま受け継いでいることが分かった。要するに現在ある市場の上に新たなものを付け加えて行く賢明な経営方針が察せられる。そして、以前あった残糖感が消えて、清潔さが加わっている。温度コントロールだけでなく、木樽を使いながらステンレスを上手に使っているに違いない。そしてこの難しい土壌からのワインを大変上手に纏めているのだ。

食が進むうちに、まるで近所のワインレストランで食事をしている気分になってきた。そうなのだこのワインはこの界隈でに典型的なそれなのだ。そのように気が付くとこの旨味こそが、そのあたりの農協さんにも共通している味だと嫌に邪魔になってくるのである。ワイン街道のワインの味の素の味なのだ!そうこうしているうちに胃液のような2008年産特有の酸にも気がつく。

一旦その白粉の乗りに気が付いてしまうと全く興ざめて、その旨味自体が嫌味になる。つまり味に複雑さがないからこその旨味であり、文句の付けようがないが、それ以上に琴線に触れることはない。こうしてプレゼントに貰ったり外食で飲み干すのは良いのだが、こうしたワインを態々試飲して購入して買い置きするかと言えば、ありえない。案の定、夕方には味の固まりになっていて、先程は新鮮な酸に華やかさがあったのだが、既に三流ワインに成り下がっている。

ワインは、なにも複雑であるから良いのではなく、美味しいと思えばそれで良いのであるが、実際先に飲んだイエズイーテンガルテンとこれを比べると此方の新しいリースリングの方が美味いと簡単に感じるかも知れない。そして多くの消費者は、レストランで飲んだそのエチケットを覚えていて、同じワインを探すのである。しかし、そこから本当に良いリースリングに巡り会うまでは長い期間月謝を払い続けなければいけないのである。そして殆どの消費者は、その世界を知らずに死んで行くのである。

我々は、こうしたローカルな消費市場においてはそれでも良いが、結局はグローバルな市場において、遺伝子操作された新大陸のワインや伝統の市場を有するフランスワインの前では殆ど国際競争力がないことを知っている。だから、こうしたワインは全く評価しない。してはいけないのである。

この結果から、旧ダインハールト、現フォン・ヴィンニンク醸造所は、未だに市場を築けていないフォン・ブール醸造所や腐っても鯛のバッサーマン・ヨルダン醸造所の世界に至るには十年は掛かるだろうと予想される。世界に冠たるリースリングの最高峰とは、木樽がどうだ天然酵母がどうだと言うような低次元の世界とは異なるのである。

無理した左足の筋が違って痛い。
コメント
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