Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

出もの腫れもの処嫌わず

2009-06-13 | 文学・思想
排便をすると何か調子がおかしい。肛門の周りに小豆大の膨らみがある。出来物のようだが、只の吹き出物のような感じである。早速、抗生物質を投与して様子をみる。なるほど先の水曜日頃からもう一つ体が重く感じたのはこのせいだろう。

痔とかその他の泌尿器科の病気は、皮膚病を除いて、したことがないが、なるほど少しのポリーブなどで体調を壊すのはこうした物理的な引っかかり一つで体調に係わるのをみても納得出来るのである。「出もの腫れもの処嫌わず」とは、寅さんの口上だったように思う。

さて、シュリンゲンジーフの癌闘病記を読んで、後半は前半の口述の書き起こしとは異なって、読み返さないといけない部分が多々出て来たので、幾つかの要点だけ記憶の侭全体を振り返って書き連ねる。

一つ、一年前の父親の死と自己の疾病の重ね合わせ。
一つ、発病時期がバイロイトのパルシファル演出時期と重なっていた事からの怨念への懐疑。
一つ、老いた母親以上に、死者である父親への語りかけ。
一つ、カトリックの家庭に育ち、カトリックの生死感を基準としてそこからの逸脱。
一つ、気休めでしかない高価な抗がん剤や化学療法への違和感を解消するためにシュタイナーの人智学への傾倒。
一つ、芸術家として必ずヨゼフ・ボイスへと回帰。
一つ、安楽死への興味と判断。
一つ、婚約と子作りへの関心や遺書の作成。
一つ、化学療法前の精子検査とその結果養子への言及。
一つ、輪廻思想と他人への寛容。
一つ、感情を押し殺さない号泣のカタリシス。

去年のクリスマス前からクリスマス後にて筆が置かれている。ハイライトとして、「(転移から残された肺に見つかった)癌病巣を保持しての最後の待降節」の夜、車椅子の母親と最後の聖夜を手を取りあって過ごす。

プロテスタンティズムの米国映画なら、美しく悲しくエンディングとなってしまうのだが、決してそのような表層的な希望に満ちた奇麗事では終らない。

許婚のアイノは今度生まれ変わってきたら、日本人になりたいと言う。そして二人とも決して米国人としては育ちたくないと合意する。

作者は、森の中を手術後の付いた裸で歩き回るのを映像化すると言うが、私は腹の調子を整えるためにも、パンを取りに行くついでに、森の中5.1KMを一時間程服を来て歩いた。



参照:
SCHLINGENSIEF
SCHLINGENBLOG
自然な不可逆な視線 2009-06-12 | アウトドーア・環境
若き芸術家の癌病闘日記 2009-06-07 | 文化一般

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4 コメント

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健康第一 (オレゴンローズ)
2009-06-13 10:25:28
お体を大切に、私の友人の一人もそのような問題がありました。ご健康をお祈りしています。
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未確認 (pfaelzerwein)
2009-06-13 16:49:14
まだ、確認はしておりませんが、全快しているかと思います。
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お大事に (やいっち)
2009-06-14 00:51:34
痔には苦しんだ経験があります。
コメントだと、全快している(らしい)とか。
だったらいいですね。
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吹き出物と呼んでます (pfaelzerwein)
2009-06-14 02:00:27
痔ではない筈なんですがね。まあ、癌でない証拠に腫れている感覚はあるのですが、痔と呼ばれる痛みもない訳で、吹き出物と呼んでます。

抗生物質投与で消えつつありますが。

流石に脱糞の権威だけの経験ですね。
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