Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

人情味溢れる冷たい秩序

2009-06-23 | 雑感
ラルフ・ダーレンドルフの死亡記事を読んでいて次ぎのような事を空想した。民主主義と市場経済への愛着は、その「クールなプロジェクト」の何処から生まれるのか。

どうしてもそこで、落語「道具屋」や寅さんの「売」を思い起こしてしまうのは私だけだろうか?

有名な落語の売れない道具屋は、お客さんが値を尋ねるとここぞとばかり一日の儲けとしてそこで現在の自己負債の全決済を果してしまおうと計算を始める。それどころか今後の身の振り方までがあれやこれやと考慮される。つまり、その商い自体に、道具屋の現在までの更にこの先の人生の総てが集約される事になるのである。

テキヤの寅さんの場合は、更に江戸っ子振りが徹底していて、宵越しの銭は持たない信条がある。そうなるとその日を面白おかしく生活することがなによりも尊重される。天気の悪い日には売り上げが上がらないことなどを先にたって心配する必要などはないのである。

ダーレンドルフの主張は決してそうした楽天的なものではないだろうが、リベラリズムとはヒューマニティーに根ざしたものである事は間違いない。そうなれば、必ずしも環境政党と自由主義政党がお互いに受け入れられない理由はないように思われる。



参照:
ラルフ・ダーレンドルフの死 2009-06-21 | 歴史・時事
自然環境に内包される社会 2009-06-16 | アウトドーア・環境
自治と欧州の狭間の緑 2009-06-09 | アウトドーア・環境

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