人はなぜ根源的な事に言及されるとそれを攻撃的と感じるのだろう。その顕著な例が、思想的な学問であり、宗教的な話題に違いない。当然の事ながら自然科学も何一つ変わらないのだが、その遥かな抽象性にまで迫れる学徒が少ないだけなのである。
その点から一年前にフンボルト大学で行なわれた最高裁判事ウド・ディ・ファビオの講演会とそこでの社会民主党の法務大臣ツィプリース女史の発言は、ショイブレ内務大臣などが奨めようとしたキリスト教に優先権を与えるドイツの基本文化政策議論や続発したイスラム問題に答えるのみならず、ハーグの国際裁判所のあり方やEU連邦への論議への一つの道筋を示す非常に 攻 撃 的 な話題となっている。
有り体に言えば政教分離について法的な考え方を俎上に上げている。先頃、その一連の内容が書籍化されたようなのでそれを書評として読んでみた。
ドイツ連邦の政教分離は、個人的な感覚からすればフランスのそれには遥かに及ばず、また英国の王室の元での自由に比較すると些か窮屈な感じが強い。そこで、英国事情を観察するためチャールズ皇太子の考え方が引用されていて、必ずしもDEFENDER OF FAITHにもともとのラテン語から冠詞がついていない事から、ポストモダーンの融合主義を採ってプロテスタント聖公会の王室の元に護られるヒンズーやイスラムどころか無神論者の保護 ― ダーウィンのようにドーキンス博士は公職追放されていない ― を打ち出したその意味合いと、同時に対カトリック教会である英国の基本存在意義をそこに改めて確認する。
更に歴史的にみるその王権の肯定性を除外出来ない残滓として、世継ぎとして継承され選ばれざる存在が、広く忠実な臣下を保護するのである。何を保護するかというと、それは「信仰の自由」と呼ばれる「お互いに制限することない共存」を、国が市民の信仰を尊重して実現する契約なのである。
こうして王位そのものが、特に現代において変化と改革が求められる政治の無常性に対応する教会によって執り行われるとどのつまり個人の問題である恒常性へと補われる「希望」が、その象徴的に偶然の祝福に保障されて、監視し体現しているのであろう。
つまり、その肯定性は、初期近代のそれとは異なり、もはやその無効性では無いと言うのだ。つまり、チャールズは、国内のモスリムにもヒンズーにもましてや無宗教者にも変わり隔て無く、大司教から授かったその王権によって信教上の庇護を与える。
そうした名誉職(パトロン)的な立場の上院における宗教者は、だから聖公会としての派閥を代弁しているのではなく、バイオポリティックな議論において、黄泉の文化的相違を示す具象化した体をなしている。
そこで労働党のトニー・ブレアー首相が採った教育政策上の配慮や自らの退陣後のカソリックへの改宗が顧みられるとき、その機構化した伝統の後遺症が脈略ない転向の形としてレトーリックとして受け取られたのは、開かれた民主主義として至極当然だったのだと言う。
ドイツ連邦共和国へと目を移す前にもう一度、理想的とも思える政教分離をなしているフランスの例を挙げると、伝統と機構に抗する総てを明らかにする啓蒙思想のパイオニアとしてのそれに対して、エドモンド・バークを引用しながら、「フランス人の失われた騎士道精神は、嘗ての国の誇りであり、モラルの前提に有ったもので、封建的なエトースは市民社会に受け継がれ、それが国の力となった」と、反照されない啓蒙主義思想が国のイデオロギーとして採択される危険性をそこに見ている。
余談ながら、リベラルに他ならないオバマ次期大統領が、死刑の是非や自らの宗教心についてのコメントに一流の法律家としてのその緻密な配慮とレトリックが、なにも極端に前任者と比較する必要もなく、そこに見えると思うのは強ち間違いではなかろう。
また英国との対比ではオランダのあまりに信仰告白における誤った寛容が、共存を危うくして座礁し掛かっていことに誰も疑いを抱かない。(続く)
参照:
政教分離に無頓着なドイツ人 (クラシックおっかけ日記)
サルが人間にならない日
イスラームと西洋 (かわうそ亭)
国家による失業、貧困からの解放 (作雨作晴)
新自由主義的「司法改革(法科大学院・裁判員制度等)」による司法 (『toxandoria の日記、アートと社会』)
LGBTクラブとお別れ・・・ (虹コンのサウダージ日記)
ついでに。 (たるブログ)
その点から一年前にフンボルト大学で行なわれた最高裁判事ウド・ディ・ファビオの講演会とそこでの社会民主党の法務大臣ツィプリース女史の発言は、ショイブレ内務大臣などが奨めようとしたキリスト教に優先権を与えるドイツの基本文化政策議論や続発したイスラム問題に答えるのみならず、ハーグの国際裁判所のあり方やEU連邦への論議への一つの道筋を示す非常に 攻 撃 的 な話題となっている。
有り体に言えば政教分離について法的な考え方を俎上に上げている。先頃、その一連の内容が書籍化されたようなのでそれを書評として読んでみた。
ドイツ連邦の政教分離は、個人的な感覚からすればフランスのそれには遥かに及ばず、また英国の王室の元での自由に比較すると些か窮屈な感じが強い。そこで、英国事情を観察するためチャールズ皇太子の考え方が引用されていて、必ずしもDEFENDER OF FAITHにもともとのラテン語から冠詞がついていない事から、ポストモダーンの融合主義を採ってプロテスタント聖公会の王室の元に護られるヒンズーやイスラムどころか無神論者の保護 ― ダーウィンのようにドーキンス博士は公職追放されていない ― を打ち出したその意味合いと、同時に対カトリック教会である英国の基本存在意義をそこに改めて確認する。
更に歴史的にみるその王権の肯定性を除外出来ない残滓として、世継ぎとして継承され選ばれざる存在が、広く忠実な臣下を保護するのである。何を保護するかというと、それは「信仰の自由」と呼ばれる「お互いに制限することない共存」を、国が市民の信仰を尊重して実現する契約なのである。
こうして王位そのものが、特に現代において変化と改革が求められる政治の無常性に対応する教会によって執り行われるとどのつまり個人の問題である恒常性へと補われる「希望」が、その象徴的に偶然の祝福に保障されて、監視し体現しているのであろう。
つまり、その肯定性は、初期近代のそれとは異なり、もはやその無効性では無いと言うのだ。つまり、チャールズは、国内のモスリムにもヒンズーにもましてや無宗教者にも変わり隔て無く、大司教から授かったその王権によって信教上の庇護を与える。
そうした名誉職(パトロン)的な立場の上院における宗教者は、だから聖公会としての派閥を代弁しているのではなく、バイオポリティックな議論において、黄泉の文化的相違を示す具象化した体をなしている。
そこで労働党のトニー・ブレアー首相が採った教育政策上の配慮や自らの退陣後のカソリックへの改宗が顧みられるとき、その機構化した伝統の後遺症が脈略ない転向の形としてレトーリックとして受け取られたのは、開かれた民主主義として至極当然だったのだと言う。
ドイツ連邦共和国へと目を移す前にもう一度、理想的とも思える政教分離をなしているフランスの例を挙げると、伝統と機構に抗する総てを明らかにする啓蒙思想のパイオニアとしてのそれに対して、エドモンド・バークを引用しながら、「フランス人の失われた騎士道精神は、嘗ての国の誇りであり、モラルの前提に有ったもので、封建的なエトースは市民社会に受け継がれ、それが国の力となった」と、反照されない啓蒙主義思想が国のイデオロギーとして採択される危険性をそこに見ている。
余談ながら、リベラルに他ならないオバマ次期大統領が、死刑の是非や自らの宗教心についてのコメントに一流の法律家としてのその緻密な配慮とレトリックが、なにも極端に前任者と比較する必要もなく、そこに見えると思うのは強ち間違いではなかろう。
また英国との対比ではオランダのあまりに信仰告白における誤った寛容が、共存を危うくして座礁し掛かっていことに誰も疑いを抱かない。(続く)
参照:
政教分離に無頓着なドイツ人 (クラシックおっかけ日記)
サルが人間にならない日
イスラームと西洋 (かわうそ亭)
国家による失業、貧困からの解放 (作雨作晴)
新自由主義的「司法改革(法科大学院・裁判員制度等)」による司法 (『toxandoria の日記、アートと社会』)
LGBTクラブとお別れ・・・ (虹コンのサウダージ日記)
ついでに。 (たるブログ)
現在は州法として存在する具体的な分配方法には関係ないとしても、源泉徴収の根拠となる税には地方税収税分と国税徴収税分の各々の徴収財源があると言えるのかもしれません。税法上に解釈は知りませんが。
尤もカトリック系は教会から離脱して税を払わない者が少なくないですが。
読まさせていただいて、中世ー近代の騎士道と政治のかかわりとか、
ヨーロッパの政治思想史を、もっと込み入って見たくなりました。
(いやー、騎士道で、突っ走って書いた部分を見られてしまいました(^^;
↑自分で書いたんじゃろうに(ぉぃ)
僕は基本は日本の高校世界史レベルだから、時間をかけて、また勉強していきたいです。
以前お話に上がった、司馬遼太郎の語る、「宗教と日本人」を思い出します…。
http://blog.goo.ne.jp/taiju0/e/604b64e805e41b576fc2f17b89c21b84
日本の神仏分離令は、「仏教は宗教だが神道は祭祀である」という建前で…
政教分離が近代国家として当たり前になっていた世界に相手にしてもらえるために、
行ったものである、と…。
(この時、同時に廃仏毀釈となるわけだけど…
これはお金儲けをしただろうという、
一般人たちの恨みも重なって、大変多くの仏像が壊された訳で…
↑関連して室町時代中期の土倉・寺院に対する一揆や、打ちこわし・米騒動を思い出しまして…
特に打ち壊しの、背景の人々の精神が、一面で日本的そうで気にはなります。)
ただ、徳川慶喜の江戸の、無血開城に関するくだりではもうちょっと、
自分でナットクするまで調べないとなあとは思います。
(今見返してみると、水戸史観が実際にどのように、
明治時代の精神に織り込まれていったのか気になりますね。
無血開城も、実際的に、勝海舟が西郷隆盛に言ったように、
江戸の人々というのがたとえ上辺だけでも、あったかもしれないし。)
ただ明治以降からせん中までの、例えば楠正成に対する国の態度は、
終身教育などにより日本中に徹底的に浸透していましたしね…
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A5%A0%E6%9C%A8%E6%AD%A3%E6%88%90#.E6.AD.BB.E5.BE.8C.E3.81.AE.E6.A5.A0.E6.9C.A8.E6.AD.A3.E6.88.90
結構水戸史観というものは影響があるのかな、と。
(けっこーお年寄りとかと詳しく話すと、楠正成にえっと思うときがありますね…
僕なんかは、彼は「悪党」のイメージがほとんどだから、妄信的に見えてしまったり(^^;(気になさる方いらっしゃったらゴメンナサイ)
楠正成の居城の会った、千早赤阪村にも行って見ましたが、
確かに確かに城から石とか汚いもの落とすとか、そういう『悪党』の戦い方になりそうな地形(風土?)でした。
確かにだんじりのようd(ぉぃ
http://jp.youtube.com/watch?v=9M_nlNV6FuA
毎年電信柱は倒すし、死人は出るし…(汗
ただ、この映像の出だしの音楽に見られるように、
岸和田は、少しだけ妙に洗練されているところのある、不思議な土地です。
コシノジュンコとかのデザイナーも出してる町ではあるので。。。)
横道から戻り、
水戸史観がどの程度明治の中に入っていったかを勉強するように、
勝手な思い込みですが、中世の騎士道などがどのように、
それ以降の政治などに関わっていくか、トレースして見ていきたいですね。
もちろん、ヨーロッパでトレースする場合、
政教分離に至るプロセスがまず重きを成す訳だけれど…。
一つの疑問は、中共がマルクス主義を採用して啓蒙思想を語らないように、福沢のような考え方が恐らく時間のズレもあって、またプロテスタンティズムの源泉まで遡る必要があったのでおいそれとは教育に生かせなかったのかも知れません。
先のコメントに書いた批判も福沢が読んだら全く同じ事を言うと思いますね。
他の記事に含まれていた19世紀初頭の西欧における現世に於ける価値基準を教育として扱うの既に難しかったのでしょう。
だんじりのVIDEOも拝見しましたが3倍速以上の早さですね。完全に暴走して仕舞いましたか?現代でもあれぐらいの事が出来るなら、まだ日本でも出来る事があると言うことでしょうか。