Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

中継されるミスティック

2006-12-26 | 
クリスマス中継を観る。バイエルン放送では、アルゴイからの中継で、ルター派の礼拝である。バッハやテレマンの音楽が、聖歌に交えられて殆ど音楽礼拝の様であるが、集まる氏子も少ない。どうもバイエルンの言葉はプロテスタント精神には、些か表情が付き過ぎる。

それに続いて、独第二放送でザルツブルクのミサが中継された。そこでの目玉は、モーツァルトイヤーに因んだ「戴冠式ミサハ長調K.317」の音楽でもあった。偶々、クレドの章からTVを観たのだが、丁度descendit de caelis「天よりお降りになり」からet incarnatus est「肉体を受けられ」へと掛かるところで音楽はアダージョとなりミスティックとなる。そこで、神父はおもむろに祭壇へと進み出て跪く。作曲家がここで何を表現しようとしているかを、これほど如実に視覚的に表すものは無い。そこからカメラは、crucifixus etiam pro nobisで十字架を映し出す。作曲家がどのように表現しているかは、該当の譜面を見れば事足りる。そしてなみなみと聖杯に純粋な白ワインが注がれる。

そして、ローマのヴァチカンへと中継は切り替わる。非常に手際の良く纏まった教皇の挨拶があり、二十六国語で挨拶が贈られる。日本からの巡礼者も湧いていた。

あとは、今年からIポット対応となった女王の挨拶をネットで観よう。多くの英国人は、そのころ既に一杯引っ掛けて眠りかけているだろう。

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