名鉄ニューグランドホテルで従兄弟の米寿の祝いがあった。
早くから招待状が来ていたが、未だ先のように思っていた。前日になって短冊の一句も携えて行かねばねーと思い立ち50回も練習したがやはり字が下手である。
俳句 「菊の香や米寿は白寿の一里塚」
運悪く台風の予報日であったが、10時半集合とあったので、9時前に家を出た。ホテルのフロアの椅子には見慣れた顔がくつろいでいた
。しつらえられた、宴会場には壇上に同級生だった米寿の両脇士を配して総勢30人以上のそれぞれの円卓である 。
挨拶があってくすだまがはじけて、宴が始まるとお祝いの言葉がそれぞれあり、仏立宗のお寺のおしょうさんから、日頃の研鑽振りの誉め言葉があり、余興では、郡上節が数々披露されたり、フルートが吹かれたり、南京珠すだれも幾つも披露してくれた。本人は黄色の帽子、上着 ズボンと定番の赤ではない。ストーリーが出来ているのに若い人がよくふるいろいろに束ねた旗を振ってはD席E席とわたりあるいている。さすが営業から、社長になっただけのことはあると感心した。
戦争中岐阜県の下乃保へ疎開してきて六年間自転車通学だったことやお隣の高校で生徒会長やらバレー部のキャプテンだったりしたので学区制で美濃市の学校へ帰って行った私の友達も何人かが世話になっている。私と妹はこの方の母様の(父の姉)仲人で名古屋へ嫁いでいるので、何かがあると妹と一緒に出席していた。今は妹は施設に入って車椅子の人である。
60年近く昔の伊勢湾台風があったとき次の日には様子を見に来てくれたことや、夫の棺を窯に入れるとき私と共におおきい声で 題目を揚げてくれたことなど有難く思っている。
あらためて米寿おめでとう。
テレビが台風台風と言い立てるのでおいとますることにした、持たせてくれた本2冊、「八十八歳の歩み 」と郡上節を聞かせてくれたkさんの「老いて知る人生の楽しさ米寿を迎えて」をパソコンに送られて来たこの日の写真集「デジブック」をみながら楽しく読ませてもらっている。
俳句 音のみのすごい台風うつらうつら」
一族の安寧ねがひ秋彼岸