おにゆりの苑

俳句と俳画とエッセー

   豆  腐

2016-06-29 08:20:33 | Weblog
san院選候補の事前投票にKさんと誘い合って市役所へ行ってき帰りに「あいあいの家」で高齢者用のランチをして帰ると三時にその候補者がスーパーアオキの前で立会い演説をすると言うニュースが入ったが爾後なので行か スーパーといえば競争競争で大きなものが出来、そのコーナーの一箇所を豆腐や油あげが占めている。 私の小さい時、春日大社までの県道が家の前にあり、それを挟んだお向かいに豆腐屋があった。YちゃんとТちゃんと言う四、五歳上の女の子があり、自家製造業であったので、よく手伝いをしていた。開けっ放しの売り場兼製造所へ私は毎日のように行っていた。 庭を挟んだ一番奥で背丈のあるブリキの釜に入れられた豆が動力で廻っていた。それを下ろすと大きな(はそり)釜で煮詰められて、大きな袋に入れて太い丸太を渡した片方をYちゃんが、てこのように何度も腰をかけて汁を絞り出すのである。この順序は、反対だったかも知れないが私はYちゃんと話がしたいために、そのそばについていた。 傍らでは横長の箱を水から出して小母さんが幅の広い大きな包丁でしるしに添って切り分け、お客があると水から手ですくって持参してきた入れ物に一丁二丁と入れていた。 私の家も冷やっこだの湯豆腐だの味噌汁の具だのよく食卓にあがったが、父の弟は豆腐料理が嫌いな人であった。そうした日常茶飯の中で一つ傷になって残っていることは戦争が激しくなった小学五年生の時の「豆腐くらい買って持たせてくれれば良いのに」と言う聞こえよがしの担任の先生の一言である。その男先生は自宅とは反対方向に自転車で三十分くらい豆腐やまでかかるのであった。 子供の私は思いがけなかったので、母に言うとその後二三度油揚げをもたせてくれた。 そういえば母の実家では伯父が町に出るときは豆腐を買ってきてと頼まれたり催事の折は沢山自家製造をしていたような覚えである。 そんな遠い日の今昔を思い出しながら私は毎週月曜日に牛乳とともにとどく豆腐を箱から取り出して冷蔵庫に納めている。      俳句    梅雨明けは未だか本のみ読み継ぎて<
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする