音楽の大福帳

Yoko Nakamura, 作曲家・中村洋子から、音楽を愛する皆さまへ

■ Mozartモーツァルト「 きらきら星変奏曲 」の、自筆譜実物を見る■

2011-11-21 23:58:45 | ■私のアナリーゼ講座■

  ■  Mozartモーツァルト「 きらきら星変奏曲 」の、自筆譜実物を見る■
                      2011.11.21  中村洋子

 

 

 

★明後日23日開催の、横浜みなとみらいでの

「 第 11回 インヴェンションアナリーゼ講座 」 の資料作りも、一段落。

本日は、「 第一生命 110周年記念国際モーツァルテウム財団コレクション 」 の

「 モーツァルトの顔 」 という展覧会に、行ってきました。

Wolfgang Amadeus Mozart モーツァルト(1756~1791) 。


★この展覧会で、私が見たかったものは・・・

・Zwölf Variationen über "Ah, vous dirai-je, Maman"  KV265

( 12の変奏曲  ああ、お母さん、あなたに申し上げましょう )

通称  「 きらきら星変奏曲 」 の  、最初のページの自筆譜。

・Klavier Sonate  KV331 の第3楽章 、

通称 「 トルコ行進曲 」 の最後のページの自筆譜

・ランゲの 「 モーツァルトの肖像画 」 。

 

★ランゲは、モーツァルトの妻の姉アロイジアの夫で、

この油彩画は、1789年、つまり、モーツァルトの死去する2年前に、

描かれています。


★これらは、日本で初公開でした。

あまり、期待せずにでかけましたが、

ランゲの肖像画は、大変に美しく、

それを見ますと、モーツァルトが頭の中で、

音楽を組み立て、構想している瞬間の、

顔の表情が、手に取るように、読みとれるような気がしました。

 

 

 「 きらきら星変奏曲 」 の自筆譜を詳細に見て、

分かりましたのは、次のようなことです。

通常の現行譜では、おおむね 5段目から現れる 「 37小節目 」 が、

実は、3段目の冒頭から始められていた・・・、ということです。


★それにより、

37小節目の2拍目 e3

38小節目の2拍目 d3

39小節目の2拍目 c3  の

「 e - d  -  c  、ミ - レ - ド 」  が、浮かび上がるように、

目に、飛び込んできます。

これは、テーマ ( ド ソ ソ ラ ラ ソ ファ ファ ミ ミ レ レ ド ) の、

最後の重要な、 ≪ ミ  レ ド ≫ です。

「 ああ!、 バッハと同じだ 」 と、感動しました。

自筆譜の訴えかけるメッセージは、強烈です。

Mozart が  Bach を勉強していた証拠が、

こういうところで、分かるのです。

 


 

 

★会場では、モーツァルトの生涯を、20分ほどにまとめた、

ビジュアル&サウンド アーキテクチャー「 モーツァルトの素顔 」

という、
ビデオを放映していました。


★まるで、宝塚の男役スターのようなナレーションが、

「 Wolfgang Amadeus Mozart モーツァルト 」 本人かのように、

一人称で、生涯を語っていました。

またまた、 「 サリエリ陰謀説 」 を、訳ありげに仄めかしていました。

エンターテインメント映画に、いつまでも、

振り回されるのは、どんなものでしょう?


Antonio Salieri アントニオ・サリエリ (1750~1825) は、

実は、天才 Franz  Schubert(1797~1828)

シューベルトを、陰になり、日向になり、育て上げた人です。

シューベルトが今日あるのも、このサリエリのお陰である、ともいえます。

才能に満ち満ち、しかし、それゆえ偏狭と取られがちの天才を、

≪ 真の天才である ≫  と見抜き、それゆえ暖かく庇護し、

慈しみ、育てた感服すべき人です。

まことに、度量の広い人物です。

このような敬服すべき偉大な人が、 “ 嫉妬 ” のあまり、

天才  Amadeus を、毒殺するのでしょうか。


★サリエリの音楽をまず、聴いてください。

通俗娯楽映画が吹聴する、胡散臭い、

俗説に惑わされることなかれ!!!

そんな俗説は、一笑に付されることでしょう。

まず、原典に当たってください。

 

 


★映画では、モーツァルトの妻に宛てた手紙に基づき、

さも、モーツァルトが下品な人物であるかのように、描いていますが、

皆さんが、親しい友人や恋人に書いた “ 携帯メール ” が、

そのまま暴露され、本として刊行されたと想像してみてください。

赤面しない人は、いないでしょうね。


その轍を、踏まなかったのが、

ブラームス Johannes Brahms (1833~1897)です。

晩年には、クララ・シューマンと交わした手紙も、数多く、

廃棄しています。

モーツァルトのように、誤解されるのが、たまらなかったのでしょう。

 

 


            ※copyright © Yoko Nakamura
▼▲▽△無断での転載、引用は固くお断りいたします▽△▼▲

 

 

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