音楽の大福帳

Yoko Nakamura, 作曲家・中村洋子から、音楽を愛する皆さまへ

■ チェリビダッケの Brahms交響曲 4番から、 Bachが見えてくる■

2011-11-07 23:59:21 | ■ 感動のCD、論文、追憶等■

■ チェリビダッケの Brahms交響曲 4番から、 Bachが見えてくる■
                     2011.11.7   中村洋子

 


 

★きょうは、少し風邪気味でしたので、静かに一日、

ブラームス Johannes Brahms (1833~1897) の、

Sinfonie Nr.4 交響曲 4番のCDを、聴いていました。

演奏は、Sergiu Celibidache セルジウ・チェリビダッケ指揮の

NWDR Nordwestdeutsches Rundfunk Sinfonie-Orchester

北西ドイツ ラジオシンフォニー オーケストラ 1951年です。


ブラームス最後の交響曲である、この 4番も、

≪ e-Moll ≫で、≪ e - g - h ≫ の主和音から、始まります。

この主和音の上に、一度聴いたら忘れられない、

切なく美しい主題  ≪ h - g - e ≫ が、流れます。

主和音を、第 5音→第 3音→主音のように、

上から下に、辿ったものです。

彼の、Cello Sonata  Nr.1  チェロソナタ 1番 も、

≪ e-Moll ≫で、≪ e - g - h ≫ の旋律から、始まります。


★この二つの名曲が、何故、≪ e-Moll ≫ なのか?

それは、偶然なのか、一日考えていました。


決して、偶然ではない・・・、というのが結論です。

そして、その解答は、冒頭 18小節の息の長い第 1テーマに、

すべて、隠されています。


★さらに言えば、それは、J. S. Bach バッハ (1685~1750)を、

学び尽くし、それを源泉として、

ブラームスが、彼の天才を羽ばたかせたものです

この点については、一昨日のブログなどを参照してください。

 


★さらに、彼が生きた 19世紀を突き抜けて、

≪ 20世紀音楽の扉を開いた ≫ ということを、

23日と 29日の講座で、お話するつもりです。


★指揮者のチェリビダッケは、 「 Stenographische Umarmung

(直訳では)速記で書かれた抱擁 」 という、本を著し、

その中で、ブラームスについて、次のように、書いています。


★≪ ブラームス Johannes Brahms は、

全く、贅肉のない、骨と筋肉でできた人 ( 作品 ) だ。

(すばらしいプロポーションの曲である。

無駄な音がなに一つなく、しかも、豊かな感情と情緒に、

満ち溢れた音楽である、という意味です。

私も同感です。)

彼は、自分の作曲法をもっていた、

習熟した、素晴らしい表現法をもっていた。

他の作曲家の表現法などは、彼にとって、どうでもいいことだった。

(同時代の、流行作曲家には、関心がなかった、という意味)

悲しいかな、他の作曲家の表現法を、全く知らなかった ≫

 

 


★この著作は、日本では 「 私が独裁者? モーツァルトこそ! 」

という原本とはかけ離れた題名で、翻訳されています。

さらに、ブラームスの項目を、次のように訳しています。

< 「 脂肪分がなく、骨と筋肉しかない男 」
「 彼は作曲法と表現法をみごとなまでに意のままにし得た。
彼にとって他の作曲家の技法などまったくどうでもよいことだった。
そしてなおひどいことには、
彼はまったくそれを知らなかったということだ 」 >


この訳を、普通に読んだ人は、ブラームスについて、

チェリビダッケが何を言いたいのか、さっぱり分からないでしょう。

ブラームスがどんな作曲家であるか、についても、

誰からも、何も学ばなかった?

にもかかわらず、作曲法を意のままに操った?

と、理解しかねません。

それは、ブラームスについて、誤った理解へと、導きます。

大変に、困ったことです。


★訳者が、ブラームスを全く理解せず、

“ 懐古趣味の音楽 ” という、陳腐な固定観念に、

囚われて、いるのでしょう。

ですから、 「 脂肪分がなく、骨と筋肉しかない男 」

というような、一種の軽蔑感すら漂う、失礼な醜い訳になるのです。

音楽書の日本語訳には、くれぐれもご用心ください。

悲しいかな、音楽を理解している訳者は、本当に少ないのです。

読み進んでいて、疑問に思ったり、意味がよくとれないところは、

訳が悪いか、間違った訳であることが、本当に多いのです。

辞書を片手に、原本を読めば、正しい理解に到達します。


★私の訳の 「 悲しいかな、他の作曲家の表現法を、全く知らなかった 」

≪ 悲しいかな ≫ は、ブラックユーモアでしょう。

最近、ドイツのそれは楽しい一流のユーモアに接しました。

http://bit.ly/p0AbiG 、これを是非、ご覧ください。

 

★悲しいかな!、ブラームスは、自分の作品が、

後世の作曲家に、どんな大きな滋養を与えたか、

それを、知ることはなかったのです。

 

★チェリビダッケの指揮する、この CDは、

毎日聴いても、新しい発見があります。

現代のもてはやされているスター指揮者の CDは、

聴いている途中で、他事を考え始めるか、

飽きてしまい、スイッチを切ってしまうことが、多いのです。

「 音によって思考する音楽か、どうか 」

それが、両者を分けるものでしょう。

 


                                        ※copyright © Yoko Nakamura
▼▲▽△無断での転載、引用は固くお断りいたします▽△▼▲

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