音楽の大福帳

Yoko Nakamura, 作曲家・中村洋子から、音楽を愛する皆さまへ

■■ チェロのヴォルフガング・ベッチャー先生の録音 ■■

2007-12-24 17:03:53 | ★旧・曲が初演されるまで
2007/4/27(金)

★明日から、ゴールデンウイーク、木々の新緑に真紅のツツジが映えます。

チェリストのベッチャー先生(Wolfgang Boettcher)が、来週、来日されます。

ゴールデンウイークは、先生と5日間みっちり、CD1枚分を録音いたします。

今回は、ピアノとチェロの二重奏が4曲、チェロ独奏曲が1曲の計5曲です。

すべて、日本にちなんだ音楽です。

ドイツ人でクラシック音楽の真髄を極められた先生が、どのようにお感じになるのか、

一抹の不安がありました。


★しかし、3日前、最後のページを、ベルリンの先生のお宅にファックスいたしましたら、

先生から「もう直ぐ、あなたの国でお会いできることを楽しみにしています」

「I try my best!」「特に、チェロ独奏組曲の5番目が気に入っています」

とすぐにお返事のファックスが届きました。

5番目は、特に日本的な曲で、先生の日本への深い愛情を感じました。

私の定期入れには、先生と二人で撮った写真が入っています。

先生のお財布のなかでは、天使のように可愛らしいお孫さんが微笑んでいます。


★先生は、1935年ベルリン生まれ、現ベルリン芸術大学で学び、チェロをリヒャルト・クレム、

後に、モリス・ジャンドロン、エンリコ・マイナルディに師事。

カラヤン時代のベルリン・フィルで、1958年~76年までの18年間、首席チェロ奏者を務める。

また、「ベルリン・フィル12人のチェリスト」や、

当時のコンサートマスター、トーマス・ブランディスと「ブランディス弦楽四重奏団」を結成。

1976年から、ベルリン芸大教授を務める。

現在のベルリンフィルのチェロ奏者の半数以上が、ベッチャー先生の教え子です。


★日本では、2年に1度、「草津音楽祭」で、マスターコースと、コンサートに出演され、

その熱く、暖かい指導が、生徒さんから慕われています。

愛器のチェロは、1722年製のマッテオ・ゴッフリラー(ヴェネチア)。

4月のシューベルト・アナリーゼ講座で、この録音をお知らせしましたところ、

草津音楽祭に参加されたことがあるベッチャー・ファンの方がいらっしゃり、

「CDができたら、是非、聴かせて下さい」とおっしゃり、本当に嬉しかったです。


★無伴奏のチェロ組曲は、全7曲から成り、日本の雪深い冬から、山笑う春、惜春、

田植え、五月雨を経て、青田波の夏までを、表現しました。

ドイツ人であり、山や自然を深く愛する先生が、どんな世界を表現してくださるのでしょう。

楽しみでたまりません。

完成しましたら、是非、皆さま、お聴きください。


▼▲▽△▼▲▽△無断での転載、引用は固くお断りいたします▽△▼▲▽△▼▲
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■■ バッハの無伴奏チェロ組曲をピアノで弾く ■■

2007-12-24 17:02:59 | ★旧・曲が初演されるまで

■■ バッハの無伴奏チェロ組曲をピアノで弾く ■■

2007/3/17(土)



★5月に録音を予定しております、ベッチャー先生のため作曲は、

CD一枚分ですが、4分の3まで、楽譜をベルリンに送りました。

最後の一曲は、おこがましくも無伴奏チェロ組曲です。

録音は2日間にわたりますが、先生は、その3日前に来日され、

3日間もリハーサルに当ててくださるそうです。

計5日間も私の曲を弾いてくださるのは、本当に光栄であり、感動です。


★無伴奏チェロ組曲といえば、バッハです。

カザルスなど名演はたくさんありますが、

近頃、テレビのコマーシャルやBGMで、シンセサイザーなどの人造機械音などで、

あまりにも安易にムードミュージックのように使われているのを聞きますと、

悲しくなってしまいます。

しかし、どんな使われ方をしても、びくともしない曲であるのもまた、事実です。

ということは、この曲を、ピアノで弾いて楽しむことも当然、可能です。

なにせ、バッハは編曲の大家。

マルチェルロやヴィヴァルディの協奏曲をたくさん、鍵盤楽器に編曲して、

領主を楽しませた人でもあります。


★私も以前は、楽譜を見ながら頭の中で音を鳴らしていましたが、

たまたま、ピアノでそのまま、無伴奏チェロ組曲を弾いてみますと、

大変に楽しい、ということを発見しました。

原典版を所持することは当然のことながら、

佳いエディションの楽譜で弾くのも大変、勉強になります。


★私は、ヤーノシュ・シュタルケル版で、弾いています。

シュタルケルが2001年9月に来日されたとき、

マスタークラスを聴講しました。

無伴奏チェロ組曲の第2番を講義されました。

その時のメモがいま、大変に役立っています。

シュタルケルによりますと、彼が持っているだけでも、

無伴奏チェロ組曲のエディションは89種類もあるそうです。

彼は「search for treasures」といっていました。

ケンプもシューベルトのときに「hidden treasures」と、同じtreasureを使っています。

★私は、その折、シュタルケル版の楽譜を購入しました。

彼は、2番のクーラントで「私はスラーを混ぜて弾くのが好きだ」といっていました。

シュタルケル版では、歌わせるところはスラーで、

切る音もテヌートなのか、アクセントなのか、

弓はダウンなのか、アップなのか、明確に指示してあります。

イメージを膨らませやすくなっています。


★そのまま、ピアノで、単旋律を両手を使って、弾いてみてください。

なんだか、チェリストになったような気持ち。

これをやりますと、バッハの鍵盤作品を弾く際に、

旋律をどう歌わせるか、どのように扱うかなど、おおいに勉強になります。

お薦めです。


★JOHANN SEBASTIAN  BACH  SIX SUITES for unaccompanied violoncello
edited by Janos Starker
PEER INTERNATIONAL CORPORATION NEW YORK
PEER MUSIKVERLAG G.M.B.H.HAMBURG



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■■ ヴィオラ・ダ・ガンバ四重奏「みじか夜」の初演 ■■

2007-12-24 17:01:35 | ★旧・曲が初演されるまで
2006/11/29(水)

★11月26日の夜、駒込・上富士前の「カソリック本郷教会」で、私の新曲「みじか夜」が、初演されました。

「みじか夜」(Transient Night in Summer)は、4人のヴィオラ・ダ・ガンバ奏者のための曲です。

4人は、弦楽四重奏のバイオリンにあたる「トレブル」ガンバ、

ヴィオラに相当する「テノール」ガンバ(2人)、チェロに当たる「バス」ガンバの4人の奏者です。

「ガンバ」は羊腸弦を使うため、とても柔らかい典雅な響きがします。

その響きを残しつつ、弦楽四重奏とは異なる新しい表現を探りました。

特に、ガンバ4人による「ピッチカート」は、沖縄の音階とあいまって、

11月の肌寒い教会堂を、南の島の暖かい微風が包み込むような感じになりました。

当日のコンサートの最初の曲マイネリオ(1535~1582)というイタリアの作曲家の

「スキアラズーラ マラズーラ」という面白い呪文のような曲は、調弦をしているうちに、

曲が始まるような錯覚をおこさせる曲です。

「スキアラズーラ」は「隙あらば」の洒落だったのでしょうか???


★ガンバという楽器は、調弦の音を聞いているだけで、その柔らかで、たおやかな音色に陶酔しそうになります。

コンサートには、おヒゲの殿下の三笠宮寛仁さまも、来場されていました。

ご退院されてまだ日も浅いと存じますが、このガンバのやさしい響きで、きっと心を癒されたことでしょう。


★私は、チェンバロやガンバの曲をいくつか書いていますが、

バロック時代にすでに完成している「古」楽器のために作曲したり、聴いたりしますと、

「近代」楽器のときといつも違った印象を受けます。

その印象とは、誤解を恐れずに表現いたしますと、

「人を威嚇しない」ような楽器、ということです。

産業革命前のヨーロッパ、現代のように人間が歯車ではなく、

人と人が濃密に顔をつき合せ、会場もせいぜい教会程度の収容人数、

奏者の息遣いまで聞こえるような空間で演奏する楽器だからなのでしょうか。



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■ 傳通院・納涼コンサートを終えて ■≪お子さまたちが、食い入るように・・・≫

2007-12-24 16:59:57 | ★旧・曲が初演されるまで
■ 傳通院・納涼コンサートを終えて ■ ≪お子さまたちが、感動して食い入るように聴き入っていました≫

2006/7/25(火)

★連日の梅雨で、お天気が心配でしたが、22日(土)は、幸い、雨もなんとか降らず、

暑くもない曇り空に恵まれました。


昨年の納涼コンサートは、お箏と篠笛、日本舞踊で、お子さまはあまり多くありませんでした。


ことしは、「懐かしい童謡の夕べ」とあって、可愛いお子さま連れのご家族がたくさん、来ていただきました。


ヨチヨチ歩きの坊やから、浴衣姿の若いカップル、親子連れ、お婆ちゃまたちまで、

あらゆる年齢層の皆様で満員でした。


“浴衣”に赤い帯の真っ白な子猫ちゃんも、飼い主のお膝の上で、耳をピクピクと傾け、

飼い主と一緒に前足で拍手をしてくださったそうです。


時々、小さく「ニャ」と鳴くと子供たちが大喜びだったそうです。


ソプラノ・五十嵐郁子さんの音楽は知性に満ち、彼女の暖かく愛情溢れるある歌声で、

本堂の空間全体が包み込まれたような、至福の時間が流れました。


お聴きになった皆さまは、心の中に、いつまでも消えない赤い蝋燭の“贈り物”を抱いて、

帰途に就かれたことと思われます。



◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆



今回のギター伴奏版は、実はオリジナルのピアノ版をギター譜に編曲し直したものです。


しかし、ギターという弦楽器の特性に合わせるため、大変に難しい作業でした。


少し書いては、軽井沢の斎藤さんにファックスし、彼女の的確な指示を基にまた、作り直すことの連続でした。


全26曲、気の遠くなるような仕事でした。


その結果、最初の練習は、とうとう本番のわずか4日前になってしまいました。


斎藤さんは、それから連日、新幹線で軽井沢から上京して、五十嵐さんと火の出るような練習を繰り返しました。


難しい楽譜を、昔から何度も弾いたことがあるかのように、見事にさらりと弾きこなしていただきました。


五十嵐さんとは、実は、最初の練習日に初めて顔を会わせただけでした。


それでも、お二人の息は見事に合いました。このようなことは、めったにありません。


斎藤さんは演奏後「五十嵐さんの歌を聴きながら“ああ幸せ!”と思って演奏していました」と、

率直におっしゃていました。


聴く側からみますと、童謡はよく耳に馴染んだ曲で、単純にみえますが、演奏者からみますと、

逆に、ごまかしがきかず、奏者の品性がもろに現れてしまう最も難しい分野です。


童謡のメドレーですので、拍手は最初と最後でいいのですが、五十嵐さんが一曲歌うたびに

溜息のような拍手が自然に湧き起こってきました。


通常、歌曲を歌う場合、演奏者は立って歌いますが、今回、五十嵐さんは椅子に座ってお歌いになりました。


椅子に座った高さで発声しますと、立った時よりも美しく聞えることが分ったためです。


本堂のご本尊様の前に座りますと、ぶ厚い檜の板が声を柔らかく美しく反射してくれます。


何百年という歴史の厚みでしょうか、能楽堂に匹敵する音響です。


お経をお読みになる場合も同じですね。



◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆



お客さまの感動が、思いがけなくたくさんのアンケートとして返ってきました。


いらっしゃったお客さまの半分近くの方がお書きくださいました。


演奏終了後、すぐに五十嵐さん、斎藤さん、私ですべて拝見しました。


率直に感動をお書きいただいた好意的なものばかりでした。


「感動しました。本当の芸術家とはこんなに凄いものか、と初めて分りました」


「ホールとは一味ちがい、演奏者も身近に感じられた心温まる一夜でした。

日ごろ、口ずさんでいる歌を一流のアーチストに歌っていただきますと、

あらためて歌の楽しさを感じました」


「あっという間に過ぎ、あらためて童謡の美しさを感じ、子供たちに伝えていきたいと思います」


「終戦直後の物のない時代、食べ物のない時代に、今日のような童謡を口ずさみ元気づけられたことを

思い出し、感無量でした」


「美しい声と演奏で、まるで夢の国にいるようでした。

仏様を見送りした後の素晴らしいプレゼントでした。遠路はるばる来た甲斐がありました」


「歌の途中で朗読された三好達治の詩もよかったです」


「来年ももう一度、歌をきかせてください」


「子供さんがたくさんに聞いていることを嬉しく思いました」


「2回、3回と毎年、童謡を続けてください」



◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆



私もお客さまを前にして、お子さまたちが、本当に感動して食い入るように聴き入っている様子に

最も心を打たれました。


一流の芸術家の最高の歌を、目の前で、生で聴くという得がたい体験をされたお子さまは、多分、

この演奏会を、その感動を一生涯忘れないことでしょう。


そして、その感動こそが真の音楽を理解し、愛し、育てていく原動力となるのです。


次の世代が文化を育んでいく肥やしとなるのです。


このような機会をつくっていただきました「傳通院様」には、あらためて心より、お礼と感謝を申し上げます。


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■ ウットリと漂うようなギターの和音 ■

2007-12-24 16:58:06 | ★旧・曲が初演されるまで
2006/7/21(金)

『傳通院納涼コンサート』・懐かしい童謡の夕べ(22日)のリハーサルをいたしました。


童謡17曲と詩の朗読からなる「かげぼうし」と、9曲の童謡からなる「走馬灯」です。


ソプラノは五十嵐郁子さん、10弦ギター伴奏は斎藤明子さんです。


今回は、既にあるピアノ版をギター版に直す仕事をいたしました。


ピアノの10本の指をフルに使う伴奏から、右手のみのギターに編曲することは、

どの音をカットするか、という作業から入りました。


音の数からいいますと、なにか響きが減るようなイメージがあり、

ピアノ版の録音を聴いていた斎藤さんも、その点を心配されていたようです。


しかし、実際にギター版を音にしてみますと、ギターの豊かな響きに圧倒されました。


特に、開放弦を伴った和音は、楽器が共鳴し、音響が飛び散らないで、空間にそのまま

ウットリとして漂っているような感じすらいたしました。


この美しさに、私たち3人は、あらためてびっくりいたしました。


歌曲のギター伴奏に、根強い人気がある理由がよく分りました。


現代は、シンセサイザーなどの「電器楽器」による無機的で均一な音による、音楽といえない音楽を、

テレビや飲食店、街中で、これでもか、これでもかと絶えず、無神経にガンガン垂れ流しています。



聞きたくなくても否応なしに、耳に押し付けてきます。



神経が逆なでされます。



ギターの開放弦を伴ったとてもよく響く和音、あるいは、やや響きにくいポジションの音の微妙な差を

味わうことは、無意識のうちに贅沢な快感を味わっていることかもしれません。


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■■ 東北(とうぼく)への路 解説 ■■

2007-12-24 16:56:58 | ★旧・曲が初演されるまで
2006/6/29(木)

■伝通院でのコンサート「東北(とうぼく)への路」が明後日、7月1日となりました。


 当日、会場でお配りいたします解説です。


 (コンサートのもようは、また、お知らせいたします。)



◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



【解説】

★ 東北(とうぼく)への路 =10弦ギター独奏 斎藤 明子


1) 草の戸も 住み替はる代ぞ 雛の家 
 
 「草の戸」とは、世捨て人の草庵。老い先短い世捨て人(芭蕉)が、隅田川の辺の庵を畳み、

 旅立ちます。

 後の庵には、お雛様を飾るような、子供や孫のいる新しい家庭が移り 住むことでしょう。

 “そうあって欲しい”と、念ずる芭蕉。散る桜を想う老人、お雛様 と無邪気に遊び笑う幼子の姿が

 重なり合います。

 老いと幼の対比、人の世の悠久の流れ、 流転、新生が、この一句に見事に込められています。


 ギターからは、枝折り戸を叩くようなコツコツという音。住み替わりの音、芭蕉を旅へ といざなう

 音でしょうか。

 中間部は明るく、谷中で上野で桜を楽しんだ芭蕉の若い甘い 時代。

 そして、旅に発った後も、隅田川は静かに流れ続けます。


2) あらたふと 青葉若葉の 日の光

 新緑の若葉一枚一枚に日の光が当たり、キラキラと生命が宿っています。


3) 五月雨の 降り残してや 光堂
 
 音もなく降る五月雨、廃墟から光堂が浮かび上がります。

 滅びた藤原三代の荒々しい魂 が甦り、また、消えていきます。


4) 荒海や 佐渡に横たふ 天の河

 静寂な七夕の空、暗い日本海は波立っています。天空には、天の川が白く淡く、刷毛で

 描いたように流れています。時の流れのようです。 



◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



★ 最上川舟歌  (山形民謡) = 独 唱  神谷 光子  

  神谷さんは、小さいときからご苦労され、日々の辛い労働の後、歌うことで自分を慰め、

  生きるよすがとされてきたそうです。お母さんが歌う民謡を耳で聴いて覚えました。

  それが「最上川舟歌」です。鑑賞用でない本当の民謡、生きる糧として歌い継がれてきた歌です。

  鋼鉄のように張りのある声で歌っていただきます。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


★ もがみ川 =   第1ギター  :尾尻雅弘(7弦ギター)、
           第2ギター  :斎藤明子(10弦ギター)
     (最上川の流れをテーマにした6つの変奏曲)


第1変奏:西洋のバルカローレ(舟歌)風の主題。最上川源流の繊細な流れ。


第2変奏:流れに勢いがつき、瀬の岩が泡立ちます。


第3変奏:子を寝かしつけるお母さんの子守唄。神谷さんの幼少期でしょうか。


第4変奏:間断なく五月雨が降り、霧にけぶった川がとうとうと流れます。

     「五月雨を集めて早し最上川」。


第5変奏:夜のとばりがおり、芭蕉は昼間の光景を行灯の下、筆でしたためます。

    ゆっくりとした音が時を刻みます。


第6変奏:「暑き日を海に入れたり最上川」。

     盛暑のジリジリ焦げるような暑さが、変拍子で奏されます。 


◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


★ 白秋 ~波の間に~  
      =龍笛、楽琵琶、歌   八木  千暁(せんぎょう)
          
第1楽章:「石山の 石より白し 秋の風」

 龍笛の鋭くもの悲しい響きで始まります。

 楽琵琶は「平調(ひょうじょう)」という秋 の調弦。

 有名な越殿楽も平調です。楽琵琶を弾きながら、俳句が朗々と歌われます。

 楽琵琶の開放弦による分散和音が、風のようにそよぎます。悠久の響きです。

 山中温泉の 「観音堂」の境内には、とりどりの奇岩があり、白く枯れた風情を漂わせている。

 吹き 渡る秋の風は、それよりいっそう白く寂しく吹きわたる。

     
第2楽章:「波の間や 小貝にまじる 萩の塵」

 再び、龍笛の独奏で始まります。景色が山から若狭の海へと移ります。

 敦賀の海上七里 にある「種の浜(いろのはま)」まで、小舟を走らせます。

 波が寄せては返すそのつか の間、浜の砂の上には、可憐な美しい桜貝に混じり、

 萩の花屑もまぎれこんでいるのが 見える。

 気がつくと、この辺鄙な浜辺もすでに秋色に染まっている。

 楽琵琶に続き、龍 笛の音が、旅の終わりを告げます。


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■「東北(とうぼく)への路■ その6 ~芭蕉という人物について~ 傑作(0)
2006/6/20(火) 午後 1:50作曲した曲が初演されるまで・・・その他音楽 Yahoo!ブックマークに登録 松尾芭蕉は1644年(寛永21年)、伊賀上野(現在の三重県上野市)で生まれました。


江戸幕府が始まってから41年後、三代将軍「家光」(在位1623~1651年)の時代です。


幕府体制の永続化を目指し、基礎となる制度の確立に努めていた時代です。


1635年には、大名に「参勤交代」を義務づけ、貿易統制やキリシタン弾圧を強化し、島原の乱を経て

1641年までに「鎖国」を完成させました。


「武断政治」の時代と言われています。


山国・伊賀上野は藤堂藩の城下町です。


同藩の本拠は津にあり、伊賀上野は支城でした。


父の松尾与左衛門は、「無足人(むそくにん)」という土着郷士。


苗字を許されるものの、俸禄は給付されません。


士農工商の「士」ではない、いわば準武士階級に属していました。


農業を業とし、地元の名家でした。


芭蕉は二男でした。


伊賀上野という国は、戦国末期の1581年、織田信長に襲われました。


殲滅され、焼土と化した残酷な歴史があります。


父から、その時代の暗く悲劇的な話を聴いて育ったようです。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


芭蕉が13歳のとき、父が没します。


長男が家を継ぎ、母、姉一人と妹三人の家族です。


当時、伊賀上野でも俳諧が、お金のかからない庶民文芸として愛好されていました。


芭蕉も少年時から俳諧を学びました。


19歳の春、その才能を見込まれ、伊賀上野の侍大将の嫡子・藤堂良忠に仕えます。


良忠は2歳年上。「蝉吟」と号し、ことのほか俳諧に執心し、芭蕉を寵愛しました。


しかし、芭蕉23歳のときに良忠が病没しました。


良忠の死は、寵臣として生きる望みが絶たれたことになり、失意のうちに城を去ったようです。


その挫折感が芭蕉の人生観に大きく影響した、という見方があります。


その後の経歴ははっきりしませんが、29歳のとき、江戸に上りました。


杉山杉風が出迎え、内藤風虎、談林派の西山宗因らと交友します。


やがて、江戸の俳諧宗匠では五指に入るまでになりました。


俳諧師は、黒衣円頂(墨染めの衣に剃髪、すなわち僧の姿)です。


本来、「士農工商」の四民の枠外にはみ出た存在、と自覚した人々の群れでした。


しかし、当時は、そうした自覚が薄れ、俳諧は滑稽味、放笑性を追求する低俗趣味に偏重していました。


宗匠の世界も俗化し、パトロンに媚び「座敷乞食」と蔑まれる者も少なくないほど堕していた、といわれます。


芭蕉は、34歳から4年ほど、神田上水工事の事務も副業としていました。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ 


37歳の冬、華やかな江戸文化の中心地「日本橋」から、隅田川の向こう岸に渡ります。


新開地「深川」の草庵に居を移しました。


俗物の跋扈する俳諧の世界から足を抜き、本当の俳諧を求める“旅”に出たのです。


それまでの俳号「桃青」を捨て、ここで初めて「芭蕉」と号しました。


「芭蕉」は、門人から芭蕉の株を贈られたことから当初、草庵につけた号でした。


芭蕉は、バナナのような大きな青々とした葉を茂らせる樹木。


「夜雨に鳴り、秋風に戦(そよ)ぐ」葉音を愛でた中国の詩人を偲んだと、伝えられます。


弟子を教えて生活する宗匠を捨て、隠遁生活に入りました。


自らを「風雅の乞食(こつじき)」「乞食(こつじき)の翁」と称しました。


しかし、芭蕉を慕う弟子たちが生活の支援を惜しみませんでした。


ここで芭蕉は、李白、杜甫など漢詩文の世界に傾倒します。


1684年、41歳になった芭蕉は、「浮雲無住」の漂白詩人として旅に出ます。


その後7年余りの間に、4年以上も旅で過ごしました。


文字通りの「乞食」ではなく、地方俳壇を支える豪商、名望家、上級藩士を訪ね歩く旅でした。


その間の作品が、「奥の細道」をはじめ「野ざらし紀行」「笈の小文」、「更科紀行」、「嵯峨日記」などです。


「奥の細道」は、1689年、46歳のとき、旧暦3月27日(新暦5月16日)に出立しました。


身の回りの世話をする曾良(そら)という若い男性と一緒です。


曾良は、出発の日の明け方、剃髪し、僧衣に着替えます。


千住、草加、日光、那須野、白河、須賀川、松島、石の巻、平泉、尾花沢、最上川、酒田、象潟、

市振、金沢、山中、永平寺、福井、敦賀と巡ります。


終着は大垣で、旧暦9月6日に筆を置きます。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


この頃から、芭蕉の「不易流行」という俳諧に対する中心的概念が出てきます。


時を超えて永遠に変わらないもの(不易)と、時により絶えず変わりゆくもの(流行)とは、

実は、一つのものであり、異なる視点から眺めたものである。


その理想のありかたは「風雅の誠」である、としています。


「不易を知らざれば基立ちがたく、流行を知らざれば風新たならず」


その後、2年間ほどは、京都周辺の去来、凡兆らの門人を転々と訪ね歩いています。


江戸に戻ったのは1691年(元禄4年)の冬です。


「奥の細道」の原稿ができたのは、旅を終えてから3年後の1692年です。


その間、推敲に推敲を重ねたのでしょう。


当時、書物は書写によって普及するのが通常でした。


清書が完成したのはさらに2年後の1694年初夏です。


「紀行文」としてではなく、旅を舞台に借りた創作とみたほうがいいでしょう。


そして、この年の10月12日に芭蕉は世を去ります。


51歳でした。現世の人からみると、はかない短い一生です。まさに人生50年でした。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ 


芭蕉の時代は、元禄時代(1,688~1704年)の初めで、井原西鶴(1642~1693)、

近松門左衛門(1653~1725)も活躍しています。将軍は五代「綱吉」です。


ちなみに赤穂浪士討ち入りは、旧暦・元禄15年12月14日(1703年1月30日)夜です。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ 


芭蕉については、謎の面も多く、男色であったとか、往来に制限があった時代にかくも自由に旅が

可能だったのは、幕府の隠密であり、使命を帯びて、諸国を歩いていたのではないか、という説も

強いようです。


昔、とても珍しい苗字の方と偶然、お話をする機会がありました。


ある地方出身の方でした。「田舎には同姓の方はかなりいらっしゃるのでしょう」と尋ねました。


「実は、田舎でも我が家一軒だけなんですよ。この苗字は・・・」というお返事。


一軒だけ?

「先祖は、○○藩で代々、とても特殊な仕事をやっていまして、親戚もつくれなかったようです」


特殊?

「幕府が絶えず隠密を放ってくるので、それを探し出し、闇から闇へと始末するのが任務だったんです」

「男の子を一人だけ育て、女の子が生まれても、育てることが許されなかったようです」


◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ 


CIAとKGBの暗闘のようなお話ですが、江戸時代のこのようなお話を聞きますと、芭蕉も単なる

隠者ではなく、その時代の歴史を人知れず背負った複雑な側面をもった人であったかもしれませんね。



★中村洋子ホームページ http://homepage3.nifty.com/ytt/yoko_r.html

★「東北への路」チケットお申込みは...
  平凡社出版販売株式会社 中崎 まで。 電話 03-3265-5885 FAX 03-3265-5714


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■東北(とうぼく)への路■ その5 リハーサル

2007-12-24 16:54:51 | ★旧・曲が初演されるまで
■東北(とうぼく)への路■ その5 リハーサル
2006/6/9(金)

★今週は、ギターの斎藤明子さん、尾尻雅弘さんご夫妻とコンサートのリハーサルをいたしました。

10弦ギター独奏曲「東北への路」は、4つの楽章からできています。

第1楽章「草の戸も住み替わる代ぞ雛の家」は、春。

第2楽章「あらたふと青葉若葉の日の光」は、新緑の初夏。

第3楽章「五月雨の降り残してや光堂」は、梅雨の季節。

第4楽章「荒海や佐渡に横たふ天の河」は、七夕の夜の句です。

季節を追って曲は進行してまいります。

斎藤さんは、軽井沢で演奏活動の傍ら、無農薬の野菜やお米を作っていらっしゃいます。

家庭菜園で作ったウドがお土産でした。

軽井沢の遅い春の香りが楽しめました。

天ぷらと酢味噌和えでいただきました。

可愛いい盛りのお子さんたちに囲まれ、まさに、芭蕉が自らの寓居を託した次世代の「雛の家」の

住人かもしれません。

演奏は実に若々しく、作曲した私が「こんな表現もあるのか」と思うような斎藤さんの音楽性が

にじみ出た、いい演奏でした。

リハーサル後、ご夫妻とお寿司を食べ、ゆっくりとお話ししました。

斎藤さんに「素敵なおばあちゃんになってからも、また、この曲を弾いてくださいね」とお願いしました。

その時は、どんな演奏になっているのでしょうか。

第3曲目は中尊寺の光堂、藤原三代の栄華の残影ですが、北の支配者の猛々しさも少し織り交ぜてあります。

ギターにはよく合うようです。

10弦ギターは、低弦が普通のギターより4本多く、低いバスの音を充実させた曲が書け、

大変に気に入っています。

6月11日の「アナリーゼ講座」では、ベーゼンドルファーのセミコンサートピアノを使用します。

通常のピアノより低い音の出る「エクステンディトキー」が4つあります。

そのキーを使わなくても、弦が共鳴することで、深く、魂が揺すられるような響きがします。

ギターやピアノは、完成された楽器、というイメージがありますが、まだまだ進化していくのでしょう。

斎藤さん、尾尻さんの二重奏「もがみ川」は、「五月雨を集めて早し最上川」「暑き日を海に入れたり最上川」。

盛夏の曲です。

来週は、いよいよ、八木千暁さんの龍笛と楽琵琶のための曲「白秋」のリハーサルをいたします。

旅の終わり、秋の曲です。

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■「伝通院コンサート」での衣装

2007-12-24 16:53:08 | ★旧・曲が初演されるまで
■「伝通院コンサート」での衣装
2006/5/19(金)

★7月1日の伝通院コンサート『東北(とうぼく)への路』では、衣装をことしも昼神佳代さんと

ヌゥイ・島田佳幸さんのお二人にお願いしております。

私の衣装は「芭蕉が奥の細道へと旅立つ際、胸中に思い描いた『上野谷中』の桜をイメージしてください」と、

昼神さんに依頼いたしました。

昼神さんは、古い和服の生地を素材として再利用し、いつまでも飽きず着心地がよいドレスを創作されている方です。

ギターの斎藤明子さんの衣装は、今回初演いたします2曲「東北(とうぼく)への路」と「最上川」に

ちなんで米沢紬の布を選び、島田さんが製作されます。

先日、島田さんのアトリエにうかがい、米沢紬の布を拝見いたしました。

生成りの地色に、まるで最上川の川面に漂う靄(もや)のように淡い灰色が織り込まれていました。

大変に美しく、曲想によく合っていると思いました。

私は島田さんが新しく発表されましたペンダントルーペを求めました。

首からペンダントのように掛けるルーペですが、ひもは「江戸組み紐」で、簡素ながらも凝った逸品です。

精巧なレンズが柔らかい皮に包み込まれ、アクセサリーとしても粋です。

五線紙を埋める細かい作業の時、首からぶら下げたままにしておくと重宝しそうです。

★ヌゥイ・島田佳幸さんのホームページです。http://www.nuistyle.com/


◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

前回のブログ「ユリシーズの瞳」でご紹介いたしました北千住の「東京芸術センター」で、

9月に開講予定でした「黒澤明塾」が、5月16日に閉鎖されていた、という新聞記事を見つけました。

残念ですね。

『シネマ ブルースタジオ』に影響がないといいですね。


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■東北(とうぼく)への路■ その4 楽琵琶のお話の続き

2007-12-24 16:51:34 | ★旧・曲が初演されるまで

2006/5/5(金)

★ 前回<■東北(とうぼく)への路■ その3 >で、楽琵琶のことに触れましたところ、

今回、演奏していただく雅楽奏者の八木千暁さんから、次のようにご教授を頂きました。

その道に精通されている方以外に知りえないとても素敵なお話です。

本当に繊細で典雅で、教養に満ちた世界であることがよく分りますね。

◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇

「青山」とはおそらく楽琵琶のことです。

藤原貞敏が「玄象」(げんじょう)とともに唐から持ち帰った名器の一つといわれています。

現在楽器は存在しませんが、色々な逸話が残っているようです。

それから季節と調絃は、必ずしもそれでなければいけないというほど厳密ではなく、

たとえば殿上人の教養として「今日のお遊びの曲は何にしましょうか?」といったような時に、

さりげなく季節の調子の曲を選んだりすると、

なかなかこやつアジな選曲をするな・・・といった感じではなかろうかと思います。

しかし「経正」の謡文句を拝見すると、琵琶の調絃に精通していなければ書けないことだと

勘ぐってしまいます。

やはり能に「玄象」という曲があり、雅楽の名人藤原師長(ふじわらもろなが)が旅の途中雨に遭い、

ある老夫婦の家に宿を借ります。

そこで師長が琵琶を弾くと、主(あるじ)が屋根に苫をひきます。

そして「ただいまの琵琶は黄鐘調ですが、屋根をたたく雨の音は盤渉調でした。

しかし苫を葺いたので、雨音も同じ調子になりました」という件があります。

私などはワクワクしてしまう落ちなのですが、楽琵琶や調子をご存じない方がお聞きになっても、

あまり楽しくないのでは・・・

その昔の方々は調子や調絃、雅楽というものをもっと身近に知っていたのでしょうね。

                                八木千暁


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■東北(とうぼく)への路■ その4 楽琵琶のお話の続き

2007-12-24 16:51:29 | ★旧・曲が初演されるまで

2006/5/5(金)

★ 前回<■東北(とうぼく)への路■ その3 >で、楽琵琶のことに触れましたところ、

今回、演奏していただく雅楽奏者の八木千暁さんから、次のようにご教授を頂きました。

その道に精通されている方以外に知りえないとても素敵なお話です。

本当に繊細で典雅で、教養に満ちた世界であることがよく分りますね。

◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇

「青山」とはおそらく楽琵琶のことです。

藤原貞敏が「玄象」(げんじょう)とともに唐から持ち帰った名器の一つといわれています。

現在楽器は存在しませんが、色々な逸話が残っているようです。

それから季節と調絃は、必ずしもそれでなければいけないというほど厳密ではなく、

たとえば殿上人の教養として「今日のお遊びの曲は何にしましょうか?」といったような時に、

さりげなく季節の調子の曲を選んだりすると、

なかなかこやつアジな選曲をするな・・・といった感じではなかろうかと思います。

しかし「経正」の謡文句を拝見すると、琵琶の調絃に精通していなければ書けないことだと

勘ぐってしまいます。

やはり能に「玄象」という曲があり、雅楽の名人藤原師長(ふじわらもろなが)が旅の途中雨に遭い、

ある老夫婦の家に宿を借ります。

そこで師長が琵琶を弾くと、主(あるじ)が屋根に苫をひきます。

そして「ただいまの琵琶は黄鐘調ですが、屋根をたたく雨の音は盤渉調でした。

しかし苫を葺いたので、雨音も同じ調子になりました」という件があります。

私などはワクワクしてしまう落ちなのですが、楽琵琶や調子をご存じない方がお聞きになっても、

あまり楽しくないのでは・・・

その昔の方々は調子や調絃、雅楽というものをもっと身近に知っていたのでしょうね。

                                八木千暁


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■東北(とうぼく)への路■ その3 傑作(0)

2007-12-24 16:50:04 | ★旧・曲が初演されるまで
2006/4/28(金)

★7月1日のコンサート「東北(とうぼく)への路」では、雅楽奏者の八木千暁さんに

「白秋 ~波の間に」という曲を初演していただきます。

楽琵琶と龍笛で、奥の細道の旅の終わり、秋の風情を、表現したいと思います。

楽琵琶は、普段なかなか見ることが出来ません。

筑前琵琶、薩摩琵琶と異なり床に水平に構えます。

調弦も春夏秋冬で異なる調弦を用います。

例えば、春は双調(そうじょう)、夏は黄鐘調(おうしきちょう)、水調(すいちょう)、冬は盤渉調(ばんしきちょう)などです。

今回は、秋の平調(ひょうじょう)をつかいます。

有名な越殿楽も平調です。

私は、月に2回、「お能を身近に感じる会」でお能を習っています。

いまは、経正(つねまさ)をお稽古中です。

平経盛(つねもり)の嫡子・経正は、西海の合戦で討ち死にしました。

彼のために催された管絃講の弔いでは、彼が生前に愛していた「青山(せいざん)」の琵琶が仏前に供え置かれました。

この銘器について、お謡(うたい)では

「第一、第二の絃は、索々として秋の風。

松を払って疎韻落つ。第三、第四の絃は、冷々として夜の鶴の子を憶うて籠の中に鳴く」と

白楽天の詩句を引用しております。

平家の時代でしたので、この「青山」は、楽琵琶だったのでしょうか。

7月の新作「白秋」では、普段なかなか接する機会のない楽琵琶を間近でじっくりとご覧ください。

ちなみに「お能を身近に感じる会」の詳細は、

お能の出版社「檜書店」のホームページhttp://www.hinoki-shoten.co.jp/lesson/で。

観世流の大変素晴らしい先生方が懇切丁寧にご指導してくださいます。


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■「東北(とうぼく)への路」 その2

2007-12-24 16:47:42 | ★旧・曲が初演されるまで
2006/4/24(月)


★昨日(4月20日)は春の嵐。



芽吹いたばかりの新緑にわずかに残っていた桜、桃の花もすべて散り去りました。



本日は、うらうらな陽光、生まれたてのような、どこか怜悧な透き通る微風が体をよぎっていきました。



松尾芭蕉は、「弥生も末の七日」(陰暦の三月二十七日)、深川の草庵を引き払い、東北へと旅立ちました。



暁前の出立。



「月は有あけにて、ひかりおさまれる物から、富士の峯幽(はるか)に見えて、



上野谷中の花の梢、又いつかはと心ぼそし」と書いております。
 
この記述から、私は、花の盛りに江戸を旅立った、と思っておりました。



ところが、そうではありませんでした。



「弥生も末の七日」は、新暦の5月16日に当たるそうです。



花はもうとっくに終わり、したたるような新緑、初夏に差し掛かる頃です。



この旅は、芭蕉五十一歳の人生のなかで、晩年といえる四十六歳の時です。



彼は人生を「花」に見立て、自分は散リ行く花、あの咲き誇る上野谷中の桜を再び見ることがない



かもしれない、と心に詠じたのかもしれませんね。



「草の戸も住替る代ぞ雛の家」という句が想いを掻き立ててくれます。



「草の戸」とは、いわば、世捨て人の草庵のことだそうです。
 
この老い先短い世捨て人(芭蕉)が、庵を畳み、旅立ちます。



その空家に次は、お雛様を飾るような子や孫のいる新しい家庭が移り住みことでしょう。



“そうあって欲しい”と念ずる芭蕉。



散る桜を想う老人、お雛様と無邪気に遊び笑う幼子の姿が重なり合います。



老いと幼の見事な対比、人の世の悠久の流れ、流転が、この一句に見事に込められています。



7月1日の「伝通院コンサート」の第一曲目、斉藤明子さん演奏の10弦ギター用独奏曲はこうした



世界を表現したい、と思いますが、どうなることでしょう・・・




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■「東北(とうぼく)への路」~松尾芭蕉によせて~■ その1

2007-12-24 16:46:11 | ★旧・曲が初演されるまで
2006/4/14(金)

▼ことし7月1日(土曜日)午後7時から、東京・小石川の伝通院・本堂で、私の全曲初演による

個展コンサート「東北(とうぼく)への路」を開きます。

伝通院は、徳川家康の生母「於大(おだい)の方」の菩提寺。

格式の高いお寺です。

揺らめく蝋燭の明かりを前にして、本堂の荘厳な空間での演奏会は、幻想的です。

この本堂での個展コンサートは、ことしが3年目になります。

お蔭様でとても好評です。

音響も、能楽堂に匹敵する素晴らしさ。

有名なホールより優れているかもしれません。

今回は、松尾芭蕉「奥の細道」をテーマに、時空を超えた東北への旅を、音楽により表現いたします。

東北を「とうぼく」と呼ぶのは、お能の「東北(とうぼく)」から取りました。

発音が典雅ですね。


▼斎藤明子さんの10弦ギター独奏で、「春三月の旅立ち」から始まります。

「あらたふと青葉若葉の日の光」の日光、「五月雨の降り残してや光堂」の平泉。

「荒海や佐渡に横たふ天の河」の越後路へと旅をいたします。

斎藤さんは、日本人ギタリストとして初めてニューヨーク・カーネギーホールでリサイタルをなさった

実力のある音楽家です。


▼第2幕は歌です。

私の知人で鶴岡出身の婦人がいらっしゃいます。

民謡の名人です。

彼女は、小さい頃から大変苦労された方です。

「民謡を歌って慰めることで、日々の辛い労働を乗り切ってきた」と話されていました。

お母さんが歌う民謡を耳で聴いて覚えたそうです。

それは「最上川舟歌」です。

鋼鉄のように張りのある声で歌っていただきます。

鑑賞用ではない本当の民謡、生きる糧として歌い継がれてきた歌です。


▼次に、「最上川舟歌」の主題をテーマにした曲を、斎藤明子さん尾尻雅弘さんご夫妻のギター二重奏で

演奏いたします。

斎藤さんの10弦ギター、尾尻さんの7弦ギターという大変珍しい組み合わせです。

10弦ギターは特に低音が豊かで、オーケストラの響きにも匹敵しそうです。

「五月雨を集めて早し最上川」。

最上川のとうとうとした流れが髣髴とするといいですが・・・。

尾尻さんは、バッハから現代曲まで幅広いレパートリーで活躍中のギタリストです。

その真摯な演奏がいま、注目されています。


▼旅の終わりは、また舟に乗りて「蛤のふたみに分かれ行く秋ぞ」。

大きな旅を終えた安堵感と一抹の秋の寂しさ。

この世界を、八木千暁(せんぎょう)さんの樂琵琶と竜笛で表します。

八木さんは、雅楽の演奏団体「伶樂舎」のメンバーです。

古典や新作の雅楽演奏、さらに世界各国での演奏や、CD録音など多彩に活躍中です。


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■■  フルートとハープが奏でる日本の風景  ■■

2007-12-24 16:44:15 | ★旧・曲が初演されるまで
2007/7/12(木)

★梅雨が長引いていますが、大地や農作物にとっては、恵みの雨でもあります。

昨年まで、私が3年間続けてきました7月初旬の「傳通院・個展コンサート」は、

ことしは、お休みさせていただきました。

録音などがあり、時間的余裕がございませんでした。


★しかし、恒例の≪傳通院・納涼コンサート≫は、ことしも企画、出演させていただきます。

【フルートとハープが奏でる日本の風景】作曲・中村洋子、フルート・小林美香、

ハープ・堀野稚菜(わかな)の出演です。

●日時:7月21日(土)午後6時開演、午後5時半開場。

●会場:文京区小石川3-14-6、傳通院・本堂

●入場無料、午後5時より、傳通院・本堂にて、先着200名様に入場券を配布いたします。


★フルートとハープという西洋の楽器で、日本の古い歌や、童歌(わらべうた)などが

私の作曲で、演奏されます。

「刈り干切り歌変奏曲」、「平成越天楽」など、皆さまがご存知の曲を、

斬新な、美しい響きでお聴きください。


★また、ビゼー「アルルの女」、ドビュッシー「亜麻色の髪の乙女」など西洋の

名曲もお楽しみいただけます。

昨日、リハーサルをいたしましたが、フルートとハープで演奏いたしますと、

思いがけず、ハープがお琴の音に聴こえたり、フルートが哀愁を帯びた篠笛に

聴こえることがありました。

日本のメロディーの力強さが、西洋楽器を、日本の音色に引き寄せたのかもしれません。

新鮮な発見でした。

さらに、普段あまり間近で見る機会のない「ハープ」という楽器についても、

詳しくご説明し、じっくりとご覧になることもできます。


★境内では、≪文京朝顔・ほおずき市≫も、開催されています。

土曜日の夕涼みを兼ねて、どうぞ、お出かけください。


▼▲▽△▼▲▽△無断での転載、引用は固くお断りいたします▽△▼▲▽△▼▲

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■■ 楽しい音楽会のお知らせ ■■

2006/11/13(月)

★ギタリスト斎藤明子さんと、尾尻雅弘さんのデュオ・リサイタルが、11月18日(土)に開かれます。

ことし7月、小石川・傳通院での私の個展コンサート「東北(とうぼく)への路」で、

初演していただきましたギター・デュオ曲「もがみ川」が再演されます。

ギターは普通は6弦ですが、明子さんは、10弦ギター、雅弘さんは、7弦ギターです。

通常のギターは、低音まで広がった和音を出すことが出来ませんが、

10弦や7弦は、バスの音域が豊かなため、伸びやかな和音や、重厚な低音が出ます。

作曲家としては、創作意欲をそそられます。


★さらに、お二人のアンコールピースとして、素敵な曲を、新しく作曲いたしました。

「平成越殿楽」です。

もともとは、お箏のために作曲いたしましたが、今回、2台ギターのために新たに作曲し直しました。

ギターのもっている倍音の美しさが、雅楽の和音によく調和し、ハッとするような新鮮な「越殿楽」となりました。

この曲は、通常のギターでも弾くことが可能です。

雅楽の調である「平調(ひょうじょう)」と「平成」をもじっております。


★会場:カフェ・ラルゴ  東京都練馬区田柄2-32-22 TEL03-3930-9898

★日時:11月18日 午後1時、午後4時の2回公演 珈琲ケーキ付き¥2500

★曲目は、私の曲のほかに、モーツァルトやピアソラ、ソルなどの曲です。

★カフェ・ラルゴは http://homepage2.nifty.com/cafe-largo/



▼▲▽△▼▲▽△無断での転載、引用は固くお断りいたします▽△▼▲▽△▼▲

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■■ギター・デュオリサイタルのお知らせ ■■

2007-12-24 16:43:20 | ★旧・曲が初演されるまで
2006/11/13(月)

★ギタリスト斎藤明子さんと、尾尻雅弘さんのデュオ・リサイタルが、11月18日(土)に開かれます。

ことし7月、小石川・傳通院での私の個展コンサート「東北(とうぼく)への路」で、

初演していただきましたギター・デュオ曲「もがみ川」が再演されます。

ギターは普通は6弦ですが、明子さんは、10弦ギター、雅弘さんは、7弦ギターです。

通常のギターは、低音まで広がった和音を出すことが出来ませんが、

10弦や7弦は、バスの音域が豊かなため、伸びやかな和音や、重厚な低音が出ます。

作曲家としては、創作意欲をそそられます。


★さらに、お二人のアンコールピースとして、素敵な曲を、新しく作曲いたしました。

「平成越殿楽」です。

もともとは、お箏のために作曲いたしましたが、今回、2台ギターのために新たに作曲し直しました。

ギターのもっている倍音の美しさが、雅楽の和音によく調和し、ハッとするような新鮮な「越殿楽」となりました。

この曲は、通常のギターでも弾くことが可能です。

雅楽の調である「平調(ひょうじょう)」と「平成」をもじっております。


★会場:カフェ・ラルゴ  東京都練馬区田柄2-32-22 TEL03-3930-9898

★日時:11月18日 午後1時、午後4時の2回公演 珈琲ケーキ付き¥2500

★曲目は、私の曲のほかに、モーツァルトやピアソラ、ソルなどの曲です。

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