■ 傳通院・納涼コンサートを終えて ■ ≪お子さまたちが、感動して食い入るように聴き入っていました≫
2006/7/25(火)
★連日の梅雨で、お天気が心配でしたが、22日(土)は、幸い、雨もなんとか降らず、
暑くもない曇り空に恵まれました。
昨年の納涼コンサートは、お箏と篠笛、日本舞踊で、お子さまはあまり多くありませんでした。
ことしは、「懐かしい童謡の夕べ」とあって、可愛いお子さま連れのご家族がたくさん、来ていただきました。
ヨチヨチ歩きの坊やから、浴衣姿の若いカップル、親子連れ、お婆ちゃまたちまで、
あらゆる年齢層の皆様で満員でした。
“浴衣”に赤い帯の真っ白な子猫ちゃんも、飼い主のお膝の上で、耳をピクピクと傾け、
飼い主と一緒に前足で拍手をしてくださったそうです。
時々、小さく「ニャ」と鳴くと子供たちが大喜びだったそうです。
ソプラノ・五十嵐郁子さんの音楽は知性に満ち、彼女の暖かく愛情溢れるある歌声で、
本堂の空間全体が包み込まれたような、至福の時間が流れました。
お聴きになった皆さまは、心の中に、いつまでも消えない赤い蝋燭の“贈り物”を抱いて、
帰途に就かれたことと思われます。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
今回のギター伴奏版は、実はオリジナルのピアノ版をギター譜に編曲し直したものです。
しかし、ギターという弦楽器の特性に合わせるため、大変に難しい作業でした。
少し書いては、軽井沢の斎藤さんにファックスし、彼女の的確な指示を基にまた、作り直すことの連続でした。
全26曲、気の遠くなるような仕事でした。
その結果、最初の練習は、とうとう本番のわずか4日前になってしまいました。
斎藤さんは、それから連日、新幹線で軽井沢から上京して、五十嵐さんと火の出るような練習を繰り返しました。
難しい楽譜を、昔から何度も弾いたことがあるかのように、見事にさらりと弾きこなしていただきました。
五十嵐さんとは、実は、最初の練習日に初めて顔を会わせただけでした。
それでも、お二人の息は見事に合いました。このようなことは、めったにありません。
斎藤さんは演奏後「五十嵐さんの歌を聴きながら“ああ幸せ!”と思って演奏していました」と、
率直におっしゃていました。
聴く側からみますと、童謡はよく耳に馴染んだ曲で、単純にみえますが、演奏者からみますと、
逆に、ごまかしがきかず、奏者の品性がもろに現れてしまう最も難しい分野です。
童謡のメドレーですので、拍手は最初と最後でいいのですが、五十嵐さんが一曲歌うたびに
溜息のような拍手が自然に湧き起こってきました。
通常、歌曲を歌う場合、演奏者は立って歌いますが、今回、五十嵐さんは椅子に座ってお歌いになりました。
椅子に座った高さで発声しますと、立った時よりも美しく聞えることが分ったためです。
本堂のご本尊様の前に座りますと、ぶ厚い檜の板が声を柔らかく美しく反射してくれます。
何百年という歴史の厚みでしょうか、能楽堂に匹敵する音響です。
お経をお読みになる場合も同じですね。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
お客さまの感動が、思いがけなくたくさんのアンケートとして返ってきました。
いらっしゃったお客さまの半分近くの方がお書きくださいました。
演奏終了後、すぐに五十嵐さん、斎藤さん、私ですべて拝見しました。
率直に感動をお書きいただいた好意的なものばかりでした。
「感動しました。本当の芸術家とはこんなに凄いものか、と初めて分りました」
「ホールとは一味ちがい、演奏者も身近に感じられた心温まる一夜でした。
日ごろ、口ずさんでいる歌を一流のアーチストに歌っていただきますと、
あらためて歌の楽しさを感じました」
「あっという間に過ぎ、あらためて童謡の美しさを感じ、子供たちに伝えていきたいと思います」
「終戦直後の物のない時代、食べ物のない時代に、今日のような童謡を口ずさみ元気づけられたことを
思い出し、感無量でした」
「美しい声と演奏で、まるで夢の国にいるようでした。
仏様を見送りした後の素晴らしいプレゼントでした。遠路はるばる来た甲斐がありました」
「歌の途中で朗読された三好達治の詩もよかったです」
「来年ももう一度、歌をきかせてください」
「子供さんがたくさんに聞いていることを嬉しく思いました」
「2回、3回と毎年、童謡を続けてください」
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
私もお客さまを前にして、お子さまたちが、本当に感動して食い入るように聴き入っている様子に
最も心を打たれました。
一流の芸術家の最高の歌を、目の前で、生で聴くという得がたい体験をされたお子さまは、多分、
この演奏会を、その感動を一生涯忘れないことでしょう。
そして、その感動こそが真の音楽を理解し、愛し、育てていく原動力となるのです。
次の世代が文化を育んでいく肥やしとなるのです。
このような機会をつくっていただきました「傳通院様」には、あらためて心より、お礼と感謝を申し上げます。
▼▲▽△▼▲▽△無断での転載、引用は固くお断りいたします▽△▼▲▽△▼▲
2006/7/25(火)
★連日の梅雨で、お天気が心配でしたが、22日(土)は、幸い、雨もなんとか降らず、
暑くもない曇り空に恵まれました。
昨年の納涼コンサートは、お箏と篠笛、日本舞踊で、お子さまはあまり多くありませんでした。
ことしは、「懐かしい童謡の夕べ」とあって、可愛いお子さま連れのご家族がたくさん、来ていただきました。
ヨチヨチ歩きの坊やから、浴衣姿の若いカップル、親子連れ、お婆ちゃまたちまで、
あらゆる年齢層の皆様で満員でした。
“浴衣”に赤い帯の真っ白な子猫ちゃんも、飼い主のお膝の上で、耳をピクピクと傾け、
飼い主と一緒に前足で拍手をしてくださったそうです。
時々、小さく「ニャ」と鳴くと子供たちが大喜びだったそうです。
ソプラノ・五十嵐郁子さんの音楽は知性に満ち、彼女の暖かく愛情溢れるある歌声で、
本堂の空間全体が包み込まれたような、至福の時間が流れました。
お聴きになった皆さまは、心の中に、いつまでも消えない赤い蝋燭の“贈り物”を抱いて、
帰途に就かれたことと思われます。
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今回のギター伴奏版は、実はオリジナルのピアノ版をギター譜に編曲し直したものです。
しかし、ギターという弦楽器の特性に合わせるため、大変に難しい作業でした。
少し書いては、軽井沢の斎藤さんにファックスし、彼女の的確な指示を基にまた、作り直すことの連続でした。
全26曲、気の遠くなるような仕事でした。
その結果、最初の練習は、とうとう本番のわずか4日前になってしまいました。
斎藤さんは、それから連日、新幹線で軽井沢から上京して、五十嵐さんと火の出るような練習を繰り返しました。
難しい楽譜を、昔から何度も弾いたことがあるかのように、見事にさらりと弾きこなしていただきました。
五十嵐さんとは、実は、最初の練習日に初めて顔を会わせただけでした。
それでも、お二人の息は見事に合いました。このようなことは、めったにありません。
斎藤さんは演奏後「五十嵐さんの歌を聴きながら“ああ幸せ!”と思って演奏していました」と、
率直におっしゃていました。
聴く側からみますと、童謡はよく耳に馴染んだ曲で、単純にみえますが、演奏者からみますと、
逆に、ごまかしがきかず、奏者の品性がもろに現れてしまう最も難しい分野です。
童謡のメドレーですので、拍手は最初と最後でいいのですが、五十嵐さんが一曲歌うたびに
溜息のような拍手が自然に湧き起こってきました。
通常、歌曲を歌う場合、演奏者は立って歌いますが、今回、五十嵐さんは椅子に座ってお歌いになりました。
椅子に座った高さで発声しますと、立った時よりも美しく聞えることが分ったためです。
本堂のご本尊様の前に座りますと、ぶ厚い檜の板が声を柔らかく美しく反射してくれます。
何百年という歴史の厚みでしょうか、能楽堂に匹敵する音響です。
お経をお読みになる場合も同じですね。
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お客さまの感動が、思いがけなくたくさんのアンケートとして返ってきました。
いらっしゃったお客さまの半分近くの方がお書きくださいました。
演奏終了後、すぐに五十嵐さん、斎藤さん、私ですべて拝見しました。
率直に感動をお書きいただいた好意的なものばかりでした。
「感動しました。本当の芸術家とはこんなに凄いものか、と初めて分りました」
「ホールとは一味ちがい、演奏者も身近に感じられた心温まる一夜でした。
日ごろ、口ずさんでいる歌を一流のアーチストに歌っていただきますと、
あらためて歌の楽しさを感じました」
「あっという間に過ぎ、あらためて童謡の美しさを感じ、子供たちに伝えていきたいと思います」
「終戦直後の物のない時代、食べ物のない時代に、今日のような童謡を口ずさみ元気づけられたことを
思い出し、感無量でした」
「美しい声と演奏で、まるで夢の国にいるようでした。
仏様を見送りした後の素晴らしいプレゼントでした。遠路はるばる来た甲斐がありました」
「歌の途中で朗読された三好達治の詩もよかったです」
「来年ももう一度、歌をきかせてください」
「子供さんがたくさんに聞いていることを嬉しく思いました」
「2回、3回と毎年、童謡を続けてください」
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私もお客さまを前にして、お子さまたちが、本当に感動して食い入るように聴き入っている様子に
最も心を打たれました。
一流の芸術家の最高の歌を、目の前で、生で聴くという得がたい体験をされたお子さまは、多分、
この演奏会を、その感動を一生涯忘れないことでしょう。
そして、その感動こそが真の音楽を理解し、愛し、育てていく原動力となるのです。
次の世代が文化を育んでいく肥やしとなるのです。
このような機会をつくっていただきました「傳通院様」には、あらためて心より、お礼と感謝を申し上げます。
▼▲▽△▼▲▽△無断での転載、引用は固くお断りいたします▽△▼▲▽△▼▲