音楽の大福帳

Yoko Nakamura, 作曲家・中村洋子から、音楽を愛する皆さまへ

■「 東北(とうぼく)への路」のDVDが完成しました 」■

2007-12-24 17:25:17 | ★旧・感動のCD、論文,演奏会など

2006/9/15(金)

★9月18日は敬老の日です。

芭蕉が「奥の細道」を歩きました317年前、1689年(元禄2年)の9月18日は、旧暦で8月5日です。

ちょうど、旅も終わりに近づき、山中温泉で疲れを癒していたころです。

『石山の 石より白し 秋の風』も、山中温泉近くの那谷寺(なたでら)で書かれました。

旅の終わりは、新暦で10月20日ですから、あと1ヶ月あまり、芭蕉は旅を続けました。

ことし(2006年)7月1日に、小石川・傳通院で開きました個展コンサート、

「東北(とうぼく)への路」~松尾芭蕉「奥の細道」に寄せて~のDVDが完成いたしました。

傳通院のご本尊様をバックにした、幽玄な舞台です。

最上川舟歌を絶唱された神谷光子さんの鋼鉄のような声、

10弦ギターの斎藤明子、7弦ギターの尾尻雅弘ご夫妻によるギターの可能性を広げた熱演、

昔から伝わる伝統楽器の楽琵琶と龍笛で、その深い音楽性を発揮された八木千暁さん。

昼神さんと、島田さんの斬新で美しいドレス。

もう一度、ご家庭で“再演”したいと思われる方は、平凡社出版販売でお求めになれます。

ちなみに、芭蕉が奥の細道を旅した14年後、旧暦の元禄15年12月14日(新暦1703年1月30日夜)

「赤穂浪士討ち入り」がありました。

井原西鶴、近松門左衛門が活躍した時代でもあります。




【付録】

 ★「国宝 風神雷神図屏風」展に行ってきました。

「宗達」・「光琳」・「抱一」の風神雷神を、同時に観て、比較することができます。

特に、宗達の「風神雷神」の抜きん出た迫力、完成度。

この屏風をしゃがんで低い位置から観ますと、よけいに真価が分ります。

畳に座った位置です。

精神があらゆる桎梏から解き放たれ、全細胞が甦ったような清々しさ、心地良さ。

「宗達」の実物を見る機会は、今回を逃しましたら、もうないかもしれません。

3作品が揃うのは66年ぶりといいます。

「抱一」は、「宗達」の実物を見たことがなかったそうです。

存在すら知らなかったかもしれません。

「宗達」を“発見”したのは100年後の「光琳」。

まさに、天才だけが「宝の在り処(天才)」が分る、という喩え話の通りです。

バッハの「マタイ受難曲」を、メンデルスゾーンが、初演から100年後に再演したように。

場所は、皇居のお堀端にある「出光美術館」です。

GHQ本部のあった日比谷・第一生命の隣、帝劇ビル9Fです。

10月1日まで無休、午後7時まで。入場料¥1000。


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■ ヴォルフガング・ベッチャーの「荒城の月」を聴く ■

2007-12-24 17:24:00 | ★旧・感動のCD、論文,演奏会など
2006/9/11(月)

★ 9月3日、チェリスト「ヴォルフガング・ベッチャー リサイタル」を

神奈川県・葉山町文化会館で聴きました。

ベッチャー先生は、8月に来日され、草津音楽祭で、コンチェルト、室内楽、

チェロのマスタークラスなどで大忙しでした。

9月に入ってから大阪、都内でリサイタルをされ、3日の葉山は最後のリサイタルでした。

アンコールで、私の編曲「荒城の月」を、演奏していただきました。

数年前に、この「荒城の月」を演奏されたときは、“ドイツ訛り”の荒城の月でした。

2年前の王子ホールでは、すっかり手の内に入り、情熱的で心に迫ってくる名演でした。

ところが、今回はどうでしょう。

まるで、日本のお能の一風景のような演奏でした。

風にそよぐススキの向こうに、月が侘しくぼんやりと浮かんでいます。

荒涼とした幻想的な風景が浮かび上がってきました。

音も押さえ気味で、一見地味に聴こえます。

しかし、よく観察しますと、チェロの秘術を尽くしているのが分りました。

まるで、名女優・杉村春子さんのお辞儀を見ているようでした。

何気ないお辞儀の動作の中に、首の角度、手の配置、眼差し、腰の微妙な浮かせ方などが

絶妙にコントロールされ、一つの動作が生まれている。

そして、その動作があまりに自然なため、技の極地であることが気付かれない。

ベッチャー先生も、弓の角度、弦に弓を置く位置、力の入れ方など精緻を極めた演奏でした。

ドイツ人である先生が、日本の曲をここまで弾き込まれるとは思いませんでした。

「枯淡の境地」という言葉に近いかもしれません。

逆にいいますと、音楽を本当に理解している聴き手ではないと、このような演奏は、

日本人であっても良さを感じ取ることは難しいでしょう。

前回の演奏ですと、ブラボーが飛ぶこともありえますが、

今回はそのような見掛けの興奮とは縁遠い静謐な世界でした。

コンサート後、楽屋にお尋ねしますと、先生は「オー、コンポーザー」といって飛んで来て

くださいました。

演奏の感想を求められ、私は「“日本の月”を観ました」とお答えしました。



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●テオ・アンゲロプロス監督「ユリシーズの瞳」

2007-12-24 17:22:27 | ★旧・感動のCD、論文,演奏会など
2006/5/13(土)

★私にとってこの映画は終生忘れられない映画、最高の名画です。

1995年製作、96年に日本で上映されてから、その後はごく稀にしか映画館に懸からなかったと思います。

しかし、この映画の1シーン、1シーンがこの10年間、絶えず“瞼の劇場”に甦っていました。

何百回、いやそれ以上かもしれません。

脳裏に焼き付いているのです。

この名画が、新設されたばかりの映画館で上映されます。

料金はわずか1000円です。

「ユリシーズの瞳」 ギリシア語の原題は「オデュッセウスのまなざし」、英語の題は「ULYSEES'GAZE」、

仏語の題は「LE REGARD D'ULYSSE」。

ストーリーは、さほど重要ではないかもしれません。

あってないようなものと言っていいかもしれません。

イメージの喚起力が素晴らしいのです。

現代の米国人映画監督「A」が主人公。

20世紀初頭にドキュメンタリー映画をバルカン半島で初めて創ったという「マナキス兄弟」の軌跡と

映像を求め、ホメロスの叙事詩さながらにバルカン半島を縦横に彷徨します。

北はドナウ川、南は地中海、東はエーゲ海、西はアドリア海とイオニア海に囲まれた半島です。

それでも日本の国土の1.3倍の広さ。

陽炎の彼方に、青い帆舟がゆっくりと走る北ギリシャの港街「テサロニキ」から、アルバニア、

マケドニアの「スコピエ」、ルーマニアの「ブカレスト」、「ベオグラード」、そして最後は

ボスニア・ヘルツェゴヴィナの戦火・虐殺の町「サラエボ」に。

夜汽車で、車、徒歩、舟で・・・

ホメロス「オデュッセイア」の主人公ユリシーズと同じように、「A」は4人の女と邂逅します。

サラエボに向かう舟旅では、第一次大戦で死んだ兵士の未亡人である若い女と出会います。

時間を越えた幻想の世界です。溜息の出るような美しい映像です。

終着点「サラエボ」。血みどろの内戦、殺し合いで原型をとどめない無残な建物ばかり。

通りを横切るのも命懸け。狙撃兵の銃弾が音もなく頬をかすめる。

人間のもつ憎しみ、残酷さ、愚かさは、どこまで行けば気が済むのでしょうか・・・

崩れ落ちた街を見せられる観客は、救いようのない思いに襲われます。

「A」はこの街で、「マナキス兄弟」の未現像フィルムをもつ映画博物館長に出会います。

館長はその現像に成功します。

そのとき、「霧が来た」という喜びの声が音楽とともに外から聞こえます。

喜び勇んで一家そろって外に出ます。霧が降りると視界はゼロ、敵を狙うことができず“自然休戦”に。

腹いっぱい空気を吸い、川辺をくつろいで散歩する館長一家と「A」。

童謡を歌いながら手をつないでどんどん先に行く孫たち。「雪の下からもう草が芽を出しているよ!」。

ギーと車の止まる音。バタン、ドアが閉まる。

「何があっても動くな!」と「A」に言い残し、血相を変えて孫たちの方に走る館長。

「散歩してるだけですよ」

“敵”の太い声「神も結構、間違いをなさるのだ。子供からだ」

館長の妻の金切り声「孫を放して、お願い」。

子供の名前を叫ぶ声、悲鳴、バンバンバンバン 銃声。

太い声「川に放り込め!」。

「いつもこうなるのさ。神の間違いさ。お創りになった以上、お返しするほかない」と鼻歌まじり。

ドアを閉め、エンジンを掛け、遠ざかる車の音。

血も凍るこのシーンは、すべて乳白色の霧しか画面に映っていません。

聞こえるのは声のみ。究極の映像です。

見た人の脳裏から終生消え去らないでしょう。

これに匹敵するのはアンリ・コルピHenri Colpi監督「かくも長き不在」

UNE AUSSI LONGUE ABSENCEの最後のシーンぐらいと思います。

AUSSIが効いています。

コルピ監督と主演の大女優アリダ・ヴァリが二人とも、ことし亡くなりましたね。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

上映は、4月に東京の下町・北千住に開館した「東京芸術センター」2階の
『シネマ ブルースタジオ』。料金1000円。

粋な映画館が誕生しました。

★「ユリシーズの瞳」は、5/31(水)-6/13(火)11:00/14:45/18:30~21:30

嬉しいことに、続いて、アンゲロブロスの最近作
★「エレニの旅」 6/14(水)-6/27(火)11:00/14:45/18:30~21:20も上映します。

★懐かしいジャン・リュック・ゴダール監督の
「ウイークエンド」は、5/17(水)-5/30(火)13:30/16:00/18:30~20:15

北千住は庶民的で面白い町です。
「東京芸術センター」は駅西口の旧日光街道近くに今春、完成しました。

20数階建ての超高層ビルで遠くから目立ちます。

駅から徒歩5分。

建物は、足立区が、旧区役所の土地を、定期借地権で民間に貸与、その土地に立てられた建物の一部を、

区が必要に応じて、借り上げる方式だそうです。

21・22階に多目的劇場(ホール)があり、ホールの両側から青空が見える“天空劇場”だそうです。

「ベヒシュタイン」と「プレイエル」のフルコンサートピアノを備えています。

どこにでもある有名なスタインウェーではないところが洒落ています。

「黒澤明塾(9月開講)」や本格的撮影スタジオ「ホワイトスタジオ」もあるそうです。


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■能「竹生島」を観る ■

2007-12-24 17:21:01 | ★旧・感動のCD、論文,演奏会など
2006/2/20(月)

★昨年暮れに、お能の小さな発表会で「竹生島」に参加させて頂きました。
一度本物を観ようと軽い気持ちで国立能楽堂の定例公演に出掛けました。
2月17日金曜日です。
お能の世界にも最近はスターが現れ、追っかけをする方もいらっしゃるようですが、この公演は、中堅の実力派がそろった素晴らしい公演でした。

 お能が終わった瞬間、観客席から「ホー」という溜息が漏れ、「よかったわね・・・」という感嘆の声が、お能の観巧者、あるいは初心者と見受けられるような方からも、自然に湧き上がっていました。

 この理由は一重に、能の演者(シテ、ワキ、ツレなど)、囃子方(笛、小鼓、大鼓、太鼓)、地謡(8人で構成)の三者が、「舞い」「音楽」「演劇」を、一つのまとまった芸術空間として創出させることに成功したからにほかなりません。
そのどの一つでも緊張感に欠けますと、たちまち、お能の求める世界が雲散霧消してしまいます。
特に、地謡が充実しているお能は質が高くなります。

 竹生島に祭られている弁財天の「天女の舞」や、竜神の「舞働」では、演者とともに、聴いている私たちが知らず知らずに体を動かし、共に舞っているかのような心地良さを味わいました。
お能の醍醐味はこれです。

 中入りの時に、社人(アイ)がワキに宝物を見せ、竹生島に伝わる神秘的な岩飛びをして見せますが、それを演じた茂山千之丞さん(1923年生)の科白の聞きやすさ、鍛え抜かれた立ち姿、振る舞いの美しさはまさに至芸でした。
日本語を喋ることが音楽そのものにほとんどなっています。日本語が本来もっている自然なリズム感を芸術にまで高めています。

 昨今のオリンピックのテーマ音楽のような日本語のリズムとはかけ離れ、イントネーションを無視し、英語をただ真似たような醜い日本語には耳を塞ぎたくなりますね。

 シテ(竜神)寺井 栄さん、ツレ(弁財天)坂井音晴さん、太鼓の徳田宗久さんは特に健闘されました。また、地謡には、わが師の浅見重好先生、藤波重孝先生が出演されていました。
 
 もちろん、茂山千之丞さんはスターです。
しかし、一部のスターに見られるようにあちこち、掛け持ちで忙しく、ここ一番の舞台に賭ける気迫に薄い場合も散見されるようです。
このように熱い舞台を観ますと、観客としても小雪混じりの冬空の中を、手をかじかませながらわざわざ出掛けた甲斐があるというものです。


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■■シュナイダーハンとケンプによる ≪春≫ ≪クロイツェル≫ ソナタ

2007-12-24 17:19:54 | ★旧・感動のCD、論文,演奏会など
2006/1/16(月)

★素晴らしい演奏に遭遇しました。ヴォルフガング・シュナイダーハンSchneiderhanというヴァイオリニストとウィルヘルム・ケンプKempffによるベートーベン「ヴァイオリンソナタ≪春≫、≪クロイツェル≫」のCDです。

 大変有名な曲ですが、この演奏を聴きますと、初めて接したかのように、聴き終わるともう一度聴きたくなり、それを何度も何度も繰り返してしまいます。
あふれ出てくる限りないやさしさ。なにものにも束縛されず、あらゆるものから解放された美しい時間に浸りきっているのに気がつきます。

 ≪春≫は、地平の限りまで曙色をしたやすらぎが雲のようにたなびき、新しい生命の胎動とときめきがふつふつと湧き上がってきます。
まだ見ぬ本当に美しい春とはこんなものであろう、という想いにいざなってくれます。ささくれ立った
神経が伸びやかに解きほぐされます。

 レコードの定義のごとく、この名演は後世にRECORD(記録)すべきものがレコードされたというべきものでしょう。
シュナイダーハンの名前は存じておりましたが、これまでこの名演に接することのなかった不幸せ。

 このCDと同時に、MozartのK305などの入っているヴァイオリンソナタも購入しましたが、こちらは、ピアノがカール・ゼーマンという方。
同じシュナイダーハンのヴァイオリンでも残念ながら、このレコードには、手が向きません。
二人の個々の演奏は大変素晴らしいのですが、出てくる音楽は、少々うるさく感じられ、疲れます。

 その理由は、ピアニストにあるようです。逆にケンプ師の偉大さをいまさらながらに再認識しました。シュナイダーハンよりもう一回り器が大きく、慈愛に満ちた大地のように暖かく支え、シュナイダーハンを羽ばたかせています。
ケンプという太陽が、美しいヴァイオリンの花を咲かせ、そして自分も高らかに歌い上げています。
これができるのは俗な言葉で申せば、知性の賜物でしょう。
もっと目立ちたい、有名になりたい、ものが欲しい、金が欲しい等々、人間のもつ本能的な欲望を制御しなければ、美しい音楽は創ることができないかもしれませんね。
それを支えるのが知性だと思います。
 ゼーマンのピアノはそれだけ単体で聴けば本当に名演ですが、完全なデュオにはもうすこしのようです。

●シュナイダーハンの芸術1200 「ヴァイオリンソナタ≪春≫、≪クロイツェル≫」
POCG90181 ユニバーサルミュージック発売(グラモフォンの録音)定価1200円。
録音は1952年9月です。


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■■ 山の恵みとチェロ組曲第一番 ■■

2007-12-24 17:15:21 | ★旧・曲が初演されるまで
2007/11/19(月)

★山形県の置賜地方に在住のお友達から、素敵な秋の恵みを頂きました。

天然のナメコです。

包み紙の地方新聞をゴソゴソとほどき、ビニール袋をあけますと、

生命力で弾けそうなナメコたちが、押し合いへし合い、こぼれんばかり。

大きなものはシイタケと間違うほどです。

黄、茶、黒、白、透明な粘液までが、キラキラと光り、

自己主張しています。

秋の色、秋の森の色です。

陳腐ですが、宝石より輝いています。


★不思議なことに、森の底知れない静けさ、そう!、魂を包み込んでくれる

あの静けさまで、ナメコの饗宴を見つめておりますと、聞こえてきました。

ナメコの根っこにくっ付いている腐葉土からは、

森奥に踏み分けて入っていったような、錯覚を覚えるほど、

心休まる土の匂い、森の冷気が伝わってきます。

自然の森はなんと豊かなのでしょう。


★お手紙によりますと、彼女は、小国町の森を七時間ほど、

友人とさまよってナメコを採ってきたそうです。

一句添えられていました『きのこ汁 椀に盛らるる 木霊(こだま)かな』

さまよいながら、山の精たちのおしゃべりや歌声、溜息が、

きっと木霊となって聞こえたのでしょう。


★お手紙の続きです。

『今秋は、雨が少なくてきのこは不作です。でも、人の入らないところでは、

一本のブナの倒木から、二キロぐらいもナメコが採れたりします。

今回の収穫は、六キロでした。

ナメコは、ブナにしか生えません。』

彼女は、開発の手からブナの森を守る活動も一生懸命なさっています。

歯に滲みるような美味しい日本酒の里として、東京ではつとに有名ですが、

この置賜地方は、溜息の出るような美しい山里です。

どの季節でも素晴らしい。

イザベラ・バードという英国人女性が1885年に出版しました

「日本奥地紀行」(平凡社ライブラリー)という本でも、

置賜を『実り豊かに微笑む大地。美しさ、勤勉、安楽さに満ちた魅惑的な地域。

アジアのアルカデヤ(桃源郷)』と書いています。


★彼女の「ベッチャー、日本を弾く」を聴いての感想です。

『まるでチェロの音色に、土産神が宿っているかのようです。

村の文殊堂のお祭り、外では祭囃子の笛、太鼓、耳元ではチェロ。

なかなかの調和でした。

次は、夏から晩秋までの二番を作っておられるのでは、と想像しています。

素敵な季語の組曲を楽しみにしております』。

そうです、組曲の二番を作り始めています。

しかし、これは、夏から晩秋ではありません。

それは、組曲三番で、存分に書くことになりそうです。


★二番の内容については、まだ内緒ですが、

出来ました部分を、ベッチャー先生にお送りしましたところ、

とても気に入っていただけました。


★彼女と一緒に、ブナを守る運動のリーダーをなさっている男性からも、

心温まるお便りを頂きました。

『葉山(地元の美しいブナの森)も紅く色づき、

間もなく落ち葉とともに、長い冬が訪れます。

光り輝く春のための眠りです。

組曲一番は、雪国のブナの山々を表現した珠玉のチェロ曲です。

“葉山讃歌”として、大切に聴かせていただいております』


★また、都内にお住まいのご高齢の女性からも、

「ベッチャーさんの、低く、深い、祈りの様な旋律を味わい、

美しく、懐かしく、素敵なうたに満ちた日本を、

しみじみと感じております」というお便りを頂きました。


★このように、熱心にお聴きいただき、そして心より喜んでいただけることは、

作曲家冥利に尽きます。

私のほうこそお礼を申し上げます。


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■■ ベッチャー先生との出会い ■■

2007-12-24 17:14:15 | ★旧・曲が初演されるまで
2007/10/16(火)

★2000年春「11月の東京リサイタル用に“荒城の月”の編曲が欲しい」と、

依頼されました。

これが、ベッチャー先生との出会いです。

その初演は、大変素晴らしかったのですが、

イントネーションがどこか“ドイツ訛り”。

先生も完全には納得されていなかったご様子。

その後、04年6月の東京リサイタルで、再び演奏していただきました。

日本人の演奏よりさらに立派な“荒城の月”に仕上がっていました。

その二年後の06年にも来日され、三度目の演奏は、

月光の下で、ススキが揺れる荒涼とした、

お能の一場面のような情景を、音楽でつくりだされていました。

これが「芸術」である、と実感しました。


★その後「日本を表現した私の曲を、録音してくださいませんか」と、

厚かましくもお願いしました。

即座に「Yes」と、予期せぬ嬉しいご返事を頂きました。


★07年4月末、先生はチェロを背負い、新緑の清々しい日本に、

飄々と降り立たれました。

録音が終わるまでご一緒しました1週間は、私にとって、

生涯忘れえぬ日々となりました。

先生は、ご自分のプロフィールの最初に

「ボリス・ブラッヒャー、エルンスト・ペッピングの下で学んだ」と、書かれています。

チェロの経歴は、その後です。

当時最高の作曲家二人に、徹底的に作曲理論を学んだという自負、

それが演奏家には絶対に必要である、ということを問わず語りに示されています。

日本人の演奏家に最も欠けている和声、対位法、アナリーゼなどの作曲理論を習得し、

その上でチェリストとしての研鑽を積まれた方です。


★私の新作「チェロ組曲」は、実は先生の来日一週間前、

ベルリンのご自宅にファックスしたばかり。

「録音は次回でね!」と言われても仕方ありません。

しかし、先生は物凄い集中力で深夜まで練習され、完璧に読みこなし、

溜息のでるような“ベッチャーの日本”を創造されました。

譜読みの確かさ、これこそアナリーゼの裏打ちなくして不可能です。


★お蕎麦、焼き魚、味噌スープ、ご飯、お好み焼き、煎餅、

これが先生の大好物です。

庶民的な食べ物ばかり。

「イッツ ソバ タイム」、練習や録音の時、お昼は、先生のこの掛け声で、

いそいそと近場のお蕎麦屋さんに出掛けます。

お蕎麦は毎食でも飽きないほど。

お酒もコーヒーも召し上がらず、その代わりに温かい緑茶。

日本人以上の日本人です。


★練習の合い間、先生は私に何年分もの宿題を課されました。

無駄口がない先生のお話は、一言一言、いまでもそのまま耳に残っています。

日本ではほとんど勉強されず、演奏もめったにされないラヴェル、R・シュトラウス、

現代作曲家等々の隠れた本当の名曲の数々。

そこに「創作の秘密が潜んでいる、最高のモデルです!」、

「(楽譜を読み解き)自分で発見してこそ勉強になります」と、

宝が大体どの辺りにあるか、それだけを穏やかに暗示されます。

“それらを学ばずして本当の西洋音楽が分かりますか!”と、

おっしゃりたいのでしょう。


★既に亡くなった著名な現代作曲家の名前を挙げ、そして、

口笛で見事な旋律を吹かれました。

ヨーロッパの田舎町、街角で楽士が演奏しているかのようです。

「彼の音楽は、実は、これなんだよ」、

「自分のルーツを大切にしなさい」と、最後におっしゃいました。

本当に含蓄のある言葉です。



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■■≪ヴォルフガング・ベッチャー 日本を弾く≫が完成■■

2007-12-24 17:13:19 | ★旧・曲が初演されるまで
2007/10/15(月)

★金木犀が芳しく香り始め、ようやく秋らしくなってまいりました。

お元気でお過ごしのことと存じ上げます。


★ことし5月、チェロのマエストロ「ヴォルフガング・ベッチャー先生」に、

演奏していただきました私の作品集が、CDとして完成いたしました。

≪ヴォルフガング・ベッチャー 日本を弾く≫という題のCDです。

 新作の「無伴奏チェロ組曲第1番」のほか、「箱根八里による変奏ファンタジー」、

「平成越殿楽」、「荒城の月幻想」、「童謡集」など5曲が録音されています。


★ベッチャー先生は、日本ではあまり有名ではありませんが、

チェロ奏者として、最高の演奏家であると、私は、かねてより尊敬しております。
 
音楽の骨格を捉えた解釈、心地よいリズム感、甘くかつ知性に裏打ちされた歌わせかた、

襞に染み入るようなヴィブラート、心を湧き立たせるピッチカート・・・など、

音楽を聴くことがこんなにも喜びをもたらし、心が豊かになることかと、

先生の演奏に接するたび、いつも感動いたします。

同時に、先生は、大変優れた教育者でもあります。

限りなく優しく、丁寧な教えをお受けになった方は、終生の師と仰がれます。


★先生は、私の無伴奏チェロ組曲第1番について、

「たくさんのチェリストが、これから弾くことでしょう」と、評価してくださいました。

ことし6月7日、ベルリン市庁舎でのフンボルト財団・記念演奏会で、

この第1番のプレリュードと終楽章を、わざわざ初演していただきました。

とても光栄なことです。


★CDのマスタリング(原盤製作)は、日本で第一人者のJVC・杉本様が、

ご多忙にもかかわらず、一生懸命、作ってくださいました。

臨場感溢れる素晴らしい音質のCDとなりました。(詳細は、ブログに掲載中です)。

 どうぞ是非一度お聴きいただき、ご意見を賜れば、幸甚に存じます。

******************************************************************


★ヴォルフガング・ベッチャー 

1935年ベルリン生まれ。現在のベルリン芸術大学で、ボリス・ブラッヒャー、

エルンスト・ペッピングに作曲理論を、リヒャルト・クレムにチェロを学ぶ。

後に、モリス・ジャンドロン、エンリコ・マイナルディに師事。

カラヤン時代のベルリン・フィルハーモニーで、1963年から76年まで首席チェリスト。

「ベルリン・フィル12人のチェリスト」のメンバーとしても活躍する。

1976年、クレムの後を継ぎ、ベルリン芸大のチェロ教授に就任、

同フィルのコンサートマスターだったトーマス・ブランディスと

「ブランディス弦楽四重奏団」を結成し、活発な演奏活動をする。

門下からたくさんのソリスト、室内楽奏者などを輩出し、

現在、ベルリンフィルのチェロ奏者12人のうち7人が、ベッチャーの下で学ぶ。

ソリストとしては、ヨッフム、イッセルシュテット、マタチッチ、ツェンダー、

チェリビダッケ、ロビツキーなどの名指揮者と共演。

また、デュティーユ、リゲティー、ブリテン、ルトスラフスキーなど

現代作曲家のチェロ協奏曲も、積極的に演奏している。

チェロは、ヴェネチアのマッテオ・ゴフリラー1722年製作。

弓は19世紀ペテルスブルグのキッテル作。

(故パブロ・カザルスのチェロは1733年ゴフリラー)


******************************************************************

■「ヴォルフガング・ベッチャー 日本を弾く」■

●無伴奏チェロ組曲 1番

 1 雪国の祝い歌  2 山笑う(春の胎動) 3 惜春 4 山の神への祈り

 5 田植え歌  6 五月雨(さみだれ) 7 田植え歌   8 青田波

●9 箱根八里による変奏ファンタジー

●10 走馬灯~9つの日本の童謡

●11 荒城の月幻想

●12 平成越殿楽
 


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■■ CDのマスタリングについて(ベッチャー先生のCD) ■■

2007-12-24 17:12:14 | ★旧・曲が初演されるまで
2007/10/6(土)

★前々回のブログで、「ベッチャー先生のCDが完成」をお知らせしました。

そこで、「マスタリング」という言葉を使いました。

耳慣れない「マスタリング」とはどういうものか、ご説明いたします。

製品となる「CD」をプレスする前に、CD原盤を作る必要があります。

そのCD原盤に刻み込む音を、最良の状態にする作業です。


★テープ、DAT 、CD-Rなどに録音されたデータには、

さまざまな雑音が、不可避的に入ってきます。

さらに、録音現場で、人の耳には聴こえていた最弱音も、

データを再現してみると、あまりよく聴こえなかったり、

弦を弓で擦(こする)る音は、うまく出ていても、

指で弾(はじ)くピッチカートの音が、現場で聴こえたように、

エネルギーをもって飛んで来なかったりします。

また、高音や特定の音が、耳障りに聴こえたり、

暖かい厚みのあった音が、痩せて聴こえる・・・・などなど、

記録された録音データには、録音現場での生演奏が、そのまま

再現されていることは、全く、ありません。


★CD原盤に、いかにして、実演時の生の音楽に近いものを、埋め込むか、

それが、マスタリングの使命です。

あたかも、オーケストラの指揮者のような知的営為です。

録音データに含まれている、膨大な万華鏡のような音の群れの中から、

あるものは“救い出し”、でしゃばったものには、“自重してもらう”、

か細くなって漂っている音を盛り立て、生演奏に近い臨場感を生み出す、など

どの要素を拾い出すか、捨てるか、強めるか、弱めるか、殺すか、

狙い通りの結果に辿り着くためには、高度な技術が要求されます。

真の名人芸です。


★それは、ほとんど創作に近いといえます。

音楽を完全に理解し、優れた演奏家と同等か、それ以上の

音楽的感性を備えた人だけが、成功します。

そうした努力の結果、

録音現場に立ち会っていた作曲家、演奏家が、

心から納得する“音楽”が、「CD」から生まれ出るのです。

そのように満足できるCDは、なかなか存在しないようです。

過度にお化粧した“整形美人CD”も多いようです。


★意外に思われるかもしれませんが、

CDを通して聴く場合、一曲が終わり、次の曲が流れるまでの

「なにも聴こえない時間」(ポーズ)の長さが、とても重要です。

聴く人の頭の中で“聴こえない音楽”が、滑らかに、

音楽的余韻をもって流れ、そして、自然に次の曲へと繋がっていくか、

あるいは、流れが分断され、興ざめを起こしてしまうか、

それを決める要が、「ポーズの長さ」なのです。

音楽で最も大切な要素である「リズム感」を、

マスタリング技術者がもっているかどうか?、

そのリズム感の良し悪しが、

ポーズの質を、左右します。


★今回、ベッチャー先生のCDマスタリングは、たくさんの方のご支援の結果、

JVCの「杉本一家」さんに、奇跡的にも、お願いすることができました。

(「一家」は、ファーストネームで、「かずいえ」とお読みするそうで、

おどろおどろしい組織とは、決して、関係ございません)

杉本さんは、前々回で触れましたが、ピアティゴルスキーの名演奏、さらに、

フリッツ・ライナー指揮、シカゴ交響楽団のバルトーク作曲

「弦楽器、打楽器、チェレスタのため音楽」、

アルトゥーロ・トスカニーニによるNBC交響楽団の指揮など、

歴史的な名演を復活させる、「リマスタリング」のお仕事を、

精力的になさっています。

依頼が殺到して、寝る間もないほど多忙だそうです。

また、マスタリングだけでなく、ギュンター・ヴァント指揮の

北ドイツ放送交響楽団「ブルックナー、マーラー」や、来日した演奏家、

例えば、マイスキー、アルゲリッチなどの録音も

依頼され、数多くなさっています。


★今回、ベッチャー先生の録音を聴いた瞬間、

杉本さんは一言、「マエストロですね!!!」。

そして、全身全霊を込め、長時間没頭して、このCD原盤を、作っていただきました。

私もスタジオでその作業に立会い、いろいろな意見を申し上げました。

それがすべて、CDに反映されました。

会心の出来のようです。

「音楽という“産業”は、このような方々の努力によって、支えられている」と

感動しました。


★事情により、DAT録音を録音データとすることができず、

杉本さんは、CD-R から原盤を作られました。

にもかかわらず、その結果は、録音の現場に立ち会った作曲家として、

「よくぞ、ここまで再現していただきました」の一言です。

目を瞑り、恍惚とした表情で、チェロを弾いていらっしゃった

ベッチャー先生の顔が、息づかいまでが、よみがえってきます。

言葉でいくら表現しても、音は再現できません。

どうぞ是非、お聴きください。



▼▲▽△▼▲▽△無断での転載、引用は固くお断りいたします▽△▼▲▽△▼▲
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■■チェロ独奏曲のベルリン初演■■

2007-12-24 17:10:56 | ★旧・曲が初演されるまで
2007/6/13(水)

★ヴォルフガング・ベッチャー先生が、6月7日、ベルリン市庁舎大広間で、

私のチェロ独奏曲を初演してくださいました。

フンボルト財団の記念式典です。

演奏曲目は、私の「Festive song of snow country」(雪国の祝い歌)と

Gentle breeze waving the young riceplants (青田波)の2曲、さらに

Kirchner(キルヒナー1942~)の「und Salomon sprach」(そして、ソロモンは語った)の3曲でした。


★演奏の3日前に頂きました先生からのお便りでは、私の別の曲を弾かれる予定でした。

どちらも気にいっている曲でしたので、嬉しかったのですが、

直前に変更されるということは、両方とも暗譜されている、ということでしょう。

先生の不断の努力に、頭が下がります。


★演奏後に、また「Your composition had a real great success in Berlin Bravo Yoko !」

という嬉しいお便りを頂きました。

ベルリン市庁舎の天井の高い大空間に、ベッチャー先生の感じられた、美しい日本の

田園風景が音で、表現されたことでしょう。



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■■ベッチャー先生との録音 その6 真の教育とは■■

2007-12-24 17:09:55 | ★旧・曲が初演されるまで
2007/5/29(火)

★ 録音も終了し、5月7日の朝、先生は大阪へ、私は東京へと発ちました。

先生は大阪で、マスタークラスのレッスンがあります。

それまでの6日間、お昼の休憩中や、時差で目が覚めてしまわれた夜中でも、先生は、

私の「無伴奏チェロ組曲」の演奏が困難な二小節を、ボーイングや運指を変えたりして、

なんとか演奏できるように工夫を重ねていらっしゃいました。

お別れするときも、「ベルリンに帰ったらもう一度、研究しなおしてみます」。


★録音の二日間、皆さんが飲み物で、談笑しているときも、先生は控え室で、

その二小節を飽きることなく、弾いていらっしゃいました。

ドア越しに、聴いていました私は、マエストロをここまで、

「追い込んでしまった」ことに、涙がこぼれそうになりました。

作曲家が、一音一音を書くことの重みについて、身をもって教えられたのです。

どんな音の一つ一つでも、決して、安易には書けない、という極当たり前のこと。

分かっているつもりでも、分かっていないことを自覚させ、

私の骨の髄に滲みこませてくださったのです。


★普通のチェリストでしたら、「ここは、演奏困難です、書き直してください」の一言です。

しかし、先生は「I try  my  best」です。

後日、5月12日、先生の帰国二日前のリサイタルを聴きに、大阪へ参りました。

リサイタル後、喫茶店でお茶を飲みながら、先生は「なぜ、あの箇所がそれほど難しいか」、

初めて、懇切丁寧に説明されました。

そして、厳かな顔で「ヨウコ!以後、この5度音程を使うことを固く禁ずる」

と宣告され、そして破顔一笑。

晴れやかなお顔でした。

困難なことに挑戦する背中を、ずっと見せ続け、それを克服し、

それから、理由をおっしゃる。


★「教育」とは、「教え」「育てる」ことです。

このエピソードこそ、教育の本当の意味を、示唆しています。

このブログをご覧になっていらっしゃる方々には、ピアノの先生や

いろいろな意味で、教育に携わっていらっしゃる方がおいでのことと存じます。

今回、私はこのブログで、ベッチャー先生のことを、何回も書きました。

先生の人となりは、幾分かは、皆さまに伝わったことと存じます。

そのなかで、私がもっとも、言いたかったことは、実は、この「教育」の話なのです。


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■■ベッチャー先生との録音 その5 お人柄■■

2007-12-24 17:08:46 | ★旧・曲が初演されるまで
2007/5/27(日)

★5月6日、録音も2日目に入りました。

一日目で、かなり満足できるいい録音が取れましたが、さらに良いものを目指すため、

この日は、ゆったりとした気持ちで、新たに録音に臨みました。

合間には、楽しい会話も弾みました。


★「ヨウコは、お能を習っているのですか」と先生

「私も能を観たことがありますが、ワーグナーのオペラ的な長さですね」

「能の演者は、歳をとればとるほど、いいのですか」とご質問。

「私のお能の先生は、40代ですが、まだ若手といわれています」と答えますと、

ベッチャー先生は、満足そうにうなずいていらっしゃいました。


★歳を重ねることにより、芸術の真の姿が現われてくる「お能」と、

いま現在、歳とともに充実し、追随を許さない高みへと上昇しているご自身を、

重ね合わせられたのでしょう。

世阿弥の「風姿花伝」でも「若さによる一時的な花の珍しさで、その時は勝つこともあり、

世人も立派な役者だと感服し、青年自信も“俺は俊秀だ”と思い込む。

これは当人とっては仇である。

これは真の花でなく、ただ年の盛りと、観る人が、一時的に珍しく感ずるに過ぎない。

まことの目利きは、これが一時の花である、と見抜くであろう」と、書いております。


★何人かの知人が、練習や録音風景を、見学にいらっしゃいました。

通常は、「集中できない、妨げになる」などと拒否される演奏家も多いのですが、

ベッチャー先生は、即座に「It's OK」と本当に、心の寛い方です。

細部についても、何度も何度も、奏法やアプローチの角度を変えては弾き直し、

曲の秘めた可能性を、とことんまで追求される芸術家としての真摯な態度に、

皆さまは、感動を通り越し「豊かな贈り物をいただいたようです」と感銘されていました。

まだ高校生で、作曲を勉強中の私のお弟子にも、ベッチャー先生はやさしく

「ヤングコンポーザー!!!」と、声を掛けられました。

彼女にとって、一生、忘れ得ない“励まし”の言葉となったことでしょう。


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■■ベッチャー先生との録音 その4 ソルフェージュの重要性 ■■ 傑作(0)
2007/5/24(木) 午後 2:27作曲した曲が初演されるまで・・・その他芸術、アート Yahoo!ブックマークに登録 ★いよいよ5月5日、録音初日となりました。

山梨のホールで、録音作業は快調に、進んでいきます。

大阪でのリハーサルでは、音色の微妙な差を出すのに、

ミュート(弱音器)が、かなり使われていました。

しかし、録音では、ほとんどそれをお使いになることもなく、

ボウイング(弓の使い方)のみで、

驚くほどの色彩変化を出されていたのに、感嘆しました。


★そのボーイングとは、弓を当てる位置を、駒から離す「スル・タスト」や、

駒に接近させる「スル・ポンティチェロ」という技法の絶妙な配合、

さらに、弓の弦に対する圧力のかけ具合によるものです。


★録音の合間、先生は、リゲティのチェロコンチェルトのお話をしてくださいました。

Pが7つも並べられている、冒頭のPPPPPPP“ピアニシシシシシシモ”の

無限に続くかのような長い音を、実際に弾いて聴かせてくださいました。

滔々と流れる大河も、すべては泉から始まります。

音もなく、静かに、滾々(こんこん)と湧き上がる泉から、始まります。

泉から、水が湧き出でる形態を「涓」と、漢詩で表現します。

ベッチャー先生のPPPPPPPは、「涓」を思い起こさせました。

その水滴の一音、一音が、空間に向かって、

音楽の魂を懐胎しながら、“音もなく”、ほとばしっていくようでした。

周囲にいた私たちは、声も出ませんでした。


★最も感動したのは、指で弦を弾く「ピッチカート」の、リズム感の素晴らしさ、力強さでした。

弓を使わないのですから、ある意味で、ほとんど打楽器的な奏法といえるかもしれません。

音楽性がむき出しになり、全く誤魔化しがききません。


★沖縄島唄の名人「嘉手苅林唱(かでかる・りんしょう)」さんの存命中、その名演を聴きました。

演奏会が盛り上がった最後、それまで握っていた三線(さんしん)を、息子・林次さんに任せ、

林昌さんは、いきなり、太鼓の撥(ばち)を握りしめました。

一瞬、この名人の歌や三線がもう聴けないと、がっかりしました。

しかし、幸運にも、幸福にも、一生涯、絶対に忘れ得ない名演奏に遭遇しました。

僥倖でした。

音楽の根源は、リズムにあるのです。

この島唄の名人が「名人たる根源」も、やはり、リズム感にあったのです。


★林昌さんが、「ドン、ドン、ドン」と、力みもせずに、太鼓を叩き始めますと、

客席の私たちは、湧き上がってくる不思議なエネルギーに突き動かされ、

椅子から天井に向かって、飛び跳ねていくようでした。

何の変哲もないごく普通の「太鼓」です。

その太鼓への、林昌さんの一撥、一撥が、客席全体を揺り動かし、

魂を酔わせ、解放するのです。

まさに、最高の“指揮者”です。

音楽を聴く至福の瞬間、醍醐味といってもいいでしょう。

「林昌さんは日本最高の音楽家である」と確信しました。

ベッチャー先生のピッチカートを聴き、林昌さんと同じような体験をしました。

ピッチカートに酔います。

今回の録音にも、ピッチカートは随所に入っておりますので、どうぞご期待ください。


★ベッチャー先生は、20世紀のチェロ独奏曲のみを録音したCDを

英国の「Nimbus Records」から出されています。

ヒンデミット、リゲティ、ヘンツェ、イベール、ルトスラフスキなどの作品です。

先生のお父様で音楽学者だったハンス・ベッチャーさんは、

ヒンデミットの友人で、往復書簡が残っているそうです。

そのヒンデミットに始まり、1920年代から80年代までのチェロ作品の中で、

先生が特にお気に入りの「キルヒナー」の曲中で、奏されたピッチカートは、絶品です。

躍動と歌に、満ち満ちていました。


★日本でのソルフェージュ教育を思いますと、リズムの勉強は、無味乾燥な教材で、

ただ手拍子や机を叩いてこと足れり、としていることが、なきにしもあらずです。

音楽を好きになりながら、生きたリズム感を、自然に身に付いていけるようにするには

どのようなレッスンをすべきか、深く考えさせられました。

私もこれから、さらに工夫を重ねていきたい、と思います。



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■■ヴォルフガング・ベッチャー先生との録音 その3 素顔のベッチャー先生■■

2007-12-24 17:07:49 | ★旧・曲が初演されるまで
2007/5/16(水)

★マエストロ(巨匠)・ベッチャーのチェロを離れた微笑ましいエピソードを、ご紹介します。

5月4日は、午前中に大阪で最後の練習をした後、ホールのある山梨に移動しました。

名古屋から中央西線で、塩尻に向かいました。

スーパーヴュー特急の席は、先頭車両の最前列でした。

運転席と運転士を目の当たりに見ることができます。

マエストロは、実は、チェリストでなければ、電車の運転士になりたかったそうです。

直立して、子供のように、額をガラスにくっつけ、

チェロを弾く大きな手は、ヤモリの吸盤のようにピッタリと貼り付いています。

運転士が信号確認で指差しをするのを見て、それを真似して無邪気に喜んでいらっしゃいました。

ガラスには、5本の指の跡がくっきりと残っていました。

先生が、大好きな運転士さんでなく、チェリストになっていただき、私たちは、本当に幸せです。


★この列車からは、日本の美しい田園風景が見えました。

特に、田植え直後のキラキラと光る水田や、小糠雨に煙る田園風景、

霧に霞む山並みを見ることができました。

今回、録音いたしました「無伴奏チェロ組曲」のなかの、「田植え歌」や「五月雨」の風景です。

先生は、「これを見ることができ、とても、よかった。

曲のイメージがつかめました」とお喜びでした。


★3日目に「マエストロと呼ばないで、ヴォルフガングと呼んでください」とおっしゃいました。

「ヴォルフガングは、モーツァルトと同じ名前ですね」と私。

「ゲーテもヴォルフガングだよ」と、ご満悦な表情。

つい、その後も「マエストロ!」と言ってしまいますと、

「イエス、マエストリエ~ンヌ!」とふざける先生。


★乗り換えの塩尻駅で、ホームにワインの樽が展示してありました。

「僕の名前の“ベッチャー”は、この“樽”という意味ですよ」と先生はニコニコ。

「映画監督の“ファズベンダー”も、同じく樽という意味です」と解説してくださいました。


★このように、新緑の滴る美しい季節を旅しながら、録音ホールに辿り着きました。

▼▲▽△▼▲▽△無断での転載、引用は固くお断りいたします▽△▼▲▽△▼▲
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■■ヴォルフガング・ベッチャー先生との録音 その2 アナリーゼの必要性■■

2007-12-24 17:06:14 | ★旧・曲が初演されるまで
2007/5/15(火)

★5月3日は、練習日の2日目でした。

朝10時から夜の9時まで、濃厚な練習が続きました。

前回、書きましたように、先生は、作曲家の譜面を尊重され、

なんとか、それをそのまま演奏できるように努力される方です。

その先生が、たった一回だけ、大変丁寧に、

「ヨウコ、この音を一つだけ高いFに替えたらどうですか」と、ご提案されました。

先生は、2ページ前を示し、「このモティーフ(要素)は、なだらかな山型に

展開しながら上昇しています。高いFに替えると、そこが山の頂点になり、

数ページにわたって、美しいチェロの旋律線が形作られていきます」

と、説明してくださいました。

そのように変更すると、そのページが、突然、輝き始めました。

曇りガラスが、一気にプラチナの輝きとなりました。

これぞ、巨匠マエストロによる“絶品の一筆”でした。


★演奏家が音を変更したがる場合は、演奏が困難な時や、派手に聞こえるように、など

作品の構成とは関係ない理由で、要求されることがあります。

しかし、今回は、曲の構成を深く見通したうえで、一つの音を変更することにより、

さらに、曲の完成度を高めようとする提案でした。


★先生にお伺いしましたところ、ベルリン芸大で、

ドイツの著名な作曲家ボリス・ブラッヒャーに、アナリーゼを学ばれ、

エルンスト・ペッピングに対位法を学ばれたそうです。

先生が年齢を重ねて、ますます音楽に輝きを増してきたのは、

音の構造物である「音楽」の骨組みが、どのように出来ているか、

それをしっかりと分析する力を、若いときから十分に養われ、

その上に、卓越した技量と音楽への熱い情熱、愛情に満ちているからだと思います。

そのどれ一つが欠けても駄目なのです。

「大作曲家メシアンも、アナリーゼの先生だったよ」とベッチャー先生は

おっしゃっていました。


★クラシック音楽をいま、学ぼうとされている方に、私から提案したいことは、

どんな簡単な作品であっても、バッハやシューマンのような大作曲家の作品は、

非常にガッチリとした和声や対位法の構造をもっています。

是非、それを早い時期から学び始めて欲しいものです。

それは、指の訓練やテクニックの修練と同じくらいに、

あるいは、それ以上に大切なことです。

何歳からでも遅くはありません。

たとえ大人になってから音楽を学び始めた方でも、年齢は関係ありません。

そうすることによって、真の音楽家、本当の音楽愛好家に

一歩一歩近づいていくことが出来るのです。


▼▲▽△▼▲▽△無断での転載、引用は固くお断りいたします▽△▼▲▽△▼▲
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■■ヴォルフガング・ベッチャー先生との録音 その1■■

2007-12-24 17:05:07 | ★旧・曲が初演されるまで
2007/5/14(月)

★暫く、ブログをお休みしていました。

5月2日の午前、ベッチャー先生は、関空に到着されました。

私はその時刻、まだ東京で、ピアノ二重奏のチェロ用パート譜を書いていました。

(パート譜とは、ピアノ伴奏を除いたチェロだけの楽譜です。

オーケストラでも、各奏者は、総譜ではなく、自分のパートだけが書かれた譜面を見ています)

インクが乾かぬ間に新幹線に飛び乗り、夕方、先生と半年ぶりの再開をはたしました。


★先生は、関空で「チェロを抱えた怪しい外人」と睨まれ、マリファナの運び屋ではないか、と

別室に連れ込まれ、荷物を徹底的に検査されたそうです。

お煎餅好きな先生が、ポケットのなかにこぼしていたお煎餅の屑まで、

ピンセットで摘み出し、紙の上に置いて、調べられました。

私の送った楽譜のコピーも、一枚一枚めくり、パタパタとはたき、

マリファナの粉末が落ちてこないか、確認されたそうです。

日本のお役人は、先生の高貴な芸術家の顔と態度を、見分けられないのでしょうか。

悲しいことです。

「取調べは、大変丁寧でしたが、イスラエル並みですね」と先生は、笑っていらっしゃいました。



★夜は、先生お好みの清潔で家族的、かつ静寂な日本旅館に宿泊しました。

翌朝、先生は、「時差で、夜中の2時半に目が覚めてしまいました。

あなたの独奏チェロ組曲で技術的に演奏が難しいところを、なんとかうまくいくように、

フィンガリングやボーイングを、さらに工夫していました。

チェロの音が漏れて、あなたを起こさなかったですか」

と、かえって、私を気遣ってくださいました。


★2日から4日までの3日間のリハーサルは、何年分ものレッスンを受けたのと同じくらいの

勉強を先生から、させていただきましたが、

先生も「私は、ヨウコの曲からたくさんのことを学びました」と言われ、却って頭が下がります。


★上記の演奏困難なところについて、後日、先生のマスターコースを受講された

日本人チェリストから「先生は、技術的にどんな難しいところでも、

絶対に“弾けない”とはおっしゃらない方です。作曲家の表現したい音を、意図通りに

そのまま弾くように努力を重ね、最後には困難を乗り越える方です」と伺いました。


★これから、ブログで、録音の様子を少しずつご紹介していきたい、と思います。

ベッチャー先生のような、高潔な芸術家とつきっきりで過ごした6日間は、

私の人生で、最良の日々で、計り知れない影響を受けました。

そのお裾分けを、皆さまにこれから、お伝えしたい、と思います。


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