下手をすれば3つとも銀メダルになっていたかも知れない…
そんな、今朝の女子レスリングの決勝戦。
登坂、伊調、土性の3人がそろって金メダルを獲った。
いずれも大逆転の勝利だった。
登坂はリードされたまま、残り10秒。
絶体絶命の状況から、ものの見事に逆転した。
伊調も同様、リードされた土壇場で逆転した。
2人続けて金メダルの快挙。
よくまあ、最後の最後にあんな力が出せるものだ。
3人目の土性も、最後に逆転して勝った。
ホント、3人とも劇的な逆転勝ちだった。すごいなぁ。
これで日本の金メダルは10個と、2ケタに乗りましたね。
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さて、昨日、話題になった卓球女子団体に関して…
その中の最年少の伊藤美誠(みま)選手のことだけど、
この、まだ15歳の伊藤選手は、静岡県磐田市の出身だが、
3年前から大阪市に移り、今は高校に通いながら練習に励んでいる。
練習は「関西卓球アカデミー」というところで行なっているそうだ。
昨日の朝日新聞の夕刊に、こういう記事が載っていた。
この文章の中に、関西卓球アカデミーのコーチの氏名が出ていた。
それを見て、僕はびっくり仰天したのである。
ここに出てくる「コーチの大内征夫さん」という方は、
僕の高校時代の体育の先生だが、それ以上に縁の深い方なのだ。
僕は近畿大学附属高校を卒業して、そのまま近畿大学へ進んだので、
学生になってからも同じ敷地にある高校の職員室へよく遊びに行った。
中でもこの大内先生とは、特に親しく話をさせていただいた。
先生が、卓球では大阪でもかなり有名な人だとは聞いていた。
そして僕が大学3年生の20歳の時、
「北海道まで自転車で往復走ってきます」と先生に伝えると、
「うちの嫁さんが網走出身なのでその実家に寄って行けよ」
と言い、その網走のお家の方に手紙を送ってくださった。
そして、網走では先生の奥様のご家族に大歓迎を受けた。
アポロ11号の月面着陸もこのお宅で見た。昭和44年7月のことだった。
そしてそれから数年後、僕が結婚するとき、
大内先生宅にお邪魔して、仲人をお願いした。
「仲人なぁ…それはちょっと荷が重いわ」
と、当時はまだ30歳前だった先生は、そう渋ったあと、
「司会だったら、してもいいけどなぁ」とつぶやかれた。
「では、司会をお願いします」と僕は即座にお願いした。
先生は、結婚披露宴の場を、実に楽しい司会で仕切ってくれた。
それ以来、ずっと年賀状のやり取りは続いているが、
最後にお目にかかったのは、もう40年以上前になる。
でも、年賀状で近況を詳しく書いてくださるので、
大内先生が卓球で活躍しておられることは知っていた。
ロンドン五輪の翌年の年賀状には、
「やってくれました!」と、
卓球女子が団体で五輪初のメダルを獲得した祝賀会場で、
大内先生が写っている写真が印刷されていた。
僕はその時、
「へぇ、先生も日本の卓球界で活躍されているのか」
…と、感心したものである。
それが、昨日の新聞記事で
「伊藤美誠(みま)選手のコーチ」
として紹介されていたので、またまたビックリした。
去年、うちの母が亡くなって、喪中だったため、
今年はお互い年賀状のやりとりがなかったので、
先生の近況について詳しくはわからなかったが、
今回の記事で、益々お元気で活躍中なのを知った。
さっそく、先生に残暑お見舞いのハガキを書き、
卓球女子団体銅メダルと、伊藤選手の活躍ぶりに対して、
「おめでとうございました」とお祝いの言葉を送ろうと思う。