昨日、一通のハガキが届いた。
宮城県石巻市に住む知人男性からである。
知人と言ってもただの知人ではない。
どういう「知人」かというと…
北海道を自転車旅行している時(20歳の時)、
帯広駅前で、その人と出会った。
その人も自転車旅行中であった。
「ラーメンでも食わねぇか?」
と、駅前の店でラーメンを奢ってくれた。
その人は東京新宿の人で自転車日本一周をしていた。
年齢は僕よりいくつか上だった。
僕はその人を、「大将!」と呼んだ。
行く方向が一緒だったので、そこから2人で走った。
襟裳岬、苫小牧、函館と走ったあと、
本州に渡って下北半島の大間崎、恐山、
そして野辺地というところまで、9日間、2人で走った。
ある時、ボロボロの屋根付きのバス停で野宿した。
僕がベンチの上で、大将は下の地面で、寝袋にくるまって寝た。
夜中、僕がベンチから大将の寝ているところへドス~ンと落ちた。
「いてぇ~~~」と大将が悲鳴を上げ
「ごめぇん~」と僕は両手を合わせた。
そんなこともあった。
奇妙な2人旅だった。
野辺地というところで道路は左右に分かれていた。
右は国道4号線で、青森市へ通じる道。
左へ行けば、三沢、八戸方面に続く。
大将は右へ行き、青森から日本海側を通って西日本へ向かう。
僕は左へ行き、太平洋側を通って東京から故郷の大阪へ向かう。
「…ここで、お別れだな。道中、気をつけてな」
「大将も、気をつけてね」
手を振り合い、右と左に分かれて、
9日間の「ふたり旅」が終った。
46年前のことである。
その後大将は、宮城県石巻の女性と知り合い、
結婚して、東京から石巻へ移り住んだ。
「石巻で嫁さんの実家の花屋をしてるんだぜ。俺には似合わねぇかなぁ」
そんなハガキが来て「ほんまに似合わんわ」と思ったことを覚えている。
その石巻の花屋さんも、東日本大震災で壊滅。
大将とその家族は無事だったが、すべてを失った。
その後、何度もハガキをもらった。
花屋の家屋修理も終わり、何とか過ごせている…
という便りをもらったときは、うれしかった。
その大将から、昨日、またハガキが届いたのだ。
前略
あの日より4年。もう4年。まだ4年。
人それぞれにこの4年の月日があります。
石巻は復興は遅れに遅れていますが、
お蔭様で私共は、略(ほぼ)元の暮らしを送っています。
御支援・御激励に感謝した4年間でした。
本当に有難う御座いました。
今後共、宜しくお願い致します。
もう少しで春です。春になれば…
…と、いつものように丁寧に筆ペンで書かれてあった。
妹さんが陸前高田市に住んでおられるのこたんさんも、
前回の記事に対していただいたコメントの中で、
震災から丸4年が経ったのが、早い? 遅い?
…と書いておられた。
ふつうであれば、早い…と思うのだろうけど、
この災害に関しては、4年が早いという感じがしない。
なぜだかわからないが、大将のハガキにあったように、
あの日より4年。もう4年? まだ4年?
…という感じで、それも、どちらかといえば、
「まだ4年?」という感覚の方が強いような気がするのである。