僕のほそ道   ~ のん日記 ~

  
これと言ったテーマはなく、話はバラバラです。 つい昔の思い出話が多くなるのは年のせい? 

母は僕の顔を見て…

2015年03月21日 | 日常のいろいろなこと

母が暮らしている特別養護老人ホームから電話があった。


特養で毎年行われる定期検査で、母の肝臓の数値が高かったので、
医師から○○病院で精密検査を受けるよう指示があったとのこと。

電話で病院行きの日時を決め、
その日、直接病院で待ち合わすことにした。

病院の玄関で待っていたら特養の車が来て、母が出てきた。
出てきたと…言っても、車椅子に乗ったきりの格好なので、
自動的に母が車椅子ごと車から降ろしてもらう仕組みだ。

母は眠そうに首をダランと下げ、小刻みに顔を振っていた。

特養の看護師さんが付き添い、受付で手続きをしてくれた。

あまり特養へ顔を出さない僕は、久しぶりに母の顔を見た。
見るたびに皺が増え、ボケも進んできているように見える。

診察まで、かなり待たなければならないようである。

そこへ、妻がやって来た。

妻は母に向かって自分を指差し「誰か、わかる?」と聞いた。
母は「えへへぇ~」と笑い、聞き取りにくい言葉で、
「わかるわぁ、美○ちゃんやろ」と妻の名を言った。

横にいた僕が、面白半分に「じゃぁ僕はわかる?」と言うと、
母はじっと僕の顔を見て「さぁ…だれやろ?」と首をかしげ、
「美○ちゃんのダンナさん…かぁ?」と甲高い声で言った。

「それ、あべこべやろ」と僕は思わず吹き出しかけた。


横にいた看護師さんが、クスッと微笑んだ。

「僕やで、僕。ほんまに誰かわからんの…?」
と僕は母に、面と向かって、念を押した。

母はしげしげと僕の顔を見て、
やはり「わからへ~ん」と首を振るのであった。

あぁ、ついに忘れられてしまったのだ。

いつかはこうなると思っていたけど。

まあ、あまり会いに行かないから、忘れられても仕方ない。

去年は「僕が誰かわかる?」と聞いたら、あははぁと笑い、
「そんなん、わかってるがなぁ」と言った母だったのに。


看護師さんによると、食欲はある、という。
ま、自力ではなく、ほぼ食べさせてもらっているが。

カラオケも、都はるみの「大阪しぐれ」を歌うそうだ。
ま、全部ではなく、同じところばかり歌うらしいが。

♪ ひとりで生きてくなんて、できないと~ ♪


まずまず、母は、施設で機嫌よくやっている。


ちなみに昭和3年生まれの母は、誕生日が来ると87歳だ。
名前を八重子という。
八月八日に生まれたので、八が重なる子→八重子、
…ということで、お爺ちゃんが名づけたそうだ。

今年、母は昔流の数え年で言うと88歳で、八が重なる。
来年は、満年齢で88歳である。

この2年間、八が重なる年が続く。
このあたりが母にはちょうど「いい頃」かも知れない。
そんなことも、つい考えたりしてしまう。

息子の顔は忘れても、たいしたことじゃないけれど、
食べて歌う楽しみだけは、死ぬまで忘れないように。

 

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする