僕のほそ道   ~ のん日記 ~

  
これと言ったテーマはなく、話はバラバラです。 つい昔の思い出話が多くなるのは年のせい? 

特養の書類にサインしたこと

2015年03月24日 | 日常のいろいろなこと

ところで、前々回、母が病院へ行って、
それでどうなったのか書かなかったので、
その話を続けたいと思います。

特養の定期検査で、肝臓の数値がかなり上がったので、
こちらの病院で、さらに詳しく診てもらうということだった。


待合で看護師さんが母の血圧を測ろうとしただけで、
「痛い、痛い」を大声を出す母である。
「痛いことなんて、ないよ」と特養の看護師さん。
本当に、母は、小さな子どもに戻ったようである。

名前を呼ばれて診察室に入った。
車椅子の母のほか、特養の看護師さんと妻と僕が、
ゾロゾロと診察室に入った。


母はC型肝炎である。

若くてハキハキ物を言う、感じのいい女医さんが、
僕に、これまで母が入院した経験、手術した経験、
輸血した経験はあるか?…などを尋ねられたので、
僕は手術や輸血はしていないはずです、と答えた。


女医さんは、C型肝炎は、やがて肝硬変や肝がんに
繋がっていく可能性があるので、本来なら、
インターフェロンでの治療が考えられるが、
母のような高齢者は副作用に耐える体力がないので、
治療はできない、ということだった。


そこで女医さんが言うには、治療はできないが、  
CTによる精密検査などを行うことはできる、ということだ。
その結果によって今後の対応を考えればどうか、とのこと。

「来週になりますが、検査の予約をされますか?」
と聞かれた。

「ちょっとお腹を見せてね」と医師にお腹を触られたら、
母は、また「痛い、痛い」と身体をよじって暴れる。

そんな母が、おとなしくCTの検査などを
受けることができるのかどうか疑問である。

僕は、特養の看護婦さんと小声で話した。

CTの検査をしたところで、治療はできないという。
点滴しながら様子をみていく…ぐらいしかないそうだ。

「そういうことでしたら、検査の予約は結構です」

医師に、そう伝えた。

医師は「わかりました」と言い、
特養の医師に手紙を書いてくれた。


母は、看護師さんとともに、迎えの車で特養へ帰って行った。

僕と妻は会計を済ませてから、病院を後にした。


その後、僕は特養へ行き、そこの専属医師に、
今後、母が苦しむような検査や治療は結構ですので、
…と、改めて伝えた。

「何か、冷たいような言い方ですが、歳も歳だし…」
「もう、何があっても、覚悟は出来ていますので」

と僕が付け加えると、専属医師は、

いえ、はっきりおっしゃっていただいて有難いです」
「中には、最後まで治療を望まれるご家族もおられますので」
そう言った。


そのあとロビーへ移動した。
「生活相談員」という人がテーブルに、

3枚の書類を出してきて、説明してくれた。

いずれも、母に何が起きても異議はありません、
…という内容のものだった。

重篤な状態になった時も、病院に搬送せず、
当施設で酸素吸入の処置などで最善を尽くします…
などという文面もあった。

「ただし、怪我とか熱が9度以上出たとか、
 そんな場合は病院へお連れしますけど」
と、その相談員の方は言った。

僕に何の異論もなかった。
何が起きても、早くから覚悟はできている。

僕はためらうことなく、すべての書類にサインをした。

今以上に、母が良くなることはないので、
苦しむことだけはやめてほしい、という以外、何もない。

  ………………………………………………………

さて余談になるが、特養といえば、

いま、特養に入所待ちの人は全国で60万人近くいると聞いた。

母は7年半前に今の特養に入所できた。
それだけでも幸運だったと言わなければならない。


10年後、僕ら団塊世代がすべて75歳を超える。

一体どうなるんだろうか…と思う。

 

 

 

コメント
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