先週19日に桂米朝さんが亡くなられた。
89歳だし、時々その姿をテレビで見たが、
ずいぶんお変わりになられた姿は、見ていて辛かった。
今週の22日と23日に、追悼番組をいくつか見た。
22日はNHK総合で、珍しい演題の「本能寺」が流された。
笑いの部分が少ないが、さすが米朝。上手やったなぁ。
同じく22日、読売テレビでの辛坊治郎司会の追悼番組では、
ゲストが沢山出ていて、その人たちがしゃべってばかりで、
結局、米朝の落語そのものは出てこなかった。
(そんな話は公共の電波を使ってせず、通夜の席でやれ)
つまらんおしゃべりより、米朝の落語を聴きたかったわ。
23日はMBSで「地獄八景亡者戯」が放映された。
68分10秒の長い長い話だが、僕の大好きな演目だ。
全編ノーカットで流してくれたのはうれしかった。
また同日、Eテレの「日本の話芸」では、
「どうらんの幸助」(これも面白い!)が流された。
やはり、いつ見てもいい。
気品と笑いに満ちた米朝落語である。
学生時代から落語が好きで、特にこの桂米朝が好きだった。
高座もよく見に行った。
1に米朝2に春団冶、3・4がなくて5に松鶴。
というのが、70年代の僕の好みの落語家だった。
米朝の弟子の枝雀(故人)は、正統派ではなく、異端芸だった。
言葉で笑わすのではなく、目をむいたり口を尖らせたりなどの、
派手な動作をして笑いをとる。だから僕はあまり好まなかった。
もう一人の弟子としても有名なざこばに至っては、
セリフも気ぜわしいし、いつまでも古典落語が下手である。
もう、米朝のような落語家は、この世に現れない。
今後、米朝を見たいと思えば、地獄へ行って、
「地獄八景亡者戯」に出てくる「地獄寄席」で、
松鶴らと寄席に出ているのを見るしかないでしょうね。
10年以上前になるが、図書館に米朝全集のCDが揃っていたので、
それを少しずつ借りてはカセットに録音して、かなりたまった。
何回も繰り返し聞いていたのだが、最近はカセットも古くなった。
そこで、改めて図書館のCDを借りてきて、
自分のCDにコピーして僕なりの「米朝全集」を作っていた矢先である。
米朝はこの世から消えても、米朝落語は消えない。
僕らの心の中では、ずっと生き続けてはります。