プロ野球パ・リーグで、楽天が初優勝したことに喜んでいる人は多いだろう。どのチームのファンに限らず、日本中の人たちが「よかった、よかった」と拍手している様子が目に浮かぶ。東北が待ち望んでいた春の訪れ…と表現してもいいかも知れない。「たかが野球、されど野球」である。
僕も、2004年に楽天球団が誕生した時から、このチームが強くなることを期待していた一人だ。そこにはいろいろな思い出が詰まっている。
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僕が今住んでいる大阪府藤井寺市に引っ越してきたのは25歳の時で、すでに2人の男の子(2歳と1歳)がいた。藤井寺市は当時の近鉄バファローズの本拠地・藤井寺球場があったことで有名だった。球場は近鉄南大阪線・藤井寺駅のすぐ近くで、自宅から自転車で5分くらいのところにあった。
2人の息子たちも幼稚園の頃から野球が大好きになって、言うまでもなく地元近鉄ファンだった。休みの日には、お弁当やお菓子を持って家族で球場へ行き、近鉄の試合を観戦した。一塁側内野スタンドでビールを飲みつつ、子どもたちといっしょに近鉄を応援するのは、至福の時間…と言ってもよかった。
しかし…。その近鉄が2004年(平成16年)に経営難からオリックスと合併し(事実上は吸収された)、近鉄球団は消滅してしまい、藤井寺球場は「廃墟」と化してしまったのである。(現在、球場跡は私立の学園などになっている)。
近鉄球団は1949年(昭和24年)に誕生したそうである。僕もその年に生まれたので同年齢なのだ。その近鉄に「先立たれ」たのはとても寂しいことだった。
さて、近鉄がオリックスに吸収されることになったので、パ・リーグは5球団となり、当然、新たにもう1球団が必要になった。そしてさまざまな紆余曲折を経て宮城県をフランチャイズとする「東北楽天ゴールデンイーグルス」が誕生したのだった。楽天の選手はオリックスと近鉄の合併球団、オリックス・バファローズから振り分けられた。そんな経緯で2005年のシーズンから楽天がプロ野球に参入したのだから、楽天はいわば故・近鉄バファローズの「肉親」みたいなものである。大阪の藤井寺から宮城の仙台へと、ずいぶん離れてしまったけれど…。
何かの資料によると、楽天が新規参入決定直後の2004年の秋季キャンプは、藤井寺球場で行われたそうである。つまり、楽天の出発点はわが町・藤井寺だったということになる。
そんなことを思うと、やはり球団創設9年目にしての楽天の初優勝は、僕たち家族にとっても感慨深いものがある。ぜひ日本シリーズに出て、巨人と日本一を争ってほしいものだ。(日本シリーズに巨人が出るのは当然だと思っている!)
ところで、かつて一度だけ、巨人と近鉄が日本シリーズで戦ったことがある。元号が平成に変わった年…1989年だった。生粋の巨人ファンだった僕も、この時はどちらを応援していいものか迷った。家族はみんな近鉄ファンだし、僕も近鉄をスタンドで応援してきた。なにしろ地元中の地元である。仕方ない。どちらも応援することにした(笑)。
その日本シリーズは、大方の予想をくつがえし、初戦から近鉄が巨人を圧倒して3連勝した。あと1勝で初の日本一! そこまではよかったのだけれど…。
近鉄が3勝目を上げたときの勝利投手、加藤哲郎が試合後のインタビューで「巨人は弱いですわ。ロッテ(当時パ・リーグで一番弱かった)より弱いですわ」みたいなことを言って全国の巨人ファンの怒りを買った。それが巨人の選手を奮い立たせたのか、そのあと巨人が4連勝し、結局近鉄の日本一の夢は叶わなかった。(後に加藤投手は「口先男」などとマスコミにからかわれ気の毒だったなぁ)。
近鉄はその10年前にもあと一歩のところで日本一を逃していた。広島との日本シリーズで、3勝3敗で迎えた第7戦、1点をリードされた近鉄は9回裏ノーアウト満塁の絶好のチャンスで、「一打逆転サヨナラ日本一」のシーンを迎えた。しかし1点も入れられず、そのまま負けてしまったのだ。マウンドにいたのは江夏豊で、「江夏の21球」と言われ、今では伝説と化したシーンだった。あのときは小学生だった息子たちと一緒に、手に汗握りながらテレビを見ていたけれど、試合終了の瞬間、息子たちの悲しそうな表情が今でも忘れられない。
その近鉄も今は無いけれど、少なからず縁のある楽天が、間もなくCS、そして日本シリーズへ臨もうとしている。ぜひ近鉄が成し得なかった日本一を獲得してほしい。しかしひとつだけ、かなり大きなモンダイがある。相手が巨人だったら、どちらを応援するのだ…?
あぁ、またあの平成元年の、巨人・近鉄の日本シリーズを思い出す僕なのです。