2020年のオリンピック開催地は東京に決まるのだろうか…? アルゼンチンのブエノスアイレスで行われる国際オリンピック委員会(IOC)総会の日が迫ってきた。日本時間の8日(日)午前5時に発表されるのだそうである。一応、その時間にはテレビを見ておこうと思う。
以前はイスタンブールが圧倒的に有力で、東京は国民の支持も低く、まず可能性はゼロに近い…などと言われていた。…が、そのイスタンブールで大規模な反政府デモが起き、またもうひとつの候補地マドリードも経済危機で失速した。もっとも、東京だって現在、福島第1原発における汚染水問題の深刻化が取り沙汰されている。そんなふうに、今は候補地のどのマイナスが一番小さいマイナスか…という、まるで昨今の国政選挙みたいな感じで争われているようで、何となくパッとしない選考であることも事実である。そんな中で、現時点ではとりあえず東京が有力とみられているようだ。
東京五輪と言えば1964(昭和39)年の10月に開催された。今から49年前のことである。高校に入って半年後だった。中学生の時、学校から映画を見に行ったのだが「ローマオリンピック」という記録映画で、ローマの石畳をエチオピアのアベベが裸足で走って優勝したマラソンのシーンなどに大いに感動し、オリンピックというものに初めて興味を覚えた。その映画のラストに閉会式の場面が流れ、その時初めて、次のオリンピックがニッポンの東京で行われることを知ったのだ。
その東京で行われたオリンピックは、言葉で表現できないほど素晴らしく、輝いていた。水泳も、陸上も、柔道も、レスリングも、重量挙げも、女子バレーも、何もかも、15歳だった僕の胸の中に、今も忘れ得ぬ名場面・名勝負の数々が刻み込まれている。
そして6年後の70年に大阪で万博があり、72年には札幌で冬季オリンピックが行われた。すべて「アジア初開催」だったので、日本という国はアジアではダントツのトップで、世界でも有数の大国なんだなぁ、と誇りに思ったものだ。
その頃に比べると、僕の中のそんな気持ちも年とともに薄れるばかりで、今さら東京でオリンピックを開いたところで金がかかるだけじゃないのか…と最近は思ったりしていた。でも、まあ、開催地決定の時期が近づいてくると、なぜか高校時代のときめきが心の奥底からじわじわと突き上げてくる感じがしてきて、出来れば東京開催が実現したら、またあの時のように楽しめるのではないか…と思うようになった。(もっとも、東京ではなく他の都道府県の都市ならさらに応援していたと思うけれど)
しかし、この五輪開催地に対するIOC委員の投票というのもなかなかクセ者で、フタを開けるまで、どう転ぶかわからないようである。
ご記憶の方も多いだろうが、88年の五輪はほぼ名古屋に決まりかけていた。僕らもてっきり日本で2度目の五輪が名古屋で行われるものと思い込んでいた。しかし、結果は韓国のソウルに決まり、信じられない思いをしたことがあるので、今回も、東京が有力と言われているけれど、そんな下馬評は全くアテにならない。
でもね…。IOC総会がアルゼンチンのブエノスアイレスで行われるというのが、個人的に何となく「いい感じ」をもたらせてくれていることは事実である。ブエノスアイレスは、僕が過去に行った20回の海外旅行の中で、20回目の旅行地である。2009(平成21)年の秋だった。余談だが、その翌年にモミィをわが家に引き取ったので、それ以降、海外旅行をする機会がないままである。…まあ、それはいいのだけれど、ブエノスアイレスには甥も住んでいる。地球の裏側とはいえ、僕たち家族にとっては縁があって身近に感じられる大好きな都市なのだ。その地で行われる総会の投票で2020年の五輪開催地が決定するというのは、ちょっとした追い風が吹いているような予感もし、「東京に決まるんじゃない?」という気分が、日に日に高まってきているところである(あくまでも気分ですが)。
さて、どうなりますことやら。8日(日)の午前5時の発表が楽しみです。