僕のほそ道   ~ のん日記 ~

  
これと言ったテーマはなく、話はバラバラです。 つい昔の思い出話が多くなるのは年のせい? 

僕の海外旅行歴

2013年09月07日 | 旅行


海外旅行が好きで、その体験の多くはブログにも書いてきましたが、どのくらい行ったのですか?と聞かれることもよくあります。回数で言えば20回です。前回のブログでたまたまその回数を書いたところ、コメントをいただいたお2人に関心を示していただきましたので、一応記録しておく意味でも、いつどこへ行ったかというのをここに書きしるすことにしました。


仕事などで毎月のように海外へ行っている人も大勢いらっしゃいますし、海外旅行に50回近く行ったというご夫婦も知り合いにおられます。まあ回数がどう…ということはないのですが、心に残る旅の思い出は、数限りなくあります。


旅はガイドブックを眺めながらいろんなプランを練っている時が一番楽しいですね。わが家ではほとんど妻が計画を立てて僕に相談し、僕はウンウンとうなずく…というパターンですが、行く前の段階で、すでに胸がはずみます。ところがいざ旅行に出ると、僕らの場合ほとんど個人旅行なので、お昼ご飯を食べる場所ひとつにも神経を使い、つたない外国語で必死にやりとりをするなど、次々と局面を乗り切るのは、まことに苦行に近いものがあります(笑)。


身も心も疲れ果てて帰国し、やれやれ…やっぱりどこの国よりも日本がいい、わが家が一番いい…と焼酎お湯割りなどを飲みながら、ホッと一息ついてから、それから日がたち、ボチボチと旅の記録を整理しつつ「あの時はびっくりしたね」とか「怖かったなぁ」とか「不思議だったね~」とか旅の思い出を笑顔で語り合う時に、ひとつの旅が終わる…という具合なのです。


では、前置きはそれくらいにし、以下に並べてみます。


1983年 ニューヨーク。初の海外旅行。34歳の時。ニューヨークシティマラソンに出場するため一人で行った。一人で海外旅行したのはこれが最初で最後。現地での英会話に四苦八苦。なんでもっと学生の頃に英語を勉強しなかったんだろう…と後悔。海外旅行はある程度現地の人と会話が出来なければ面白くないことを痛感し、その後は行く前にその国の言葉を勉強した(…ちょっとだけね)。


1988年 韓国(釜山、慶州、ソウル)。当時、僕は韓国語を習っていたので「語学修業」のため、同好の士と2人で、宿も決めず、往復の飛行機チケットだけ買って出かけた。男2人の韓国旅行なので職場の仲間たちから「買春旅行やろ」と言われ閉口した。そんなことするわけ、ありまへんがな!


1989年 東南アジア(マレーシア、シンガポール、タイ、香港)。当時高2の長男と2人で旅行した。夏休み、実は家族4人で行く予定だったが、次男がクラブ活動の都合で行けなくなり2人で行った。行く先々で、現地係員が僕と長男を見て「アナタタチ、キョウダイ?」と言った。ホンマです。


1994年 北京。関西国際空港が開港した直後。大学生だった長男の友だちが北京の大学に留学していたので、僕と妻は長男とともに北京へ遊びに行った。北京の街は、人々のふるまいといい、路地の汚さといい、もうびっくり仰天することの連続。これが初の海外旅行だった妻は「二度と中国には行きたくないわ」と今でも言う。


1994年 オランダ(アムステルダム)、オーストリア(ウィーン)、スイス(ベルン)、フランス(パリ)。勤めていた市役所から、大阪府市町村職員海外研修というのに派遣してもらった。初めてのヨーロッパ。街並みの重厚さに圧倒され、帰国後さっそく妻に「来年一緒にヨーロッパを旅行しよう」と約束。


1995年 パリ。初めての妻との2人旅は、欧州でも最も素敵だったパリへ行った。往復の飛行機とホテルだけ予約して出かけた。パリのホテルに荷物を置いたまま、列車に乗って国境を越え、スペインのサン・セバスチャンというところへ行き2泊した。現在アルゼンチンのレストランでシェフをしている甥が、当時は料理人としてこの町で修業をしていたので、旅のついでに会いに行ったわけ。


1997年 オーストラリア(ゴールドコースト、シドニー)。僕と妻の2人旅のはずだったが、なぜか長男も行った。ゴールドコーストやシドニーを長男が運転するレンタカーで楽しんだ。「カンガルー飛び出し注意」の道路標識に笑った。しかし英国系の国ゆえアルコールの置いていない飲食店もあってガッカリ(なんだ、それは?)。


1999年 ロンドン、パリ、ローマ。長男が「ヨーロッパに行ったことないので」というのでまた3人旅。珍しく添乗員付きの団体ツアーだった。添乗員について行くだけでいいので、こんな楽な海外旅行があったのかと感激した。この時初めて行ったイタリアに魅せられ、イタリア語の特訓をして6年後のフィレンツェ旅行へとつながった。


2000年 ウィーン。94年の海外研修で印象的な街のひとつだったウィーンに、妻を連れて行った。間に列車でザルツブルグへ日帰り旅行もし、また列車で隣国ハンガリーのブダペストへの日帰り旅行もした。そのブダペストで怪しげな男たちに取り囲まれ、パスポートをだまし取られそうになり、妻の気転であやうく難を逃れた。ハンガリーはもうイヤ!


2001年 スペイン(マドリード、バルセロナ)。ニューヨークへ行く予定の直前に9・11事件が起きて、急きょ行く先をスペインに変更した。マドリードから列車で行った古都トレドやアランフェスも素晴らしかった。しかしテロの危険はスペインでもあり、空港からホテルへ送ってくれた現地旅行社の人が、「あなた方のホテルの隣がアメリカ大使館なので気をつけてくださいね」。なんでそんな場所にあるホテルを選んだんや、旅行社は…?


これで10回分が終わりです。
あと半分はまた次回に書きます。


ところで前回も書きましたが、明日早朝(日本時間午前5時)に、アルゼンチンのブエノスアイレスで、2020年の五輪開催国が決定するわけですが、聞けばスペインのマドリードが東京と競り合っているそうですね。


僕の20回の海外旅行中20回目のブエノスアイレスで、10回目の旅行先であるスペイン・マドリードが選ばれたとしたら…これも何か因縁めいているなぁ…なんて思っています。でもやはり東京で決まり! …と信じています。ワクワク。

 

 

 

 

コメント (4)
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