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 僕のほそ道   ~ のん日記 ~

  
これと言ったテーマはなく、話はバラバラです。 つい昔の思い出話が多くなるのは年のせい? 

被災地を歩いたこと

2011年05月27日 | 心と体と健康と

3月11日に起きた東日本大震災と津波の凄まじい被害の報道をテレビで見ながら、
それを自分のこの目に焼き付けたいという思いが、胸の中でずっと渦巻いていた。

「ボランティアで被災地へ行ったらどう…?」
と言ってくれる人たちもいたが、しかしそれは無理な話だった。
僕は車の運転もできないし、重い物を持ち運んだりする腕力もない。
不整脈や腰痛などの持病を抱え、何種類もの薬を飲んでいる身でもある。 
ボランティアとしては何の役にも立たず、邪魔になるだけの人間なのだ。
しかし、行かねば… という衝動は募る一方で、もはや抑えられなかった。

5月19日。
僕はリュックひとつ下げて、大阪阿部野橋から出る夜行バスに乗った。
数人しか乗客のいないバスは、午後8時に発車し、仙台へと向かった。 
翌日の午前8時27分に到着予定である。 

12時間以上もバスに乗るなんて、昼夜を問わず、初めての経験だ。
しかし、これまで、飛行機にはそれぐらいの時間は乗っているので、
12時間座っていても、それで腰痛が出たりはしないだろうと思った。

バスの座席は飛行機よりはるかに快適で、思ったとおり腰痛は出なかった。

予定より30分ほど早く、バスは仙台駅前に着いた。
青空が広がるさわやかな杜の都の朝だった。

コインロッカーにリュックを預け、小さなバッグに食料と貴重品を入れた。

東北本線で名取まで行き、そこから仙台空港行きのバスに乗った。
バスには 「代行バス」 と表示がされていた。
仙台空港アクセス鉄道が被災したので、その代行ということだろうか。

仙台空港に到着したのは午前9時半ごろだった。

空港からは、ひたすら、歩いた。

空港から沿岸部を北東の方角に歩き、名取川を渡り、
そして仙台市の若林区に入って、そこから内陸部の仙台駅方向へ…
そういう計画を立てていた。 20~30キロぐらいだろうか。
6時間ほど歩けば、計画通りに行程がこなせるはずだった。
体調に多少の不安はあったが、自分の脚力を信じることにした。

言うまでもないが、僕の手には、地図が握られていた。
しかし、歩けども歩けども、地図にある道路がわからず、
逆に、地図に載っていない広い道路があったりした。
どこを歩いているのか、いくら地図とまわりを見比べても、わからない。
こんなことなら磁石を用意してくるべきだったと気がついたが、すでに遅い。

それにしても、どこを向いて歩いているのか定かではなかったが、
道路の左右の尋常ではない光景に、だんだん背筋が寒くなってきた。

この荒れはてた光景は、どんな言葉を尽くしても表現できない。
散らばった瓦礫。 壊れた家屋。 ひしゃげた車。 転がる舟。
そして、茫漠とした荒れ野が視界の全てを占めるような光景も…。

この目に映った荒涼たる図は、夢の中をさまよい歩いているようで、 
さながらSF映画のロケーションのような、異様な光景であった。

震災から2ヶ月以上が経ち、瓦礫はかなり撤去された様子だった。
それでもこれだから、被災した当初は、想像を絶するものであったに違いない。

僕が歩いている道は、車が行き交うだけで、人影はほとんどなかった。
そんなとき、ひとり、自衛隊員風の若い男性が立っていた。
僕を見てお辞儀をされたので、慌てて 「お疲れ様です」  と、僕も頭を下げた。

少し先の道路がちょうど十字路になっていたので、その男性に道を訊いた。
名取川を渡って仙台市に入りたい、と言ったら、
「これをまっすぐ行くと海に出てしまいますよ。 こちらへ行かれますと…」
と、男性は左手を指して、
「○○ (地名らしかったが聞き取れなかった) へ出ますので、
 そこへ行けば、仙台市の若林地区へ入れると思います」
澄んだ目をした、優しい言葉づかいの若者だった。

教えてもらったその道を、また、テクテク歩いた。
相変わらず人影はない。 
どこをどう眺め回しても、歩いている人はいない。

車が1台、後方からやって来て、僕の横で止まった。
車の中には、年配の夫婦らしき男女2人が乗っていた。
助手席の奥様らしき婦人が窓を開けて僕に呼びかけた。
「ごめんなさいね。 キタガワさんのお寺へはどう行けばいいのですか…?」
「は…? あのぉ、すみませんが…」
道を聞かれた僕は、戸惑い、この土地の者ではありませんので、と詫びた。
軽装で歩いているので、地元の人間と思われたのだろうか。

しばらく行くと、バス停があった。
高柳、という名の停留所だったので、また地図を広げた。
あ、あった。 地図に高柳という地名が…。

初めて地図上で、自分の歩いている場所を知ることができた。
いま僕が歩いている道は県道129号で、閖上港線という名称がついている。
「閖上」 とは難しい地名だけど、 「ゆりあげ」 と読むそうである。
この道をそのまま歩いて行けば、閖上大橋というところで名取川を渡れる。

すでに12時を回っていた。 空港を出発してから、3時間近く経っている。
歩きながら、パンを食べ、水を飲んだ。
なぜか道路脇に座って落ち着いて食べるという気にはなれなかった。

やがて閖上 (ゆりあげ) 大橋の手前まで来た。

道路の真ん中に立って車の交通整理をしている警官が3人ほどいた。
僕は歩行者だから関係ないだろうと思い、そのまま通り過ぎようとしたら、
女性の警官が、「どちらへ行くのですか?」 と訊いてきた。
先ほどの自衛隊員風の若者とは違い、険しい顔つきだった。
僕は、閖上大橋を渡って仙台市若林区に入るつもりだと言った。

「この先は、関係車両以外、行けません」 と女性警官がきっぱり言った。
僕はその気迫に呑まれた。
それなら、と、左側に行く道があったので、
「じゃあ、そちらの道を行きます」 と言うと、
「その先は通行止めです」 と、また、きっぱりと言われた。

僕は途方に暮れた。 
「では、この道を引き返すしかない…ということですか?」
という僕の言葉に、女性警官は、そうだ、とうなずいた。
「でも、空港から歩いて来たので、名取駅への行き方が…」
よくわからないまま歩いて、また、どこかで道に迷うかも知れない。

「この道をまっすぐ戻れば名取駅に出ます。 歩きでは大変でしょうが」 
と女性警官はそう言い残して、交通整理に戻って行った。

まっすぐ戻れば名取駅…。
今朝、僕は仙台から電車で名取駅まで来て、そこからバスに乗った。
バスで仙台空港まで来て、そして道に迷いながら、ここまで歩いてきた。
だから、名取駅は知っているけれど、そこまでの距離が不明である。

地図を見ると、確かに名取駅への道は一本道でわかりやすかった。
しかし、現在地からはずいぶんと遠い。 

本来なら名取駅へ行く路線バスが走っている道路である。
バス停があるのだから、間違いない。
しかし、現在そのバスは運行されていない。 
つまり、名取駅まで、何の交通手段もないのである。

バス停に、名取駅までの停留所名がすべて表示されていた。
僕はそれを 「ひとつ、ふたつ」 と数えてみたら、全部で12あった。
名取駅まで、バス停が12ヵ所もあるのだ。 
この地域のバス停からバス停までの距離は、結構長そうだ。
それを12ヵ所通過して行かなければならないと思うと、急に足が重くなった。
引き返す…というネガティブな思いが気力を奪い、よけいに疲労感を強くした。

でも仕方ない。 すべて自分の責任である。
ここまで歩いて来た道を、またトボトボと戻り始めた。

スニーカーではなく、頑丈な登山靴を履いてきたのが逆効果となった。
気力が萎えたとたんに、この登山靴の重さが気になってきた。

僕の神経が正常だったのは、ここまでだった。 

僕の中で、何かが、キレてしまった。

  

 

 



 

 

 

 

 

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

   

    
 名取駅が近づいて来ると、コンビニも営業していた。 

                                          

 

                

 

 

 

 

コメント (2)
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