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 僕のほそ道   ~ のん日記 ~

  
これと言ったテーマはなく、話はバラバラです。 つい昔の思い出話が多くなるのは年のせい? 

ローマの休日 “真実の口”

2016年06月18日 | 旅行

   

先週、TVで「ローマの休日」が放映された。
たぶん、これまでTVで流された映画の中でも、
放映回数が最も多いのが、この映画ではないか…
と勝手に思っているけれど、何度見ても飽きない映画だ。

それと、先日ちょうど舛添クンの一件で、
「舛添には“真実の口”はないのか?」
というセリフがどこかに出ていたのを見て、
な~るほど、ローマの“真実の口“にひっかけて、
うまいこと言うなぁ、と感心したものである。

ご承知のように、「真実の口」とは、
ウソをつく人間がそこに手を突っ込むと抜けなくなる…
という言い伝えがある。
(海外好きの舛添クンにもぜひ突っ込んでもらいたい)


さて「ローマの休日」で、新聞記者のグレゴリー・ペックが、

オードリー・ヘプバーンを「真実の口」に案内するシーン。

映画で、グレゴリー・ペックが真実の口に手を入れたとたん、
「ぎゃっ」と言って手を噛まれた…フリをする。
これを見たオードリー・ヘプバーンが、
びっくり仰天して、泣き叫んでしまう…

…という、あまりにも有名なあのシーン。
何度見ても心を揺さぶられる名シーンだ。


 

 


1999年。ちょうど僕が50歳の時に、
妻と長男と3人でローマへ旅行に行きました。

同じイタリアでも、フィレンツェ旅行のことは、
このブログに何度も書きましたけど、
ローマの旅には全く触れていません。

このブログも、自分の最後の記録として残したいので、
今日はローマへ旅行した時の写真を載せてみました。

 


 
 “本物”の真実の口です。
 案外、見過ごしそうな、狭いところにありました。


 
  観光客は必ずここへ手を入れますよね。
 長男(右端)が、このお2人から、
 写真撮影を頼まれていました。

 


 

 スペイン広場のシーンも有名ですね。
 アン王女がジェラートを食べています。


 
  僕らもこのあと、ジェラートを食べました。
  


 
  こちらは、コロッセオ。



 
  トレヴィの泉。



 
   ついでにナポリまで足を延ばしました。
 「ナポリを見てから死ね」と言いますからね~
  これで、いつ死んでもいい?


 
  ナポリといえば、ポンペイはすぐ近く。
 西暦79年に、ヴェスヴィオ火山の噴火で埋没した町。
 1700年代から発掘が始まって、今日に至っています。

 

 

 

 

 

 

 

 

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中国人のマナー

2016年05月24日 | 旅行

昨日、北京のトイレでびっくりした話を書きましたが、
それで思い出したのは「食べ残し」の話です。
北京の人たちは外食の時、食べ物を残すのです。
(家の食事ではどうか知りませんけど)


北京へ旅行したのは、長男が阪大生だった頃。
長男の高校時代の同級生だった女の子が、
そのとき北京の大学に留学していたので、
彼女を訪ねて僕と妻と長男の3人で行った。

北京では彼女がずっと案内してくれた。

いろいろ驚いたことの多い旅だったが、
食堂に入ったとき、ふと気づいたのが、
他の客(むろん中国人)が食べ終えて帰ったあと、
そのテーブルには、必ず皿に料理が残っていたのだ。
あちらの食堂でも、こちらのレストランでも、例外なく。

不思議に思って、留学生のその女の子に尋ねると、
「こちらの人は食べ物を残すのがマナーなんです」
と言うので、「なんのために?」と聞き返した。

なぜ、残すのか?

彼女の説明によると…

全部食べてしまうと、
「この量では足らんじゃないか」
という意味にとられるからだという。
それでは料理を出してくれた人に失礼だ、
ということで、ある程度は皿に残しておく。
「たっぷりいただいたので、もう満腹です」
そういう意思表示らしい。
(味よりも量なんだね)

国が違えばマナーも違うんだ。

日本では、残してはいけないと教えられてきたのに。

だから僕たちも北京では、少し食べ残して店を出た。
なんだか、もったいないという感じでしたけどね。


そんな経験があったものだから、
4月に家族で京都や奈良のホテルに泊まった時、
朝食バイキングではまわりは中国人客だらけだったが、
食べ残すことが「マナー」という彼らはどうするのか?
そこに注意を払って、眺めてみた。

言うまでもなく、日本のホテルのバイキングで
食べ物を皿に残して帰るのは、少しお行儀が悪い。
少しぐらいなら仕方ないけれど、あの皿もこの皿も、
すべての皿に料理を残したまま帰るというのはねぇ。

そこで中国人観光客たちの様子を見ていたわけだが、
だいたいにおいて、ほぼ全部食べて立ち去って行った。
旅行の添乗員あたりから、注意をされていたのだろうか。
やはり郷に入っては郷に従え、だもんね。


…と、まあ、僕が見たときはそうだったけれど、
テレビの中国人観光客のマナーの悪さの一つとして、
バイキングでもいっぱい食べ残す…と報じられていた。

ふ~む。
これは、観光団体の添乗員の指導が足りないんだろうか。
そのことを厳しく言っておけば、いくら中国人だって、
そうそう無茶なことはしない、とは思うんだけど。

昨日、中国人たちがテレビに出て、マナーについて、
日本人タレントたちと激論を交わす場面があった。

たとえば、コンビニなどで、支払いを済ませる前に、
飲み物を飲むなどする中国人観光客がいるようだが、
飲むのは会計を終えてからだろ、という指摘に対し、
「日本人はマナーにうるさすぎる」と反論があった。

中国人がマナーをわきまえないのか?
日本人がマナーにうるさすぎるのか?

お国柄が違うと、いくら熱心に議論を交わしても、
こういう話は、永久にかみ合わないんですよね。

 

 

 

 

 

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奈良の桜

2016年04月10日 | 旅行

翌日(4月4日)は、大津を出て京都駅を経由し、奈良へ行きました。
その日宿泊した奈良ロイヤルホテルの周囲を散策していたら、
奈良市役所の横を流れる佐保川という川に来たのですが、
そこの桜が見事だったので、思わず見とれてしまいました。

 

 

 
 佐保川の堤の両側に、桜並木がどこまでも続いていた。

 

 
そして次の日の4月5日。 奈良公園周辺を歩きました。
ここは猿沢池から興福寺の五重塔が見える僕の好きな場所です。

 

 
 そのまま歩いて行くと春日大社の「一の鳥居」に出ます。
 春日大社は現在「第六十次弐年造替」とのこと。つまり、
 20年に一度行われる、社殿の修築大事業なのだそうです。 

 

 
 やがて、道のあちらこちらに鹿の姿が…。
 鹿せんべいを手に持つと、すぐにやって来る。

 

 
 ~鹿に桜~

鹿といえば、桜より紅葉のほうを思い浮かべますね。
花札の絵柄も鹿に紅葉だし、百人一首でも、
「奥山に もみじ踏み分け 鳴く鹿の…」
という猿丸太夫の歌がありますしね~。
しかし今回は、とにかく鹿に桜です(笑)。

 

 
遠くに若草山が見える。
桜とのコントラストが鮮やかです。

 

  
ウェディングドレスの姿も…。

 

 
東大寺のほうに歩いて行くと、観光客の数も急に増えてきました。

 

 
東大寺。 大仏殿に入って大仏様を見ようと思ったのですが、
モミィが学校からの社会見学でここへ来るということなので、
じゃぁ、まぁ楽しみはそれまで残しておくか…ということに。

 

 
 
   大仏さまの右手実物大のレプリカだそうです。
 

     

 

 
また、元のほうに戻って、興福寺へ。ここは南円堂です。

 

 
南円堂から階段を下りると猿沢池の付近に出ます。

ハイ。ここからまたJR奈良駅まで戻ります。

この日は3日間のうち、最も良いお天気でした。

ここ数日で桜はどんどん散っています。
ほんと、花の命は短いですね。

 

 

 

 

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京の桜

2016年04月08日 | 旅行

きょうは、4月3日に京都で撮った写真のいくつかをご紹介します。

清水寺へ向かう道は、観光客でメチャごった返していました。
春休みで日曜日、さらに桜が満開とあればやむを得ませんね。
まあ、中でも、中国人観光客が圧倒的に多かったですが。 


 

 

やっとのことで、清水寺に着きました。      

 

着物の女性たちはみんな中国人女性で、貸衣装を着ています。
着物姿で中国語…というのも、妙な感じでしたけど。

 

 

人だらけの道も、満開の桜が心を和ませてくれます。

 

八坂神社から円山公園へ。

 

円山公園は、お花見のお客さんたちで賑わっていました。

 

名物のしだれ桜には、沢山の人がカメラを向けていました。

 

知恩院の三門(山門)にも桜が…

 

門をくぐって中に入ると急な階段があります。
ここでも、桜の花が彩を添えてくれます。
でもこの階段にはかなり足が疲れました(笑)

 

またテクテク歩いて行くと、
やがて平安神宮の大きな鳥居が見えてきました。

 

平安神宮の中にも、大きな桜の木がありました。

 

というわけで、「京の桜めぐり」となった次第です。

このあと、東山三条まで歩いて地下鉄に乗り、
JR京都から滋賀県の大津へ向かいました。
京都から大津、といっても10分ですけどね。

 

大津プリンスホテルの部屋から、琵琶湖が一望できました。

 

では、次回は「奈良の桜」ということで…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 


 

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京都・奈良 ぶらぶら歩き

2016年04月07日 | 旅行

4月7日。
今日はモミィの春休み最後の日ですが、
外はかなり強い雨風で、荒れ気味のお天気です。
明日、モミィは5年生として新しいスタートを切ります。
 


昨日、モミィは知人の方にハーベストの丘に連れて行ってもらい、
馬に乗ったり、ウサギを抱っこしたり、白鳥の舟に乗ったり、
体験教室でパンやお菓子を作ったりして、楽しみました。 

                          

               

その前、4月3日から5日までは、
家族3人で京都、奈良へ行きました。
まあ、旅行というほどの大げさなものではなく、
京都や奈良のぶらぶら歩き…という感じでした。

しかし何ですねぇ。
京都や奈良、特に京都市内のホテルはどこも満室ですね。
旅行の1ヵ月ほど前に旅行社に問い合わせをしたら、
3日に泊まる京都の適当な宿泊所はすべて満室とのことで、
仕方なく滋賀県の大津プリンスホテルというところを取りました。
春休み最後の日曜日ということもあってか、京都泊は無理でした。
奈良は、ネットで調べて何とか奈良ロイヤルホテルを取れました。

桜の季節と重なって、京都・奈良は大変な混雑でした。
特に、初日の京都は、中国人ら外国人観光客は多いだろうと、
ある程度は覚悟して行ったのですが、実際は思った以上でした。

京都ぶらぶら歩きのコースは、京橋から京阪特急に乗って、
(これも車内はギュウギュウ詰めでしたが)
約40分、電車に揺られ、祇園四条駅で降りました。
この駅、以前は京阪四条という駅名のはずでしたが、
いつの間にか祇園四条という駅名に変わっておりました。
で、祇園四条駅で降りると、これがまた人・人・人。
降りた客も多いけれど、四条通りに出ると歩道はすごい人。
それはそれはもう、人の洪水という凄まじい観光客の群れでした。
やはり中国人が圧倒的に多く、右も左も中国人と言っていいほど。
ある団体が、店の前に集団で添乗員の話を聞いているのですが、
歩道いっぱいに広がっているので、通行人が向こうへ行けず、
その中国人の群を押し分けて向こう側に行く、という具合。
それに気がついた添乗員が、もっと店の方に寄って、
歩道をあけるように注意するシーンもありました。

よく言われているように、中国人はマナーが悪い…
というよりも、マナー自体を知らないのでしょうか。
(それを“悪い”と言うのかも知れませんが)


この日歩くコースは、清水寺→八坂神社→円山公園→
知恩院→平安神宮とめぐり、そこから地下鉄とJRを乗り継ぎ、
宿泊ホテルのある大津へと行く予定でした。

天気予報では、今日、明日は雨模様といわれていたが、
曇ってはいたものの、雨の降る気配は、まだなかった。
四条から清水寺のある五条(南)へ向かって歩き、
「清水道」の矢印のあるところを左折。
そこから坂道を登って行くのだけれど、
これがものすごい人の数で、人ごみに押されながら、
ゾロゾロと「群集」の中を少しずつ進んでいく。
いやまぁ~、想像していた以上の人の数である。
で、やっとの思いで清水寺に着いた。

そして次は、いま来た四条方向へ引き返し、
八坂神社から円山公園へと歩く。
3人とも大きなリュックを担いでの歩きなので、
かなり疲れる。それでも、わが家の面々はよく歩く。

円山公園では沢山の人達が、桜の樹の下で宴会をしていた。

昼食の後、知恩院へ行って山門からの急な階段を上がり、
かなりの脚力を消耗したあと、次に平安神宮へ向かった。

これが結構距離があって、だいぶ歩かなければならない。
しかし、モミィは日頃から、なるべく歩かせているので、
「歩く力はクラスで一番」と言うだけあって平気な様子。
これだけは、なかなかのモノである。
平安神宮も、前には沢山店が出ていたり、
仮設舞台でイベントを展開していたり、
猿回しがいたりと、まあ賑やかなこと。

ようやくひと通りのウオーキングを終え、
地下鉄とJRで京都から滋賀県の大津へ。
人ごみが苦手な僕としてはホッと一息だ。

大津駅から、ホテルのシャトルバスが出ていて、
それを待っている時、ポツリポツリと雨が降り始めた。
この日の予定は全部消化したわけだから、
リュックの中に折り畳み傘3本を入れてきたが、
それを今日使わずに済んだのは、ラッキーだった。

大津のホテルの部屋から琵琶湖が一望できた。
「あれは海…?」と問う椛に、
「琵琶湖やがな。知ってるやろ、日本一の湖やで」
たぶん、琵琶湖をゆっくり眺めるのは初めてだったのだろう。

夜はホテルのバイキングで、例によって食べ過ぎてしまった。…が、
お風呂で計った体重は増えていなかった。沢山歩いたからだろうか。


そして翌日4月4日。
京都から奈良へ移動するだけなので、雨でも差し支えなかった。
天気予報どおり、朝は雨だったが、ホテルを出る頃には止み、
結局次の日も含め、幸運にも傘の出番は最後までなかった。

JR京都駅周辺には、地下街やお土産店などが一杯ある。
モミィと妻は、そこに入って、何やら小物を買っていた。
モミィは特に、こういうお土産物屋さんが好きなのだ。

昨日はさんざん歩いて疲れたので、
今日はこういう時間の過ごし方でいい。

京都から奈良は、近鉄電車で行った。
奈良ロイヤルホテルが、近鉄新大宮という駅の近くだったので。
こちらは昨日の京阪のような混雑はなく、ゆっくり座れた。
やはり、前日に沢山歩いたので、足がいささか重かった。
ホテルに早い目にチェックインしたあと、身軽になり、
そばに大きな「イトーヨーカドー」があったので、
そこへ歩いて行って遅いめの昼食をとったり、
お店の中を見て回ったりした。


3日目の4月5日は、この旅行で初めての晴天。
ホテルのバスで、JR奈良駅まで送ってもらい、
駅のコインロッカーに荷物を預け、またテクテク。

興福寺、春日大社から奈良公園、東大寺をぶらぶら。
椛は、大好きな鹿にせんべいを食べさせて喜んでいた。
いいお天気だったのでとても気持ちのいい散策となった。

観光客はもちろん多かったが、京都ほどではなかった。
ここでも、やはり京都と同様、満開の桜が見事だった。
あちこちの桜の木の下で、外国人客が写真を撮っていた。


この日は夕方に、椛が4月から通い始める英語塾の、
第1回目がある日なので、奈良駅近くで昼食をとったあと、
JRと近鉄線を乗り継ぎ、早いめの2時頃に家に到着した。

あぁ、やはり疲れましたね~
ひと仕事終って、やれやれ、という感じです。

 

 

 

 


 

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困ったトイレ

2016年03月22日 | 旅行

アルゼンチン旅行の話のおまけです。

ブエノスアイレスには、こんなトイレもありました。

かつてサッカーの高原選手も所属していたボカ・ジュニアーズ
のスタジアムがあるボカ地区の、一軒の店の中のトイレでした。


 

  

 

「位置」が高いので、僕などは背伸びしながら、
用を足さなければなりませんでした。トホホ。


今日はこれだけです。 ハイ、お粗末様でした

 

 

 

 

 

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懐かしのアルゼンチン

2016年03月20日 | 旅行

この2回、アルゼンチンから来たヒロユキたちのことを書きました。

先日のヒロユキとの会話の中で…

アルゼンチンは南半球ですから、日本の冬はあちらの夏ですよね。
だから、お正月も夏だしクリスマスも夏…ということになります。
「サンタクロースは雪の中を来るんではなかったの?」
と、僕はヒロユキに尋ねた。クリスマスはどう考えても冬だもんね。
サンタクロースは赤い外套を着てトナカイのソリに乗って来るのだ。
しかし、アルゼンチンは真夏なので、一体どんなサンタが来るのか?

「そうですね。普通の姿のサンタもいますけど…」…とヒロユキ。
「裸でサーフィンに乗ってやってくるサンタもいますね」

ふむ。やっぱり、真夏ですなぁ。
あんな厚着では、汗まみれになるのでは…と思います。
サンタがサーフィンでやって来るのも、南半球ならではですね(笑)


まあ、そんなこぼれ話でしたが、
やはり、ヒロユキやソルちゃんに会うたびに、
2009年9月のアルゼンチン旅行を懐かしく思い出します。

大阪から成田へ行き、米テキサス州ダラス行きに乗って…
(アルゼンチンへの直行便はありません)
成田からダラスまでの所要時間は約12時間。
そのダラス空港での待ち時間が約4時間。
そこからブエノスアイレスまで約10時間。
大阪を出発してから、ほぼ30時間かかりました。
なにせ地球の裏側ですから、それくらいは仕方ないかも。

このたび、パソコンでまた当時の写真を眺め直しました。

 

 
 南米だから、のんびりした街並み…と思っていましたが、
 車の数も多く、運転もみんな少々荒かったような…。

 

 
 ホテルの窓から見た街の様子。おしゃれで近代的な建物が並んでいます。
 (ブエノスアイレスは“南米のパリ”とも呼ばれているそうです)



 
  ソルちゃんと。ブエノスアイレスの街角にて。

 


 
 アルゼンチンの英雄、マラドーナのそっくりさんがいた。

  

 
 アルゼンチンはお肉の国でもあります。料理は豪快そのもの。
 (ヒロユキが案内してくれたお肉の店。右は義姉です。

 

 
 典型的なアルゼンチン肉料理。
 牛、豚その他の動物の肉のいろいろな部位が焼かれて出てくる。 
 一片、一片が、とても大きい。
 ソーセージも特大で、中に「血のソーセージ」というのもあった。
 入っている器が深いので、実際は見た以上に沢山入っている。



 
 ヒロユキがシェフとして働くレストランを訪れると、
 店の人たちが総出で大歓迎してくれた。
 

 


 
 アルゼンチンタンゴのショーを見に行った時。
 店の人が撮ってくれました。右が妻で奥が義姉です。


 
 アルゼンチンタンゴ・ショー。
 ちょっぴりセクシーで、見ていて気持ちがウキウキします。

 


 
 ブエノスアイレスから飛行機に乗り、ブラジルとの国境にある、
 イグアスの滝を見に行きました。この日、ヒロユキたちは仕事。
 行ったのは僕と妻と義姉の3人で、少し不安もあった旅でしたが、
 圧倒的な滝の迫力に魅了されました。
 (ここは“悪魔の喉笛”と呼ばれるイグアスのメインスポットです)
 なお、滝の向こうの左側の陸地は、ブラジルです。

 


 
   多くの見物客で賑わう“悪魔の喉笛”

 


 
  イグアスの滝は、ビクトリアの滝、ナイアガラの滝と並んで、
  世界三大瀑布のひとつとされています。



そういうわけで、この旅行から帰ってきたのが9月末。

そしてそれから1週間も経たないうちに、
7年後の2016年の夏季オリンピック開催都市が、
ブラジルのリオジャネイロに決定したと報じられた。
南米で初のオリンピック開催というビッグニュースだ。

初めて南米へ旅行して、帰国後すぐこのニュースが入り、
「そ~か。7年後には南米でオリンピックがあるのか…」
と、何か感慨深いものがあった。

その「7年後」が、もうあと4ヵ月余りとなった。
月日の経つのって、本当に早いですね。


ちなみにこの時、近くに住んでいたモミィは3歳だった。
毎日のようにわが家に遊びに来ていたモミィだったけれど、
大好きだった妻がいなかったので、寂しがっていたそうだ。
僕たちが帰宅すると、モミィは待ちかねて家にやってきて、
妻に抱きつこうと猛ダッシュし、敷居につまづきドスンと転んだ。
そんな光景も、今では懐かしく思い出されます。

 

 

 

 

 

 

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ウフィツィ美術館で

2016年02月20日 | 旅行

ウフィツィ美術館は、イタリアルネサンス絵画で有名な美術館で、
近代式の美術館としては、ヨーロッパ最古のものの一つだそうだ。
イタリア国内の美術館でも、収蔵品の質、量ともに最大だという。

メディチ家歴代の美術コレクションを収蔵する美術館で
古代ギリシアや古代ローマ時代の彫刻から、
ボッティチェッリ、レオナルド・ダ・ヴィンチ、
ミケランジェロ、ラファエロらの絵画を中心に、
展示物は約2,500点にのぼる…とガイドブックに書かれていた。

で、僕はこういう「世界の絵画」というものに詳しいのかというと、
そうでもない。これまでの海外旅行先には有名な美術館も多かった。
そこへ入っても、ほとんどの人が知っているような絵しか知らない…
…という程度だということを、念のため申し上げておきたいわけで。
でも、絵画を鑑賞すること自体は、とても好きです~


さてウフィツィ美術館の中は、夕方だったせいか、人も少なくなっていた。
建物の3階に美術館があり、長い廊下に出る。
その廊下に沿って、展示室が並んでいた。

美術館に入ったところに、古代ギリシャ・ローマ時代の彫刻が並び、
そして展示室が続いているのだけれど、第1室から第40数室まである。

前半が早期ルネサンス、中盤が盛期ルネサンス、後半が後期ルネサンス…
という具合になっているそうである。

その中に「ボッティチェリの部屋」というのがあって、
そこでお目当ての「ヴィーナスの誕生」を見たときは、

やはり、昔からその写真を見てきただけに、感慨深かった。


 

 

他にボッティチェリの作品は、現在東京で開かれている展覧会で、
目玉作品となっている「アペレスの誹謗」をはじめ、いろいろあった。 


 
  「アペレスの誹謗」(ラ・カルンニア)

 

 
  「春」(プリマヴェーラ) 
  ボッティチェリでは「ヴィーナスの誕生」と並ぶ有名な作品です。

 

   

          「柘榴の聖母」


 
 「東方三博士の礼拝」 
  ボッティチェリ初期の傑作と言われています。  

 

もちろん、ボッティチェリの作品以外にも注目すべき絵は多くあります。 
 

 
  レオナルド・ダ・ヴィンチの「受胎告知」。
  聖母マリアが、神の子イエスを宿したことを、
  天使ガブリエルから告知される有名な絵ですね。

ところで、レオナルド・ダ・ヴィンチが
フィレンツェの生まれとだったは…
この旅行で初めて知ったことでした。
 


    
       「キリストの洗礼」
   ダ・ヴィンチと ヴェロッキオの合作と言われています。


そのほかにも、ウフィツィ美術館で必見…と言われる作品は… 


 
  ミケランジェロの「聖家族」 


   
    ラファエロの「ひわの聖母」 


 
  ティツィアーノ「ウルビーノのヴィーナス」


などがあります。

僕がもう少し絵画に造詣が深ければ、
もっと詳しくご紹介できたのですが、
これが精一杯です。あしからず。

  


 

 …というわけで、ウフィツィ美術館を出たら、
外はすっかり暗くなっていました。
2005年 <平成17年> 1月 )

ちなみに、この年の10月にモミィが誕生しました。

「ヴィーナスの誕生」です…なんちゃって。

(いくらなんでも、言い過ぎでっせ)


  

 

 

 

 

 

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フィレンツェの思い出 

2016年02月17日 | 旅行

イタリア・ルネサンスを代表する画家、ボティチェリの絵画展が、
東京の美術館で開催されていることを、先日の新聞で知りました。
ボティチェリの「日本初の大回顧展」と銘打たれていました。
日本イタリア国交150周年記念の催し…とのこと。

ボティチェリと言えば「ヴィーナスの誕生」が有名ですね  


 


学校の美術の教科書でもこの絵が出ていて、よく覚えています。
東京でのボティチェリ展にはその絵は来ていなかったようですが、
「代表作」と新聞で紹介されていた「アペレスの誹謗」というのは、
イタリア・フィレンツェのウフィツィ美術館で見たことがあります。
もちろん、その時に「ヴィーナスの誕生」も見ました。

新聞記事を読みながら、そのフィレンツェ旅行のことが思い出されました。

 ………………………………………………………………………………

フィレンツェに夫婦で旅行したのは、11年前のことになる。
行先はフィレンツェのみ。往復の飛行機とホテルだけの予約。
そんな個人旅行だった。
これまでのブログにも書いたことがあるけれど、
旅の初日、フランクフルトでフィレンツェ行きの飛行機に乗り換え、
夜にフィレンツェ空港に着いて、タクシーでホテルへ行こうとしたら、
運転手が、きょとんとした顔で、
「フィレンツェのホテルだって? だんな、ここはボローニャですぜ」
と言ったときには、ひっくり返りそうになった。

「えぇ?」と事情を聴いてみると、フィレンツェは濃霧で着陸できず、
そこから100キロ以上も離れたボローニャ空港に着陸した…というのだ。
つまり、いま僕たちがいるところは、フィレンツェではなかったのだ。
機内放送がされていたようだが、そんなことは何も知らないままだった。

空港に着いて、周囲はやたら携帯電話をしているのが目についたけれど、
日本人は一人もいないし、何が起きたのか、全然わからないままに、
空港出口のタクシーでフィレンツェ駅前のホテルへ行こうとしたわけ。

まさにアッと驚く展開で、そのあと習いたてのイタリア語で四苦八苦しつつ、
何とか列車の駅へ行き、特急列車に乗ってどうにかフィレンツェに着けた…
…という、まったく思いも寄らぬ滑り出しになった旅行だった。

しかしまぁ、苦労した甲斐は十分にあり、
フィレンツェの街はとても素敵だった。


フィレンツェに着いた翌日、バスでシエナという街を見に行ったあと、
午後から、フィレンツェの中心となるドゥオモ周辺をぶらぶら歩いた。

昼食に入った店で、パスタを注文した時のこと。
妻も僕も同じパスタを注文したのだけれど、店のお姉さんは、
「ここにはいろんなパスタがあるのだから、2種類注文してよ」
と、勝手に別々の種類のパスタを持ってきた。なんとまぁ強引な(笑)。

パスタでお腹がいっぱいになったところで、街の中を歩いた。
すぐにドゥオモが見えてきた。
洗礼堂、ドゥオモ、ジョットの鐘楼などが並ぶ光景は絵に描いたようだ。
壮麗、華美、圧巻。こちらの身が、すくんでしまいそうだった。

 


 
  ドゥオモ(大聖堂)を背景に。


 
  カルツァイウォーリーはフィレンツェで最も賑やかな通り。

 

そこから、カルツァイウォーリーという通りを歩くと、
シニョリーア広場というところに出た。
映画「眺めのいい部屋」で、女の主人公がこの広場で、
いろいろな出来事に遭遇するシーンは、とても印象的だったな~

そこには彫像が並び、中にはミケランジェロ作のダヴィデ像もあった。
これはレプリカで、本物はこの近くのアカデミア美術館というところにある。

実はこのダヴィデ像は、今は美術館の中に置かれているけれど、
これが完成した時、どこに置くかが議論になりいろんな意見が出た。
その結果、このシニョーリア広場に面したヴェッキオ宮の、
正面入り口の脇に置く…ということに決まったそうである。
つまり、いま、このレプリカがあるところに本物があったのだ。



 
  シニョーリア広場からヴェッキオ宮を見る。
  建物の前にいくつかの彫像が並んでいる。

 

    
    その中にダヴィデ像(レプリカ)があった。
    元々、ここに本物の像があったそうだ。


さて、そのシニョーリア広場のヴェッキオ宮の、

奥のほうに行くと、有名なウフィツィ美術館があった。
冒頭のボティチェリの「ヴィーナスの誕生」などがある美術館だ。
メディチ家の収蔵品をもととし、ルネサンス絵画の宝庫と言われ、
フィレンツェに来たからには、必ずここへ入らなければならない。

しかし美術館は、どこが入口かわからないほど長蛇の列だった。
(ただし、団体客は並ぶことなく、別の入口から入って行った)

この時期は、わりに観光客の閑散期で、どこも空いていた。
しかし、さすがにここだけは多くの人が並んでいた。
たぶんこれでもまだ少ないほうかも知れないけれど、
午前中に、シエナの街を歩き回って疲れていたので、
ここでこれだけの列に並ぶ元気は残っていなかった。
また明日か明後日に来たらええわ…。

そう言いながら、僕たちはウフィーツィをあとにして、また歩いた。


 
  ウフィーツィ美術館には、長蛇の列が…
  

そして近くのドゥオモ付属美術館を覗いたら、ガラ空きだったので入った。
ここは「聖母子像が必見」…とガイドブックに書かれてあった。


  
  聖母子像の前で。撮影禁止の札は見えなかったので、パチリ。


ドゥオモ付属美術館を出て、次はアカデミア美術館へ行った。
どれも近くにあるので、歩いてもすぐである。

このアカデミア美術館で、いよいよ本物のダヴィデ像が見られる。
胸ワクワクで、ガイドブックの地図を眺めながら、テクテク。

そして、入口で一人8ユーロの入場料を払って美術館に入った。
ここも見学客は少なかった。とにかく、ダヴィデ像を見なければ…
館内を足早に歩いて行くと、向こうの方に凛々しく立つ像が見えた。
これぞ小学生の時から写真で見ていたダヴィデ像の「ほんまもん」だ。
ミケランジェロという名前も、中学校の美術の時間で覚えた。
周囲には僕と妻のほか誰もおらず、シーンと静まり返っていた。
ルーブル美術館にあるミロのヴィーナスは、4回見たけれど、
いつもそこは人だかりだった。しかし、今、ここは誰もいない。
僕と妻とダヴィデとの“3人きり“でありました~♪ 


  
   残念ながら撮影禁止だったので、
   ネットの写真を載せます。
   僕たちが行った時、ダヴィデさんは、
   一人ポツンと寂しそうに立っていました(笑)。
 


さて、そうこうしているうちに夕方近くになった。

僕たちはホテルに戻ろうと、来た道を引き返して行ったら、
ウフィツィ美術館に並んでいた人の列が、全くなくなっていた。
思わぬチャンス到来である。もちろん僕たちは、入口へと急いだ。

そして、他に誰もお客のいない窓口で、
一人9.5ユーロを支払って中に入った。

憧れの「ヴィーナスの誕生」に会えるのが、とても楽しみだった。

 

 

 

 

 

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南京町やら姫路城やら

2016年01月11日 | 旅行

  
            神戸・南京町(資料写真)

 

1月4日から6日まで、神戸・姫路方面へ2泊3日の小旅行をした。

1日目は須磨、2日目は明石大橋のすぐ横にある舞子に宿泊。
年末年始の休暇が終わった時から出発した旅行だったけれど、
まだ学校が冬休み中ということもあり、どこも賑わっていた。


 

この地図で言うと、1日目は神戸市中央区にある南京町を歩き、
そして須磨区の海辺にあるシーパル須磨というところで泊まった。
2日目はそこから姫路まで行き、姫路城へ行ったあと、
また列車で戻り、神戸市垂水区の舞子ビラというホテルに泊まった。
このホテルはちょうど明石大橋が真横に見え、過去に何回か来た。
そして3日目は大阪に戻って、梅田~難波の心斎橋筋などを歩き、
まだまだお正月気分で賑わう繁華街の雰囲気を味わってきました。

 

 
南京町は、ほとんどの店に、人がズラ~っと並んでいる。
が、不思議なことに他の観光地に比べて中国人は少なく、
大半が日本人だった。南京町だというのに、なんで…?
(まぁ日本にまで来て、中華街に来ることもないか)
 


 
 この「老祥記」という店にはものすごい数の行列が。
 「元祖・肉まん、中華まん」という店だそうである。
 もちろん、長い行列が苦手の僕は並んでいませ~ん。


 
 ここでラーメン(左側)と肉まん(右側)を買いました。

 

  
モミィの食欲は旺盛で、この日は、ラーメン、肉まんのほか、
シューマイと、デザートにシュークリームまで買って食べていました。


南京町で食べ歩きしたあと、三宮センター街を歩いてJR三宮駅へ戻り、
そこから須磨まで行き、駅から海岸の遊歩道を、宿泊所まで歩きました。

一昨年、海水浴に来た時には人でごった返していた砂浜は、人影もなく… 

 

 

  
この日泊まったのは神戸市立の国民宿舎シーパル須磨。
海水浴にピッタリの宿ですが、夏は予約殺到でしょうね。

 
 
   部屋のベランダからの海辺の風景。

夜、食事を終え、風もなかったので外へ歩きに出ました。
道路を約15分ぐらい歩くと、須磨の水族館に出ました。
昔々、息子たちを連れてこの水族館へ来たことが懐かしいです。

 

 

翌日、須磨駅から快速に乗り、加古川で新快速に乗り換えて姫路まで。
姫路駅の構内の観光案内所に入り、姫路城のパンフなどを見ていると、
女性がやってきて「観光でございますか?」と尋ねたのでうなずくと、
そのあと、姫路城の見どころなどを詳しく説明してくれ、
「その横の好古園というところへも、ぜひ行ってください」
と、教えてくれました。とても美しい庭園とのこと。


駅から出ると、メインストリートの真正面にお城が見えました。


 

パンフレットによると、姫路城は1993(平成5)年に、
日本初の世界文化遺産に登録され、2009年に大修理工事が始まり、
去年の3月に修理を終えてグランドオープンしたそうです。


 


 

姫路城は「白漆喰総塗籠」が特徴だとのことですが、
白が目立ちすぎて、見た目が平面的で、絵に描いたみたいな感じ。
空が青空ではなく、灰色の空だったので余計にそう見えたのかも。
身びいきなんでしょうけど、大阪城の方が濃淡がはっきりしていて、
外見に関しては立派だなぁ、と感じました。

姫路城ファンの方、すみませ~ん。


姫路城の隣にある好古園。これもパンフレットから抜粋すると、
「過去の発掘調査で確認された西お屋敷跡、武家屋敷跡、通路跡など
9つの趣の異なった庭園群で構成された」というものだそうです。

 

 
 お城に比べ、人影も少なく、落ち着いた雰囲気が漂います。


 
  
この通路は、映画のロケにも使われているそうです。


で、姫路からまた電車に乗って舞子まで戻りました。
この日は「シーサイドホテル舞子ビラ」で泊まりました。

  
   「舞子ビラ」と明石大橋(資料写真)

 

 
  ホテルの部屋から、明石大橋と淡路島が見えます。


ということで、最後の3日目は、さすがに疲れましたね~
ゆっくり朝食バイキングを食べてチェックアウトし、舞子駅へ。
今日は何の予定もなく帰るだけ…というのが、うれしいです。

大阪へ着き、いいお天気だったので、大阪駅から御堂筋を歩き、
中の島を経て心斎橋筋に入り、難波の千日前へと歩きました。
ホテルの朝のバイキングで食べ過ぎたおなかを、
歩くことで少しでも減らそうという作戦でした(笑)

そして無事にその作戦も功を奏し、千日前で美味しくお昼を食べました。

 

  

なぜか人気のあるグリコの看板です。

難波で一番人が多い戎橋筋商店街と道頓堀の2つが交差する場所にあり、
みんなこうして、看板と同じポーズをして写真を撮っています。

モミィも、明るく元気な1年を送れますように、
との願いを込めて、はい、ポーズ。

 

 

   

 
 

 

 

 

 

 

  

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恐怖の パリ同時多発テロ

2015年11月15日 | 旅行

パリで、身の毛もよだつ恐ろしい事件が起きた。

コンサートホールやサッカー場などで「同時多発テロ事件」が起きて120人以上の人たちが死亡したという。パリはかつて「花の都」ではなかったのか。今年1月にもイスラムを風刺した新聞社などをイスラム過激派が襲撃した事件があったばかり。今回、またもイスラム過激派→「イスラム国」による犯行であると見られている。もう「花の都」や「文化・芸術の華やかな街」のイメージは影が薄れ、テロ集団が跳梁跋扈する危うい都市となりつつある。


初めてパリへ行った時(1994年)の印象は、大方の人がそうであるように、言葉で表せないほど素晴らしいものだった。その時は、大阪府内の自治体職員の合同研修会でヨーロッパを訪れたのだったが、こんなに見所が多くエレガントな街は見たことがなかった。ぜひ妻にも見せてあげたい…と思い、翌年の10月、2人でパリへ個人旅行をした。しかし、今になって思えば、当時からパリはイスラム過激派に脅かされており、決して安全な街ではなかったのである。

僕たちが行く数ヶ月前、パリ市内の地下鉄サンミッシェル駅爆弾テロ事件というのが起き、10人が死亡。翌月にも同じ地下鉄で、凱旋門駅爆弾テロ事件が起きて、イスラム過激派が関与しているとされた。

僕たち夫婦がパリへ行ったのはその直後だった。

パリでの初日、街に出た時のことだ。地下鉄のモンパルナスの駅で降りて、そこから国鉄の駅までかなりの距離があるのだが、そこを歩いて行くと、防弾装備姿で自動小銃を持った治安部隊の隊員たちがズラ~っと並んで立っていたのが今も目に焼きついている。日本では決して見ることのない「厳戒態勢」という雰囲気で、足がすくむほどだった。

爆発物を仕掛られるのを防ぐため、その時のパリ市内のゴミ箱はすべて撤去されていて、あちらこちらの道端にゴミが散らかっていたのも、忘れられない。

幸い、僕たちが滞在している間は何事もなかったけれど、今回のテロ事件の報道に接して、20年前の旅行での厳戒態勢のことを思い出したわけである。


パリへはその後にも、1999年と2009年の2度行っているけれど、その時はそういう空気は感じられなかったように思うのだが、そんな単純なものではなく、今回こんなフランス史上最悪のテロ事件が起きた。どうもイスラムがらみの国際情勢というのは、日本人にはなかなか把握しにくいところがある。

さて、これからパリへ旅行しようと計画している人は大変だなぁと思う。一部のツアーは中止になっているそうだが、飛行機自体は飛んでいるので、個人旅行の人は、判断に苦しむところだろうなぁ。僕だったらどうするかな…?と考える。う~ん、やはり今回はやめておくだろうなぁ。


こうして「イスラム国」のテロがどんどんエスカレートしてくると、もう安全な国というものが地球上から消えてしまうことになる。日本も、今後十分に気をつけなければならないと思う。(どう気をつければいいのか、わからないけど)


それにしても、この同時多発テロが起きたのは、パリ現地時間で13日の金曜日だった。

この日に犯行が行われたのは、何か意味があるのだろうか…?

それとも単なる偶然なのだろうか…?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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アムステルダムでびっくり

2015年10月17日 | 旅行

終わったことをくどくど言いたくはないのですが…

プロ野球セ・リーグのクライマックス・シリーズ。
せっかく第1戦に勝った巨人なのに、その後が悪過ぎた。

第2戦、そして昨日の第3戦、ともに0点で敗れている。
点を1点も取れないのだから、勝てるわけありまへんわ。

何度もチャンスをつかみながら、チグハグな攻撃で自滅。
昨日もどれだけチグハグがあったことか。
その象徴的なのが2点を追う最終回だった。

無死1、2塁でバッターは5番長野。
バンドで送って一死2、3塁にするのが普通だ。
マウンド上のバーネットもイライラした様子だった。
しかし、ベンチの指示だろうが、長野は強振し、そして、
内野ゴロでダブルプレー…。あっという間に二死になった。
これでバーネットも立ち直り、次打者を3球三振に取って試合終了。

原監督の采配も、理解できない。
もう今日負ければ万事休す…である。
昨日の試合を見ていたら、運もヤクルトに味方している。
どうも、今日で決まりそうだ。もうテレビは見ないぞ~

と、今日は野球の話題には触れずにおこうと思いながら、
…ついまた書いてしまいました。でも、もう書かない。


ほかに何か楽しい話題はないか…と思ったので、
オランダでのちょっとした体験談を書くことにします。


海外旅行の際に、よく早朝ジョギングをしたものです。
ヨーロッパで初めて訪れた国はオランダでした。
オランダのアムステルダムが、初めての街でした。
(むっ…今「編む捨てるダム」って変換されたぞ)

宿泊したのは「ホテルオークラ編む捨てるダム」でした。
(もうええっちゅうねん!)


滞在して少し慣れてきた3日目の朝。
5時半から街へジョギングに出た。
街はまだ、ひっそりとしていた。

アムステルダム駅までの往復を走ろうということにした。
地図で確認したとおり、ホテルからまっすぐ北へ走った。
そしてだいたいの見当をつけて左折してまた走ると、
王宮のあるダム広場に出た。ここは前日訪れている。
アムステルダムでもナンバーワンの観光地である。

ダム広場から直進して突き当たりに大きな駅があった。
それがアムステルダム中央駅だった。
早朝だったので、ここも人影はほとんどなかった。

僕は駅に入り、走るのをやめてテクテク歩き始めた。
キオスクのような売店もあり、店の人が準備をしていた。

また駅の中をテクテク歩いた。大きな駅である。

なかなか改札口が見えない。

とにかく、改札口まで歩いてみよう…
…と思いながらテクテク。
すると、何とまあ、いきなりホームに出てしまった。
「ぎょぎょっ。なんでやねん?」
改札口もなしに、いきなりホームだなんて。

何しろ初めてのヨーロッパ体験だったので、
このときは、僕はまだ知らなかったけれど、
ヨーロッパの鉄道には改札口のない駅が多いのだ。

そんなこととは露知らず、
僕はアムステルダム駅のホームで、
「はぁ…?」と思いながら、立ち尽くしていたのでした。

これならタダ乗りする人間もいるのでは…
な~んて、つい思ってしまいますよね。

しかし…
乗車券を持たずに列車に乗ることはむろんダメである。
改札がなくても、ちゃんと乗車券を買って列車に乗る。

車掌さんが検札に来たとき、乗車券を持っていなければ、
どんな理由であろうとすごく高い罰金を払うことになる。
お金を持っていなくて、その場で払うことが出来なければ、
場合によっては警察に連行されて拘置所に入れられる…
…ということも、あるそうである。

その後、ヨーロッパ各地の列車に乗ったけれど、
やはり改札のないところが多かったですね~

海外というのは、日本の常識では測れないことが沢山ある…
ということを最初に実感したのがアムステルダム駅でした。

それと…関係ありませんが、オランダと言えば、
○○ニンゲンという地名が数多くあります。

たとえば、グローニンゲンという地名がありますが、
スケベニンゲンという街も存在します(割に有名です)。

スケベニンゲンねぇ…

そのほか、聞くところによると…
エロニンゲンとかバカニンゲンという地名もあるそうです。

いえ、まぁ、だからどう…ということはないのですけど…。

  

 

*ご参考までに写真を掲載します。
 3枚ともネットから拝借した写真です。

 
  アムステルダム中央駅。
  
僕が行った時は早朝だったので、
  この写真のようには賑わっていませんでした。
 

 
 駅の
入り口からホームまでスト~ンと行ってしまいました。
 
ホントにびっくりしました。


 
 
アムステルダムの中心地で、多くの観光客が訪れるダム広場。

 

 

 

 

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温泉の男湯に女性が…!

2015年09月01日 | 旅行

今日のお話は、加太のホテルの温泉で起きた「ハプニング」です。

5時過ぎに起きた僕は、早朝から開いている大浴場へ行った。

ご存知のように、ホテルの大浴場というのは、
たいてい男湯のほうが、女湯よりも大きい。

そして、夜はそうなのだが、翌朝になると男と女が入れ替わる。
昨晩は男湯だったのが女湯に、女湯だったのが男湯に替わる。
「男湯」の暖簾と「女湯」の暖簾をかけ替えるのである

加太のホテルでもそういうシステムになっていた。

朝、いそいそとタオルを持って大浴場の前まで行くと、
昨夕は右側にあった男湯が、左側に替わっていた。

                   

      

こんなふうに、朝は、暖簾が左右入れ替わっていたわけで…


むろん僕は左側の男湯に入る。
入ってから、ふと不安になり、
もう一度戸を開けて暖簾を確認した。
間違いなく「男湯」だったので安心。

この「確認」が、そのあと起きたハプニングに役立った。


お風呂には、他のお客さんの姿はなかった。
一人、海を展望する露天風呂などに浸かりながら、
温泉気分を満喫したあと、脱衣場で浴衣を着た。

まだ、他のお客さんの姿は見えない。ずっと僕一人である。
ドライヤーを当て終わり、さて出ようとしたその時…。

ガラリっと戸が開き、ひとりのお客さんが入ってきた。
入ってきたのは、なんと、40歳前後の女性であった!

出口に行きかけていた僕は、女性と向かい合う形になり、
あっ…と声を出しかけたが、その前に、女性のほうが、
「何…?」と声を上げ、眉をひそめ、表情を曇らせた。

 まるで、僕が女湯に侵入しているような目付きである。

 しかし、ここが男湯であることを確信していた僕は、
「女湯は隣ですよ。昨日の晩とは反対になってます」

そう言ったら女性は眉をひそめたまま、無言で出て行った。

昨日入った女湯が左側だったので、
暖簾を確認せず、入って来たのだろう。


しかし、もしも…。 …もしも…ですよ。

僕がひとりで露天風呂に浸かっていた時に、
この女性が裸で入ってきたらどうなったか?

おそらく「きゃぁ~」と叫ばれていたのではないか。

あるいは、この女性が先に中で体などを洗っているときに、
あとから僕が入ってきたら、やっぱり「きゃぁ~」であろう。

 たまたま、僕が風呂から出たとき、
(それもちゃんと浴衣を着た後だった)
その女性が入ってきたからよかったものの、
その時間がどちらかにズレていたら…と思うとね~


みなさん。 ホテルの大浴場に入るときには、
男湯と女湯の暖簾をちゃんと見分けて入りましょう(笑)

 

 

 

 

 

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みさき公園から和歌山城へ

2015年08月31日 | 旅行


旅行の2日目は、みさき公園に行くことにした。
「プールランド」という人気のプールがあるそうだ。

またホテルの車で加太駅まで送ってもらい、和歌山市駅で、
南海本線に乗り換えて、すぐにみさき公園駅に到着した。

 

 
 前回の地図で言うと、黒い矢印マークのあたりが
 みさき公園です。加太からそう遠くありませんが、
 ここは和歌山県ではなく大阪府の南の端っこです

 

  


今日も晴れ渡ったお天気だったが、どこへ行っても人影は少ない。

みさき公園でも、駅から降りた人たちは、そう多くなかった。
数人、大きな浮き輪を抱えた子どもたちが目立った程度だった。

 

 

 
ほとんどのお客さんは、遊園地ではなくプールをめざす。


 
  
    僕たちも、まずプールランドへ

   

外には人影は少なかったが、さすがにプールに入ると人は多かった。
モミィも、昨日の海水浴より、今日のプールのほうが楽しそうだった。


↑ この写真はHPからの写真です。超満員ですが、
  僕らが行った時は、この半分ぐらいの人でした。


みさき公園にはプール以外にも、動物園や遊園地がある。

しかし、プールから出て、園内を歩いてみると、
まるで異次元の世界へ来たように、人が少ない。

 


  
   後ろの像は本物ではありませんが…

 


   
    このキリンは本物です。

 

さて、みさき公園を後にして、また電車で和歌山市駅へ戻り、
改札を出て、約1キロ先の和歌山城まで歩いて行くことにした。

これまで和歌山県といえば白浜ばっかりだった。
…で、和歌山市街というのはほとんど知らない。

今回はいちおうここへ来たのだから、徳川吉宗ゆかりの
和歌山城ぐらいは、モミィに見せておかなければね~

 

 

 

  
 和歌山城のほうへ歩いて行く、こんなのが建っていた。

 

 
  和歌山城は、思っていたよりも高いところに…。


そしてまた和歌山市駅から加太線に乗って終点の加太まで。

例によって、前もって電話をしていたので、お迎えが来た。

ホテルに戻るとホッとする。そして大浴場へ行って温泉に浸かる。
部屋に戻って、自販機で買った缶チューハイを飲みながら、
テレビのニュースを見ながら夕食を待つのは至福の時間だ。

そして、夕食でまたまた満腹になり、部屋に戻り、テレビを見る。

家でテレビばかり見ていると、
「こんなことをしていて、いいのだろうか?」
…と、ふと自責の念に駆られる時もあるが、
こういう状態ではそんな気持ちも湧かないし、
これが「気楽に過ごせる」というものだろう。

心配した心房細動も、ほぼ出ることがなく、
十分に楽しめた旅行だったなぁ…と思いながら布団に寝転ぶ。


…ということで、翌29日は昼頃、難波に着き、
なんばCITYのイタリア料理店で昼食を取り、
(ここでもまたお腹一杯食べてしまった…)

そのあたりをウロウロした後、帰途についた。

夕方に帰宅したまさにその時、急に暗くなって、
ザザーっと激しい音を立てて、雨が降ってきた。

 

 

 

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夏の終わりの海水浴 ~加太へ~

2015年08月30日 | 旅行

台風に祟られて、24日からの石垣島旅行は中止になったが、
それでもモミィは、泊りがけで海へ行きたい…というので、
近場の和歌山県・加太という海水浴場のある場所へ出かけた。

ここにはちょっとゴージャスなホテルがあり、温泉もある。

 


南海電車の特急「サザン」で行けば難波から和歌山まで1時間。
和歌山から南海加太線に乗り換えて終点の加太まで25分である。
2泊3日ぐらいでいいだろう、と加太のホテルを申し込んだ。

この加太の海水浴場は、わが家にとっては記念すべき場所だった。
2人の息子が幼い頃、生まれて初めての海水浴がこの加太だった。

僕らがその加太へ行くのは、それ以来のことになる。
当時は人の群れでごったがえしていたような記憶がある。


特急「サザン」は駅ホームの自販機で座席指定券が買える。
全8両のうち、半分の4両が指定車で、クロスシートだ。
あとの4両は自由席で、通勤電車風の座席である。

せっかくだから1人500円の座席指定券3枚を買って乗ったら、
ひとつの車両に乗客は7、8人で、ガラガラであった。
ガラガラなのに、僕の隣に背広を来たおっちゃんが座った。
どうもねぇ。知らぬ人と隣同士というのはリラックスしにくい。
ほとんど誰も座っていない車両なのに…指定券は融通がきかない。


ウトウトと居眠りをしながら電車に揺られ和歌山市駅に着いた。
そこから、南海加太線に乗り換えた。
2両編成の、ローカル線を絵に描いたような電車である。

沿線の風景も、どんどん変わって行き、民家が少なくなる。
観光客らしき姿はどこにもなく、周囲は地元の人ばかりだ。

その前日、ホテルから電話があり、
「和歌山市駅から電話をいただいたら、加太駅までお迎えにあがります」
ということだったので、和歌山市駅から、
「何時何分の電車に乗ります」と電話をした。

加太の駅に着いたら、車で迎えに来てくれていた。

 

  
   加太駅。左側に僕たちの泊まるホテルの看板があった。

時間はまだお昼にもなっていなかったので、
ホテルに着いても、大きな荷物だけを預け、
そのまま外に出て、海水浴場まで歩いた。


この日は8月27日だから、夏休みも終わりに近い。
中には24日から学校が始まっているところもある。
そのせいか、海水浴場の人影は、まばらだった。

息子たちを連れてきたあの時と、まったく様子が違う。

しかしいいお天気で、波も穏やかで、絶好のコンディションだった。

「お土産、お食事処」に入っても、お客は僕たちだけ。
気の良さそうなおばあさんが一人で働いていた。
僕は缶ビールを自分で取り出して、飲んだ。

僕とモミィが海で遊んでいるとき、
妻はずっとこの店で座ってコーヒーを飲んだりしていたようだ。

ホテルに戻ると従業員の人が、海水浴場について
「お盆まではものすごい人だったんですよ」
と、今週から急に人が少なくなったと言っていた。

 

 
  人影まばらな加太海水浴場。夏の終わりを感じさせますね。

 

 
  
また、ぶらぶら歩いてホテルへ戻った。


さて、僕たちが泊まったの「海月」というホテルは、
PCの「ゆこゆこネット」というので申し込んだ。

夏休み中ということで「それなり」のお値段だった。

  http://www.yukoyuko.net/3024/plan/0051/

僕たちは「海幸を満喫会席・海側和室」というプランを頼んだ。
1泊あたり、大人が17,040円で子どもが11,928円。
2泊なので、レストランのビール代とか諸々を含めると、
総額で10万円ぐらいの額になる。

しかしそれでも石垣島旅行の半分にもならないし、
サービスもよく、温泉もよかったし、
何より食事が豪華だった。

しかし、あまりにも量が多すぎて、全部食べきれないほどだ。
最後に釜に入っていた鯛めしを、無理矢理お腹の中に入れた。
当日の夜→翌日の朝と夜→最終日の朝…とそんな食事が続くと、
ビールも普段以上に飲んだこともあり、家に帰って体重を測ると、
なんと、わずか3日の間で…3キロ増。
ここ数十年、見たことのないような数字が体重計に出た。ぎゃぁ~!

 

 
  ホテルの部屋からの風景。近くに友が島が見え、
  その向こうに淡路島、さらに四国徳島がうっすらと見えた。

 

   
    ホテルのロビーで。


では、この続きはまた次回ということで…

 

 

 

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