goo blog サービス終了のお知らせ 

 僕のほそ道   ~ のん日記 ~

  
これと言ったテーマはなく、話はバラバラです。 つい昔の思い出話が多くなるのは年のせい? 

「真田丸」の風景 ~真田丸顕彰碑~

2016年11月04日 | ウォーク・自転車

大河ドラマ「真田丸」の次回(11月6日)のタイトルは、
「築城」である。ついに来たか…という思いだ。

大坂城には、北と東と西側の3方に川が流れており、
徳川方としては、南側から攻めるしかなかった。

ご承知のとおり、
幸村はその弱点だった城の南側に
出城を作り、徳川方の侵攻を阻もうとしたのである。
これが真田丸であり、次回いよいよそれが築かれる。

先週、10月26日に、その真田丸ゆかりの地を歩いてきた。

去年の4月にも歩いて写真を撮ったのだが、その直後、
パソコンの不具合で保存した写真が全部消えてしまった。
ブログに載せようと思っていたのに情けないことだった。

…で、今回は2度目の「真田丸紀行」となったわけです。

ところが、今回もそのブログをアップしようとした直前に、
またもパソコンに不具合が起きた。これっていったい何…?

ま、そんなことは、どうでもいいですけど(笑)。

 

  

まず、この地図を見ていただきます(小さくてすみません)。

北に大坂城があり、ほぼ真ん中に「明星高」という学校があります。
この学校のグラウンドが、かつての真田丸の地だと言われています。

この日、僕は地図の一番南の天王寺から谷町筋を北へと歩きました。

地図の南側のほうを拡大しますと…


   

天王寺から、茶臼山や一心寺、そして幸村戦死の場となった安居神社
などのすぐ近くの地下鉄谷町線に沿って南北に延びる道が谷町筋です。
安居神社等へは帰りに寄ることにして、先に真田丸の地をめざします。
 


 
 今、大阪の街には、こんなポスターがあちらこちらに…。

真田信繁(幸村)公ゆかりの地へは、
大阪市営地下鉄・バスが便利です。
大阪市交通局

…と写真の下に書かれています。
(地下鉄天王寺駅付近で)

 

 
  では、天王寺から谷町筋を北へ歩き始めます。
  秋晴れのいいお天気でした。


 
 歩いていても空気がさわやかで、気持ちがいい。
 この辺は、とてもお寺が多いところです。

 

  

谷町九丁目から右へ行き、今度は上町筋を北上します。
このあたりは上町台地と呼ばれ、標高の高いところです。
大昔はこの台地の南を除く三方はすべて海だったそうで、
ここが、それだけ高い台地だったことがわかります。

上町筋をしばらく歩いた後、右へ入ります。
めざすは明星高(正式には明星学園)です。

途中に、こんな案内板がありました。

  

この矢印の方向に歩いて行くと…

ありました! 「真田丸顕彰碑」が。

ここが「真田丸」があったとされる場所です。

 

左側が明星学園のグラウンドで、
その脇にあるのが、真田丸の顕彰碑です。

この「真田丸顕彰碑」ですが…
去年ここを歩いた時は、影も形もなかったのに。

それもそのはず…
大河ドラマを記念して、今年に建立されたとのことです。

ご参考までに、その序幕式の様子を、
ネットで見つけた写真でご紹介します

 
 
これが今年の2月1日に行われた除幕式だそうです。
 

その顕彰碑を正面から見ますと…

 

できたてホヤホヤですから、ちょっときれい過ぎ?
この後方が、明星学園のグラウンドになっています。

さて、この碑には何が書かれているのか、
これもご参考までに、アップした写真を載せます。
横に長いので、2つに分けました。

    

            

  

 

顕彰碑を後にして歩き始め、振り向いて遠景を撮ってみました。
学園の校舎の壁の左側に真田幸村の大きな絵がかかっています。
日傘を差したご婦人が一人、顕彰碑の前に立っておられました。

  


この左側に、幸村と息子大助の菩提寺である心眼寺があり、
さらに、少し横へ入って行ったところに、

「大阪城への抜け穴」

で知られる三光神社があります。


次回は、それらの写真を掲載します。

 

 

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

太融寺の芭蕉の句碑

2016年10月25日 | ウォーク・自転車

前々回、太融寺の記事の中で、書き残していたことがありました。
同じ太融寺の境内に、芭蕉の句碑があったのです。
「おいおい、忘れるなよ」という声が聞えてきそうです(笑)

淀殿のお墓は、お寺の正門から入ってすぐ左に曲がり、
さらに左に曲がったところ…お寺の隅の方になるわけですが、
そういう場所に、お墓がひっそりと佇んでいるという印象でした。
案内の札がなければ、探しまわらなければならないでしょうね。

しかし、芭蕉の句碑は、まっすぐに本堂のほうへ行くと、
自然にそこに行きあたる…という目立つ場所にありました。


    
  しら菊の 目に立てて見る 塵もなし

白菊の花は心から純白で、
よく目をこらして見ても
一片の塵もない清らかさをもっている。

…と、解説書には書かれています。

この句は、芭蕉が元禄7年(1694年)9月29日に、
大阪の女流門弟の斯波園女(しば そのめ)の招待をうけて、
北浜にあったと言われる園女亭という所でよんだ句だそうです。
招待主の斯波園女という女性を、目の前にあった白菊に託し、
その清楚な人柄を讃えた句である…と、伝えられています。

この女性も、芭蕉に称賛され、
それが後世に残り、幸せですよね

この句が読まれた約2週間後(10月12日)、芭蕉は、
「終焉の地」で書いたように、南御堂で亡くなっています。

芭蕉にとっては、これが最後の句会となったわけです。

淀殿の墓を見るために行った太融寺で、
思いがけず芭蕉の句碑に出会えたことは幸運でした。

芭蕉の句碑は全国各地に数多く建てられていますし、
大阪府内にも数え切れないほどありますが、
やはり、こういう出会いは嬉しいものです。

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

淀殿の墓 ~太融寺~

2016年10月21日 | ウォーク・自転車

 

 
    NHK大河ドラマ「真田丸」の1シーン。
   淀殿(茶々)の、この言葉が印象的でした。


大阪駅の東側に阪急百貨店がある。

そこから東へ向いて扇町筋という道路が延びており、
そこを歩いて行くと、10分足らずのところに太融寺がある。
ここに淀殿のお墓があるということで、一度行きたいと思っていた。

ちょうどいい機会だった。

広い道路を歩いて行くと、やがて道の向こう側に太融寺が見えた。
こんな賑やかなビジネス街の中にお寺が建っているんだ。
しかもそこに、淀殿の墓があるとは

 
 太融寺が見えた。右側の筋に表門がある。

 

 
 ここです。ひっそりとした雰囲気でした。


そもそも、なぜ淀殿の墓が太融寺にあるのか…ということだが、

大坂夏の陣に敗れ自刃した淀君の遺骨は、
大阪城近くの鴫野(しぎの)神社というところに、
祠をつくって埋められたが、後に大阪城周辺に練兵場や軍需工場が
造られることになり、その際、遺骨がこの太融寺に移されたそうだ。
太融寺は、もともと豊臣家とは縁が深かったという。 

 

 
 中に入ると案内の立て札が…
 「真田丸」の影響で、観光客も多いのでしょうか。
 

 

 
 左へ曲がると、ありました!

 

   
その奥にお墓が…
最初は九輪の石塔を造り埋葬していたそうですが、
戦争で焼けたので、今は六輪になった…とのこと。

 

 

お墓のそばに藤見東陽という漢詩人の「弔碑」があります。

これだけでは僕などはまったく意味がわからないので、
その読み下し文を載せます。 

大坂の城樓(じょうろう)碧涯(へきがい)を壓(あっ)す
姉(いろね)は豊公の寵(ちょう)珠帷(しゅい)を縱(ほしいまま)にす
春花秋月(しゅんかしゅうげつ)君に依(よ)りて麗(うるわ)し
窈窕(ようちょう)嬋妍(せんけん)嗣(し)を抱(いだ)いて期(き)す
方廣(ほうこう)の鑄銘(ちゅうめい)姦智(かんち)の將(しょう)
紅蓮(ぐえん)の劫火(ごうか)憫憐(びんれん)の姫
今聞く鐘(かね)は愴(かな)し太融寺
墓石(ぼせき)香煙(こうえん)菊を供うるは誰(たれ)ぞや

むずかしいですけど、意味はぼんやりと分かるような気もします。

さて、大河ドラマ「真田丸」も、
いよいよ真田幸村が大阪城へ入城しましたね。
それが1614年の秋ですから、ここから冬の陣が始まり、
真田丸を築いて徳川勢を蹴散らすシーンなどが楽しみです。

そして翌年の5月7日、夏の陣で幸村は天王寺で戦死しますが、
その翌8日、大阪城が落城し、秀頼と淀殿は自害するのですね。

ドラマ「真田丸」の前回の放送の中で、
茶々と幸村が大阪城で再会するシーンがありました。

この2人は、以前、こういう会話を交わしていました。
幸村が大阪城を去る時、茶々がこう言ったのです。

「私と源次郎(幸村)は、不思議な糸で結ばれている気がします。
離れ離れになっても、あなたはいつかまた戻ってくる。
そして、私たちは同じ日に死ぬの」

そう言う茶々に、幸村は、
「遠い先であることを祈っております」
と返す。

そして先週は、2人が大阪城で再会したシーンで終わりました。

その後、幸村が戦死した翌日、大阪城が落城し、
淀殿は秀頼とともに自害した…

…ということで、
幸村と淀殿は、同じ日…ではなく、
1日違いで亡くなったわけですが…。

 

 

 

 

 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

御堂筋ウォーク 芭蕉終焉の地

2016年10月18日 | ウォーク・自転車

通天閣の下をくぐり抜けて、まっすぐ歩くと日本橋筋に出ます。
「でんでんタウン」と言われるように、電気店が並んでいます。
時間的に、人の数は少なかったですが…

 

「テレビゲーム館」には、
すでに開店を待つ人たちの行列が出来ていました。

 

そして日本橋筋から左折し、
さらに右折をすると千日前道具屋筋商店街に入ります。

  

ここは食品のサンプルや調理道具、
暖簾(のれん)など業務用の道具を扱う商店街です。

そこを抜けると、道が広くなって、なんばグランド花月の前に。

 

お客さんたちが入口に集まって記念写真を撮っていました。
玄関口に本日の出演者の名札がかかっており、そこには
中田カウス・ボタン、月亭八方、モンスターエンジン
中川家…などの名前が並んでいました。
僕はこの中では中川家が一番好きですけどね~

思えば子どもの頃、両親に連れられて、
よく「うめだ花月」や「なんば花月」へ行きました。
(今の「なんばグランド花月」の前身です)

中学生になったある日曜日に、父母が仕事に出ていたので、
一人で内緒で、うめだ花月へ行ったこともありました。
漫才や落語の好きな子どもだったんですね~
で、今もその影響が残っています(笑)

さて、そのまま歩くと道頓堀へ出ます。

  

 

 


道頓堀を右に曲がり、戎(えびす)橋をわたると心斎橋筋に出ます。

 

 
…と、まあ、ミナミの繁華街を歩いて、
心斎橋まで来た後、人が多くなってきたので、
すぐ横にある御堂筋に出て、梅田をめざしました。

 


御堂筋は、大阪の梅田から難波までの南北を貫く幹線道路ですが、

「御堂筋」という名称は、東西両本願寺別院の南御堂・北御堂が
この道路沿いに建っていることから名付けられたということです

その南御堂(東本願寺難波別院)のあたりに、
かつて花屋仁左衛門という人の屋敷があって、
ここが芭蕉の終焉の地となったということです。

資料によると、1694年(元禄7年)9月、
大阪に滞在していた芭蕉は、体調を崩し、
10月が近くなると、容態が悪化しはじめ、
10月12日、花屋仁左衛門という人の屋敷で、
51歳の生涯を終えたということです。

 僕が芭蕉のファンであることは、このブログの題名が
「僕のほそ道」であることで、おわかりかと思いますが、
このブログを始めた9年前に、芭蕉終焉地のことを書きました。

その当時に、芭蕉の碑の写真も撮ったので、
今回はそこへ寄り道はせず、スルーしました。

9年前の写真をもう一度、ここに掲載しておきます。

芭蕉の碑は、御堂筋の車線の分離帯に建っているので、
渋滞している車の間を縫って走って碑のところへ行き、
車の中からジロジロ見られる中、しゃがみこんで写真を撮りました。

それが、この写真です。
「此附近 芭蕉翁 終焉ノ地」とありますね。

 


次に、僕はカメラを手にしたまま信号を渡り、
南御堂の境内に入って行きました。
ここには、芭蕉の句碑があるのです。

 

  

本堂の南側にこじんまりとした庭園があり、
そこに、芭蕉の最後の句となった
「旅に病で ゆめは枯野をかけまはる ばせを」
の大きな句碑が建っていました。

一般には「…枯野をかけめぐる」と伝えられていますが、
ここの句碑には「…枯野をかけまはる」
と刻まれています。

 

 

句碑の手前にある立て札には、こう書かれていました。


芭蕉句碑

旅に病で ゆめは枯野をかけまはる ばせを

この句は芭蕉の臨終の句の一つで、この大阪の地で吟ぜら
れたものである。
芭蕉は元禄七年(1694)秋 伊賀から門人達に迎えられて
大阪に着いたが 滞在中に病気になり 養生のかいもなく
10
月12日この南御堂前で花を商う花屋仁左衛門の屋敷で
51歳を
一期として旅の生涯を閉じた。
この句碑は後世 天保の俳人達によって建てられたものである。
当南御堂では 芭蕉を偲んで毎年芭蕉忌勤修され法要の
盛大に句会が催されている。


南御堂

難波別院

…ということです。

今回は、その南御堂も横目で見ながら通り過ぎ、
御堂筋を北へ北へとテクテク。無事に梅田にたどり着きました。

 

 
このあと、梅田にある太融寺というお寺に行きました。
ここには、淀殿(茶々)のお墓があるということでした。
これまた大河ドラマ「真田丸」と関係の深い話です。

それは次回ということで…。次回ばかりで、すみませんね~

 

 


 

 

 

 

 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「真田丸」クライマックスの舞台

2016年10月16日 | ウォーク・自転車

~ 天王寺から梅田まで ウォーキング ~

数日前、妻が大阪市内に住む姉に誘われ、2人で
「ジェイソン・ボーン」という映画を観に行った。
場所は梅田の「TOHOシネマズ」というところ。
朝一番の上映で、時間は9時半から11時45分まで。
映画が終わったらランチをするという。
で、僕にも「一緒にランチしましょう」
…と義姉からお誘いがあったので、
映画終了時刻に合わせて梅田に行くことにした。

その日は晴れたり曇ったりの天気で、日差しも強くなかった。
ウォーキングにはちょうどいいコンディションである。
「歩かなければもったいないほどの天候」だったので…

とりあえず電車で阿倍野まで出て、
そこから梅田まで、ウォーキングすることにした。

地下鉄御堂筋線の天王寺から梅田までの道のりである。
駅で言えば、天王寺→動物園前→大国町→難波→心斎橋→
本町→淀屋橋→梅田ということになるが、大した距離ではない。
普通に歩いて、2時間もあれば十分行ける距離である。

午前7時40分にモミィが家を出た後、妻が出かけた。
僕はその約30分後の8時半頃に家を出て、駅まで歩き、
電車で阿倍野へ行って、9時15分ごろから歩き始めた。 

まず、天王寺公園を通って新世界方面に向かう。
この天王寺公園の一角に茶臼山という丘があり、
大坂冬の陣ではここに徳川家康が本陣を置き、
大坂夏の陣では逆に真田幸村の拠点となった。
徳川方が豊臣方を滅ぼした重要な舞台なのだ。
 

  


この近くに、こんな看板も。

 

 

これは夏の陣ですから、真田幸村が本陣を置いた時の図です。
アップにしてみますと… 

   

右上のほうに、一心寺とありますが、
ここは去年5月に亡くなった母の菩提寺です。
その上の「安居天神」の場所で幸村は戦死します。
大河ドラマ「真田丸」もこの辺がクライマックスなんでしょうね。

茶臼山を上がって行くと、その幸村さんが、いてはりました。

 

 

 さて、天王寺公園から新世界へ向かうと、
右前方にくっきりと通天閣が見えてきました。
この歩道橋の下が、天王寺動物園になっています。
まだ時間も早いので、人影もまばらです。
 

  


そして新世界に入ります。
この左側に、細い路地「ジャンジャン横丁」があります。


 

 

右に曲がると、正面に通天閣が姿を見せます。 

   


昔は「おじさんたちの街」の象徴だった通天閣も、
今では外国人も含めて、若い人たちに大人気です。
今日は平日だし、そのうえ、まだ時間も早いのに、
もう展望台入口に若者が並んでいる姿がありました。

 

では、この続きは、また次回に。

皆さん、良い日曜日をお過ごしください。

 

 

 

 

 


 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ウダウダ会 和歌の浦へ

2016年06月22日 | ウォーク・自転車

6月に入ってから、日曜日になると必ず雨が降る。

第1日曜の5日はモミィの学校の運動会だったが、雨で順延。

次の12日の日曜日は、モミィの英検があった。
この日も雨で、傘を差しながら会場まで歩いた。

そして先日の第3日曜日の19日は、
ウダウダ会の『出陣』の日だった。

…が、これも、天気予報では、雨。
案の定、途中から大雨に遭った。

ま、もっとも会長サマからの案内状には、
大雨、大風決行」とは書いてましたけど。

さて、
今回のウダウダ会の行き先は、和歌山県の和歌の浦だった。

和歌の浦は古くは万葉集にも詠まれた風光明媚な景勝地で、
平安時代の人々は、熊野詣でや高野山詣での道すがら
和歌浦に立ち寄り、景色を楽しんだと言われている。


 
少しわかりにくい地図ですけど…
ここの左端の「雑賀崎」から雑賀崎漁港へ出て、
海沿いの道を歩き、和歌浦港を経て、右端の、

「観海閣」というところまで、歩きました。

 …………………………………………………………………

朝の7時前に家を出たときは雨はまだ降っていなかった。

8時に難波高島屋前に集合。

ウダウダ会には、僕は1月に参加したが、
次の4月は家族旅行と重なって行けなかった。
1月には、宴会が終った後、転んで怪我をして、
前市長さんと副市長さんに、家まで送っていただいた。

今回は「飲み過ぎに注意!」と言い聞かせての参加だ(笑)。

そして5ヶ月ぶりにウダウダ会の仲間たちと会い、
南海電車の「特急サザン」に乗り込んだ。

座席指定だったが、いつもお世話をしてくださる
元大阪狭山市の市議会議員さんが切符を買ってくれ、
今回のメンバー10人に「はい、どうぞ」と配ってくれた。

電車の中から話は弾み、約1時間後、
南海和歌山市駅に到着した。

和歌山市駅から約40分、バスに揺られて雑賀崎へ。

雑賀といえば、『雑賀孫市』が頭に浮かぶ。
大昔、1973(昭和48)年のNHK大河ドラマに、
「国盗り物語」というのがあり、僕は大好きだった。
原作は司馬遼太郎で、僕はその本も読んだ。

主人公は平幹二朗が演ずる斉藤道三だが、
そこへ、雑賀孫市という人物が出てくる。
いわゆる雑賀衆で、鉄砲の名人たちだ。
ドラマでは林隆三が孫市の役を演じていた。
その司馬遼太郎には「尻くらえ孫市」という著書もある。

その雑賀崎でバスを降りると、下に港が見えた。


 

 細くて急な階段を下りてゆくと…

 

 

 
 
雑賀崎漁港に出た。

 
 とても景色が良い。しかし…

 

 
 海沿いのコースを歩き始めると、雨が降り始めてきた。
 ちなみに、右上にホテルが見えるが、和歌の浦は最近
 観光客も減り、このあたりのホテルも人の気配はなかった。

昔は、一大観光地だった和歌の浦。
最盛期には40以上あったというホテルや旅館も、
現在営業しているのは老舗の10数軒のみ…とのことだ。
 

 
 途中に「夢の鐘」が。この鐘を鳴らすと、幸運が訪れるのだとか。
 和田アキ子の「あの鐘を鳴らすのはあなた」のモデルになった鐘…
 …というのは、真っ赤なウソです。すみません。

 この鐘は、山部赤人が詠んだ万葉の歌をモチーフにしているとか。
 和歌にちなんで数羽の鶴が空に舞い上がるイメージだそうです。

 

 
 ビーチを歩いていると、こんな岩が姿を表しました。
 蓬莱岩というそうで、近づいて見ると見事な岩でした。

 ネットの写真を拝借してご紹介しますと

 
  …という感じです。

 
 

 
 和歌の浦港に出ると、雨は益々激しくなり、
 予定していた片男波までは行かず、
 玉津島神社前からバスに乗ることに。

   

 
 バスが来るまで相当時間があったので、周囲を散策。
 玉津島神社の前から海に向かうとアーチ型の「不老橋」が見えました。

 

 
 三断橋を渡ると、突き当たりに小さく観海閣が見える。
 観海閣については、こちらをどうぞ 

 http://wakamatsuri.com/spot/%E8%A6%B3%E6%B5%B7%E9%96%A3

 

 
 玉津島神社。「古来より、和歌の神様を祀る神社として
 天皇や貴族、歌人たちに崇拝されてきた」ということです。
 

 

    

 

   

…と、万葉集の歌碑を眺めているうち、案内書に
この近くに芭蕉の句碑がある…と書かれていたので、
バスの時間が近づいてくる中で、あわてて探しました。
バス道の脇にその碑があったので、とりあえず撮影成功。

           ↓ 

 

しかし…
帰宅して写真を見ても、何が書いてあるやらさっぱりわからず、
ネットで「玉津島神社 芭蕉句碑」で検索したら、

 行春に 和歌浦にて 追付たり

…と書かれていたそうです。はい。
芭蕉翁は、和歌の浦にも来ているんですね。

 


最後に、もう一度、地図を。

 
  観海閣はココ! とありますね~

 

こうして、今回の雨のウダウダ会は、まるで
雨(う)だ雨(う)だ会でしたが…無事に終わりました。

一行はバスでJR和歌山駅まで行き、紀州路快速に乗って、
天王寺へ戻り、あべのハルカスの12階にある

スーパー・ドライ 

という店に入り、ビールをゴクゴク飲んで、
のどを潤したのであります。

ここは日本酒、焼酎のたぐいは置かれていないので、
おかげで僕はビールとハイボールを結構飲みましたが、
前回のように酔うこともなく、帰宅しました。
まだ早い時間だったので、妻とモミィが、
家の近くまで出迎えに来てくれていました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ウダウダ会 京都1周トレイル

2016年02月08日 | ウォーク・自転車

1月31日の日曜日。
「日本ウダウダ会」のメンバーで、京都を歩いてきました。

「京都1周トレイル」とはまた大げさなタイトルですけど、
これはタイトルだけです。看板に偽りは…あります(笑)。
もちろん、京都を1周したわけでは、ありません。

下のマップが京都1周トレイルですが、この中の西側のコース。
愛宕山、高尾とある場所のすぐ下に清滝というところがあります。
この清滝から南下し、化野(あだしの)念仏寺を通り、嵐山まで、
…という、京都1周トレイルのほんの一部分だけを歩いたのです。
(でも、変化に富んで見どころの多い素敵なコースでした)

     

下は、見にくい地図で恐縮ですが、左上に清滝とあります。
そこから鳥居本~嵐山のコースをたどったというわけです。
(余計わかりにくかったりして)

      

 

 

さて、好天に恵まれたこの日、ウダウダ会一行はマイクロバスで
清滝まで行き、そこから嵐山をめざして歩きました。
 

 

      
   さぁ、出発。案内板の「愛宕山、落合方面」の方向へ。

 

   
   清滝川沿いの小径を歩く。豊かな森林や清流は、まるで別天地。

 

   
   何だか「崖っぷち」みたいな場所で記念撮影です。
   ズルッと滑り落ちそうで、ちょっと怖かったです。
   

 

   
   川沿いの小径と分かれて、舗装された道路に出て、
   ずんずん登り道を歩き、上がりきった所が六丁峠。
   そこから、トロッコ列車の保津峡が見えました。

 

   
   コースの随所にこの道標がありました。
   さすが人気のトレイルですね。
   マラソンや自転車で行く人もいました。

 

   
   こういう案内図もコースで多く見られました。
   僕たちが歩いてきたのは、矢印の左側の清滝、落合、
   六丁峠のコースで、ここから鳥居本、嵐山へ向かいます。

 

   
   鳥居本にある愛宕神社一ノ鳥居。

 

   
   化野(あだしの)念仏寺を拝観しました。
   石仏石塔群で有名だそうです。

 

   
   ここは瀬戸内寂聴さんの「寂庵」で、何か工事中のようでした。

 

   
   その中をちょっと覗いてみました。   

 

    
   
   このあたりは奥嵯峨という地区になるそうです。
   ここから、百人一首で有名な小倉山が見えるとのこと。
   もっともここに限らず、これまでのコースからも見えたはずですが、
   どこも山々が重なり合っているので、どれが小倉山なのか…
   結局わからずじまいという、なんのこっちゃの結果となりました。

  

 

   
  ここは、小倉山二尊院。
   藤原定家が百人一首を選定したと言われる時雨亭(しぐれてい)は、
  このあたりにあったと伝えられています。

 

   
  トロッコ嵐山駅へ出ました。「定休日」の看板が見えます。
  「12月30日から2月末日まで運休期間でございます。
   2016年は3月1日から運転を開始いたします」とありました。
  定休日といえば1日だけみたいですが、3ヵ月間「定休日」です。

 

   
   有名な「竹林」です。この辺に来ると観光客も多くなってきました。

 

   
  マイクロバスの待つ場所も近づいてきた頃、
  清涼寺(嵯峨釈迦堂)が正面に見えてきました。

 

ということで、ウダウダ会の今年最初のウオーキングが終わりました。

ところが…
そのあと大阪へ帰っての宴会で、僕は酔って足がよろけて転倒し、
顔を打ってケガをする…という情けない事態を引き起こしました。
そして、お2人の大先輩に、自宅まで送っていただいたのでした。
(大変お世話になり、ありがとうございました)

歩く会の締めくくりは「徒歩」ならぬ「とほほ」でした。


翌日、ウダウダ会のメンバーのお1人から、

「のんちゃん、飲みすぎ。お大事に」
とのメールをもらいました。

まったくそのとおりございます。
以後、気を付けます。 とほほ。

 

 

 

 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

久しぶりに30キロウォーク

2015年09月13日 | ウォーク・自転車

9月某日

また国勢調査の時期が来た。
5年に一度なのに、つい最近あったばかりのような気がする。
驚くほど年月が早く経つなぁ~と思うのは、年のせいか?

高田純次と織田信成と藤原紀香の3人の写真が封筒に。
どんな組み合わせやねん?…まあ、どうでもええけど。

今回からパソコンやスマホで回答ができるようになった。

そこで、一昨日、インターネットで回答を送信した。
思っていたより簡単だった。

毎年2月に行うネットの確定申告のほうが、はるかにややこしい。

僕も市役所時代、国勢調査の際は調査員として、
書類の束を抱えて、各家庭を訪問したものだった。
中には気難しい人もいて、苦労も多かった。

大半がインターネット回答になると、
調査員も少しは楽になるだろうね。
でもまぁ、報酬をもらってるんだから、
少しくらいは苦労しなきゃダメだけど。

 ……………………………………………………

9月12日(昨日)

妻とモミィが阿倍野へ行くというので、
僕はウオーキングでそこまで行くことにした。
朝に家を出て歩き、途中、長居公園に寄った。

この公園内には、1周2.8キロの周回コースがある。
土曜日ということもあり、ジョギングする人が多かった。

僕も30代から50代前半まで、ずっとここで走っていた。
ひとりで走ることもあれば、仲間たちと走ったりもした。

自分の姿と重ね合わせながら、走っている人たちを眺めた。 


 
  沢山の人が走っていた。懐かしいなぁ、このコース。


また、長居陸上競技場(ヤンマースタジアム長居)もある。

この日は競技場周辺がやたらと人でにぎわっており、
スタジアムからは大きな歓声が湧き上がっていた。

あ、そうだ。
昨日から陸上の日本学生対校選手権がここで行われているんだ。
100メートルの桐生選手も出ていて、ニュースでもやっていた。

その大会の歓声が聞こえてきたのだった。

 
 
  長居陸上競技場から、大きな歓声が聞こえてきた。


しばらく長居公園内を歩いたあと、阿倍野へ向かった。

阿倍野のキューズモールというところで2人と待ち合わせ。
11時半になっていたのでレストラン街へ行き、昼食を摂った。
僕はとりあえず生ビールを注文した。ゴクリ。あぁサイコー。

実はこの日、4月から痛めていた左太ももの付け根部分が、
歩いても痛みを感じなかったのだ。

6月下旬から2ヶ月間、病院に通ってリハビリをしたけれど、
どうやらその成果が、今になって出てきたようだった。

これには心が躍った。

食事を終え、妻とモミィはショッピングをするというので、
予定では僕もそれに付き合うつもりだったけれど、
太ももに痛みが出なかったので、帰りも歩くことにした。

往復で30キロ程度あるけれど、せっかく調子が戻ったんだし、
ここはひとつ、久しぶりにロングウォークに挑んでみよう。

そして、行きとはまた別のルートを通り、
テクテク、テクテク、テクテク…と歩いた。

さすがに腰や太ももが張ってきたが、
心配していた箇所の痛みは最後まで出なかった。

半年近く悩まされていた症状が改善したわけで、
これはもう、本当に嬉しい。嬉しい~

…ということで、約30キロを歩けて、満ち足りた1日でした。

ただ、夜に少し心房細動が出ましたけど…

(100パーセントいいことばかりじゃないですね~)

 

 桐生選手は昨日の試合で、100メートルを10秒19で優勝したとのこと。
  夢の9秒台を、早く出してほしいですね。

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大阪・渡船めぐり ~続き~

2015年07月18日 | ウォーク・自転車

東京の葛飾区柴又…といえば「男はつらいよ」の寅さんだけど、
その柴又から、江戸川の対岸にある千葉県松戸市の矢切へ渡る…

矢切の渡し

…というのがある。
つれて 逃げてよ…」の歌で有名になった渡し舟ですよね。

僕もかつて、柴又のその乗り場へ行ったことがある。
冬場だったので、「土・日・祝のみ運航」とあり、
そのあたりは、何となくさびれた感じがしていた。

ここは、今では観光用として存在しているとのことだ。
渡船も有料であり、何百円かを支払わなければならない。


しかし大阪の渡船は「道路代わり」であり、無料だ。
しかも、多くの人々が利用するので運休は荒天時のみ。
大正区や港区周辺に住む人々にとって貴重な「足」であり、
決して観光用ではないのである。…でも僕たちウダウダ会は、
この日は「渡船めぐり」で、まぁ、観光みたいなものでしたが。


…などと、いろいろ講釈しているけれど、前回も書いたように、
僕は自分が住む大阪に、今も渡し舟があるなんて、知らなかった。

さすがウダウダ会は、いろんなことを企画してくれる。
酒を飲んでウダウダ言うだけではないのであります(笑)


僕は、その3日前に購入した新スマホを持って行った。

メンバーのひとりである先輩が、朝に会ったとき、
「新しいスマホ、ちゃんと使えてる?」と訊いた。
この先輩も、ブログを読んでくれているんですね。


新しいスマホにも、もちろんカメラは付いているが、
そのスマホではまだ一度も写真を撮ったことがない。

カメラ画面にしてシャッターを押したつもりが、
なんだかおかしい。あれぇ…と思ってよく見ると、
写真ではなく、ビデオ録画のスイッチを押したようで、
画面に赤いマークで「REC」と出て、秒を刻んでいる。
「ありゃりゃりゃ~」
終了しようと思ってもどこを押していいのやら…

…と、こんなんばっかりですわ。

使い慣れたデジカメを持って行くのを忘れたので、
仕方なく、この使い慣れないスマホの写真デビューとなりました。

 

 
  最初に乗った「木津川渡船」。狭い川なので、乗ったらすぐに到着だ。
 


 
  2つめの「船町渡船場」で、船を待つ。
 この日はとにかく、待つ、乗る、歩く、待つ、乗る、歩く…だった。 


 
 船がやってきた。
 


 
 この船はすいていた。右の方に自転車が見えるが、
 このあと、別の渡船では、自転車だらけでギュウギュウ詰めだった。 


 
 この渡船は、向こう岸までの距離が長かった。(千歳渡船) 


…というようなことで、4つの渡船を終え、そこからまた歩いて歩いて、
いよいよ最後の渡船場である天保山(てんぽうざん)へたどり着いた。
あぁ、暑い!


天保山は今では、周辺が大阪ベイエリアの観光名所になっている。

マップで見ると…

そして、天保山の渡船場から対岸(北)へ行くと、
USJ(ユニバーサル・スタジオ・ジャパン)がある。

ちなみに、天保山は「日本で一番低い山」と言われている。
(もちろん非公式ですけれど…)

ところで、ここは本当に「山」なのか…?

「天保山」を広辞苑で引くと…

大阪市港区淀川の下流安治川の河口の左岸にある小丘。
天保2年安治川浚渫(しゅんせつ)の土砂を積み、
高灯籠を設けて河口の目標とした。
幕末には砲台が築かれた。

…とある。


僕たちウダウダ会一行は、ハァハァと息を荒げながら、
やっとこの天保山に着いたのが、12時45分頃だった。
出発してから4時間以上が経過していた。

天保山では疲れからか、写真を撮るのを忘れていた。

そこでネットで、何かいい写真がないか…と探してみたら…
こんなユーモラスなのを見つけました。

 

僕たちもここを歩いて上がって行ったのですが、
「登山口」から「山頂」まで、1分かからないほどでした(笑)。

そして、こういうのが立っていました。

 

 

さて、ここからまた川辺に下りて、最後の天保山渡船場に着いた。

 

この渡船場で船を待っていると、次々と若い金髪女性がやってきた。
それも、全員がタンクトップとショートパンツというセクシーな姿で、
自転車に乗ってやって来て、船を待っているのである。

ナンだろ…と思っていたら、物知りのメンバーによると、
彼女たちはUSJのスタッフで、これから出勤するところ…だそうだ。
 

ははぁ~
この女性たちはUSJで、キラキラの衣装を着けて踊ったり、
いろんなアトラクションに出て華を添える人たちなんだ。

その人たちが毎日自転車で渡し船に乗り、「職場」に通っているわけね。
な~るほどねぇ~。自転車美女のオンパレードで、何事かと思いましたが。

しかし、目の前の彼女たちの写真を撮ることは、さすがに遠慮した。
今思えば、ここに紹介できなかったのが、ちょっと残念ですけどね。


そして、JR桜島駅に着き、冷房の効いた電車に乗った時の喜び!

「極楽やなぁ~」と、面々の口からそのひとことが発せられる。
ホント、電車の座席に座った瞬間、やれやれ~…でした。
とにかく、尋常な
暑さではなかったですからね~


そこから阿倍野を経由して、午後2時過ぎに、
ウダウダ会の会長の知り合いの居酒屋へ着いた。

本来は休みの日だが、僕たちのために店を開けてくれたそのお店で、
冷たい生ビールをグビ~っと飲み干したときの気分はもうサイコー。

これ以上、何も言うことはありませ~~~ん。


 

前に座っていたメンバーさんが、僕のスマホで撮ってくれました。
日焼けとビールが入ったせいか、顔が赤らんでいますけど…

 

 

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大阪・渡船めぐり

2015年07月16日 | ウォーク・自転車

16日、午前8時現在、大阪は晴れていますが、
超大型台風11号が接近している…とのことです。

モミィの小学校では、今日が最後の授業で、
明日が終業式…の予定だったのですが、
その終業式が今日に繰り上がりました。

で、明日、登校可能であれば授業を行うということです。
終業式と授業が入れ替わるという前代未聞の出来事です。

皆さまも、台風への備えを万全にしてくださいね。

  ……………………………………………………………

それでは、今日のネタに入りま~す。
 

 

 

7月12日(日)、猛暑の中、ウダウダ会で歩く会がありました。

前回は5月の連休に関が原を歩いたウダウダ会。
僕は、母が亡くなったのと重なり、その日は欠席しました。

4ヶ月ぶりに参加した今回は、13人のメンバーが集まりました。

今日の行く先・テーマは、

「大阪・渡船めぐり」

…というものでした。

ん…? 渡船めぐり…??

渡船 → 渡し舟 …なんて、今どき大阪市内にあるのか?

ご承知のとおり、大阪は古くから「水の都」と呼ばれたように、
川や運河が多く、昔から人々の往来に渡船場が各所にありました。

でも、そんなのは江戸時代の話だと僕は思っていました。
今はどこでも橋が架かっているんだから、渡船など必要ないだろう…

ところがびっくり。 今も海辺に近い大正区や港区などに、
まだ橋のない合計8ヵ所の渡船が残り、人々の生活や通勤、
通学の、重要な移動手段となっている…とのことでした。

ふ~む。知らなかったなぁ。


で、これが、僕たちの歩いたコースと、各渡船場の地図です。

ここに市内8ヵ所の全ての渡船場が載っています。
僕たちはこの日、そのうちの5ヵ所をめぐりました。

  
  ブルーの線が「渡船めぐり」のコースになりますが、
   右下「加賀屋小」から時計回りに「桜島」まで行きました。

 ↓ こちらは、それぞれの渡船場が記されている地図です。

 
 地図の右下に小さく北加賀屋というのがあります。
 これが地下鉄の北加賀屋駅で、ここが出発点でした。

そして…
木津川渡船 → 船町… → 千歳… → 甚兵衛… → 天保山…
というコースをたどり、ユニバーサル・スタジオ・ジャパン
が近くにある桜島(地図の一番左上)がゴールとなりました。

ちなみに、渡船は大阪市が運営しており、料金は無料です。
道路に代わるものだから…ということなのでしょうね。


さて、北加賀屋駅をスタートしたのが、午前8時半過ぎ。

そして、まず木津川渡船、次に船町渡船と行ったのですが、
便数が1時間に2本か3本ということで、待ち時間が多かったです。

空いていた船もあれば、満員の船もありました。
自転車が多いのに驚きました。

川幅も、向こう岸までわずかな距離の所や、遠く離れた所など、まちまち。

船から降りて歩き、次の船を待ち、乗って、
降りて、またテクテク歩いて…の繰り返しでした

この日は晴天で、強烈な太陽が照りつけていたので、
腰痛と足の痛みを抱えていた僕も、それどころではなく、
足腰よりも、暑さで受けたダメージのほうがはるかに大きかったです。


その暑さの中、都会の真ん中をリュックを背負った13人がゾロゾロと…

道行く人々は、僕たち一行を目にして、
「どんなグループや?」と思ったことでしょう。


しかし、それにしても暑かったですね~

4つ目の「甚兵衛渡船」で降りてから「天保山渡船」まで、
ここが歩く距離の一番長いコースで、みんな汗を拭き拭き、
「暑すぎるなぁ」「天保山はまだかいな?」
などと、ウダウダ言いながら歩いていました。

まさに、ウダるような暑さの中…でしたね。
 


                 ~ 次回に続きます ~

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

リハビリ ウォーク 3時間

2015年06月29日 | ウォーク・自転車

前々回の「腰が痛い 足が突っ張る」の続編みたいな話ですが…

昨日の日曜日に、妻がモミィを、阿倍野で上映されている
「シンデレラ」という映画に連れて行くということだったので、
では僕も阿倍野へ出て、3人で食事をしようということになった。

僕は映画は見ないが、上映時間が11時55分~2時なので、
その映画の終わる頃に、映画館前へ迎えに行けばいい。

「どうなるかわからんけど、イチかバチかやってみるか」

実は、家から阿倍野まで、
トレーニングのつもりで歩いて行こうと思ったのだ。


距離にすると、10キロ以上は十分あるが15キロはない…
という感じだが、以前は大体2時間半前後で歩けた。

しかし今は腰痛と左足の痛みで“リハビリ中”の身である。

ゆっくりと、慎重に歩かなければならないと思うのだが、
無理な距離を歩いて、逆に症状が悪くなるかもしれない。
そんな心配も、もちろんあった。

あったけれど、何とか歩く力を元に戻したい…
…というアセる気持ちは、抑えられなかった。

つい最近、1時間ほど歩いたのだけれど、腰は少し痛んだが、
コルセットをつけていたこともあってか、それほどでもなかった。

しかし、左足の付け根から膝の裏の痛むのが、やはり気になった。
それでも、まあ、1時間で4キロ半ほど歩けたので、
よ~し、きょうは阿倍野まで歩いてみよう…
と思った次第である。

10時に妻とモミィが出かけてから15分後に、
僕もリュックをかついで、出かけた。

歩き始めから左足の付け根のあたりが少し痛んだが、
ゆっくり歩くことで、さほどの苦痛は感じなかった。

30分で地下鉄八尾南駅の付近を通過し、
1時間後には、先月母の葬儀を行った「仏光殿」前を通り、
2時間後には針中野の長い商店街を抜けるところまで来た。

足の調子は、歩き始めたときとほぼ変わらない。
左のお尻からそのすぐ下あたりが慢性的に痛むが、
我慢の範囲内で、気合を入れるとマシになる。

膝の裏までは痛みは及んでおらず、
ここ2ヶ月間ほどの痛みから比べると、
少しばかり良くなっていることを感じた。

何となく嬉しくなってくる。
歩くスピードも、ついつい速くなる。
おっと、無理はダメだよ…とまた速度を緩める。


地下鉄谷町線の駒川中野という駅があるところから、
高速道路の下の側道を延々と歩いて行く。

暑い日だったが、高速道路の下なので、日陰がずっと続く。
これは有難かった。帽子も脱いで、涼しさを満喫した。

気分もさわやかになり、歩行にも益々リズムが出てきた。
疲れはあったが、それも「心地よい疲労」と言えた。

広い交差点に出たら、そこは文の里だった。
日本一高いビル、あべのハルカスがすぐ近くに見えた。
ここで時計は12時45分。出発してから2時間半が経った。

2時間半歩けたことに十分満足しながら、
高速道路から離れ、賑やかな阿倍野筋に出た。

映画館のあるアポロビルを目指して阿倍野筋を歩く。
アーケードがあるので、ここも涼しい。

地下街に入り、人で混雑する中をアポロビルへ。

映画館のあるビルの4階に着いたのが1時15分。
ここがゴールである。ちょうど3時間歩いたことになる。

映画館前のベンチに腰掛けて、足腰をほぐした。
やはり腰は張るが、足の方はそれほどダメージを受けた様子はない。

あぁ、よかったよかった。

2時になって妻とモミィが出てきたので、キューズモールへ行き、
3人で「仙台牛タン」が売り物の店に入り、遅めの昼食を摂った。

「映画、面白かったわぁ」
モミィは牛タンのコロッケをほおばりながら、嬉しそうに言った。


…ということで、久しぶりに長い距離を歩いた。
そして今朝起きて、特に痛いところもなく、ホッと一安心だ。

今日は月曜日なので、病院でのリハビリの日だ。
あと2時間ほどで、家を出る。

最初に病院へ行ってから1週間が立った。早いなぁ。
病院で教えてもらったリハビリ(ストレッチ)を、
自宅で毎日、規則正しく続けている。

それが、昨日のウオーキングに効果があったのだろうか?

その辺はよくわからないが、よくなってきたことは事実だ。
これからもしばらく病院に通ってリハビリ指導を受けよう。

ところで、きょう病院で、僕のリハビリ担当係の人に、
「昨日、阿倍野まで歩きました」と言うべきなんだろうか?

「そんな元気なら、もうリハビリは必要ありませんよ」
な~んて言われるかも知れないので、内緒にしておきますわ。

 

 

 

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大坂夏の陣 後藤又兵衛の碑

2015年04月13日 | ウォーク・自転車

 

 

 

このブログで初めて大坂の陣のことを書いたのが、
昨年12月に発行されたこの地元紙を見た時だった。

大坂夏の陣で最激戦地だったという我が町・藤井寺市の道明寺。
その戦いから400年となるのを機に、11月に記念碑が建った。

その除幕式に、合戦にかかわった
3人の武将の子孫がゲストに
招かれた。

3人の武将とは…

豊臣方の後藤又兵衛、真田幸村、そして徳川方の
伊達政宗の家臣・片倉小十郎の子孫の方だという。

そのお3方が地元の協会長と共に固い握手を交わし、
「大坂夏の陣 道明寺で400年ぶりの和解」
と見出しがつけられた…という次第でした。

 ………………………………………………………………

去年の4月から1年間、楽しみに見ていたNHK大河の再放送
「独眼竜政宗」も先月で終わってしまい、寂しくなった。

来年1月から堺雅人が真田幸村を演ずる大河ドラマ「真田丸」。
それが、今からもう、楽しみで楽しみで仕方ない。
(他に楽しみがないものですから…)

先日も、津本陽の「幸村去影」という小説を読んだ。
真田幸村や大坂の陣への関心は強まる一方である。

そして、幸村と並んで奮戦した猛将が、後藤又兵衛であった。
その後藤又兵衛の碑が、玉手山というところにある。
今は「玉手山ふれあいパーク」という自然公園になっている。


そこで先週のお天気のいい日に、ウオーキングを兼ねて、
道明寺合戦の舞台となった場所をうろうろと歩き、
「玉手山ふれあいパーク」にも行ってみた。

玉手山は藤井寺市に隣接する柏原市にありますが、
場所については、ここをクリックしてください。

http://www.walkerplus.com/spot/ar0727s64227/map.html

 

その時に撮った写真を掲載します。

 

 
 昨年11月、近鉄南大阪線の道明寺駅前に建った記念碑。


 

 
  この幟があちらこちらに立てられている。

 

    
     こういうのにも行ってみたい。

 

  
   道明寺から石川を渡り、坂道を登って玉手山ふれあいパークへ。

  ここはかつて「玉手山遊園地」といい、
  西日本では一番古い遊園地だった。 

  僕らの子供の頃は
「遊園地」といえば玉手山のことだった。
  しかし時代とともに徐々にさびれ、平成10年に閉園となり、
  それ以降は柏原市営の自然公園となっている。

 

 
  この日は平日ということで、人影はまったくなかった。
 桜は散り始めていたが、お花見の雰囲気は残っている。
 ここへ家族を連れてお花見に来てもよかったんだな~。

 

 
  入り口(現在地)は左上で、そこからずっと園内を歩き、
 図の右端の上のほうに、後藤又兵衛の碑がある。

 

 
   後藤又兵衛をはじめ、大坂の陣に関する人物の
  撮影用「顔くりぬき人形」が。 右は淀君。

 

 
  その隣に、左から太閤秀吉。千姫。豊臣秀頼。

 

 
    うわぁ~。出ました~。モミィの千姫です。
  これは去年9月に遊びに来たとき撮った写真です。

 

 
 何しろ小さくても「山」ですから、坂道を登っていきます。

 

 
  左側にある「おもちゃ館・歴史館」というところに入ってみた。
 どこもかしこも、ひっそりとしています。

 

  
  「歴史館」の中には大坂の陣に関する資料が展示されていた。
  これは、道明寺合戦の、各武将の動きが図示されたもの。
  400年前の5月6日のことである。
  後藤又兵衛はこの戦いで討ち死にし、
  翌7日には天王寺で真田幸村が亡くなり、
  さらに8日に秀頼と淀殿が自決し、豊臣家は滅んだ。

 

 
   「後藤又兵衛の碑」などの標識。
 「ちびっ子ゲレンデ」には、モミィが1年生の時、遠足で来た。

 

 
   ずんずん登っていく。それにしても、人がいない。
  ちょっと気持ち悪い。「追い剥ぎ」が出てきそうだ(笑)

 

 
  坂を上りきったところに、後藤又兵衛の碑があった。
 その左側に見えるのが「後藤又兵衛しだれ桜」だった。
 桜は半分散っていた。もう少し早く来ていたら…

 

 
  後藤又兵衛の碑。

 

 

 

 
 
   さぁ、下りよう。
  別の出口から出た。
  いいお天気で、玉手山からの眺めもよかった。


そして昨日、真田幸村が戦い、討ち死にした
天王寺から玉造の周辺などを歩いてきました。

次回はそのフォト日誌をつづります。

 

 

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ウダウダ会 室津へ

2015年03月17日 | ウォーク・自転車

書こう書こうと思いながら、もう半月以上が過ぎた。
3月1日。「日本ウダウダ会」で兵庫県の室津へ行った時のことを。



  



室津は兵庫県たつの市にある港町だ。

港町として1300年の歴史があるという。

最も栄えたのが江戸時代だそうで、参勤交代で
西国からの大名のほとんどが船で室津に到着し、
ここから陸路江戸へ向かった…とのことである。

室津は海と陸の接点、宿場町として栄えたというわけ。

もっとも、広辞苑で「室津」を引くと、

「かつては瀬戸内海の要津で遊女町があったことで著名」

…とありましたけど。


その室津の近くで、ウダウダ会の一行はチャーターバスを降り、
ウオーキングを開始した。

この日は、あいにく朝から雨だったので、傘を差してのウオーキングだ。

 


 
 

 向こうに見える山をひとつ越せば室津に着く。
だいたい、1時間ちょっとで着くという。
「雨やから歩くのはそれくらいでいいやろ」
…と、ウダウダ会の面々。


歩くより「飲む」ほうが好き、というメンバーも多い。

 

  

 峠に、こういうのが建っていた。

 
そして、ひと山越えて歩いて行くと、室津の港が見えた。 


 

 道路がくねくねと曲がっている。

 この海沿いの道を通称「七曲がり」というそうだ。

 

 

海が間近に迫る。天気がよければ、さぞ絶景だったろう.

 

 


 

 宿場町として栄えた風情を残す室津の町並み。

 

そしてまた海に沿って歩いて行くと、カキの店が見えてきた。

室津はカキの養殖が盛んなところで、今が最盛だという。

これまで歩いてきた道では人の姿を見なかったが、
ここらへんに来ると、急に人と車が増えてきた。

 

 

 

 

 

こういう店が、沢山ある。

そのうちのひとつの店に入って、カキその他の海の幸に舌鼓を打ち、
ビールや熱燗をグビグビ。歩いているときは沈黙がちだが、
宴会になると、とたんにみんな元気モリモリになるのだ。

僕などはこの日、朝から体調が悪くて時々不整脈が出ていた。

バスの中でも、何となく体がだるい。
前に座っていたショーちゃんが「しんどそうやな」と。

歩いている時も、また不整脈が出て、ちょっと休憩。
みんなを待たせてしまったりした。

あぁ、それなのに、それなのに。

カキでビールや熱燗を飲み始めるととたんに元気が出た。

まったく、都合のいい体である。

店を出て、バスに乗り、帰路についても、バス中で
みんなで酒盛りをして、僕は記憶が飛ぶほど飲んだ。

気がつけば家に帰っていた…というよくあるパターン。

まだ夕食前の時間で、モミィから
「飲みすぎたでしょ~」と言われてしまった。

とほほ。

 


 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ウダウダ会、大台ケ原へ

2014年10月12日 | ウォーク・自転車

西高野街道を歩いた2日後に、今度は「日本ウダウダ会」の歩く会がありました。いつも気軽な山歩きや里歩き、あるいは町歩きをしているウダウダ会ですが、今回は少し趣向を変えて、大台ケ原へ行きました。


大台ケ原は奈良・三重・和歌山3県にまたがる「吉野熊野国立公園」の中心部分に位置しており、標高1,300~1,695mの台地状の地域で、年間雨量が本州では最も多いそうです。(先週の台風18号の時も、1時間で107ミリの雨が降ったと報じられました。それも僕たちが行った次の日のことでした)


その大台ケ原には東大台と西大台があり、東大台は展望もよく、登山道には案内板や動植物の解説版が随所に設置され、道も整備されて歩きやすい一般向けのコースとのことです。しかし西大台のほうは「利用調整地区」に指定され、いわば「自然のまま」で、いろいろ厳しい規制がされています。


まず、勝手に入山してはいけない。1グループは10人までと決められ(大勢だとコースからはみ出て周囲を踏み荒らしたりするので)、必ず事前に連絡し、一人ひとりのメンバーの氏名を登録しなければなりません。その他さまざまな規制により、自然を保護しようということなんだそうです。違反者は法律によって罰せられるとのこと。環境省のホームページにその詳細が述べられています。


http://kinki.env.go.jp/nature/odaigahara/west_odai/west_odai_index.html


…ということで、僕たちウダウダ会の一行は、この「西大台」のほうを歩いたわけです。なぜ一般向けで景色もいい「東」じゃなくてこちらになったのか…? それは僕にはよくわかりませんけど…


10月4日の朝6時半に集合場所から貸切バスで出発。今回は総勢16名でした。ウダウダ会の発足当時は6~7人だったのにねぇ、ずいぶん増えたものです。


バスに揺られること約3時間で大台ケ原のてっぺんに着きました。ビジターセンターというところで、「立ち入り認定証」をもらい、それを首からぶら下げて、さぁ出発と思ったら、「10時からレクチャーがありますのでお待ちください」とのこと。そして時間が来てスクリーンのある大きな部屋に案内され、そこで画像を見ながら係員さんから、入山中の注意事項が伝えられました。これも、ホームページの「利用ルール」のところに詳細が説明されています。

 

 
   西大台への「立ち入り認定証」。
   これをつけて歩くのが規則です。
   (手数料として1,000円が必要)

   

 

レクチャーの「受講」が終わって、やっと出発ですが、事前にわがリーダーから「ヒルが出るかも知れないので、念のため足回りにスパッツ(ゲートル)をつける準備をしてください」と言われていた。それで出発前に、各自、持参のゲートルを足首に巻いたり、それを持って来なかった僕などは、ズボンのすそをハイソックスで覆ったりして、とにかく足首あたりから侵入してくるヒルを防ぐ対策を講じた。ワイワイ言いながら、苦労してやり終えたころに、女性係員の人が近づいて来て「あのぉ…ヒルでしたら、この季節にはもう出ませんけど…」と言われました。全員、ひっくり返りました。


さて、僕たちは16名なので「1グループ10人まで」というルールに従い、8名ずつに分かれて出発することにしました。係員さんは「第1グループが出発してから10分後に第2グループが出発してください」。つまり離れてね…というわけ(僕は第2でした)。ハーイわかりましたぁと返事して、コースに向かう。第1グループがそのまま山中に入った。第2グループはそれを見送りながら、「このあと10分も待つの…?」という声に「ちょっとぐらいええやろ」と、1分後に出発しました。「ちょっとぐらい」じゃありませんよね。あ、これ内緒ですけど。


途中、赤い腕章を巻いた男性が立っていました。監視員さんです。「気をつけて行ってらっしゃい」と第1グループを笑顔で見送ってくれましたが、近くへ迫っていた第2グループには「ここでちょっと待ってください」とストップがかかった。そんなことでまた1分間待って、「もう行ってもよろしいか?」と言うと、監視員さんも苦笑いして「えぇ、どうぞ」と言ってくれた。さすがに高潔なる紳士淑女の雰囲気を漂わすウダウダ会である。監視の人も「この人たちなら自然を荒らすまい」と思ってくれたに違いありません(笑)


「だらだらした下り坂や上り坂です」とレクチャーの時に係員さんがコース説明をしてくれましたが、実際には決してそんな楽なものではなく、急な下り坂にはゴロゴロ石やむき出しの木の根などがあって、足を滑らせたりひねったりしそうだったし、登り坂も足元が危うくて気が抜けません。あぁしんど。ゼェゼェ…


「一周するのに4時間半から5時間かかります」と言われていたが、僕たちはなんとか4時間程度で元の場所に戻ってくることができました。しかし思ったよりきついコースで、メンバーもかなり疲れたようです。最近ウダウダ会に加入した人は「こんなところを、これだけ歩くなんて、思ってもみなかった」と驚いていました。


これまで、3時間歩いて4時間酒を飲む…みたいなことが多かったウダウダ会ですが、今回に限っては、帰りのバスも3時間かかるし、それからまた酒宴…という元気もなかったことから、バスの中で缶ビールや酒を飲み、それをもって「打ち上げ」としました(異例中の異例ですわ)。


僕も6時半ごろに帰宅し、ちょうど妻とモミィが夕飯の途中だったので、それに加わって缶ビールを飲みながら、ウダウダと今日のことを話しました。


「のんちゃん、ウダウダ会やのに、帰ってくるのん、早かったやん」
…と、モミィが申しておりました。

  


 
 大台ケ原の駐車場。ビジターセンターや売店などがある。
 ここから出発し、ここへ戻ってくる。

 

 
 スタート直後はこういう歩きやすい道でした。

 

 
 なかなかいいハイキングコースだと思っていたら…
 そのあと、どんどん道は険しくなっていきました。
 そうなると写真を撮るどころではなかったですね~

 

 
 沢渡りも多い。ロープが張ってあったのでコースだとわかりましたが、
 随所に道に迷いそうな場所があり、とても1人では行けないです。 

 

 
 人が歩くと大きく揺れる吊り橋。油断すると下に落っこちそう。

 

 
 ブナを主とした原生林が多く残り、美しいコケに覆われていました。

 

 
 キノコが生えていました。
 「毒キノコか?」「違うやろ」
  …な~んて言い合いながら見とれていました。

 

繰り返しますが、コースは自然保護が徹底しているので、整備されていません。約4時間半のコースなのに、トイレもまったくありません。


時々道が途切れたようなところがあり、迷いそうです。パンフレットにも、決して1人では行かず、コースを熟知した人と一緒にグループで行くようにしてください、と書かれていました。ウダウダ会には登山のベテランが何人かいるのでこれが実現したわけです。「なぜ東大台でなく西大台なのだ」と思っていましたが、歩き終えてみると西大台でよかったなぁという気持ちです。「じゃあ、また行きますか?」と聞かれたら「いえ、もういいです」と答えますけど(笑)。

 

 

  

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

街道をゆく…な~んちゃって

2014年10月07日 | ウォーク・自転車

  

 

友人のドイロン君に誘われて、堺市と高野山を結ぶ西高野街道を歩いた。


西高野街道とは、ウィキペディアには「平安時代後期から鎌倉時代初期には高野参詣道として使用されていたと考えられている。室町時代から江戸時代には、商港堺と高野山との物資輸送でにぎわった」とある。


「にしこうやかいどう」と入力したら、「西荒野街道」と出た。もう一度変換すると、次は「西校や街道」と出た。西高野街道ですので、お間違いなく(誰も間違わへんわ)。


こういうコースです。↓


http://kaidouarukitabi.com/map/rekisi/kouyakaidou/nishikouyamap.html


この日はもう1人の仲間、飯〇君を入れて3人での街道歩きである。ドイロン、飯〇両君は、五十代半ばで、僕にとっては年下の友人だけれど、2人ともマラソンやトライアスロンの経験が豊富で、国の内外を問わず、あちらこちらのレースに出ているいわば「鉄人」であり、僕など足元にも及ばないアスリートである。その2人と一緒に、堺市のJR三国ヶ丘の駅から河内長野までの街道歩きを楽しんだ。(終点の高野山まで歩いたわけではありません。遠過ぎますもんね)

 

 

 

 
ドイロン君作成のコース一覧(2ページにわたり40ヵ所書かれていました)

 

この街道歩きの“主催者”は、博識なドイロン君だ。事前にコースの地図と「みどころ」を一覧にした資料をもらい、この日も、僕はその資料を見ながら、ドイロン君について行った。そして、街道筋にある道標やお地蔵さん、お寺、燈籠など、何十ヵ所もあるいろいろな「みどころ」を説明してもらいながら歩いた。学校の社会見学で、先生について歩く生徒みたいなものである。


道が分れているところで、「野ざらし薬師如来」という像を彫った道標があった。そこに「東ふじい寺 なら」と刻まれているのを見たときは、「あぁ、この道を行けば藤井寺へ通じるのか」と、ちょっと嬉しい気がした。こういう道標は、わかりやすくていい。


僕らが住む地域には、高野山や伊勢などにつながる街道が数多くある。僕も普段から「街道」を歩いているはずなのに、昔の面影を残す多くのものがあることにはほとんど気づいていなかった。しかし、こういう視点で歩いてみると、見る世界も変わってくる。そんなことを実感した1日だった。


ただ、残念なことに、デジタルカメラを持参したのに充電するのを忘れていて、数枚撮影したところで「電池切れ」のメッセージ。あぁ、失敗や~と、そのあとは、写真を撮りまくっていたドイロン君に「またいい写真があったら送ってね」と言いつつデジカメをリュックにしまった。…で、帰りの電車の中で僕がスマホを取り出したら、飯〇君がそれをのぞき込み「スマホを持ってはったんやったら、それで写真も撮れたでしょう?」と言った。「あ、ほんまや。忘れてたわ」とがっくり。相変わらずマヌケな僕である。


街道歩きの詳細は、僕の乏しい知識ではとうてい描写できないので、今日はそういうウオーキングをしたということの報告のみにしておきます。歩いた距離は、ドイロン君がスマホで計測したところによると約18キロだそうです。最近、あまり長い距離を歩いていないので、ちょっと疲れました。ビールばかり飲んでいないで、ウオーキングのほうも頑張らなくてはねぇ。


アタマと足の両方を鍛えるのにも、街道歩きはいいようです。


この日、ドイロン君は、こんな栞(しおり)もくれました。
ドイロン君自身が作ったものです。さすが~。多才ですね。

          

 

    

 

 

 


 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする