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 僕のほそ道   ~ のん日記 ~

  
これと言ったテーマはなく、話はバラバラです。 つい昔の思い出話が多くなるのは年のせい? 

ウダウダ会 愛染さんや生玉さん

2018年11月30日 | ウォーク・自転車

さて、ウダウダ会一行は、清水寺をあとに、ワイワイ・ウダウダ言いながら、次の愛染坂に向かいました。

坂の下り口にある愛染堂勝鬘院(あいぜんどう しょうまんいん)から愛染坂と名付けられたのですが、ここは「愛染さん」で有名です。

 
 これは10月末に七坂を歩いた時に撮った写真です。
 この時は中に入らず、そのまま正面の大江神社に入り、
 そのあと、左側の「愛染坂」を下りました。


  

で、ここに入るのはこれが初めてなんですが、愛染さんは聖徳太子によって建立され、本尊として良縁成就・夫婦和合で有名な愛染明王が奉安されているとのこと。だから「縁むすび」なんですよね。

門をくぐった右の奥に「愛染かつらの木」があります。樹齢数百年と言われる大きなかつらの木に、ノウゼンカズラのツルが巻き付き、かつらとカズラが一体となったように見えます。つまり仲の良い男女が寄り添っている、あるいは抱き合っているように見えることから、このかつらの木が「恋愛成就、夫婦和合の霊木」として、もう何百年も前からこのあたりでは親しまれているとのことです。この写真、そんなふうに見えます? 言われてみたら、見えますかね~


 
縁結びの霊木 愛染かつら」の札もあります

さて、「愛染かつら」といえば、昔(昭和10年代)に映画が大ヒットし、その映画の主題歌の「旅の夜風」がこれまた映画以上に大ヒットした、ということを前回のブログでも書きました。「花も嵐も踏み越えて~」という出だしで、霧島昇という当時の人気歌手と女性歌手とのデュエット曲でした。また繰り返しますが、うちの母が霧島昇の大ファンで、自分の子供に「昇」という名を付けました。今の僕の名は、霧島昇が存在していなければついていなかったはずの名前です(笑)。

と書きながら、今、思い出しました。

僕は今から11年前の2007年12月1日からこのブログを始めたのですが、その第1回目に「自己紹介と近況報告」というタイトルで、まず最初に自分の名前の由来のことを書いていましたわ(笑)。今、急にそれを思い出しました。

そんな、自分にとっても縁のあるところへ、今回、初めてやって来たというわけです。

ここには「霊木」と共に「霊水」というのもありました。 


  

これがそうですが、立札をアップしてみますと… 

 
「この井戸水を飲めば(中略)愛念を叶え…」とありますね~
 

もうひとつ、愛染さんの名物は多宝塔です。 


  

解説によりますと、この多宝塔は、推古天皇元年(593年)聖徳太子によって創建されました。その後、織田信長の大阪石山寺攻めの際に焼失しましたが、慶長2年(1597)豊臣秀吉により再建されたということです。現在の大阪市では最古の木造建築物として、国の重要文化財に指定されているそうです。 

大阪市で一番古い建物だということを、覚えておきます。

愛染さんを出て、すぐ前にある大江神社に入り、その神社の急な石段をみんなで下りました。実は愛染坂は大江神社の横にあるなだらかな坂なのですが、みんなが降りたのは七坂とは無関係のただの階段でした。ま、メンバーはそんなことには全然お構いなしのようです(笑)。 

そのあと、口縄坂、源聖寺坂を巡り、生國魂神社(生玉さん)へ到着。

 
七五三の時期だったのですね

 
結婚式も行われており、若い衆が太鼓を叩いていました

9時半に天王寺を出発し、いきなりこんにゃくを食べたりしましたが、あちこち寄り道をしながら歩いてもせいぜい2時間。生玉さんではまだ11時半でした。

しばらくの間、そこで休憩をして、「さぁ、行こか!」とリーダーのNさんが立ち上がり、最後の坂である真言坂を下り、一行は、徒歩と地下鉄で阿倍野へ戻り、Nさんが予約をしてくれていたアサヒ・ビアホールへと行きました。

ウダウダ会は「歩こう会」ですが、ひょっとすると「あるこーる会」と違うか? と思われるフシもあります(笑)。

全員テーブルについて、Nさんが「本日はお疲れさまでした。乾杯!」と音頭をとり、みんな一斉に生ビールをゴクゴク…。あぁ、うまい! 

やっぱり「あるこーる会」やなぁ、と、ひそかに納得した僕でした。

さて、皆さん。今日で11月も終わり。明日から12月です。本当に1年ってあっという間に経ってしまいますね~。お風邪など召されないよう、ご自愛ください。

 

 

 

 

 

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ウダウダ会 天王寺七坂へ まずは庚申堂のこんにゃく

2018年11月28日 | ウォーク・自転車

11月23日の祝日。午前9時半に、JR天王寺駅でわがウダウダ会のメンバーが集まりました。前回の春のウダウダ会には、僕は欠席しているので、去年の11月に吉野へ行って以来1年ぶりの参加です。

この日のウダウダ会は、男女十数名のメンバーで、先日僕が行ったばかりの天王寺七坂を巡ります。ただ、今回は南側の逢坂から北の方向へ歩くので、僕がこれまで2度とも北の真言坂から歩いたのとは逆回りのコースになります。

  

さて、人数もそろったところで、リーダーのNさんが、開口一番、
「これから天王寺七坂を巡るわけですが、その前に、まずこんにゃくを食べて酒を飲みましょう。うまいでぇ~」
と、例によってとんでもないことを言い出します。

「なんで歩く前からこんにゃく食べて酒を飲まなあきませんねん?」と言って理由を聞くと、実はまんざら「とんでもないこと」でもなく、Nさんは続いてこんな説明をしたのです。

これからまず、四天王寺の南門の300メートル手前にある四天王寺別院の庚申堂(こうしんどう)へ行く、とのこと。

四天王寺庚申堂とは、日本の庚申信仰の発祥の地と言われているところで、60日に一度、つまり年6回だけ縁日(庚申の日)があり、その日は庚申堂でこんにゃくを食べて厄払いをするのだそうです。

「それがね~実はきょう、偶然にも60日に1度のその縁日の日に当たってるんやわ。だからこんにゃくを食べて
「あぁ、そうでしたか。でも朝から酒は飲みまへんやろ」
「うん。それはまぁそやけどなぁ、飲んでもよろしいで」
な~んて会話を交わしながら、やって来たのが四天王寺庚申堂。僕はこの中に入るのは初めてです。

 


 
四天王寺庚申堂へ入って行く。
写真には写っていませんが、門の右側に
本邦最初 庚申尊 
という、大きな石碑が建っていました
  


 

正面が庚申堂なのですが、境内にはNさんが言ったとおり、テント張りの「庚申こんにゃく」の店がありました。1皿にこんにゃくが3個入って300円。ウダウダ会のメンバーは全員それを買って、そばのベンチに座って食べました。こんにゃくは北を向いて食べるということになっており、なるほど、ベンチは全部北向きになっていました。


 
右奥に北を向いてベンチが並んでいて、そこへ座って食べます

僕もそのベンチに座って、辛子をかけたこんにゃくを膝の上に置いて写真をとりました。こんな感じですが、味がよくしゅんでいて、なかなかおいしかったです。もちろん、お酒なんか飲んでいませんよ。

  

さて、こんにゃくも食べ終えて、再び出発。まず、久しぶりに四天王寺の境内を歩き、そこから七坂の最初の「逢坂」へ向かいました。

しかしウダウダ会一行は、ワイワイ言いながら歩くので、四天王寺から逢坂に入っても、それが七坂のひとつとはほとんどの者が気付かず、逢坂の石碑や案内板の前を素通りして行くので、僕は声を張り上げて「待って待って~。ここが七坂最初の逢坂やでぇ」と皆を引き留めなければなりませんでした(笑)。

まぁ、みんな久しぶりに顔を合わせて、「七坂巡り」より雑談しながら歩く方が楽しいのかも知れませんし、またおまけに、逢坂は国道25号線に面している賑やかな歩道で、坂もゆるく下っているので「七坂」の一つとは思いにくいですしね~。

そのあと、右折して、真田幸村が戦死した安居神社を見学。ここは僕も過去5回くらい来ているので、すっかりなじみの場所になりました。


 
正面の階段を上がったところが安居神社

そして安居神社から天神坂を上がると、次が清水坂なのですが、手前に清水寺があり、一行は寺に入りました。

しかしなぜか突き当りにある僕のお気に入りの「清水の舞台」まで行かず、途中で左側の階段を降りて「玉出の滝」を訪れ、そのまま西門から出て清水坂を上がりました。そしてリーダーを先頭にそのまま次の場所へ行きかけたので、
「ちょっと待ってぇ。清水の舞台へ行こうよ!」
と、声をかけ、みんなにもう一度清水寺まで戻ってもらい、今度はまっすぐ突き当りの清水の舞台まで行きました。せっかくここまで来て「舞台」を見ずして帰るのはあまりにもったいないですからね。メンバーの中には「へぇ、大阪にもこんな所があったんや」と感心していた人も結構いました。

清水寺へ来るのは4度目ですが、初めて集団で来たので、仲間の1人に頼んで写真を撮ってもらいました。


 

4度目にして、ようやく「舞台」を背景に写真が撮れました


このあと「愛染さん」から「生玉さん」へとゾロゾロと、賑やかにウダウダ会の一行は歩いて行くわけですが、それはまた次回ということにさせていただきます。

 

 

 

 

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天王寺七坂を散策(終) ~天神坂・逢坂~

2018年11月11日 | ウォーク・自転車

    

大阪の中心地の道路は南北が「筋」で、東西が「通り」と呼ばれています。例えば、南北の御堂筋、東西の千日前通り、というふうに。

上の地図の南北にかけて通る道路の右側(東)が谷町筋、左側(西)が松屋町筋です。かつては坂の下、つまり松屋町筋のあたりまで海がきていた、ということです。信じられないような話ですけどね~。

さて、清水寺から南へ数分歩いたら、天神坂に来ました。今度は下りです。

 

2年前に来たときは、「マンション建設反対」の大きな幟が目立ち、ちょっと風情を欠いていましたが、今回はそれも無くなり、しっとりとした良い雰囲気です。う~む。しかしね~。この写真を見たら、左側に新しそうなマンションが建っていますね。近隣の反対を押し切って、建ったのかなぁ。ま、それはいいんですけど。

これをこのまま真っすぐ下って行くと松屋町筋に出るのですが、途中に安居神社(安居天神)があるので、どうしてもそこへ寄らなければなりません。ゆるゆると坂道を下ってゆくと、その途中、左手に天神坂の碑と案内板がありました。


 
向こうから下ってきました。

案内板には「安居天神へ通ずる坂道なので天神坂と呼ばれている」というふうなことが書かれています。この写真右側が安居天神、すなわち安居神社で、碑のすぐそばに神社へ上がって行く階段があります。


 
これがその階段。
何しろこの辺は坂道と階段だらけですさかいな~(笑)

安居神社は、ご存知の方も多いと思いますが、真田幸村が大坂夏の陣で戦死した場所でもあります。2016年の大河ドラマ「真田丸」で一躍この周辺が有名になり、僕も真田丸の出城があった真田山からこの安居神社へ、何度か来たことがあります。


 

森に包まれた神社の境内に入ると、そこに、真田幸村の像と、その右側に鋭角的な形をした「真田幸村戦死跡之碑」があります。幸村公は、なぜか片膝を立てておられます。


   
 


いま来た階段を下りて天神坂に戻り、そこから下っていくと、例のごとく松屋町筋に出ました。しかし松屋町筋もここで突き当りとなり、終点です。そこから、国道25号線を東へ、つまり四天王寺さんのある方に向かって歩くと、右側の向こうの方に母の納骨をしている一心寺さんがチラチラと見えてきます。そして、前方に碑が建っていました。
 

 
国道25号線沿い。歩道の右に碑が見えます。


 
逢坂の碑

しかし、これまでの坂とまったく違って、広い国道沿いの歩道であるうえ、坂道と言ってもゆっくりと上っているだけ。なので「坂」という実感は、あまりありませんね。で、特に感想というほどのものもなく、どう書けばいいのかわからないので、ここは「逢坂」の案内板の写真を出してお茶を濁しておきます(笑)。


 

「逢坂」と言えば、百人一首の10番目、

これやこの 行くも帰るも 別れては
知るも知らぬも 逢坂の関 (蝉丸)

という歌が思い浮かびますが、ここで言う「逢坂の関」は昔の京都と滋賀の間にあった関所だから、天王寺とは全然関係ないと思っていました。でも、この案内板に「逢坂の関になぞらえてよんだものとも……言われている」そうなので、まんざら無関係でないのかも。


 
道路の向こうに一心寺さんが。

これで七坂は終わりました。

一心寺さんの前の信号を渡り、お寺に入りましたが、本堂は大規模改修中でした。でも納骨堂はそのままだったので、亡き母にお線香を上げ、そこから天王寺駅前の方へ歩き、近鉄電車に乗って帰りました。

と、七坂のブログはここで終えるはずだったのですが、家に帰ってびっくりすることがあったので、そのことをつけ加えます。

夕方に帰宅して、郵便受けを見ると一通の手紙が入っていました。
差出人は、

日本ウダウダ会

でした。これまでもウダウダ会については何度も書きましたが、会員数が男女合わせて十数人で、会の名称をみても分かるとおり、面白い顔ぶれが多く、ウダウダ言いながら歩く会とでも申しましょうか、ウダウダ言いながら酒を飲む会とでも申しましょうか。もちろん品格のある方も多くいらっしゃいますが。(いったい、どんな会やねん?)

そのウダウダ会からの通知が郵便受けに入っていたのです。すぐに封書を開けて内容を読んでみると、11月下旬に歩こう会を実施します、という通知でしたが、その行く先がなんとまぁ、「天王寺7坂巡り」と書かれていたのです。


 

何やの? この偶然は。 

コースは逆やけど、天王寺七坂には、
たった今、行ってきたばっかりやん。

本当に、驚きました。

はい。そんなオチで、天王寺七坂テクテクの記、終わります。
最後までお付き合いくださり、ありがとうございました~。

 

 

 

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天王寺七坂を散策 ~清水寺の舞台や玉出の滝~

2018年11月09日 | ウォーク・自転車

   

さて、愛染坂を下ったあと、左(南)へ曲がり、狭い道を5分ほど歩くと清水(きよみず)坂が見えてきました。愛染坂を下ったのですから、今度は清水坂を上るということになります。

 

 
スロープがついているので、自転車もOKです


この坂道を上がったところに案内板がありました。 

   

ここに「新清水清光院に登る坂道をいう」という説明が出ています。そのとおり、このすぐ近くにお寺があります。それが「清水寺」なんですよね。正式には「有栖山清光院清水寺」という名称だそうですが、上の案内板を見ると「新清水寺」とも書かれています。

江戸時代に、それまで別の名だったのが、京都の清水さんから千手観音をいただいたことをきっかけに寺の名を清水寺に改めたということです。お寺が高台にあるので、本家を真似して「舞台」を造り、さらに境内に「音羽の滝」とそっくり同じ形の滝をこしらえて、大阪版清水寺ができたのです。

その清水寺をご覧ください。

 

中へ入り、墓地の中をまっすぐ歩いて行くと、その突き当りに

 

「清水の舞台」があります。
ここから大阪の街の西側が一望できます。
左の方に通天閣も見えますね。

先ほどの案内板に、

境内南側のがけから流れ出る玉出の滝は、大阪唯一の滝として知られている。

と書かれていた「玉出の滝」というのは、墓地から石段を下へ降りていって、左手に曲がったところにひっそりとあります。

これがまた、京都の清水寺の音羽の滝とそっくりで、筧(かけい)が3本突き出していて、水がちょろちょろと流れ落ちています。これが「大阪で唯一の滝」なんだそうです。

 
玉出の滝です。
これが「滝」か? と思いますけど、次の写真を見てください。

 

こちらが本家、京都・清水寺の音羽の滝。超有名な「滝」ですね~

 
本当によく似ていますよね。

京都の清水寺の舞台や音羽の滝は観光客でごったがえしていますが、こちら天王寺の「清水寺」は、舞台も滝も、ひっそりとして、どこにも人影はありませんでした。

そんなことで清水坂を上がり、清水寺を散策した後、次の「天神坂」に向かいました。

「天王寺七坂」は次回で終わります。
皆さん、もう少しのご辛抱です(笑)。

 

 

 

 

 

 

 

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天王寺七坂を散策 ~口縄坂・愛染坂~

2018年11月08日 | ウォーク・自転車

    
今回は松屋町筋を南下して口縄坂を東へ上り、そこから
細い道をクネクネ曲がりながら愛染坂を下るまでの話です。

 

松屋町筋を南へ歩くこと約10分。やがてそれらしきものが見えてきました。写真左のお寺の壁のそばに建っている碑です。

 

ここを左に折れると、その道が口縄坂です。

 


案内板には「坂の下から眺めると、道の起伏がくちなわ(蛇)に似ているところからこの名が付けられたという」とありました。蛇のことを「口縄」とも言うのですね。広辞苑を引いてみると確かに「くちなわ」という項目があり、「蛇の異名」と書かれていました。蛇の姿が朽ちた縄に似ているところから「くちなわ」になった、とのこと。いろいろ勉強になりますわ(笑)。


 

しかし、蛇に似ているんだったら、坂道もクネクネしているのかな、と思いますが、わりに真っすぐです。有栖川さんの小説「幻坂」では、登場人物が「石段が蛇腹みたいに見えるからやろ?」と言う場面が出てきます。そういうことなんでしょうかね~ 

 

  
口縄坂を上がると、ごく普通の街並みですが


坂を上がったところに御影石の碑が建っていました。キラキラと黒光りする表面に、織田作之助の「木の都」という小説の一節が刻まれていました。

  

「口縄坂は寒々と木が枯れて、白い風が走っていた」
という文章で始まっています。これも後から調べて知ったことですが、「夫婦善哉」などで知られ、戦前・戦中の人気作家だった織田作之助は、この界隈で生まれ育ったということです。でも、33歳という若さで他界しています。

ここから次の愛染坂へ行く道が、ちょっとややこしいのです。2年前にも同じコースを歩いたのですが、その時は道を間違って引き返したりしました。今回も少し戸惑いましたが、地図を見たりアテにならない記憶を呼び起こしたりして、狭い道を右へ曲がり、次の角を左へ曲がり、さらに次の辻を右に曲がったりしながら、どうにか愛染坂にたどり着いたのは自分として上出来でした。僕はもともと方向音痴ですので。

4つ目の坂である愛染坂は、その名のとおり、坂の下り口にある愛染堂勝鬘院(あいぜんどう しょうまんいん)から名付けられました。「愛染さん」で有名ですね。


 
右が「愛染さん」こと愛染堂勝鬘院。正面に見える鳥居が大江神社

ところで、「愛染かつら」という、昭和10年代に大流行した映画をご存知でしょうか? この「愛染かつら」という題名は、この愛染堂勝鬘院の中にかつらの木があって、それに由来した題名なのだそうです。

そして映画の主題歌も大ヒットしました。「旅の夜風」という題名ですが、「花も~嵐も~踏み越えて~♪」という歌をご存知の方も多いと思います。この歌を歌っているのは男女のデュエットなのですが、男性の方が霧島昇という当時の人気歌手でした。うちの母が熱烈な霧島昇ファンで、自分の子供にも同じ「昇」という名前をつけたほどです。その子供というのがまぁ、僕なんですけどね。これはホントの話です。ハイ。

話が脱線してしまいましたが、その愛染さんの門前を通り過ぎたところに、大江神社があります。昔、ここへ来て芭蕉の句碑を見て感激したことがありますが、この日、神社の鳥居をくぐってその碑を見ると、老朽化してきたのか字句がほとんど読めませんでした。碑には、

あかあかと 日はつれなくも 秋の風

と刻まれているはずなんですけどねぇ。
「字が薄すぎて読めな~い!」
と、ハズキルーペCMの渡辺謙さんみたいに大声で叫びたいですわ。

この辺りは高台なので、西に沈んでいく夕陽がとても美しいそうです。きっと芭蕉も「あかあかと」した夕陽に感じ入って句を詠んだのでしょう。地名も、このへんは「夕陽ヶ丘」ですしね~


 
右が大江神社で、左が愛染坂です

さてその大江神社から、愛染坂を下ります。

 
きれいな石畳が続きます。

小説「幻坂」では、たまたま愛染坂ですれ違った一組の男女の、その後の数奇な運命が描かれています。そのシーンを思い浮かべながら、「誰かとすれ違わんかなぁ」とふと思ったりしたのですが、残念ながら一人の人ともすれ違わないまま、下まで来てしまいました。

何を考えてるんでしょうね、ボクも。


 
ゴミの袋を見て、あぁここも生活の場なんだと、改めて思った次第です。


ではでは、これで4つの坂を巡りました。あと3つですが、特にこの次の清水坂は、清水寺もあり、おまけに清水の舞台もあり、大好きなスポットです。

それにしても、天王寺七坂の散策をブログに書くとなると、間違ったことは書けないので、いろいろと確認したり、調べたり、有栖川さんの「幻坂」をまた読み返したりして、時間を費やしますが、いい勉強になります。

ブログに書かないのなら「はい、行きました。はい、おしまい」ということになりますが、その点、書くとなると頭を使いますね~。やはり、読んでくださる皆さんに、少しでも自分の経験や感覚を正確にお伝えしたいと念じていますので、ありったけの知恵を絞ってやっております。

ありったけの知恵を絞って、これかいな? と言われそうですけど(ぐすん)。

 

 

 

 


 

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天王寺七坂を散策 ~最も古い大阪が見える~

2018年11月07日 | ウォーク・自転車

大阪の天王寺区には上町台地と呼ばれる台地があって、多くの坂があります。一昨年のことですが、「天王寺七坂」と呼ばれる7つの坂があることをブログ仲間のちひろさんから教えてもらいました。そして、その七坂を舞台にした有栖川有栖さんの「幻坂」という短編集のことも教えてもらいました。そこで当時、さっそく天王寺七坂を歩いたり「幻坂」を読んだりしました。

ちなみに、ちひろさんは関東地方にお住まいですが、大阪がお好きで、僕よりず~っと大阪の知識に詳しい方です。大阪に住んでいる僕が、関東の方から天王寺七坂や「幻坂」を教えてもらってるんですからね~


   
   文庫本で出ています。

ついでですが、有栖川さんの「幻坂」は、去年「大阪ほんま本大賞」を受賞した、ということも付け加えておきます。大阪に興味はあるけれど、そこまではとても行けない、という方は、この本を読んでいただけたら、天王寺七坂やその周辺についての故事来歴も小説の中に多く挿入されています。幻想的な小説ですが、面白くて、とても読みごたえがありますよ。

さて一昨年に天王寺七坂を歩いた時は、スマホで少ししか写真を撮らなかったので、今回は、沢山写真を撮ろうとデジカメをリュックに入れて、出かけました。

で、その天王寺七坂とは、すべて天王寺区にあるのですが

これは「幻坂」の1ページ目に載っている地図です。


 
地図の上(北側)から順に真言坂から逢坂まで散策しました。

この図で説明しますと、谷町筋と松屋町筋が南北に通っていますね。その西側の松屋町筋のほうが低く、そこから谷町筋の方向(つまり東)へ登って行く、ということになります。僕は先週このコースを歩いたのですが、地図の右上に「谷町9」とありますね。ここが地下鉄谷町9丁目駅で、その日はここで下車し、真言坂から一番南の逢坂まで、七坂を登ったり下りたりの散策をしたのでした。

 


 
まず家を出てから地下鉄の八尾南駅まで40分ほど歩いたのですが、
近所の大和川の橋から、あべのハルカスがくっきりと見えたのでパチリ。
写真では近くに見えますが、実際はかなり遠いです

地下鉄に揺られたあと、谷町9丁目駅で降りて地上に出ると、谷町筋と千日前通りが交差しています。


その千日前通りの方を西へ歩くと

すぐに左側に道があり「真言坂」の碑が立っています。


 

天王寺七坂は上の地図を見ていただいたらわかりますが、真言坂だけが南北方向で、ほかの6つの坂はすべて東西方向です。しかも真言坂は7つの坂のうちで最も短くて、周囲の建物もマンションばかりでイマイチ殺風景な感じ。しかし明治の廃仏毀釈まではとても由緒ある場所だったようで、坂の登り口にある立て札の案内板にその由来が書かれています。

  
どの坂にも、このような碑と案内板が立っています。


 

短い真言坂を上がるとすぐに正面に生國魂(いくくにたま)神社の北門。ここはいわゆる「生玉(いくたま)さん」として親しまれている大きな神社ですが、この生玉さんから南の阿倍野にかけては、「寺町」が形成され、多くの神社仏閣が連なる「最も古い大阪」と言われています。

ところがですねぇ。そんなところに、なんとまぁ、「ご休憩料金」などと書かれた看板のホテルがいっぱいあるのです。お寺とホテル。奇妙な取り合わせですけどね~。小説「幻坂」の「真言坂」編でも、主人公の女性が、生玉さんへ行く途中、「歩くのが恥ずかしい場所も通りました」というくだりがありました。そして

「川柳にみる大阪」という本には、

「生玉に お参りでない 二人連れ」

というのが載っていました。
男女が生玉神社の境内を横切って、アチラへ行くってわけですね(笑)。

さて、僕は生玉さんには入らず、横の道を歩き、左前方にあるラブホテルの派手な看板を見ながら(いえ、別に意識して見ていたわけではありませんよ)10分ほど歩くと「源聖寺坂」の立て札が見えました。今度はこの坂を西へ下って行きます。


 
源聖寺坂の石畳を下りてゆく

源聖寺坂は先ほどの真言坂とはガラッと違い、最初はなだらかな石畳、そして途中から石段となり、石段が切れるとまた石畳、そして道は左右に曲がっており、実に変化に富んで趣のある坂道でした。


石段に変わります
 
 
最後はまっすぐ下る石畳の道になり、その先に松屋町筋が見えました

この坂道を降りたところに源聖寺坂の碑があります。この碑の左側に源聖寺というお寺があるので、その名からとっています。 


 
この坂を下ってきたわけです

ここからは車が通る松屋町筋の歩道をぶらぶらと南へ歩き、次の3つ目の坂である「口縄坂」へと向かいました。

 


 

松屋町筋へ。10分ほどこの歩道を歩きます。
道の左側は、ほとんどお寺です


 
 「新選組 大阪旅宿跡」というお寺もありました

では、続きはまた次回、ということにさせていただきます。

一度に七坂全部を書いてしまうと話が長過ぎますし、お読みいただいている方も、多くの坂がごちゃごちゃになると思いますのでね~。ぼちぼちといきます。

 

 

 

  

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大阪城から天王寺までテクテク

2018年10月30日 | ウォーク・自転車

もう10日ほど前になりますが、NHK大阪放送局へ朝ドラ「まんぷく」のスタジオ収録の見学に行ったことを書きました。その際、ウオーキングも兼ねて行ったのですが、今日はその時の写真をご紹介しながら振り返ってみます。

まず家を出て、北に向かって30分余り歩き、地下鉄八尾南の駅へ行きました。駅へ向かう途中、大和川の橋を渡ってしばらく歩いていると、こんなお店の看板が目につきました。


  

ご覧のとおり、ペットショップですが、「ペットのお見合い結婚相談」という文字を見て「へぇ~、そんなものあるんだ」とちょっと面白かったので写真を撮りました。これはペット同士がお見合いをして、お互いに気に入ったら結婚!ということなのでしょうか。気に入ったか入らないか、どうしてわかるの?とも思うのですが、ペットがお互いにデレ~っとしたら成立!ってことなんでしょうか(笑)。

さて、八尾南から地下鉄谷町線に乗って谷町四丁目まで行き、大阪城の方へ歩いて行くとすぐ右側にNHKがあります。そこでの様子は先日お伝えしたとおりですよね。

そしてスタジオ収録見学を終えて、そこからまず目の前にある大阪城公園へ行きました。

先日も書きましたが、そこを歩いているのは外国人ばかりでした。 
 

 
男も女も、大人も子どもも、歩いているのはみんな外国の人。

公園のベンチでパンを食べたり、少しウロウロしたりしたあと、天王寺までのウオーキングを開始です。

NHKと向かい合わせに大阪府警があります。富田林逃走犯の事件を始め、近年、何かと評判の悪い大阪府警ですけどね。その大阪府警の前を通って谷町四丁目に戻り、そのまままっすぐ西へ直進。

時刻は正午過ぎだったので、周辺のビルからぞろぞろとお昼ご飯を食べに行くサラリーマンの人たちが出てきて、歩道は埋まりました。ついさっきは外国人だらけの中を歩き、今度は勤め人の人たちの中に交じって歩く。旅行者でもなく仕事をしているわけでもなく、ただ歩いているだけの自分は、いったいどういう存在なのか? つまり単なるヒマ人か(笑)。な~んて思ったりしながらテクテク歩いて、やがて御堂筋に出ました。

 

 

この交差点を左に曲がり、少しだけ御堂筋の雰囲気を味わった後、本町からは左折して、もう一筋東側にある心斎橋筋への道に向かって歩きました。 

 

 
本町心斎橋筋商店街に入ります。

このへんはまだ人は少ないけれど、ここから戎橋に向けて、どんどん人が増えてきます。これまた外国人の皆さんが圧倒的多数を占めています。特に中国人が多く、商店街にはドラッグストアが沢山あるのですが、店頭に女性店員さん(日本人)が立っていて、中国語で呼び込みをしていました。そこへひとつのグループが店の中に入って行くと、店員さんは「シェイシェイ」と声を上げていました。もうこのあたりのお店は、外国人観光客がいないと、みんなつぶれてしまいそうですね。

 

 
心斎橋筋商店街を通り抜け、グリコのポスターで有名な戎橋へ。
ここは今や大阪のミナミを象徴する場所になっています。

ここに写っている人たちのほとんどが外国人です

この橋の下を道頓堀川が流れており、最近はサッカーW杯で日本が勝ったりすると、ここで大騒ぎして川へ飛び込む若者たちが増えています。大騒ぎと言えば、ここ数日の東京・渋谷でのハロウィンのバカ騒ぎの様子をテレビで見ましたが、車を横転させたり派手に喧嘩したり痴漢が出たりと、なんだかねぇ。ちょっとひど過ぎますよね~

さて、戎橋筋を進んで行くと広い道路に出て、信号を渡って千日前へ。「ここも久しぶりやなぁ」と思いながら、昔はよくビールを飲みに入った「たよし」という店の前を通りました。そしてなんばグランド花月の前を通過。ここはいつも賑わっています。

そのまま歩いて行くと、道幅が少し狭くなって「道具屋筋」に入ります。 


  
 道具屋筋。

道具屋筋は食の道具の専門店が密集する珍しい商店街です。のれんや提灯を扱う店から鉄板焼き機(たこ焼き機もたくさんあります)、厨房道具、各種食器など、料理好きの人には大人気の商店街です。 

道具屋筋を抜けると日本橋に出ます。

日本橋は一時に比べてすっかり人の数が減りましたね。歩いている人も少ないし、軒を並べる電気店にもあまりお客さんは入っていないし。

日本橋の通りが終わると、通天閣が見えてきました。
 

  


  
  アップで撮ってみました。

通天閣の下を通り抜けると、串カツ店で賑わういわゆる「新世界」と呼ばれるエリアなんですが、久しぶりに来ましたが、ここもまた何となく人の数が少ない。軒を並べている串カツ店にもお客さんはほとんど入っていないし、どの店も、男の人が前に出て、道行く人に「は~い、串カツはいかがですか~」と呼びかけ、僕も何人もの人に声をかけられました。ここも往時の人気はなくなってきたのでしょうか?

そして新世界から天王寺動物園の入口の横にある階段を上がって、歩道橋を渡り、天王寺公園に。

この天王寺公園は、以前はホームレス風の人たちが大勢いて、あまり良い環境ではなかったのですが、3年前にリニューアルされ、家族連れや遠足でにぎわう素敵な緑のオアシスになりました。今は「てんしば」と呼ばれています。「天王寺の芝生広場」で「てんしば」なんですよね。

その「てんしば」に来ると、家族連れの人たちがシートに座っての団らん風景があり、写真には写っていませんが、右側のほうには大勢の遠足の小学生たちが座っていました。  

その向こうに「あべのハルカス」がド~ンと建っています。


 

いつぞや、チンチン電車の路面をたどって住吉大社まで歩いた時も、遠くにあべのハルカスが見えている写真で終わりましたが、今回もあべのハルカスがゴールとなりました。

で、阿部野橋駅から電車に乗って帰途につきました。

住吉大社を歩いたのが8月下旬でしたが、その翌日から右のお尻から脚にかけてひどく痛み、病院へ行ったりして、その後だいぶ良くなりましたが、今も少しは痛みます。でも、歩いているうちに痛みが消えるので、そこそこの距離なら歩けるようになりました。

そんなことで、約2ヵ月ぶりの「遠征ウオーキング」でした。歩いた時間はトータルで3時間ぐらいでしたが、何しろNHKのスタジオ見学の時に1時間半立ちっぱなしでしたのでねぇ。足はやはり疲れましたわ。ハイ。

 

 

 

 

 

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東日本大震災から7年7ヵ月 

2018年10月11日 | ウォーク・自転車

今日は10月11日。
東日本大震災から今日で7年7ヵ月が経ちました。
そのことと、また自転車旅行の話とを、絡めてするわけですが

昨日、大阪富田林の逃走犯である樋田容疑者と一緒に、日本一周自転車旅行をしていたという44歳の男性が、記者会見を行っていました。

この男性も、盗んだ自転車で日本一周をしていたということで同時逮捕されていたのですが、盗んだのは放置自転車だったらしく、占有離脱物横領容疑ということで「処分保留」で釈放されたので、会見に至ったようです。

ところで、この男性が会見の中でこんなことを言っていました。樋田容疑者が日本一周自転車旅行のフリをして逃げていたことについて、

「これでは、日本一周自転車旅行をしている人たちに迷惑がかかります」

な~んて、言ったのです。
ホントにねぇ、お前も自転車を盗んだのに、その口で言うか?

まぁ、そんなニュースを見る都度、何度も書くことですが、昔の自分の自転車旅行のことを思い起こさずにはいられません。

一人で黙々と自転車旅行をしていると、やっぱり人恋しくなります。どこかで同じような自転車旅行者に会うと、当然ながら話がはずみます。それぞれの経験を通じて、どこの宿はメチャ安いとか、どこの大学は貧乏旅行の若者を校内に泊めてくれるとか、中にはオレの家はここだから、母ちゃんに電話しとくからそこへ寄って泊まって行けとか、いろいろな話に発展していきます。

そして、これから行く方向が同じだったら「じゃ一緒に行こうか」という展開にもなるんですよね。

僕が北海道へ自転車旅行をしたときにも、一緒に走った人が何人かいます。でも、ほとんど1日か2日だけでした。しかし、1人だけ、9日間一緒に走った人がいました。

先日も書きましたが、北海道の帯広駅で会った男性です。Nさんと言って僕より何歳か年上、東京の新宿の人で、仕事を休職し、日本一周中とのことでした。

僕はそのNさんと、帯広~えりも岬~苫小牧~函館~青森と、9日間も2人で走りました。夜はそれぞれテントを張っての野宿やバス停のベンチで寝たりしながら、青森県の野辺地というところでいよいよ別れの時が来ました。

道路が右と左とに分かれていました。

右(西側)は国道4号線で、青森市へ通じる道。左(東側)へ行けば三沢、八戸方面に行くというところです。僕は左の道、つまり八戸方面から太平洋側を走って大阪への帰路に向かいます。逆にNさんは右へ行き、日本海側を通って西日本へ向かうのです。

「じゃぁここで」
「元気でね~」
と手を振り合って、僕たちは右と左に分かれました。

その後、お互いに旅行が終わり、ハガキや年賀状のやり取りをしていましたが、やがてNさんは宮城県・石巻市の花屋さんの娘さんと結婚され、その花屋さんの主人となりました。「ま、婿養子みたいなもんです」とハガキに書かれていました。そしてそれから何十年もの歳月が経ち

2011年3月11日の東日本大震災の大津波で、石巻の花屋さんも大きな被害に遭われたのです。

僕はNさんに安否確認の電話をしましたが連絡は取れず、震災から9日後にやっと電話がありました。

「ご心配をかけていますが、当方はみんな無事です。電話がつながらなかったので誰にも連絡できなかったのです。1階の花屋は全滅ですが、2階でなんとか生活できています」

とのことでした。

それ以降、毎年、3月11日が近づくとNさんからハガキが来ます。そのハガキを見るたびに、あの大災害のことを、僕たちは決して忘れてはならないのだと改めて心に刻み込んでいます。

さて、繰り返しますが、今日は10月11日で、大震災から7年と7ヵ月が経ちました。それで被災されたNさんのことを思い、また、逃走犯と同行の2人の「サイクリスト」のニュースが報じられる中で、Nさんとの昔の自転車旅行の思い出にも触れました。

最後に、今年3月に届いたNさんからのハガキをご紹介します。

 



   

 

  


 

 

 

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富田林逃走犯 日本一周自転車旅行とは

2018年10月03日 | ウォーク・自転車

よくもまぁそんなことを考えついたと思う。富田林逃走犯の樋田容疑者が「只今、自転車にて日本縦断中!」な~んて、得意げな顔をして写真におさまっているのを見て、何とも言えない思いがつき上げてきた。姿をくらましてから50日近く、一体どこで何をしているのだろうと思っていたら、自転車旅行者を装って旅をしているというとんでもない方法で逃げていたとはねぇ。

 

  


20歳で北海道往復、29歳で四国1周、30歳で九州1周、31歳で中国地方を走り、一応ツギハギではあるが自転車で日本一周を達成した経験を持つ僕としては、全国に指名手配されている犯人が、こういう手法でスイスイと警察や市民の目をあざむいて逃走するという発想に、まず驚いた。しかし、方法として「うむ、やりよるなぁ」とも思った。

自転車旅行だと、野宿をしても怪しまれない。僕も、当時は道の駅はなかったけれど、基本的には道端や広っぱにテントを張って野宿をし、時々ユースホステルや民宿で泊まり、列車の駅のベンチやバス停のベンチで寝たりもした。新潟駅では、バス停のベンチで寝ていると警官がやってきて「頑張ってね」と激励してくれたし、北海道の紋別の交番所ではおまわりさんに「ここで泊まりなさい」と、交番所に泊めてもらったりした。ほかにもそういう経験はたくさんした。この旅行で、どれだけの見知らぬ人々にお世話になったことだろう。

そんなことで、「自転車で旅をしています」と言うと、たいていの人は親切に接してくれる。この逃走犯も、道の駅で野宿をしていたら、雨が降って来たので建物の中に入れてもらったという。とにかく「気をつけて、がんばってねぇ」と好意的に接してもらえるのだ。

この樋田容疑者は、途中から、実際に日本一周自転車旅行をしていたという住所不定で無職の東浩司(44歳)という男と2人でサイクリングをしていたという。その東浩司という男も、自転車の横領容疑で同時に逮捕されたそうで、つまり2人とも自転車泥棒だった? なに、それ? わけがわかりませんわ。

それにしても、樋田容疑者の自転車の写真、見ました?


 

 

ものすごい荷物ですよね。テント、寝袋をはじめ、料理をするための鍋類や包丁から釣り竿、傘など、いろんな道具を乗せていたようです。この写真を見て、本当にびっくりしました。これなら、だれが見ても日本一周だと思いそうですね。ホームレスじゃない限りね。

僕は北海道へ行った時は70日間の旅行で、テントと寝袋は必需品でしたが、それ以外に、ご飯を炊くためにお米や飯盒など、いろいろ持って行きましたが、こんな大荷物ではありません。ちなみに、これは琵琶湖大橋の近くで撮った写真ですが、まあ、これくらいの荷物でした(ただし、旅の途中でもらいものがあったりして、帰途はかなり増えていましたけどね)

 

   


自転車で日本一周といえば、一見目立ちそうな行動ですが、警察署から逃げ出した指名手配犯がその人間だとは、まず誰も思いませんよね。警察官だって思わないのではないでしょうか。完全な死角ですものね。そういうウラをかくということにかけては、この樋田容疑者は天才的なものを持っているのかも知れません。でも、やっぱり日が経つにつれて、「これなら大丈夫」という油断も、どこかで生まれはじめていたようにも見えます。

こんなことが起きたら、しばらくは、実際に日本一周自転車旅行をしている人たちも、ヘンな目で見られるかもしれませんね。はた迷惑な話ですわ。

それと、結局山口県の道の駅で万引きをしたから、そこの警備員に見つかって逮捕に至ったのですから、警備員(それも2人の女性だそうです)のお手柄ですね。ここでもまた、警察は何をしとるんだ、ということになりそうです。富田林警察の間抜けさ、大阪府警の捜査方法の甘さ、などが、今回の逮捕劇で益々言われるのでしょうね。

それにしてもね~
何だかこの事件、自分の周辺との関連が多すぎます。

樋田容疑者は大阪府松原市に住んでいて、僕はその松原市の市役所に38年間勤めていました。そして、わが家から近い富田林から逃走し、となりの羽曳野市で自転車が盗まれ、その自転車で「日本一周」の旅とはね~

しかも先週終わった朝ドラ「半分、青い。」に続いてBSで放映されている火野正平さんの「にっぽん縦断こころ旅」について、前々回のブログに書いたばかりなのに。

火野さんも番組の中で、自転車で日本中を走っています。
こちらは「にっぽん縦断 こころ旅」というタイトルなのですが

樋田容疑者の場合は、

「にっぽん縦断 逃げろ旅」ってことになりますかね~

 

 

 

 

 

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チンチン電車の路線を歩く 🎵

2018年09月19日 | ウォーク・自転車

阿倍野から住吉大社まで、大阪で唯一のチンチン電車の軌道に沿ってウオーキングをしたのは、今から3週間以上前の8月27日でした。その翌日から右のお尻から脚にかけて痛みが出て、歩くのがしんどい状態になったのですが、小康状態の時もあったので放置していたら、今月7日に激痛が走り、ほぼ歩けない状態に。やむなく8日に病院へ行き、検査をしてもらい、リハビリの指導を受けたりしたということをこれまでのブログに書いてきました。

そして今では痛みもなくなり、普通に歩けるようになりました。そこで、8月27日のウオーキングのことを、やっと掲載できるところまでこぎつけたわけです。その様子を、写真を中心にご紹介したいと思います。

大阪で唯一のチンチン電車正式には阪堺電車というのですが、この路線図を見ていただいてわかるように、左側の阪堺線というのと右側の上町線という2つの路線があります。今回、僕は天王寺駅前から出る上町線のほうを歩きました。

 

   

目的地だった住吉大社(地図の一番下)は2つの路線が合流するところにありますが、上町線の天王寺駅前から住吉大社までは全長約5キロほど、とのことです。僕は往復歩いてさらに回り道をしたり、帰りに阿倍野でウロウロしたので、全部で15キロ以上は歩いたのではと思います。

さて、近鉄の阿倍野駅に着き、ウオーキングの開始です。まずチンチン電車の始発駅の近く、あべの筋のアーケードの下を南に向かって歩きます。

 

道路上に軌道があり、その向こうに、
よく行くキューズモールがあります。

そのキューズモールの前を、チンチン電車が走ってきました。
終点の天王寺駅前はすぐ目の前です。

 

これは、住吉大社方面へ行く電車ですね。ちなみにチンチン電車の料金は全線210円の均一料金です。下車するときに、運賃箱にお金をいれます。もっとも、僕はこの日は電車には乗りませんでしたけど。

こうしてあべの筋からずっとチンチン電車が見えるのですが、電車は松虫というところで路面軌道から専用軌道に入って斜め向こうへ走って行きます。僕はそのままあべの筋を歩き、しばらくは電車道とお別れ。播磨町という大きな交差点があって、東西に走る「南港通り」という道路を右折し、そこをテクテク行くと、姫松というところで再び電車の路面軌道と再会しました。そこから再び路面軌道に沿って歩きました。

チンチン電車の軌道があり、車も走っているのですが、
このあたり、なぜか歩道がありません。人影も少ない。

 

手塚山三丁目の停留所。
このあたりから、住吉界隈の観光スポットに入って行きます。

しばらく行くと、左側にその観光スポットのひとつ、
万代池公園が見えたので、公園の中に入ってみました。

美しい公園で、池には噴水が優美に吹き出しています。
池の周囲はウオーキングコースになっています。
近くにこういう憩いの場所があればいいですね~。
 


  

チンチン電車は、旧型のレトロな電車から、
このような低床式の新型トラムまであり、
カラフルで変化に富んでいます。
見ているだけでも、十分楽しいですね。

ここを真っすぐ歩いて行くと…

次に帝塚山4丁目の停留所というより、駅ですね。
ここからまたチンチン電車は路面軌道から専用軌道に入ります。
専用軌道に入ってもスピードは上げず時速は40キロ程度だとか。
ゆっくりと、マイペースで走るチンチン電車なのです。

道はまた軌道から離れたので、僕は左側の道を歩いて、
地図を見ながら、再び線路の方に近づいて行きました。すると

南海本線の鉄道と交差するところで、チンチン電車は高架を走ります。
こうして見たら、あんまりチンチン電車のようには見えないですよね。

そうして、地図を確かめながら住吉大社の方向へと歩いて行くと、 

左側の専用軌道から、路面軌道に変わりました。
僕は左側の踏切を渡って来ましたが、右の道路にも、
別の路
面軌道が走っています。これがもう一つの阪堺線で、
前述しましたように、ここで上町線と阪堺線が合流しています。

そして、その合流したところで、
目的地の住吉大社が見えてきました。

その住吉大社に入ります。 

 

住吉大社は、1800年の歴史を持ち、
大阪一の初詣者数で賑わう所です。
こんな有名な神社なのに、僕は子供の頃に来たきりで、
それ以降、少なくとも60年近く来ていませんでした。
 

中に入ってみると、これはほんの一部なのに、
その規模の大きさがわかりますね。
 

 

子どもの頃、名物の太鼓橋のことはよく覚えています。 

 

その太鼓橋の向こうの橋へ行くと、お2人の女性の方がおられ、
若いほうの女性が一眼レフの高級カメラを持っておられたので、
思わず近づき、「すみません、写真を撮っていただけます?」
とデジカメを出して
お願いしたところ、快く応じていただき、
何枚か、撮ってもらいました。そのあと、今度はお2人から、
「じゃあ、私たちも撮っていただけます?」と言われたので、
もちろん撮りましたよ。しかし高級カメラだったので、
ちょっと扱い方がややこしかったですけど、撮り終えて、
確認してもらったら、ちゃんと撮れていました。
 

これは、僕が撮ってもらった写真です。
バックに太鼓橋が見えていますよね~
 


 

さて、そんなことで住吉大社を歩き回った後、
帰途は上町線ではなく、阪堺線の軌道沿いを歩きました。
 

来るときは右の上町線から来たのですが、
帰る時は左の阪堺線沿いのほうを歩いたわけですね。
住吉大社はこの右の後方にあります。

 このあと、粉浜の商店街を歩いたり、うろうろ。
そしてこの道路に戻り、塚西というところで南港通を右折。
そして姫松を通過して、行きに通った播磨町であべの筋に合流。
 

ここからまたあべの筋を天王寺に向かって歩いて行くと、
はるか前方にあべのハルカスの高いビルが見えました。
 

あべのハルカスがスタート地点でもあり、ゴールでもありました。 

 

★しかしまぁ、これが原因で翌日から下半身に痛みが出たのですからね~。これまでず~っと歩き方なんか気にせず、漫然と歩き続けていましたから、きっと、加齢などにより、筋肉が衰えてきたのでしょうね。これに懲りたので、今は腰や下肢に変な負担がかからないような「正しい歩き方」の理論を本で研究し、ぼちぼちと実践練習もしています。ある程度慣れたら、また長い距離にチャレンジしてみたいと思っています。

長くなりましたが、最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

 

 

 

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少女マンガ 「ヘタリア」 を求めて

2018年08月20日 | ウォーク・自転車

少し涼しくなったようなので、久しぶりに長い距離を歩いてみようと思い立ち、土曜日に阿倍野まで歩きました。距離的には家から15キロ弱だと思いますが、最近あまり長い距離を歩いていないのでボチボチ行こうと、途中で喜連瓜破というところにある「イオン」のフードコートに入り、冷たいものを飲んで休憩しました。冷たいものと言ってもビールではありませんよ。ウオーキング中ですものね。ジュースです、もちろん(笑)。

イオンを出て、再びテクテク。お昼前に阿倍野に着きました。あべのハルカスの周辺は普段以上の人混みでした。夏休みだし土曜日だし、ということで、家族連れや中高生ぐらいの女の子たちで賑わっていました。

キューズモールで椅子に座ってまた休憩しながら、妻に「着いたよ。阿倍野で何か買うものはない?」とメールを送信。すると妻から、

モミィが本を買ってきてほしいと言っています。
少女マンガで「ヘタリア Axis Powers 1巻と2巻」です。

という返信が届きました。

そういえば、ついこの前、近くの書店に何かの本を買いに行ったら置いていなかった、とかなんとか言っていたなぁ。この少女マンガのことだったんだ。まぁ、阿倍野なら大きな書店が何カ所もあるので、では探しに行ってみよう、とまた僕は人混みの中を歩き始めました。

それにしても、僕は本が好きだから、今までどれだけの本を買ったかわからないけれど、書店で1人で少女マンガを買うというのはわが人生で初めてのことです。この歳になってもまだ「初体験」というのがあるんですよね(笑)。

まずキューズモールにある「くまざわ書店」へ行き、「コミック」のところをウロウロしてお目当ての本を探したのですが、あまりに数が多くて、どこにその本があるのかわからない。なにせ少女マンガなので、店員さんに聞くのも何だか恥ずかしいし、また本も「ヘタリア」というちょっとヘンなタイトルなので、自分で探そうと頑張ってみましたが、やっぱり見つからない。仕方なく、近くにいた女性店員さんに、
「すみません。この本の1巻と2巻を探しているんですけど」
と、スマホの画面を見ながら、いかにも「頼まれて買いに来たんだべ」という雰囲気で尋ねました。するとさすが店員さん。即座に「こちらへどうぞ」とすぐに案内してくれた書棚に「ヘタリア」はありました。

しかし店員さんは、
「あれぇ、すみません、1巻はありますが、2巻がないですね~」
と言われたので、
「あぁ、1巻だけでもいいです。はい、ありがとうさん」
と、その1冊を持ってレジへ行きました。

次に僕がいつも行く「MIO」9階にある旭屋書店へ行って「2巻」を探しました。しかし、これもどこにあるかわからないので、レジのお姉さんに「少女マンガの『ヘタリア』の2巻が欲しいんですけど」と伝えると、手元の機械で在庫の検索をしてくれましたが
「ありませんね。お取り寄せになりますが」
ということだったので、お断りしてその店を出ました。

ではアベノハルカスの近鉄百貨店へ行こう。ここに入っているジュンク堂書店なら、僕は普段はあまり行かないのだけれど、先の2店よりかなり大きいので、たぶん置いているだろう。

あべのハルカスはタワー館とウイング館の2つがあって、ジュンク堂書店はウイング館の7階にある。しかし、行ってみると店があまりに広すぎて、どこにどんな本が置いてあるのやらさっぱりわからない。そこでまた店員さんに尋ねると、
「そうですね。え~っと」
と一呼吸おいてからマンガのコーナーに連れて行ってくれ、「ヘタリア」を見つけてくれたが、
「あ、1巻がありませんわ」
と申し訳なさそうに言った。でも大丈夫。1巻はさっき買った。欲しいのは2巻で、それは目の前にあったので。
「いいです、いいです。2巻だけいただきますから」
と、それを手にして、レジに向かった僕なのでした。
これでリクエストの2冊、無事に手に入れることができました。

 


  
「ヘタリア」の第1巻。
ネット広告では各巻556円(税抜き)と書かれているのに、
実際の税抜き価格は1巻が972円、2巻が1,000円でした。
どうなっちゃってるんでしょうね?


本を買い終えた時、すでに昼を過ぎていましたが、歩きすぎて疲れたのと、ドリンクばかり飲んでいたせいかお腹が減らない。キューズモールの地下で、よく行く「赤のれん」という、おいしいアテとビールのある店にでも入ろうかと思っていたけど、やめてそのまま電車で帰ることにしました。

帰宅した時は、かなりクタクタの状態になっていました。
「おかえり。お疲れさま」と妻が出迎えてくれました。
「本、ありがとう」と、モミィも。

阿倍野までの長い距離を歩いたうえ、少女マンガの「ヘタリア」を探しまわったので、もうヘトヘト。

僕のほうこそ、この日は、歩き過ぎてヘタリアでしたわ。

 

 

 

  
 

 

 

 

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ウダウダ会 吉野へ

2017年11月09日 | ウォーク・自転車

11月3日。久しぶりにウダウダ会に参加しました。去年の6月に和歌の浦へ行ったのを最後に、その後何度か案内はもらったのですが、予定があったり不整脈(心房細動)が心配だったりして欠席が続きました。特に不整脈はいつ出るかわからない不安があるので団体行動はむずかしい、と先日も書いたところですが、今回の案内状の最後には「今度は絶対に来てや!」と、会長さんの自筆での熱心なお誘いもあったので、出席することにしました。この日は幸い体調が良かったので、楽しく過ごすことができ、ホッとしています。

その、約1年半ぶりのウダウダ会で、今回行った先は吉野山でした。

吉野は近鉄南大阪線の終点でかなりの奥地です。最寄りの駅から電車に乗り、途中、古市という駅で降りて吉野行の電車に乗り換えるのですが、その古市駅のホームで久しぶりにウダウダ会の仲間たちと合流しました。

「久しぶりやねぇ、元気?」
「変わってないねぇ」
などと、久々に会うメンバーが笑顔で迎えてくれました。参加人数はざっと15人くらいでした。

ここから1時間以上電車に揺られて吉野まで。僕の座席の左隣には2人の女性、右隣は僕と同じ苗字で何歳か年下の男性で、右を向いたり左を向いたりして、雑談に興じていたら、あっという間に吉野駅に着きました。

本来なら吉野駅から吉野山までロープウェイが出ているのですが、2月まで運休とのことで、代替バスで山上まで行きました。

吉野といえば南北朝時代の南朝のあったところで、史跡に富んでおり、また桜の名所としてもよく知られています。

山上駅からしばらくの間、沿道に店が並び、この日は祝日でもあったので道はかなりの人たちで賑わっていました。そのまま歩いて行くと金峯山寺(きんぷせんじ)が見えてきました。ここは修験道の中心道場でもあった有名なお寺です。


 
  バスから降りてしばらく歩いて行くと

   
 峯山寺が。
ここは仁王門で、現在は「大修理中」ということでした。

 
こちらは同じく金峯山寺の蔵王堂への入口です。

  


ここから少し歩くと、吉野朝宮址へやって来ました。

 
南北朝時代に後醍醐天皇が開いたと伝えられる南朝の皇居の跡です。
今は、公園のような形で残り、正面には「南朝妙法殿」が建っています。

さらに進んで行くと、途中で「脳天大神(のうてんおおかみ)」という案内板があり、「そこへ寄ろう」と言うことになって急な階段を下って行きました。 


 
「首から上の守り神」の脳天大神をめざして、この道を下って行きました。

僕は脳天大神のことを知らなかったのですが、横からメンバーの1人が「吉野の脳天さんは有名なんやで」と説明してくれました。「脳天」というんだから「認知症の予防?」のような感じですが、実際に行ってみると、入試合格祈願などが多いようでした。ま、いずれにしても首から上に霊力を与えてくださる神様なんだそうです。


 
急な階段をずんずん下って行って、やっと着いた! 


 
脳天大神の正面にやってきました。
左のほうの立て札には、
「入試合格・学力向上・頭痛平癒。首から上の願い事に霊験あらたかです」
と書かれていました。

お参りを終えて「じゃあ戻ろう」と、いま下りて来た急な階段を今度は登って行くのですが、これほどのきつい上り階段が延々と続くと、心拍が気になります。僕の場合、心拍数が急に上がると心房細動が出る恐れがあるので、かなり慎重に登りました。階段を登る脚力には自信あるのですけどねぇ。
心肺のほうが心配なのです(ダジャレを言うてる場合か!)。

さて、なんとか無事に元の道に戻り、我々ウダウダ会の一行は、また歩き始めました。

ここでコースのマップを見ていただきます。


 

吉野ロープウェイと道路が交わる所から僕たちは歩き始めました。途中に金峯山寺があり、その先に「勝手神社」というところがあります。その手前を右に曲がって県道257号へ。このあたりから僕たち以外の人の姿や民家がほとんど見えなくなり、ただ道路が伸びているだけ。のどかな光景が広がりました。

 ここは才谷という集落なのですが、道すがら、大きな一本杉があって、これも有名なんだそうです。そこへ地元の男性の方が現れ、この一本杉についてガイドをしてくれました。 


 
右上の黒っぽい服装の男性が地元の方で、一本杉の説明をしてくれました 


 
才谷の集落をテクテク。実に気持いいウオーキングです

それからさらに細い道へ入り、道を上がったり下ったりしながら、旧・才谷小学校前を通り、昼食の場所に着きました。道から少し高いところにある東屋で、ウダウダ会の幹事の人たちが下見をして、この場所を選んだということです。下の方に「ゲストハウス山桜」という宿泊施設があり、そこの方のご厚意でトイレをお借りすることができたので、この東屋に決めたということでした。 


 
「ゲストハウス山桜」が眼下に見える場所で昼食をとりました。
このゲストハウスは先のマップの一番左下に図で描かれています


実はウダウダ会の数名の幹事の人が「食料補給隊」として、一足先に車でここまで来ていて、大きい鍋やプロパンなどを持ち込み、僕たちが着く前におでんやおにぎり、ビール、酒などを用意してくれていたのです。まあ昼食というより、これはもう宴会ですよね(笑)。

ここでおでんをアテにビールやお酒を飲み、数時間後、予約のタクシー数台が迎えに来てくれたので、みんなそれに分乗して近鉄線の下市口というところまで行きました。そこから電車に乗って帰途に着いた、というわけです。

1年半ぶりにウダウダ会のみんなと会って、思い切りしゃべって笑ってと、時間の経つのも忘れ、楽しく過ごすことができました。会長のNさんはじめ、メンバーの皆さんに感謝です。

ありがとうございました。

 

 

 

 

 

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「アホの坂田」師匠とバッタリ

2017年05月20日 | ウォーク・自転車

坂田利夫という大阪のお笑い芸人がいますよね。現在76歳だそうですが、今でもたまにテレビに出て笑いを振りまいています。この人にちなんだ忘れられない笑い話が僕の若い頃にありました。今日はまずその話から始めたいと思います。

学生時代の友人に坂田という男がいました。下の名前は忘れましたが、利夫ではありません(笑)。彼は大阪府松原市に住んでいました。松原市といえば、僕が住んでいる藤井寺市の隣の市ですが、僕はその松原市役所に38年間勤めたので、今となれば、さまざまな思い出に満ちた町でもあります。

これは、僕がその市役所へ勤め始めた頃の話です。当時、坂田利夫は「アホの坂田」のギャグで、一躍人気が沸騰したころでした。

ある日、友人の坂田クンが松原駅前でパチンコをしていたら、館内放送が流れた。この時代は携帯電話がないので、パチンコへ行っている人に連絡する方法は、その店に電話をかけることだった。店はそれを受けて「〇〇の何々さん。お電話がかかっております。カウンターまでお越しください」という館内放送を流すのである。で、ある時、パチンコに興じていた坂田君が館内放送で呼び出されたのだ。放送で「アホの坂田さん、アホの坂田さん、お電話がかかっておりますのでカウンターまでお越しください」と流れたのである。(ほんまの話です)。

実を言うと、松原市には「阿保」という地名がある。市の中心地で、現に松原市役所の住所は「松原市阿保1丁目1番1号」である。当然その周辺は「阿保」であり、坂田クンが住んでいたのも阿保だった。だからパチンコ店で「阿保の坂田さん」と呼ばれたわけで、まあ例えてみれば「自由が丘の田中さん」というのと同じようなものなのである。

しかし店内のお客さんたちは「アホの坂田さん、お電話が…」という放送を聴いて「えっ?」と思っただろうなぁ。当の坂田クンは、その話を僕にした時、僕が大笑いすると、「笑いごとやないで、ほんまにぃ」と顔をしかめていた。まぁ、確かに本人にとっては笑い話では済まないのかもしれませんね~

と、そんな古い話を持ち出したのは、他でもありません。その「アホの坂田」さんに、先週の日曜日に、ばったり会ったのです。


    


前回のブログ「大阪の清水寺へ」の続きになるのですが

天王寺の清水寺の舞台や玉出の滝を見た後、四天王寺に向かって歩き始めたのですが、近くに母のお骨を納めている一心寺があるので、そこへ寄り、お線香を上げました。大勢の人でにぎわっている中を、境内のベンチに座って少し休憩したあと、さぁ戻ろうと門の方に歩いて行きました。そして門を出たところで、隣に黒い帽子をかぶったおっちゃんが女性と二人連れで歩いていました。ふとそのおっちゃんの顔を見たら、なんとあの坂田利夫さんそっくり。いや、間違いない。ご本人だ。

そう確信して、僕はおっちゃんの顔を覗き込んだ。お互いに目が合った。僕がニコッと笑うと、おっちゃんもニコっと笑顔を返した。そして「日曜日は、人でいっぱいでんなぁ」と僕に声をかけたのである。その声はまさしくテレビで「あ~りが~とさ~ん」とギャグを飛ばしていたあの坂田利夫師匠の声である。「そうですね~」と僕も再度、笑顔を返した。

顔もほっそりとし、体も華奢な感じだったけれど、いいお顔をされていたし、表情もとても優しくて、愛想もよかった。決して「営業用」の愛想ではなく、実際に優しい人なんだろうな、と想像できる。その横にひとり、女性がついていた。この人もニコニコと柔らかい表情を浮かべていた。坂田師匠は結婚はされていないので、これは妹さんかそれに近い身内の人なのだろうか。僕は立ち止まって、記念にと思い、師匠と女性の後姿をスマホで撮影した。


 
黒の帽子、黒のパーカー、黒のパンツの坂田師匠。
ほっそりとしておられたが、なかなか気品の漂う人だった。


道路に出るとタクシーが待っていて、坂田師匠と女性はそこに乗り込んだ。僕はその近くの道路わきに立ち、信号待ちをしていた。そこへタクシーが発進して目の前に来たので、僕は思い切り手を振った。すると、車の中の坂田師匠も女性の方も、窓越しに、僕に向かって会釈しながら満面の笑顔で大きく手を振ってくれた。

今度テレビで坂田師匠が出てきたら、きっと僕は画面に向かって「いよっ、師匠!」と声をかけることでしょう。最近あまりテレビには出られていませんけど、お元気そうだったので、ぜひ出てきてほしいものです。

 

 

 

 

 

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大阪の 「清水寺」 へ

2017年05月18日 | ウォーク・自転車

14日の日曜日に五ツ木の模擬テストがあったので、モミィに付き添って、3人で出かけました。今回の会場は、大阪四天王寺の境内にある四天王寺学園。試験時間は午前8時半から12時までで、その間、妻は「保護者控室」で待機し、僕は学校を出て周辺を散策することにしました。まあ周辺を散策というよりは、実は行きたい場所があったのです。

その場所と言うのは、天王寺にある清水(きよみず)寺でした。

そうです。先日もブログに書いた京都の清水寺と同じ名のお寺が、実は大阪にもあったのです。このブログにコメントをくださっているちひろさんから、去年に教えてもらって初めて知りました。

大阪の天王寺区には上町台地と呼ばれる台地があって、多くの坂があります。そのうち「天王寺七坂」と言われる7つの坂があること、そしてその七坂を題材にした有栖川有栖さんの「幻坂」という短編小説集があることも、ちひろさんに教えてもらいました。そこで、僕も「幻坂」を読んだり、天王寺七坂を歩いたりしたのが去年の6月のことでした。

その七坂の一つが清水坂で、坂を上りきったところに「清水寺」があります。去年歩いたときは、お寺の横を通っただけでしたが、先日のちひろさんのコメントで「舞台」があることも知ったので、その日、モミィの試験場の四天王寺から近いその清水寺をぜひ訪ねてみようと思ったのです。

 
 

  

天王寺七坂のマップです。左が北になりますが、このマップのほぼ真ん中に清水坂があり、その右側に「玉出の滝」と「清水の舞台」とありますが、そこが清水寺です。その右に安居神社とあるのが、真田幸村が討ち死にしたと言われる場所で、さらにその右側に僕の母親のお骨を納めた一心寺があります。

 


  
天王寺七坂を題材にした有栖川有栖さんの連作集「幻坂」。
その第一章に「清水坂」が出てきます。

 

 
ここが清水坂。

坂を上がったところにこんな立て札が。


   

 

そして清水寺へ。 

 


 

この清水寺は正式には「有栖山清光院清水寺」というそうなのですが、以前は有栖寺と呼ばれていたそうです。といっても、有栖川有栖さんとは関係がありません。念のため。

その昔、京都の清水さんから千手観音をいただいたことで、名を清水寺に改められたということです。お寺が高台にあるので、本家を真似して「舞台」を造り、さらに境内に「音羽の滝」とそっくり同じ形の滝をこしらえて、大阪版清水寺ができたということが、「幻坂」に書かれています。


 

お寺に入るとお墓が並んでいます。
その向こうの突き当りが「清水の舞台」です。


 

舞台から大阪の街が一望できます。左の方に通天閣が見えますね。
昔はこのすぐ下まで海で、ここから眺める夕陽が美しかったとか。
このあたりは「夕陽丘」というのですが、地名はそこから来たそうです。


 

舞台から下へ降りると、「玉出の滝」がありました。
先日、京都・清水寺の音羽の滝へ行ったばかりですが、
この玉出の滝も、音羽の滝を模したものです。
筧(かけい)が3本突き出していて、
水がちょろちょろと流れ落ちています。


こちらが本家、京都・清水寺の音羽の滝です。
本当によく似ていますよね~

  


京都の清水寺の舞台や音羽の滝は観光客でごったがえしていますが、こちらの「清水寺」は、舞台も滝も、ひっそりとして、人影はありませんでした。


 

ということで、この「西門」を出て、清水寺を後にしました。


今ごろモミィは、模擬テストの真っ最中で頭をひねっているんだろうなぁ、なんて思いながら、暑い日差しの中を、またぶらぶらと、四天王寺の方に歩いて行きました。

 

 

 

 

 

 

 

 

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「真田丸」の風景 ~心眼寺・三光神社~

2016年11月06日 | ウォーク・自転車

    
        三光神社の真田幸村像。


このブログで初めて「真田丸」のことを書いたのは、去年の2月だった。

「来年の大河『真田丸に期待』」

NHK大河はそのとき「花燃ゆ」が始まったばかりで、
「来年が待ち遠しい」と書いているけれど、気の長い話だった。

しかし…1年なんて、あっという間に経ってしまった。
さらに、今年1月から始まった「真田丸」も、もう終盤だ。

いやまぁ、日の経つのは、本当に早いものです。(早すぎるわ)


さて、前回の続きです。

前回ご紹介した顕彰碑には「真田丸」の地は明星学園…とあるが、
そこが真田丸の中心部分だったという意味であり、
もちろん、今回の心眼寺や三光神社のある場所も、

その周辺一帯全部が幸村の出城「真田丸」だった。

その明星学園の顕彰碑がある場所から、
道路を挟んで向かい側に、心眼寺がある。

前回の地図をもう一度ここに掲載します。
顕彰碑と心眼寺がほぼ同じ場所にあるのがわかります。

 

全然関係のない話で恐縮ですが、この地図の左上に
「大阪医療センター」というところがありますよね。
ここが、うちの長男が生まれた病院です。
懐かしいですね~あの頃。

関係ない…ついでに…
これもずいぶん昔ですが、心眼寺や三光神社のすぐそばに、
ワセダ速記学校というのがあり、僕は大学に通いながら、
夜に、そこへ速記を習いに行っていました。
その速記学校で、うちの嫁さんと知り合いました。
学校の帰り道、一緒に玉造駅まで歩いたものです。

懐かしいですね~あの頃。


 
  心眼寺

去年の4月に歩いたときは、この辺に人影はなかったのですが、
やはり大河ドラマが始まると、見物客の姿もチラホラと…。
この日は平日でしたが、休日はもっと人が多いでしょうね。

お寺の正面に向かいます。

 
 階段を上がった
右側に見えるのが…


 
「真田幸村出丸城跡」の碑です。 


 
  お寺の中へ入ってみると… 

 
 真田の旗と、その横に…

 
   

信繁(幸村)の墓があります。
横にある説明板には、

信繁(幸村)の400回忌に際して墓碑を建立する。
平成26年(2014)十月吉日 真田山心眼寺

と書かれていました。
2年前に建てられたお墓なのですね。

ちなみに、心眼寺は、真田幸村とその子・大助の供養のために、
真田家の祖先である滋野氏が江戸時代に建てた寺…とのことです。

次に三光神社に向かったのですが、
道を間違って、少し遠回りをしてしまいました。

その近辺に、こんな広報板がありました。

 

「真田祭り 11月6日」とありますが、今日ですね。

さて、ウロウロしながら真田山公園に出ました。

 

 

 

公園内で清掃をされていたボランティアの方に尋ねると、
三光神社はこのすぐ後ろ側だよ…と言われました。


ぐるりと三光神社の正面へまわって…

入口に来ました。

 

 

 


 

階段をあがったところに真田丸の旗が。
その向こうに、チラチラと幸村の像の姿が…
 


 

真田丸で采配をふるっている勇将幸村を彷彿とさせますね。 

その左側に、あの有名な「真田の抜け穴跡」が見えます。

 
 

「史蹟 真田の抜穴…」の碑が左側に建っています。

鉄の扉で閉じられ、中には入れません。

この抜け穴は、冬の陣の際に、籠城する大坂城を攻めるため、
徳川家康が掘ったのでは…という説が近年、有力だそうです。

ちょっとシラケる話でもありますけどね。

この上に、神社があるので、そこへ上がって行きました。

 
 
1組のご夫婦が、写真を撮っておられました。

右の方に、何やら面白そうなものがありました。

 

…というものです。

そのご夫婦の奥さんのほうが、旦那さんに、
「ここへ顔出しなさいよ、写真撮ってあげるから」
と促して、旦那さんは気が乗らないようでしたが、
奥さんに言われるままに行き、パチリと撮影されてました。

それを見て、僕は反射的にその奥さんに声をかけました。
(普通、見ず知らずの人に声をかけたりはしないんですが)

「すみません。僕も顔出しますので、撮っていただけます?」
…と言って、笑顔でうなずいた奥さんにカメラを渡しました。
 

「じゃ、行きますよ。いち、にぃ、さん、パチッ」
「いや、どうも、ありがとうございました~」

…ということで、撮ってもらった写真が、これです。


 
  (フニャフニャしていて、弱そうな幸村ですなぁ)
 

「結局…これがオチかいな? アホくさ」

って、言われそうですけど。

 

 

 

 

 

 


 

コメント (4)
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