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 僕のほそ道   ~ のん日記 ~

  
これと言ったテーマはなく、話はバラバラです。 つい昔の思い出話が多くなるのは年のせい? 

目が まぶしい

2017年06月30日 | 心と体と健康と

昨日の朝、起きて間もない時のことだった。

なにか、目がおかしい。かすむような感じである。
ま、寝起きには時々こういうことは起きるんだけど。

洗面所へ行き、顔を洗いながら、丹念に目を洗ってみる。そのあと、目薬もさして、そしてまたリビングのテレビを見るのだが、やっぱりいつもより見にくい。

壁の上の方にかかっている時計を見ると、白っぽく光って、時計の針が見えにくい。ためしに手で片目ずつふさいで見てみると、右目では普通に見えるけれど、左目がまぶしかった。

「おかしいなぁ」と思いながらもそのうち治るだろ、と思いつつ、その日はゴミの日だったので、各部屋のゴミを集めて玄関に置き、妻とモミィが朝食中のリビングに戻った。その時、さらに猛烈に目がまぶしくなった。光がまぶしい、というより、光と関係なく、目に入るもの全てがまぶしいのだった。そして、まぶしいのは左目だけでなく、両目ともになっていた。

時計を見ても、丸く光っているだけ。時計の針は見えにくいどころか、まったく見えない。いや、時計自体、ボンヤリとした輪郭しか目に映らない。妻やモミィの顔も、テレビの映像も、まぶしくて見えない。部屋の中全体が、強い光に反射しているようなのだ。どうなってるの?

これはひょっとして重大なことなのかも、と恐怖感が湧いて来た。それをそのまま口に出すと妻が心配するので、ムニャムニャという感じで別の部屋に行った。視界はほぼ真っ白だ。「白内障?」という言葉が、ふと浮かんだ。白内障が一体どんな病気なのか詳しくは知らないが、なにか「まぶしい」ということは聞いたような記憶がある。

数分間、その状態が続いた。

そして、目に疲れを感じ始めたので座り込んで目を閉じた。目を閉じたまま、このまま眠ってしまうのではないかと思うほどかなりの時間、じっとしていた。

何分ぐらい経ったかわからないが、そっと目を開けてみると、まぶしさは消えているように感じた。用心深く周囲を見渡す。あぁ。見える。普通に見える。あの太陽光に反射したような白い景色は消え、少しはかすむけれど、まあまあいつも通りには見えている。

あぁ、よかった。
ホッと胸をなでおろした。

それが昨日の朝のことだった。そのあと、丸一日経った今朝も、普通に見える。もう心配はなくなったのだろうと思いたい。それにしても、こんなふうな、わが人生で初めての異常事態に直面すると、ホントにうろたえますね。一体あれは何だったのだろう、と今から思えば不思議で仕方がありません。

僕には境界型の糖尿病もあることだし、以前から「眼圧の検査は定期的に受けた方がいいですよ」と言われていたので、もう4、5年ほど行っていない眼科へ行ってみた方がいいのかな、と思っている。もともと医者へ行くのは大嫌いなので、そう分かっていても、なかなか重い腰は上げられないんですけど。

 

 

 

 

 

 

 


 

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のどを鍛えて誤嚥性肺炎を防ごう

2017年06月15日 | 心と体と健康と

少し前に発売された「週刊新潮」に、誤嚥性肺炎に関する記事が特集されていた。同誌の新聞広告には、

人は喉から衰える! 誤嚥性肺炎で死なないための10カ条

という大きな見出しで、それで亡くなった中村勘三郎、山城新伍、ペギー葉山などの人たちの写真が出ていた。

その記事を読んでみると「ふむふむ、なるほど、そういうことね」と、読みながらいろいろ勉強になるところが多かった。僕も最近、声が出にくくなったり、食べ物が気管に入ってむせたり、食べ物がすぐ飲み込めないことがあったりと、のどに関して少し気になっていたところなのです。

厚労省などの統計では、肺炎による死亡者の92パーセントが65歳以上。その多くは誤嚥性肺炎によるものだそうだ。のどには空気が通る気管と食べ物が通る食道が通っているわけだけど、食べ物が間違って気管に入っても、普通ならむせたり咳き込んだりすることで排出される。それを「咳反射」というそうだが、老化が進み、反射神経(自律神経)や筋肉が衰えてくると、嚥下の動作がうまくできず、誤嚥しても「咳反射」が出来なくなってしまうのだという。そして肺に雑菌が入り、増殖して誤嚥性肺炎を起こす、ということのようです。

そこで、それを予防するために大切なことは、のどを鍛えるということ。

「週刊新潮」には、のどを鍛えるいろいろな方法が書かれていた。それをここにまとめてみます。

まず、のどの筋トレ
これは、おでこを手のひらの下のほうにあて、おでこと手で押し合いをする。この状態をキープして5~10回繰り返す。また、あご下に両手の親指をあてて、これも同じ回数押し合いをする。さらに、マットなどに枕なしで仰向けになり、頭だけをゆっくり持ち上げて自分のつま先を見る。ここで30秒~1分間停止し、5回から10回繰り返す。

次に、呼吸トレーニング
文字通り呼吸機能を鍛えるもので、手軽にできるのが「ペットボトル体操」。どういうことかと言うと、500mlのやわらかいペットボトルを思い切り吸ってぺしゃんこにする。その後息を吐いてまた膨らませる。これを1日5回ほど繰り返す。というものだそうです。僕はまだやってませんけど(やわらかいペットボトルの飲料を買わなければ)。

次に、発声トレーニング
歯を食いしばり「E」と言う時の形を作る。そして「イィ~」と発声する。喉仏を意識しながら5~10回行う。また、学校の演劇部などでは「アイウエオアオ」という発声練習をするということだけど、それをやってみる。コツは、「アイエ」を高く、「ウオ」を低く発音すること。

で、もうひとつ発声トレーニングで注目したのはカラオケ。歌を歌うことは心身にとてもいい、と言われているけれど、カラオケで歌うのは、のどを鍛えるうえでも非常に効果的なんだそうです。記事の中で「お勧め」の歌は石川さゆりの「津軽海峡冬景色」と井上陽水の「少年時代」だった。「高い声で歌うこと」がコツらしい。テンポの速い曲や軽快な歌よりも、ゆったりとして音域の広い歌がいい、ということでしょうね。で、上級者向きでは、森山直太朗の「さくら」がいい、とも書かれていました。僕はよう歌いませんけど。ま、自分の好きな歌で発生トレーニングに向いている歌は何か? と考えてみましたが、「長崎は今日も雨だった」とか、「千の風になって」みたいな感じかな~

それと、おしゃべりをするのが喉にいいことは、誰でもわかりますよね。とにかく声を出すのが大事だということ。誤嚥性肺炎は女性よりも男性の方がはるかに多いそうですが、元々男性は、女の人ほどしゃべらないし、まして退職して家にいるようになったら「しゃべる」という機会がグンと減るわけで、それがこの病気を招くひとつの要因になっているそうです。

ちなみに、これらのすべてを実践する必要はなく、のどの筋トレ、呼吸トレ、発声トレの中からそれぞれ一つ選んで合計3種類を、できれば毎日3回以上行えば十分、ということでした。

で、まあそんなことで、こういうトレーニングを日常生活に取り入れつつある僕ですが、そんな折、昨日の「羽鳥慎一モーニングショー」で、誤嚥性肺炎の特集があったので、また、つい見てしまいました。

内容は、週刊新潮に書かれていたのとほとんど同じでしたが、記事だけよりも映像で見ると、トレーニングのやり方がより分かりやすくて、これは役立ちましたね~。それに、週刊誌には書かれていなかったことで「唾液を30秒間に4回以上飲み込めるかどうか」が、のどの衰えを測るひとつの目安、ということも言ってました。僕は15秒間に4回飲み込めましたが、唾液が出にくいのが困ります。もっとも、加齢とともに涙や唾液は出にくくなるそうですけどね。

のどの衰えを少しでも予防するため、生活習慣としてこれらのトレーニングが続けられたらいいな、と思っています。誤嚥性肺炎に限らず、のどに関するあらゆるトラブルの予防にも効果がありそうだし。

さて、最後にひとつ、僕が独自に考案したのどを鍛える究極の方法があります。本当は極秘なのですが、きょうは特別にそれを皆様にお伝えします。その方法とは…

キリンの「のどごし<生>」をグイーっと一息に飲むことです。

のどごし<生>で、のどを鍛えよう❗

…って、そんなアホな。

 

 

 

 

 

 


 

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“頻脈” はひとまず落着

2017年05月05日 | 心と体と健康と

おとといの5月3日、異常に速い脈拍数が午後になっても収まる気配なく、前日朝から数えて30時間以上という、かつてない長時間の症状が続いていた。これにはホントに戸惑った。

しかし自覚症状としてはそれほど息苦しくもなく、自然に収まるものならこのまま放置してもいいか、という程度の症状だった。で、病院へ行くかどうか、午前中はグズグズと迷っていたけれど、やはり気になるので行った方がいいだろうと、去年まで8年間通っていた松原の徳洲会病院へ足を運んだ。

ここは1年中、24時間いつでも診てくれるので、ありがたい。この日も憲法記念日の祝日だったけれど、病院の玄関は開いたままだったし、中はひっそりとはしていたが、外来の患者さんの姿も何人か見受けられた。

前もって電話はしていたのだが、受付で改めて症状を説明し、診察場所の案内を受けた。不整脈は分野から言えば循環器科だが、今日は内科の先生しかおられない、ということでそちらへ行くと、まず心電図の検査から始められた。

「トントントン」と大きな音が響くが、これが僕の今の脈拍の状態で、やはり脈打つ音は速い。相変わらず120前後のようで、1秒間に「トントン」と2回打つ勘定だ。心電図検査が終わると、診察室に呼ばれた。若い女医さんだった。

心電図の結果を前に、いくつかのやりとりを交わしたあと、医師は、どれだけの量の薬をどんなふうに飲んでいるのか、ということを中心に質問し、僕は「最近、薬の量を1日2錠から3錠に増やしているんですけどね」と答える。医師は「薬が効かなくなってきている傾向もあるようですし、他の薬との飲み合わせの問題もあるので、循環器科の先生と相談されたほうがいいですね」ということだった。「ではこれから脈拍を正常に戻すための点滴をします」ということで診察は終わった。

そのあと、別室へ行き、検査台に仰向けに寝て、点滴を受けた。同時に、先ほどと同様、心電図の検査もした。点滴を受けながら、胸と両手首、両足首に電極を取り付けられて、「トントントン」という自分の脈拍の音を聴きながら、ほとんど身動きのできない状態で、目を閉じた。

やれやれ。今年は、元日早々に休日急病診療所でインフルエンザを宣告されるわ、このゴールデンウィークには不整脈で病院に駆け込むわ…

よりによって日本中が祝祭気分になる時期に、自分はこのていたらく。

駄目やなぁ。

な~んてことを思いながら点滴を受けているうちに眠くなって、うつらうつら。1時間くらい経っただろうか。ふと気がつくと、「トントントン」の音が遅くなっていた。そこに看護師さんがやって来て「収まったようですね」とニッコリ。「あ、そうですね」と僕。

よかった~

こういう時、看護師さんの姿が天使に見える。
『白衣の天使』という言葉そのままですよね。

さて、調子がスッキリと戻り、満たされた気分で病院から出て家路についた。モミィと妻は今ごろアベノの映画館で「美女と野獣」を見ているのだろう。

よしよし。これで、夜は心置きなくビールが飲めるぞ。
な~んて、ことを考えている「懲りない私」がそこにいました。

先ほどの女医さんが「他の薬との飲み合わせの問題もあるので…」と言ってくれましたが、不整脈の原因は、「他の薬との飲み合わせ」よりも「ビールとの飲み合わせ」のほうがもっとモンダイなんだよ! という声が、どこからか聞こえてきそうですけどね。

 

 

 

 

 

 

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脈拍が120から下がらない

2017年05月03日 | 心と体と健康と

ゴールデンウィークだというのに、今日はまた情けない話で

京都への1泊旅行から帰ってから2日後の昨日、朝起きた時から心房細動が出始めた。まぁ、それはよくあることで、朝食のあとに薬を飲んだら、たいていは1~2時間後には収まる。

ところが昨日はそれが収まらなかった。そして、薬が効いてくるはずの時間に、今度は、脈拍が不規則な心房細動から、脈拍の速い頻脈に移行したのだった。不規則な脈拍ではないけれど、1分間で120前後の脈拍数が続くのである。僕は普段は60ちょっとなので、そのおよそ倍の脈拍数である。当然、息苦しい。

これらはいずれも不整脈とされるものである。

心房細動から頻脈に変わっても、それがしばらく続いてやがて収まる
これまでの経験から、そういうケースがほとんどなので、その時はあまり気にしなかった。それに、頻脈自体もよく起きるし、しかも昨日の場合は、いつもより息苦しさや動悸、息切れ、心臓ドキドキ感がまだ少ないほうだったので、そのうち治るだろうと、我慢しながら、午前中はジムへ行き(ストレッチと軽いウオークだけでしたが)、午後からはモミィの授業参観に妻と出かけた。

ただ、やはり普通の状態ではなく、自転車を強くこいだり、階段を上がったりした時は、ドキドキと動悸がして苦しかった。

その頻脈は夜になっても収まらないので、夕食後すぐにベッドに入った。不整脈の薬はもちろん、よく眠れるように抗不安薬のデパスも飲んだ。しかし深夜の12時に目が覚めると、頻脈からまた心房細動に変わっていた。

早朝、目覚めてもまだ心房細動は収まっていなかった。

昨日同様、朝食後に薬を飲んだら、また同じように心房細動が頻脈に変わった。不思議なことに、心房細動の薬を飲んだら、それは収まるが代わりに頻脈が出るという現象なのだ。う~む。わけがわからない。相変わらず1分間に120の脈拍数である。

今日からモミィは5連休なので、妻と2人で午前中に家を出て、阿倍野へ遊びに行った。モミィが行きたがっていた「美女と野獣」という映画も見るという。僕は家で留守番だ。

今もドキドキ動悸がしているが、こうしてこのブログを書けているのだから、それほど重くはない。でも、やはり気分はすぐれない。どこまでこの状態が続くのか、それが最も気になるところだ。もう30時間近くこんな不整脈が続いている。いまだかつてなかったことである。

去年まで8年間通っていた松原の徳洲会病院なら、休日でも診てくれる。

そこへ電話をしようか? どうしようか? と、いま迷っているところです。

 

 

 

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眠れぬ夜にはこれが効く?

2017年04月03日 | 心と体と健康と

先日、図書館で「気になる部分」という本を借りて読んだ。著者は岸本佐知子さんという翻訳家だ。愉快な本だった。中でも、夜に眠れないとき、しりとりをする、というくだりが面白かった。どんなのか、と言うと…

目を閉じたまま、頭の中で、
しりとり→りす→すいか→かに→にぼし→しまうま→

…などとやっているうちに、すうっと意識が遠のいて、眠りに入るというのである。な~るほど。僕も夜中に目が覚めるとなかなか眠れない。まぁ言えば、睡眠障害である。睡眠薬こそ最近はやめているが、デパスという安定剤はよく飲んでいる。それでも、身体が薬に慣れてしまったのか、この頃はあまり効かない。なんとか、夜中に目が覚めてもすぐにまた眠れないものか。何かいい方法はないだろうか?

そんなことを常々思っていたので、この本の「しりとり」の話を読むと、そうか、そういう方法もあったのかと思った。さらに、一緒に借りた阿刀田高さんの「日本語の冒険」というエッセイ集にも、よく似たことが書かれていたので、これにはちょっと驚いた。この本の1ページ目からその話が出てくる。

阿刀田さんの若い頃、病床の叔父さんを見舞いに行ったとき、叔父さんはこんなことを言う。「眠れないときは、いろはカルタの文句を思い出している」と。

「い」から順に全部覚え、それを眠れないときに思い出すのだそうだ。思い出しながら、意味も考えるのもいい、と叔父さんは言う。

犬も歩けば棒に当たる→論より証拠→花より団子→憎まれっ子世に憚る→骨折り損のくたびれ儲け

という感じである。ちなみにこれは江戸いろはカルタで、関西バージョンは、

一寸先は闇→論語読みの論語知らず→針の穴から天覗く→二階から目薬→仏の顔も三度

となっており、これはまぁ、どちらでもいいわけですけど。

そういうことで、夜に寝つけない時や夜中に目が覚めて眠れないときは、しりとりでもよし、いろはカルタでもよし、要するに何かを思い浮かべてむにゃむにゃとやっているうちに寝てしまうという、睡眠薬ならぬ睡眠術とでもいうひとつの方法なのである。

ということになると、僕は百人一首を全部覚えているので、夜中に目が覚めて眠れない時は、これを一首ずつ思い出しながら頭の中で暗唱しているうちに眠れるかも知れない、と思ったのは自然の成り行きだったろう。

そこで僕も、深夜に必ず目が覚めるので、その時は静かに目を閉じて、百人一首を順番に思い出してみることにした。

秋の田のかりほの庵の苫をあらみ…
春過ぎて夏来にけらし白妙の…
あしびきの山鳥の尾のしだり尾の…

とやっているうちに、すうっと意識が遠のいて、眠りに入る…という計算どおりにはなかなかいかず、百番目の「ももしきや古き軒端のしのぶにも…」まで行ってもまだ眠りに入らない。う~む、そういう時はどうするのだ? また1から始めるのか? とか思いながら、再び「秋の田のかりほの庵の…」と始める。

と、最初の夜はそんなことで、よけいに頭が冴えて眠れない気がしたのだけど、毎晩繰り返しているうちにだんだん早く眠気が来るようになってきた。しめしめ。じゃぁ、百人一首だけでなく、本にあったように、いろはカルタも覚えようか、な~んて思ったりもしている今日この頃です。

不眠に悩む方がおられたら、ぜひお試しを。

 

 

3年前のブログに「秘伝!百人一首暗記術」というのを載せました。
「結局そういう知識は、今の生活には何の役にも立っていませんけどね」
と最後に書いていますが、これで睡眠障害が解消されたとしたら、
大いに役立った、ということになるんですけどね~ 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

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思わぬ所でバッタリ

2017年03月30日 | 心と体と健康と

心房細動(不整脈)の状態やワーファリンの効き具合などの検査と診察のため、約8年間、隣接市の徳〇会病院へ通っていたが、去年の5月から近くの医院へ変わり、現在はそこで定期的に検査・診察を受けている。

この医院は、かつて予防接種で行ったことがあったが、妻も「いい先生よ」と言うし、評判も悪くなかった。小さなビルの2階にあって、狭いけれど患者さんは多い。医師も、妻が言うように、紳士的で、優しい感じの方だった。

しかし、今まで10か月ほど通ってきた中で、不満もある。そこの医師は60歳ぐらいで、確かに良さそうな人なのだが、診察時間が短いのだ。診察室に入って、最近の心房細動の状態について話すと、医師は一応耳を傾けてくれるのだが、すぐに胸と背中に聴診器を当て、血圧を測り、「では、お大事に」となる。

それでおしまい。診察室から出るわけですよね。

これが少し物足りない。もう少し聞きたいことなどがあっても、何となく会話を続けづらい雰囲気があるのだ。

医師と患者の間には、相性の良し悪しというものがある。相性が良ければそれに越したことはない。今の医師は「いい先生」というのは間違いないけれど、しかし相性という点ではどうか。

以前、徳〇会病院の亀〇先生はとても親身になって話を聞いてくれ、適切なアドバイスをくれた。その先生が他の病院へ行ってしまい、新しく若い先生が担当医になり、数年間診てもらった後に去年の5月に今の医院に変わった。そんな中で、医師が変わる度にだんだん診察時間が短くなっているような気がするのだ。

そこでこの際この医院をやめ、また徳〇会病院に戻るか、他の医院に移るか、ということを考えてみよう、と思っていた矢先のこと…

それまで、この医院には月々の火曜日に行っていたが、ある事情で木曜日に変更になった。そして変更後、最初に行った診察で、そこにいた看護師さんを見て「えぇ! この人は…」と、びっくりした。よ~く知っている人だったのだ。

僕はスポーツジムでこの女性の顔を見ていた。金曜日のヨガ教室でも一緒だった。その女性が、今、白衣を着て、「〇〇さ~ん」と診察室から患者さんを呼んでいたのである。

僕の順番がきた時、今度はその看護師さんが僕を見て「あらま~」と驚いた顔をした。「こんにちは」とあいさつを交わす。そして診察後、その日は採血の日だったので検査室に入ってその看護師さんと2人だけになった。
「まぁ、驚きましたわ。ここに来ておられたのですね」と言われ、僕は、
「そうです。ずっと火曜日だったんですけど、今回初めて木曜日に来ました」
と答えた。看護師さんは月曜と木曜だけこの医院に来ているということだった。だから、これまで会わなかったんですよね。

その看護師さんは僕の年齢を知って「お年をみてびっくりしました。スポーツジムではもっとお若いと思ってましたので」な~んて、注射器を取り出しながら言った。何それ? 「こんなトシで、えらい悪うございましたねぇ」と言い返したいところだったけれど、むろんそんなことは口に出しません(笑)

というような出会いがあってから、ジムで会うたびにこの看護師さんと、挨拶を交わしたり、雑談をしたりしています。

そしてある時、僕は彼女に、「ところで、先生の診察時間が短いような気がするんですけど」と思い切って言ってみた。すると看護師さんは、「そうなんです! あの先生はマジメなので、待合室で待っておられる患者さんが多いと、ついその人たちをあまり待たせてはいけないと思って、診察時間が短くなるんです」と明かしてくれた。医師の目の前に、待っている患者さんたちのカルテがズラッと並んでいるので、ひと目で何人待っているかわかるそうだ。しかしまぁ、それを「マジメ」というのかどうかわかりませんけどね。「急がなくっちゃ~」と「あせるタイプ」なのかも知れないし。

「ふ~ん。そうなんですか」と僕。心房細動も特に変わった症状が起きたりしないので、まぁ、仕方ないか…と思ったりもした。

さて、先日、その医院に一番最近行った時のこと。診察中、医師のそばに例の看護師さんが立っていた。診察が終わり、この日は採血がなかったので、「どうもありがとうございました」と医師に挨拶して、診察室を出ようとしたら、医師の後ろに立っていた看護師さんが、こちらをニコッと見て手を振った。僕も笑顔で頭を下げた。

帰り道、
やれやれ。思わぬところで知り合いができてしまった。
この人がいる限り、無断で別の医院に変わることは難しくなってきたなぁ。

と、今しがた看護師さんが手を振っていた姿を浮かべながら、思った次第です。

 

 

 

これは本題とは全く関係ない話ですが…

 きょう、センバツ高校野球の準決勝が行われました。2試合とも大阪代表の大阪桐蔭と履正社が出ていたのですが、いずれも熱戦の末、大阪勢が勝ち上がり、明日の決勝戦は大阪同士で戦われることになりました。これまで、東京勢同士の決勝戦というのは記憶にありますが、大阪勢同士が決勝というのは、初めてだと思います。明日はどちらを応援していいのやら…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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心房細動の現状ですが

2017年03月12日 | 心と体と健康と

昨日書いたように、今は「心房細動週間」の真っ最中なんですが、僕自身の心房細動について少し書いてみたいと思います。

症状は半年前ぐらいから少し悪くなってきて、深夜に目を覚ました時とか、明け方から朝にかけてとか、夕方とかに、わりに発作が出て動悸がします。最近、医師に言ってこれまで1日2錠だった不整脈の薬を3錠に増やしてもらい、おかげで昼にビールなどを飲んだりしない限り、少しマシになってきたかなぁ…という気がしていますが。(それでも昼に飲む時がありますけど。トホホ)。

午前中のスポーツクラブでの水泳も、休憩を多い目にとりながら、1時間近く泳いでも滅多に心房細動は起きないので、ありがたいです。ただ、先日、久しぶりにランニングをしたのですが、この時は、午後から調子悪くなりました。ウオーキングだったらほぼ大丈夫なんですけどね。でも、山歩きのように、上り坂がきつかったり、周囲に何もない所は、怖いので行きません。心房細動が出ても、街の中の道なら安心ですが、人里離れたところではねぇ、心細いですから。それと、ウオーキングには、だいたい電車の駅が射程距離内にあるコースを選びます。いざとなったら電車で帰れますからね。

で、1人で歩くのはいいのですが、グループで歩いていると、心房細動が出た時、それが山道だったりすると最悪だし、普通の生活道路でも、自分だけ速度を緩めたり休憩したりすると他の人たちに迷惑がかかってしまうので、行かないようにしています。やっぱり集団行動には気を遣いますね。

それでも、歩きながらいろんな風景を楽しみたいので、1人ではよく歩きに出ています。1人だと、何の気兼ねもなく出かけられますので。

昨日も、昼から約4時間半、古市古墳群を巡るウオーキングをしてきました。あちらこちらで、梅の花が綺麗に咲いていました。とはいえ、北風が強く、向かい風の時は思いっきり寒かったし、帰宅間際にはさすがに体力を消耗して疲れ切ってしまいましたが、気分は満足でした。

この心房細動については、薬では完治することはないので、医師から手術(カテーテル・アブレーション)も考えるように、というアドバイスを受けていますが、どうしても10年前の近大病院での手術の失敗がトラウマになって、決断がつきません。

「10年前に比べると、手術の技術も格段に進歩していますから」
と、医師は暗に「大丈夫」と言ってくれているのですけどね~

 

 

 

 

 

 

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耳鳴り よもやま話

2016年11月25日 | 心と体と健康と

耳鳴りについて、その後どうですか? 
というコメントをいただきましたので、
今日は少し、その耳鳴りのことを…

 …………………………………………

思えば9年前→平成19年(2007年)9月26日の夜、
風呂から上がって体を拭こうとしたそのとき、
左耳の奥の方からキーンという音が響いてきた。
それが耳鳴りとの“くされ縁”の始まりである。
以来、24時間ずっと休みなしに鳴り続けている。

耳鳴りが発症した頃は、このままだとノイローゼになる…
…と、本気で思ったほど、事態は深刻なものだった。
何しろ「静寂」というものが一切失われたのだから。
とくに夜、寝る時が辛い。音が気になって眠れない。

どの医者も「耳鳴りです」と言ったら顔をしかめ、
「治すというより、慣れることです」としか言わない。
病院でTRT療法というのも受けたけれど、
これも「気休め」程度の効果しか感じなかった。
今はもう、耳鳴りで医者にかかろうとは思わない。

耳鳴りで死ぬことはない…ということで、
一般的にこの症状が軽く見られているんだろうけどね。
それと、医師には耳鳴りの苦痛がわからないようだし。
「世の中にはもっと大変な人がいっぱいいます」みたいな。

何年か前、僕がアレルギー性鼻炎で診てもらった医師は、
信頼のおける医師だったけれど、僕が耳鳴りの話をすると、
「これまで耳鳴りが治る薬というのは、聞いたことがないですね」
と、正直に述べたおられたのが、深く印象に残っている。

そんなことで、
耳鳴りの薬や確実な治療というのは存在しない。
やはり、結局は「治すより慣れよ」というのが、
耳鳴りで悩む人たちがめざす方向であると言える。
いや、それしかめざす方向がない…というべきか。

しかし、僕も「耳鳴り歴」10年目を迎えるのだが、
この「慣れる」という言葉の解釈が難しいと、つくづく思う。

それが日常化して、気にならなくなった…
というのなら「慣れ」なんだろうけど、
やはりキーンという音はうるさいし、気になるし、
睡眠障害も続くし、大きなストレス源となるわけで、
気にならないわけがない。つまり慣れることはできない。
でもこいつと付き合っていかなければならないんだから、
これはもう、「慣れ」というより「あきらめ」である。

慣れることはできないから、あきらめなければしょうがない。
それも広い意味で言えば「慣れる」かもしれませんけどね。

それと、今は1日1錠までと心掛けているけれど、
デパスという精神安定剤を服用し続けている。
あえて薬といえば、安定剤しかないのだろう。
これだけは、今後も手放せないと思っている。

ところで。2年ほど前のブログに、
「近頃また耳鳴りの音が大きくなったように感じる」
と書いたことがあったが、最近さらに大きくなった気がする。

心房細動などで体調がすぐれないとき、
キーンという音が、耳というより脳の奥で鳴り続ける。

確かに「耐える力」というものは身に備わってきたと思う。
それと「これで死ぬわけじゃないし」と自分に言い聞かせ、
「ふん、勝手に鳴っていたらいいやん。知るか!」
とぶつぶつ独り言で自分をごまかしたり。

沢田研二の「勝手にしやがれ」をもじって、
「勝手に鳴ってやがれ」というところでしょうか(笑)。

それと、耳鳴りが気にならないほど、
他に何か熱中することがあればいいんですけどね。
なかなか、ず~っとその状態というのも難しいですが。

で、今の心境は…
耳鳴りはあきらめが肝心、ということ。
あきらめてこそ、何か得るところが

あるのかどうか、わかりませんけど

と、つい愚痴を並べてしまいましたが、
最後に余談で締めくくりたいと思います。
お急ぎの方は、ここでご退席ください(笑)。

さて、
僕の耳鳴りが発症した平成19年9月26日という日は、
自民党の福田康夫氏が首相に就任した日だった。

つまり、福田さんと僕の耳鳴りは『同期生』なのだ。

翌年9月、わずか1年で福田氏は退陣し、
次に麻生太郎氏が首相になった(平成20年)。

しかし耳鳴りは、退陣してくれなかった(笑)。

その麻生氏もまた1年後(同21年)の9月に退陣し、
政権が交代して、民主党の鳩山由紀夫氏が首相になった。

その新政権の鳩山氏も1年足らずで退陣。
次は菅直人氏が首相になった(同22年)。

さらに菅氏も1年余りで退陣して、
次に野田首相が就任したのが同23年の9月だった。

そして同24年に安倍政権となり、4年が経ったわけだが、
その前に5年間で5人の首相が退陣しているというのに、
僕がこの耳鳴りに対してどんなに強く退陣要求をしても、
こやつは知らん顔して頑固に居座り続けているのである。
まさに今の韓国の朴槿恵(パク・クネ)状態である。
でも朴槿恵も、いつかは必ず大統領を退陣するしね。

でも、この耳鳴り野郎だけは、退陣しそうにない。

また、ご存命の間は退位されないはずだった天皇陛下も、
どうやら生前に退陣(退位)される空気が出てきている。

そんなことで…

僕の耳鳴りも、なんとか生前退陣してくれないものかと、
奇跡が起きる期待を、実はまだ持っているところである。

だから、声を大にして、こう言いたい。

耳鳴りよ、退陣せよ!
僕が生きている間に退陣してくれ~

…やれやれ。
耳鳴りについて書くことと言えば、
もう、こんなことぐらいしかありませぬ。トホホ。

 

 

 

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ヒジが痛い

2016年11月18日 | 心と体と健康と

ここ2~3ヵ月ほど、ずっとヒジが痛い。

右腕と左腕の両方ともである。そのうち自然に治るだろうと思って放っておいたけれど、一向に良くならず、数か月間が過ぎた。

特に日常生活に支障があるのは、右腕のヒジのほうである。手のひらを上に向けてピンと腕を伸ばしてみて、内側のほうが痛い。で、左腕のほうは、その逆に外側が痛い。でも、右ヒジほどの痛さはないから、やはり右のほうがモンダイなのだ。

どういうふうに痛いかと言えば、たとえば、顔を洗う時。ヒジを曲げ、顔を洗うと、手のひらを手前に向けて力を入れるので、右ヒジの内側が強烈に痛むのだ。イテテテ…となって、右手の力を抜き、あとは左手だけで顔を洗うことになる。ほんと、困ったもんですわ。

いつまで経ってもよくならないので、仕方なく先日、島田病院というところへ行った。去年の6月に大腿から膝の裏が痛んだ時と、そしてその後の9月にふくらはぎに肉離れを起こした時の2度、治療とリハビリを受けた病院である。この地域ではプロのスポーツ選手も来る、有名な病院だ。

その病院で「2~3か月前から痛いのです」と医師に告げたら、「何か心当たりはありませんか」と聞かれたので、気になっていたことを話した。つまり、それは…スポーツジムで、ふだんは水泳が主で、筋トレはあまりしないのだが、その時は、思いついたように無理をして筋トレをした時期があった。どうもそのあとに、この両肘の痛みが出たような感じだったのだ。

それを話すと、医師から「念のためレントゲンを撮りますが、たぶん、骨には異常はないと思います」と言われ、両ヒジのレントゲンを撮ってもらった。そしてその後の診察で、レントゲンの結果は、医師が言ったとおり異常はなく、結局「筋肉の炎症ですね。ストレッチなどで治していくしかないでしょう」ということだった。さらに医師は「水泳はやられてもいいですが、腕を使う筋トレはしばらく禁止ですね」と言った。

そのあと、リハビリ室へ案内され、リハビリ師の人から、何種類かの腕のストレッチのやり方を教えてもらった。これから最大3ヵ月間、週に1度のリハビリに通いながら、毎日、言われたとおりのストレッチを1日3回繰り返して、このヒジの痛みを治す訓練をすることになったわけです。

…やれやれ。

人一倍元気なはずだった自分の体も、あちらこちらと故障が出てくる。

これまでも不整脈(心房細動)と耳鳴りに悩まされてきているので、もうそれだけで十分…と思っているのに、年齢を重ねるにつれ、いろんな症状が出ては消え、消えは出て…という繰り返しで、また今回のように、経験したことのないような症状が新たに出てくる。う~む、悔しいけれど、それが現実なんだなぁ、としみじみ感じる今日この頃です。

ついつい愚痴になりましたけど、

これもまた歳のせいでしょうか…?

 

 

 

 

 

 

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不整脈に悩まされ…

2016年06月30日 | 心と体と健康と

先週から不整脈の発生頻度が高くなり、体調不良だった。
特にパソコンを打ったりするとつい根を詰めてしまい、
それがまた不整脈を誘発したりする。

前回のブログは22日の朝にアップしたけれど、
それがこたえたのか、その日はほぼ1日、
断続的な不整脈に悩まされた。

それからしばらくの間、
心身ともに不安定な毎日が続いた。

厄介なことに、これまでの不整脈(心房細動)とは別の、
期外収縮という、脈が飛ぶ不整脈が頻繁に出るようになった。

ふつう、期外収縮は、自覚症状のない場合が多い。
だから、自分でも気づかないので大したものではない…
というイメージがある。しかし僕の場合は自覚症状が強い。

息苦しい動悸感…と言うか、5回に1回ぐらい脈が飛び、
その時、ズキッと心臓が突き上げられる感じがする。
頭がポワーンとなり、気が遠くなりそうになったり。
(実際に気が遠くなったことはありませんが)

といっても、横にならなければならないほどでもない。
その症状を抱えたまま、何とか日常を過ごす。
もちろん、発作は出たり出なかったりで、
ず~っと出続けているわけではない。
それが、せめてもの救いである。

数時間出て収まり、またチョコチョコと出る…みたいな感じだ。

しかし何より困るのは、服用している薬が効かないことだった。
今までの不整脈(心房細動)なら、薬を余分に飲むと収まった。

でもこの期外収縮は別種の不整脈で、いつもの薬が効かない。
だから、自然に収まるのを待つしかないのである。


そうこうしているうちに1週間が経った。
そして、今週27日の月曜日のことである。

スポーツクラブへ行き、ジムで軽くストレッチをしたあと、
プールへ行った。その時、わずかに不整脈が出始めたので、
プールでは泳がず、水中歩行だけしていた。
が、やはり泳ぎたくなって隣のレーンに移った。

しかし25メートル泳いだら、変な動悸がし始めた。
「これはヤバイ」と、泳ぐのをやめ、再び歩いた。


お昼に帰宅して食事をした後に、
期外収縮の不整脈が本格的に出始めた。

やれやれ。また2~3時間悩まされるなぁ…
…と思いながら、座椅子にもたれ、TVで録画した映画を見た。
(映画は「ハンナ」というサスペンス・アクション映画だった)

その間ずっと不整脈が続き、見終っても収まらなかった。
映画を見ているうちに収まるだろう…という思惑も外れた。

普通はいつの間にか収まるのだが、
なぜか今回に限っては、夕方になっても収まらない。
もう5時間以上続いているわけで、我慢もそろそろ限界だ。


ちょうど、先月下旬に、心房細動の定期検査・診察先を、
8年間通った徳〇会病院から近所の医院に変えたところだった。

そして夕方5時半頃、その医院に駆け込んで症状を訴えた。
その時は、ゼイゼイと、いよいよ息苦しくなっていた。

まず心電図でその不整脈の症状を検査してもらった。

不整脈が出ても、病院に行くまでに収まって、結局、
検査をしてもその不整脈の症状がわからない…
ということがこれまで何度かあったので、
今回、心電図がとれたのは、まぁ幸運…
…といえば、幸運だった。

検査のあと、診察室に呼ばれて入った。

心電図の検査結果を見て、医師は、症状を分析し、
「やはり期外収縮ですね。全く心配いりません」

そして僕の指先に何かをはめて計測したり、
血圧を測ったりした後、

「血中の酸素も十分ですし、血圧も下がっていません」

と言って「大丈夫です」と、再び太鼓判を押してくれた。


この症状が命に関わるような状況を誘発する…
というような心配は、全くないということで、
それはもちろん、大きな安心材料だったけれど、
とにかく今の、この息苦しさを何とかしてほしい。
この期外収縮という不整脈を、早く止めてほしい。

医師は「では、お薬を出しますから」
…と、薬を処方してくれ、
2日後、また来院することに。


帰宅して、心配していた妻に医院での様子を話し、
夕食の後、さっきもらってきた薬を服用したら…
そのちょうど1時間後に不整脈はピタリと止まった。

あぁ、やれやれ…

時計を見ると午後8時半。
実に8時間以上苦しめられていた不整脈が、やっと収まったのだ。

 …………………………………………………………………

その薬のおかげか、翌日も1日中不整脈は出なかった。

そしてその翌日の29日(つまり昨日)、
再び、その医院へ出向き、経過を報告した。
当分の間、新しい薬を1日1錠服用することにし、
従来の心房細動の薬は1日3錠から2錠に減らすことにした。

昨日も、1日中、心拍は安定していた。
やっと不安から開放され、気分も落ち着いた。

今、久しぶりにパソコンでこのブログを打っていても、
心臓には全く違和感がなく、調子は良さそうだ。

あぁ、これでようやく、普通の生活に戻れる…


「普通に毎日が過ぎてゆく」ことの幸せを、
また、あらためて感じているところです。

 

 

 

 

 

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人と接することの大切さ

2016年06月01日 | 心と体と健康と

今日から6月ですね。
毎月、1日を迎えると、
「えぇっ? もう…?」
と、その早さに驚くのが常ですが、
今日もまた「えっ、もう6月?」と驚いています。
皆さんも、たぶんそうなのかなぁ、と思いますが。


さて…

「健康の秘訣」みたいなものをテーマにしたTV番組が多い。
それだけ「健康」というものに対する関心が深いわけですね。

健康であるための生活習慣はきわめてシンプルである。
よく言われるように、食事と運動が大事だということ。
これは、基礎代謝が落ちる高齢者に、特に当てはまる。

塩分や脂肪分の多いものは避け、栄養バランスを考え、
食事はなるべく「腹八分目」を心がけて、
歩いたり体操したりと適度な運動をする…
…というような感じである。

これらのことを基本に置いて、そのあとは、
自分に合った健康法を加えていけばいい…
と、要するにそういうことなんでしょうね。

ところで、食事と運動も去ることながら、
もっと大きな要素が、ひとつあるという。
健康を保ち、元気に長生きするために、
最も大切なことは…

人と接すること・笑うこと

…なんだそうである。

これが脳に刺激を与え、身体の血流も良くし、
身も心も活性化されていくのだという。

新聞の記事だったけれど、これを読み、
僕は「なるほどなぁ」とコックリ頷いた。

家に引きこもっていると、身体も心も萎えてきそうだもの。

しかし、この点については、今の僕は残念ながら、
後ろ向きだと言わざるを得ない状態なのだ。

僕は昔から友だちが多いほうだったし、
人付き合いも、悪いほうではなかった。

しかし、仕事を辞めて7年余り経った今、
どんどん付き合い範囲が狭くなってきている。
というか、自分から狭めている感じなのである。

昔の友人・知人との交歓も、現在は「休業中」である。
そして最近は、あまり笑わなくなったような気もする。

つい先日のこと。
現役時代に同じ職場で働いていた先輩とバッタリ会った。
退職してから初めて会ったので懐かしく、話が弾んだ。
そして、その先輩が参加している元職場の仲間の会、
…といっても、その辺をハイキングするだけだが、
その行事に参加しないかと誘われ、OKした。
かつて親しくしていた先輩、同僚、後輩がいる。
長い間ご無沙汰している人たちだ。

しかし、当日の朝、体が少し重~い感じで、
何となく行くのが億劫になり、電話でお断りした。

こんな調子で、
人と接する機会を自分からつぶしてしまっている。

他にも、会って話したい友人が何人もいるんだが、
なかなかそれを実行するだけの意欲が湧いてこない。
ネガティブ思考はよくないと、わかっているんだけど…。

一人っ子だったせいか、一人でいるのが、いちばん気楽でいい。
この年になって、そういう性質が全面的に出てきたのかな?

ただ、唯一の救いはスポーツクラブで、
プールやジムに顔見知りの人が多くできたので、
クラブへ行くとそういう人たちと雑談する機会が多い。
そこで辛うじて「人と接する」ことを維持している状態だ。

でも、やはり気心の知れた仲間たちとワイワイ騒ぎ、
大いに笑いたい…と思うのが、正直なところである。


…とまぁ、そんな状態だけど、
今でも定期的に参加しているグループが、

「ウダウダ会」で、これだけはず~っと続いている。

しかし2ヵ月に一度のこの「歩いて飲む会」も、
ここ1、2年は、よく欠席している。
(それなりに理由はあるのですが)

去年1年間でも、2回に1回は欠席した。

前々回は今年の1月末で、これには参加した。
酔って転んで顔に怪我しましたけど(トホホ)。

そして前回は、4月初旬だったが、
ちょうどモミィが春休みの時期で、
京都、奈良への家族旅行と重なり欠席した。

次回は6月初旬か中旬の日曜日に行われるはずである…
しかし、6月の最初の日曜日(5日)はモミィの運動会で、
次の日曜日(12日)は、モミィの英検3級の試験日である。

う~ん、またウダウダ会を断らなければならないか…
と思っていたら、先月半ばにウダウダの先輩から電話があった。

「あんたの顔を見なかったら寂しいがな」との言葉。
「次のウダウダは、6月の日曜日に予定しているけど、どう?」
と、わざわざ僕の都合を尋ねるために電話をしてくれたのだ。

「あのぉ…実は…」と僕は恐縮しながら、
「5日はモミィの運動会で、12日は英検で…」
第1・第2日曜日のスケジュールを伝えると、先輩は、
「う~ん。そうしたら…その次の19日の日曜は大丈夫?」
その日なら、何の予定もない。
「あ、その日はOKです」と僕は返事した。
「じゃぁ、19日にするわ。また通知を出しますので」

というやりとりの後、電話は終った。

今でも自分のことを気遣ってくれる人がいる。
…そう思うと、また元気が戻ってきた気がする。

うれしい電話だった。
やはり仲間の人たちというのは、ありがたい存在である。

億劫がらずに、なるべく人と接することにしよう、
…と、自分に言い聞かせている今日この頃です。

 

 

 

 

 

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心房細動を巡る冒険 なんちゃって

2016年05月28日 | 心と体と健康と

ここ数ヶ月前から、自分が通っている病院について考えていた。何度も書くけれど、2ヵ月に一度、持病の心房細動(不整脈の一種)で、松原市の徳〇会病院へ検査と診察に通っている。

心房細動に悩まされ始めて10年余りになる。ちょうど今から10年前の2006年6月の仕事中に、脳梗塞の一歩手前である「一過性脳虚血発作」に襲われて、右半身がしびれ、ろれつが回らなくなった。

これは、心房細動によって血液の流れが滞り、血のかたまり(血栓)ができて、脳まで流れて血管を詰まらせたのである。状況次第では脳梗塞になっても不思議ではなかった…と医師に言われた。そしてそれ以後、血液をサラサラにするワーファリンという薬を飲むことになり、8年前からこの徳〇会病院で診てもらっている。薬が効きすぎると逆に脳出血などを誘発するので、薬の量を調整するために2ヵ月に一度血液検査をして効き具合をチェックし、あとはいつもどおりの薬をもらう…というのが、病院通いの主な目的である。

心房細動を予防する薬もずっと飲んでいるけれど、それで心房細動が治るわけでもなく、今でも発作に見舞われることはしばしばあるので、その経過も医師に報告し、あまりに症状がひどい時は病院に駆け込み、点滴を受けて収めてもらうことも何度かあった。そんな経緯をたどって、もう8年が過ぎた。最初に診てもらっていた医師が、僕の症状をよく理解してくれ、いつも的確なアドバイスをしてくれていたのだが、その医師が他の病院に移ってしまわれ、担当医が変わった。新しい医師は若くて柔和な人だったが、何となく頼りない感じだった。そこで、以前、その信頼していた医師が他の病院へ移るときに言った言葉…

「この病院はお家からも遠いですし、待ち時間も長いので、この際、お近くの開業医のほうで検査と薬処方をしてもらったらどうですか?」

と勧められたことを思い浮かべた。その時は今のままで…と答えたが、最近になって、やはり近くの医院に変わったほうが何かと便利だと感じ始めた。ちょうど駅前に循環器専門外来の看板を掲げる医院があり、妻も健康診断などを受けており「いい先生よ」と言っていたので「よ~し、そこに変わろう」と決めた。

そして徳〇会の担当医に、その医院宛の紹介状を書いてもらったのだった。

ちなみに、この紹介状というのは、封筒の宛名が、
「〇〇医院 〇〇先生御侍史」と書かれています。
「御侍史」とは独特の書き方ですね。

さて、その紹介状をもらったのが先週だった。ところが…

近いうち、それを持って駅前の医院に行こうと思っていた矢先のこと。

24日の火曜日のことだった。午前中プールで泳いだ後、帰宅して昼食をとってから、脈拍がほんの少し不規則になってきた。「やれやれ、またか」と思いながらも、横になるほどでもないので、近くの図書館へ行った。しかしそこで、かなり息苦しくなってきた。慌てて帰宅して横になったが、いっこうに弱まる気配がない。薬も余分に飲んだけれど、効かない。おまけに頭がズキズキ、ポワーンとしてきた。これはヤバイ。あの、ろれつが回らなくなった時のことを思い出した。

急いで徳〇会病院に電話をし、妻にタクシーを呼んでもらった。心臓パクパク、ドキドキ。あ~あ、いやになるよ、まったく~。

タクシーの運転手さんが「最短の道が混んでいるようですが、どの道を通りましょう?」と訊くので、「なるべく早く行ける道を」と返事すると、「じゃ、少し遠回りでメーターは上がりますが、空いている道のほうを走ります」と言ったので「頼みます」と答え、「いやぁ、心臓の動悸が激しくて」と僕はゼイゼイ言いながらも運転手さんに話しかけた。

「えっ、大変なんですね。救急車を呼ばれたら良かったのに」と運転手さん。
「いや、それほど大層なこともないんですけど」と僕。

あれこれ話しているうちに病院へ着いた。
気がつけば、動悸が少しマシになっていた。

病院で受付を済ませ、診察室に入った時は、心房細動は収まっていた。
「いやぁ、そういうことは、よくあることです」
診療時間外で、いつもの循環器科ではなく、内科の医師しかいなかったのだが、その医師が苦笑いして、そう言った。僕も苦笑いせざるを得なかった。


…というようなことが、今週にあったのだ。

徳〇会病院から近くの医院に変更しようとした、まさにその時、こんな心房細動に見舞われて、また徳〇会病院に駆け込んだのである。「病院を変えないほうがよかったかな?」と、チラッと思ったが、まあ、緊急事態の時はここへ来たらいいわけで、普段は近所の医院でいいやんか…

…そう言い聞かせて、その翌日、紹介状を持って、近所の医院に出向いたのである。そこで医師に過去の経緯と現況を伝えたり、医師からのいくつかの質問に答えたりして「じゃ、来月に検査をしますので、今日はお薬だけ」ということで、新しい医院での第1回目の診察は終わった。


それにしても、病院を変えたとたんに、また元の病院に駆け込むことになるとは、思いも寄りませんでしたわ。

これからも、どんな「心房細動を巡る冒険」が繰り広げられることやら。
ま、「冒険」というより、「ドタバタ」ですけどね~

 


*8年前の8月、徳〇会病院に通い始めた頃のブログです。  

  「医師への信頼」

 

 

 

 


 

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禁酒は不整脈を救う…のか

2016年05月02日 | 心と体と健康と

前田健という44歳の芸人さんが、急に路上で倒れて意識不明になり、病院に搬送されたが死亡した…というニュースが流れてから数日後、その死因が明らかにされた。前田さんには不整脈の持病があり、その不整脈が原因でできた血栓が心臓へ流れて血管を詰まらせる「虚血性心不全」だったと報じられた。突然死の中でもこのケースが最も多い、とテレビで専門家が言っていた。

僕も不整脈の持病があり、10年前の6月、仕事中に突然右半身麻痺に襲われて病院に運ばれたことがある。診察の結果、不整脈による血栓が脳の血管に詰まる「脳虚血発作」というものだったが、幸い脳梗塞には至らず、一過性で済んだ。

前田健さんの場合は、血栓が心臓のほうへ流れて血管が詰まり、心不全を起こした。不整脈は、それ自体で死んだりすることはないというが、こういうニュースに接すると、やはり油断は禁物である。

  …………………………………………………………………

さて、ここからは自分の話になりますが…

僕は今も不整脈(心房細動)で病院に通っているが、実は最近、また発作の出る回数が増えてきた。発作が出ると、心臓パクパクがひどくなって息切れがする。横になっても息切れ状態は同じで、楽にはならない。心拍数が130前後まで上がり、それはもう、辛いこと辛いこと。予防のため、朝・夕と薬を飲んでいるが、発作が出たら、頓服としてまた1錠飲むのだが、最近、その薬が効きにくくなってきた感じがするのだ。

これまでずっと、どんなに苦しくなっても、この薬を飲むと1~2時間後には収まっていたのだが、どうやら心拍の乱れ方が、これまでと少し違う感じになってきた気もする。薬の血中濃度が高くなると別種の不整脈が出ることがある…とは医師から聞いていたが、もしかして、そうなってきたのかも。

3月末に定期検査に行った時、担当医にそのことを告げたら「少し様子を見て、ひどくなるようなら、薬を変えることも考えましょう」と言われたが、4月に入ってますますその傾向が強くなってきたように思う。

その主な原因は、たぶん…。たぶんだけど…

ビールやチューハイなどのお酒の飲み過ぎではないか、と今さらながら思うのである(そんなこと最初からわかってるやろ、と言われそうだけど)。

いや、その…弁解するわけではないけれど、たしかに飲酒は不整脈の原因の一つと一般的に言われてはいるが、僕の場合、5年前に2ヵ月間の禁酒をしたことはあるものの、それ以降はほとんど毎日、アルコールは欠かさない生活だ。欠かさないけれど、不整脈はあまり出なかった。飲んでも飲まなくても、発作が出るときは出て、出ないときは出なかった。大量飲酒した翌日も、別に何も起きず、逆に少ししか飲まなかったのに発作が出る…ということもあった。ある時など、不整脈が出始めそうになったがビールをグイグイ飲んでいるうちに収まったこともあったほどだ。とにかく、ビールとの因果関係は、ある程度はあっても、それほどでもなかったように思っていた。(ま、ビール飲みたさにそう思っていたのかもしれませんが)

しかし、今年に入って、それが怪しくなってきた。

特にこの4月は、飲む量に比例して不整脈の発作が出るようになってきた。主に、夜にそれが出ることが多い。夜中に目を覚ますと、何となく胸がザワザワして息苦しい。脈を取ると、心拍が不規則で速くなっている。で、そんな時は例によってまた薬を飲み、眠ろうとするが、なかなか寝付けない。

そんなことが度重なるようになり、とうとう一昨日から昨日にかけての夜は、ここ数年、経験したことのないほどの、辛くて苦しい一夜を明かすことになったのである。  

  …………………………………………………………………

少し長くなりますが、順を追って言いますと…

先週、24日の日曜日(「ばってん少女隊」を見た日です)に、昼も夜もビールを飲み、夜中に不整脈の発作が出た。翌月曜日の朝、発作は収まっていたが、ボケていたのか、頬っぺたの内側を噛んで血が止まらず、病院で縫ってもらう事態が起きたので、その日の夜はビールを軽く1本だけ飲んで寝た。その夜は発作は出なかった。そして火曜日の夜もビールを1本飲んだだけだったが、また少~し調子が悪かった。

ジムの休館日だった木曜日(28日)は、昼に缶チューハイを飲み、夜もビールをかなり飲んだら、案の定、その夜中に発作が出てなかなか寝付けなかった。ま、それも夜中のうちに収まりましたが…。

その翌日の金曜日(昭和の日)は、さすがに懲りて、1滴のビールも口にしなかった。すると、その夜は調子がよく、夜中に目も覚めず、翌土曜日の朝まで快適に眠れたのだ。やはり、飲まなければ不整脈も出ないんだ…としみじみと実感した次第である。それなのに、それなのに…。

何というバカなんだ…と、その意志の弱さに自分でも呆れてしまう。

せっかく快調だったのに、翌日の土曜日は、家のリフォームが昼に終ったこともあり、家族3人で近くにある「くら寿司」へ出かけた。そこで僕は、またまた懲りずにビール中瓶を2本飲んだのだ。こうなると、もうビョーキだ。

「喉元過ぎれば熱さを忘れる」と言うが、忘れるのがあまりに早過ぎる!

しかもその日は夕食時にもビールを2本飲んだ。それで8時頃に早々とベッドに入ったけれど、目が覚めたらまだ9時半。トイレに行くのに2階へ降りると、ちょうど風呂上りの妻とモミィがリビングにいた。

僕は3階の自室に戻り、横になったとたん、グルルッと心臓に異変が起きて、また不整脈の発作が出た。「うわっ、やっぱり出たか」と後悔しても遅い。それがまたいつも以上に息切れが激しい。枕元に置いてある薬を飲み、ついでに安定剤を飲んで眠ろうと思うのだけれど、眠れない。明かりをつけ、座り込んだりうつ伏せになったり、仰向いたり横向いたりして体勢を変えてみるが、心臓パクパクは収まる気配なし。1時間経ち、2時間経ち、3時間経ち…何度脈を取っても130前後だった。

こういう経験のない人がこの症状になると、間違いなく救急車を呼んでいるはずだ。しかし僕はこれまでの経験で、収まるまで我慢する習慣が身についている。「大丈夫。不整脈だけでは死なない」と言い聞かせながらも、前田健さんのことなどが浮かび、「ひょっとして…」と悪い想像が頭をよぎった。

どれだけ悶々としただろうか。電気を消して部屋を暗くしたが、未明の3時半頃まで、息苦しくて寝られなかった。そのあと少しウトウトしたようだった。目が覚めると、窓の外が明るくなっており、午前5時過ぎだった。それでもまだ、心拍数は130前後だった。

少しでも眠れたせいか、わずかに楽にはなっていた。

僕はそぉっと身体を起こして、ベッドに座り、背中を伸ばした。ゆっくり深呼吸をすると、さらに心臓は楽になった。そのまま、姿勢を崩さず、目を閉じて、深呼吸を何度か繰り返す。数分間そうしたあと、左手で、そっと右手首を握り、脈を取ってみたら…

心拍数が下がっている。時計を見ながら脈を計ると、およそ80だった。

あぁ、よかった~。そのままそろりと立ち上がり、2階へ下りて行った。

それが、昨日、5月1日の日曜日の朝だった。


これほど一晩中ずっと不整脈の苦しみにさらされたというのは、これまでになかったことだ。今度という今度こそ、ホントに懲り懲りである。いい加減にしておかないと、近いうち、必ず大変なことが起きる…という予感すらしてきた。これまでの、自分に甘い生き方そのものを、根本から見直さなければならない最後の局面だと心得るべきであろう。

昨日からちょうど5月が始まった。アルコールを断つしかないことは十分に分っていながら、欲望の赴くままに飲んできたことを、今さら後悔しても仕方がない。とにかく、しばらく飲まないこと。これに尽きる。今の自分の身体は、飲めば不整脈が出る、という、実に単純な仕組みになってきているようなのだ。

とにかく、やめよう。ホントにホントに、やめよう。次の定期検査は今月末である。それまで1ヵ月の間、絶対にアルコールは口にしない。そこで、不整脈がどうなるかを監察していこう。

そう決めた。決めて、今度こそ必ず実行することを心に誓った。

日曜はリフォームの人達も休みなので、昨日5月1日は、3人で、またモミィの好きな阿倍野へ出かけた。(先週の「ばってん少女隊」に続き、この日は「リトルグリーモンスター」というアイドルグループが来ていた)。

いつも外食時には必ずビールを飲む僕だけど、もちろん、もう飲まないと決めたので、モミィが以前から行きたがっていたパンの店「クックハウス」というところへ行き、焼きたての調理パンとコーヒーという、およそ今までしたことのない外食をした。(これが結構おいしかった)

夕食の時には、ビール代わりにサイダーを飲んだ。

そして昨夜は不整脈も出ず、平穏な一夜を過ごすことができたのである。飲めば出る、飲まなければ出ない…ということが、証明されつつあるわけで、今朝は気分爽快。早朝に起きて、ここまでブログを打てたのだから、やはり、うれしいものですね。「健康が一番」という、ありきたりだけど、深遠なる言葉を、いま、改めて心の中で反復しています。

当分の間「喉元過ぎても熱さを忘れず」を座右の銘にしておきます。

 

▼さて今日は、午前中は病院へ行って、先週縫ってもらった頬っぺたの内側の抜糸をしてもらいます。そして午後はモミィの、5年生になって初めての授業参観で、学校へ行きます。不整脈の出る幕など、ないようにしなければね。

 

 

 

 


 

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口の中の出血が止まらない!

2016年04月26日 | 心と体と健康と

昨日の朝食の時、ふとした拍子に口の中を噛んだ。
頬っぺたの裏で、右下の奥歯の、一番奥のあたり。
口の中でも、最も奥のほうである。

時々噛むことがあり「痛っ!」と思ったら血が出ていた…
…ということは、自分にとってはそう珍しいことではない。
今回もそうだろうと、気にせずにジムのプールに出かけた。

ところが…
プールの洗面でツバを吐いたら、これが真っ赤。
うっすらと血が滲んでいる…という程度ではない。
驚くほど真っ赤だった。

「あれ…?」
朝食で頬っぺたの裏を噛んでから、数時間が経つ。
なのにまだ血が出ているなんて考えられなかった。
でもまぁ、そのうち止まるだろう、と泳ぎ続けた。

しかし、気になったのでトイレに行ってまたツバを吐くと、
やはりそこに鮮血が広がって行った。う~ん。気持ち悪い。
鏡の前で大きく口を開けると、口の中が血に染まっていた。
傷口はあまりに奥のほうなので、鏡では確認できない。
何度も口に水を含んで、ぶくぶくして吐き出したが、
血は止まる様子がない。なんだ、これは?

それでも、そのうち止まるだろ…と、まだ思っていた。
ジムからの帰り道では、何度もティッシュで血をぬぐった。

帰宅して、妻にガーゼをもらってそれを丸め、
口の奥の奥に突っ込んで、傷口を押さえた。
5分後にガーゼを取ると、ガーゼは血だらけ。
口の中に指を入れてみると、やはり血がべっとり。
それから2度傷口を押さえたが、血は止まらない。
心配した妻が「病院に行ったほうがいいわよ」と言った。

午後2時前後だった。
定期的に検査・診察に通っている松原の徳〇会病院に電話した。
診療時間外だったが、電話に出た女性に事情を話し、
いますぐにそちらで診てもらいたいとお願いした。
「わかりました。お気をつけてお越しください」

タクシーを呼び、徳〇会病院へ行った。
受付で「先ほど電話した〇〇ですが…」
「あ、お口の中を噛まれた…」
「そうです。すみません、よろしく」
「ではこの書類を持って、あちらの口腔外科へどうぞ」

口腔外科で少しだけ待ち、名前を呼ばれた。
「ここでお出ししている以外の薬を服用されていますか?」
…と看護師さんに聞かれたので、
「いいえ、この病院でもらっている薬だけです」
「わかりました。では、診察室にどうぞ」
やはり「なじみの病院」は、話が早い。

若くて愛想のいい医師から椅子に座るよう言われ、
口を大きく開けて、見てもらった。
血はむろんまだ止まっていない。

「ふ~む。かなり深く噛まれていますね」
自分では噛んだ時、そんな感じはしなかったけど。
「それと、ワーファリンを飲まれていますし…」と医師。
僕は心房細動(不整脈の一種)の持病があり、
それは脳梗塞を引き起こす恐れもあることから、
血液をサラサラにするワーファリンという薬を服用している。
だから、比較的血が止まりにくいのは確かだ。

しかし、これまでも口の中を噛むことはあったが、
いずれもすぐに血が止まっていたのも事実である。
だから今回もワーファリンが最大原因とは思えない。
それを医師に伝えると、
「噛んだ場所にちょうど血管があったのかも知れません」
ということも言われた。

そして「では、傷口を縫いましょう」と言われた。
げっ、縫う…? それって手術じゃないのか。

僕はこの年齢になるまで「縫った」ことなど一度もない。
生来、怖がりの僕である。
「縫うって…痛くないですか」とつい口にしてしまった。
「大丈夫です。ただ、麻酔の注射が少し痛いですけど」

…ということで、「恐怖」の治療が始まった。

看護師さんがシューっとスプレーで口の中へ何かを吹きつける。
アワアワアワ、と息を呑み、目を閉じて不安におののく僕だ。
そのうち「チクッとしますよ」と言われ、余計に体が固くなる。
そして…頬っぺたの内側に注射の針が刺さった。痛っ!

ほんの一瞬だったが、痛かったなぁ。
そのあと、医師がパチンパチンと傷口を縫って行く。
何回パチンパチンをされたのか、わからないが、
そう長い時間でもなく、痛くもなく、終了した。

頬っぺたが膨れてモコモコする感じだ。
「ブクブクしてください」と言われるまま、口を漱いだ。
ガーゼを小さく丸めたものを口に入れられ、
傷口近くの奥歯で「噛んでおいてください」
だいたい15分程度、このまま噛んでおくそうだ。

「では、あと1時間半ぐらいは何も食べないでください」
と医師は言い
「それまで、しゃべったりも、あまりしないでください」
と、付け加えた。
「はい」と言ったつもりで「ふぁーい」と僕は返事した。

念のため、化膿止めの抗生物質と、痛み止めの
2種類の薬を3日分だけ出します、ということだった。

1週間後に抜糸をするというので、
来週月曜日の10時に予約をした。


あぁ、やれやれ…
まったくもう、ドタバタの1日だった。

これから、物を食べるときは、意識して、
頬っぺたの裏を噛まないように注意しなければ。

 

 

 

 

 

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五木寛之の日常生活

2016年03月06日 | 心と体と健康と

NHKテレビに「団塊スタイル」という番組がある。
1ヵ月ほど前のその番組に、作家の五木寛之さんがゲストで出ていた。

五木寛之さんの著書は学生時代からよく読んでいた。
野性味と知性を併せ持ち、風貌もカッコよかった五木さんは、
僕たちの世代にとっては、羨望・憧れの的という存在だった。

その五木さんも、もう83歳になられたという。
それでも、ほとんど昔と変わっておられない。

「団塊スタイル」で五木さんの「平均的な1日」が紹介された。
エッセイにも書かれていたので、何となく知っていたけれど、
番組で紹介された“日課”を見て、改めてへぇ~と思った。


以下が五木さんの平均的な1日である。

まず起床が午後1時。…お昼の1時、ですよ。

そして午後3時ぐらいから仕事モードに入る。
原稿のゲラを直したり、編集者と打ち合わせをしたりする。
それが、夜まで続く。

そして次は、夜中の12時から朝の5時まで、原稿を執筆する。

それが終って、寝るのが午前6時から。
で、午後1時に起床…となる。

いやまぁ、すごい日課ですこと。

さらに食事も「バラバラですね」と五木さんは言う。
「全く食べない日もあるし1日1食の時も、4、5回食べる時も…」
そう言いながら、
「それでも生きているんですからね~」と五木さんは笑った。

「御年83で、それだけお元気なんですからねぇ」
と、司会者の人が感心したふうにつぶやいた。

五木さんは、1日3食規則正しく食べろとか、
野菜を沢山食べて栄養バランスをどうとか、
そんなの、アテになりませんよねぇ、とも言っていた。

「どんなふうに生きていくかは、一人一人違うんですから」

五木さんのその言葉には共感する。
でもやっぱり「健康常識」に囚われている僕ら凡夫には、
なかなかそう割り切れないし、それほど確固たる信念もない。

しかし、その番組を見てから1ヵ月も経つというのに、
いまでも五木さんのそれらの言葉が耳から離れない。


テレビでも医学や健康に関する番組が溢れ、
「1億総健康志向」の様相を呈してきた感があるけれど、やはり、
自分は自分、という意識が大切なのかな~と思ったりしています。

 

 

 

 

 

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