アメリカの中間選挙は、上院と下院の捻じれ現象が問題とされていますが、
この事は、単にアメリカ社会の問題と言うより、世界経済に与える影響が心配され
日本にも今後大きなダメージと成って、ボディブローの様に、しだいに国内経済を
不安定にしてしまう可能性が出て来ると思われます。
トランプ大統領になって、強引とも言える政策が、周囲の不安をよそに可決され、
その度に、世界経済を揺るがしてきましたが、例え、大統領の権限を駆使したとしても
そのまま可決されるとは言えず、国民の意思が、益々反映されないアメリカ政界が
混沌としてしまうかも知れません。
良かれあしかれ、トランプ大統領の独裁は、それなりの成果を上げて来たと言えるのですが、
その権限が、お膝元から揺らいできたとなると、次回の大統領選挙にも大きく影響し、
またもや世界経済だけでなく、軍事バランスすら揺らぐことと成り、新たなる脅威が
生まれる可能性すらあるのです。
常に、アメリカの傘の下で生きて来た日本にとって、トランプがクシャミをすれば
風邪を引く程依存している事も有って、今回の中間選挙の結果は、日本の将来にとっても
益々先の見えない、国民にとっては、苦しい時代が続くとも言えるのです。
日本の政治家や経済人にとっては、アメリカと心中する覚悟でいた方が利益を得れると
するのですが、国民にとっては、富裕層がいくら豊かに成っても、自分達の生活が
豊かに成らなければ、いつまで経っても幸せとは思えないのです。
多くの国民にとって、誰がリーダーシップを取り、どんな経済体形を取ろうと
自分達が幸せと感じれば良いのであって、見た目豊かな生活をしている様に見えて
実際は、日々の生活に苦慮している様では、いずれそのうっ憤が社会を不穏に
陥れる事になるかもしれないのです。
経済的に便利で豊かな物を与え続ける事で、自分達は幸せなのだと錯覚させるのは
せいぜい高度成長期の頃であって、あの頃の誤魔化しは、今や、負の遺産と成って
日本社会や自然に残っています。
経済的に豊かであれば、幸せであるとする考えは、いまだ、高度成長期やバブルが
忘れられない方々の妄想で有って、経済大国アメリカの真似をして暴利を得て来た
日本の中核を成す企業の方々の幻想に過ぎません。
どんなに頑張っても、あの頃の日本には戻れないのです。
と言うよりも、今の若者達や、将来の日本社会の中心になって行くと思われる若い世代は
日本経済のこれまでの在り方に対して批判的な考えが多いのです。
一部の人達が独裁的に資源や食料を浪費する世界が、如何に無駄であり、多くの人々の
利益を損っているかが解っていて、日本社会の在り方自体に大きな不満を抱いています。
例え食料が足りなくても、経済力に任せて世界中から食料を輸入して、大量消費すれば
大丈夫とするこれまでの考え方が、どれ程、地球にとって、そこに生きる人間を含め
あらゆる生き物にとってマイナスであるかを懸念しているのです。
簡単に言えば、高度成長期と現代は、全く違った時代であり、地球の状態も、人間社会の
在り方も過去の時代とは比較できない程変わってしまっているのです。
ネット社会は、世界中の出来事を瞬時に伝える事が出来、あらゆる情報を開示する事が
出来る様に成ったのです。
これまで、一部の人の情報であったり、一部の人達の独占であったものが、白昼の元に晒され
特定の人達が多くの人達を支配すると言う、従来の社会の在り方が成り立たなくなって
いるのです。
大多数の人達の利益を少数に人達に集め、経済的に格差を持った社会を作ろうとしても
その魂胆が簡単に社会に拡散すれば、当然、これまでの様な莫大なる利益を得て地位を成して
生きていた人達の存在が否定される事と成るのです。
豊かな人達によって作られて来た、彼らに都合の良い絶対正義は、多くの人達によって
過去の遺物として処理され、新たなる日本社会を望んでいる事は明らかなのです。
既にIT部門の発達は、あらゆる社会システムを変えていて、国民の多くは、国の方針に従う
と言うよりは、より便利なⅠT社会に従って生きていると言っても良いのです。
その為、経済的に豊かに成る事を求めると言うより、ITによって利便化されたさた社会で
自由に生きて行く事を望む若者が増えているのです。
高度成長期に膨大なる利益を得た方々が現在の日本を牛耳っている一方、コンピューターが
普及した後この世に生まれた若い世代がITを使って、多くの利益を得る様に成って来ました。
過去の時代の富裕層とは違った新たなる支配者層が生れているのです。
ただ、昔から地球の食料や資源を独占する事で成り上がって来た富裕層とは違って、
近年の若い資産家たちは、あらゆる情報を冷静に判断し、自分達の独占が、人々の不満を
呼ぶことが、様々な社会不安を呼ぶことを知っています。
彼らの望む世界、それは、どんなに豊かな生活を行っていても、あらゆる世代に理解される
報復を生まない世界です。
現代社会の最も大きな問題は、社会格差が、一部の人だけを豊かにして、貧しい人達を
より苦しめている事です。膨大なる利益が世界中の人々に共有される事無く、更なる利益と成って
豊かな人達に流れている事です。
この現実が、世界中で起こるあらゆる紛争の根源と成っていて、どんなに圧力を与えて阻止しようと
多くの人々怒りと憎しみを抑える事は出来ないのです。
人類の歴史は、多かれ少なかれ、独裁者たちの略奪と独占で作られて来ました。
戦いによって勝者と成った者が、敗者から全てを奪う権限を持ち、戦いの後は、勝者の豊かな暮らしと
敗者たちの悲惨な暮らしが有りました。
この事は、近代化が進んだ現在の世界に於いてもその根本は変わらず、常に、争いが繰り返され、
テリトリーの拡大と共に食料と資源を奪い合う事実は変わりません。
しかしながら、今や、世界の食料も資源も尽きつつあるのです。
特に食料は、全人類を賄うにはあまりにも少なく、多くの国々で食糧難と成りつつあるのです。
そんな中でも、世界を牛耳る先進国は、多くの発展途上国から、膨大なる食料と資源を搾取し
今以上の豊かな国を目指しているのです。
日本もその例外ではなく、いまだアメリカの対外政策に従い、戦後半世紀以上になるものの
日米の関係は、何だ変わる事無く親方と子分でしか有りません。
しかも、現在の親方は、極めて利己主義であり、周囲の人達や世界の国々の人達に耳を貸しません。
アメリカファーストと言うより、トランプファーストであり、自分が世の中の基準であるような
我儘を通り越した、悪態ぶりです。
自分の考える利益しか信じる事が出来ず、世界を、自分が思うが儘に作り替えようとしているかの
独裁的な政治を行っています。
日本は、こんな身勝手な人間に従って生きて行かなければ成らないのでしょうか。
トランプの考えで、日本人は本当に幸せに成れるとするのでしょうか。
とは言っても、政治家を始め多くの経済界のリーダー達は、この我儘なトランプの考えに
首までどっぷりと浸かっているのが現状なのです。
国民の利益と言うより、自分達の利益が得られるから、この理不尽な親方に従っているのです。
日本は、既に、国の未来を、他国の独裁者に委ねてしまった人達によって動かされているのです。
国民がどんなに不満を述べても、国民から得られる利益より遥かに美味しい話が、アメリカとの間で
取り交わされているのが、大多数の日本国民の不幸と言えます。
アメリカの傘下に居なければ、日本の防衛は成し得ないとするリーダー達の本音は、アメリカの傘下で
守られていれば、自分達の利益が得られるとするのです。
国民の為、国民の幸せの為と言うのは、いわゆる、選挙演説の様なものであり、国民が投票権を持って
次回の政治家を決める事から仕方なく行っているパフォーマンスに過ぎません。
日本の豊かな人達やリーダー達の多くは、国民一人一人の幸せというより、国民から吸い上げる利益と
アメリカを始めとする豊かな国々からもたらされる膨大なる利益にしか関心が無いのです。
いまや、世界は、究極の個人主義に成っていると言えるのです。
誰かと協力してお互いに利益を分かち合うと言うのではなく、少しでも他人より多くの利益を上げ
自分自身の生き方を貫くと言うのが、個人的にも国家としても有るのです。
政治家と言うのは、多くの人々の代表として、自分を支えてくれた人々を幸せにすると言う使命を忘れ
得られた地位を利用して、更なる利益を得る事を目的としているのす。
そんなことは無いと言われるならば、戦後いつまで経っても、無くならない、たとえ氷山の一角としても
日本のトップの人達の見苦しい姿は、自分の利益しか考えていない事実ともいえます。
人類の中で、その最も自らの欲望を前面に出して多くの人達を苦しめているのが、トランプと言えるでしょう。
本当にアメリカの事を考えていると言うより、自分の理想とするアメリカを作ろうとしているに過ぎず、
膨大なる利益を目論んでいる商人の姿そのものといえます。
本当に彼が、アメリカ国民だけでなく、日本国民の事を考えていると誰が言えましょう。
しかし、この傾向は、世界のトップの事だけでない事が一番の問題と言えます。
現在の人類は、多かれ少なかれ、この消費経済社会に於いて、同じような感覚で生きているのです。
たまたま、トランプが目に付きますが、世界中の人々の心には、少なくともトランプと同じような
我儘な心があるのです。
ただ、違うのは、自分の周囲の人達も、同じように豊かに幸せに成りたいと思っている事を知っていて
自分の幸せだけでなく、周囲の人達も幸せである事が大切と考えているのです。
しかしながら、人は、人の上に立つようになると、自分だけの幸せを求めやすくなるものです。
差別やいじめ、格差は、上に立つ人によって生まれます。
より自分の存在価値を高める為には、より低いと見なせる人がいる事が大切と言えるのです。
誰もが同等の幸せ満足というのには、満足できないと言う気持ちが人間の心の中にあるのです。
自分だけしか持ち得無い物、他人より秀でたものを持つことが心の満足と成る傾向が有るのです。
これは人の持つ悲しい性質であり業でも有るのです。
何故、誰もが嫌う戦争が無くならないのか、どんなに信頼し合っている仲間同士で有っても、
醜く争う事が有るのか、幸せであるのにあえて不幸な関係と成ってしまうのか、この人間の持つ
矛盾した特性は、人類が持っている、生き物の中では特異な性質なのかもしれません。
とは言え、出来る事なら、他人と争わず、周囲の人達と幸せに生きて行きたいものです。
その為に、私達人類は、多くの学問を身に付け、様々な人間関係を築いて来たのです。
社会的地位も財産も、人間として、幸せに生きる為に有ったはずです。
人に憎まれたりする為に身に付けたものではなかったはずです。
現代人は、豊かな文明の中にありながら、幸せに成らんと作り上げた環境で
自らを苦しめる結果になってしまったのです。
今や、全人類は、これまでの生き方に対して、地球から手厳しいお仕置きを受けているのかも
しれません。
自らを反省して、人類のみならず地球のあらゆる生き物が存続できる道を考える時間を
様々な惨禍を通して与えられているのかも知れません。
しかしながら、この機会を、更なる暴挙へ進めようとしている輩がいる限り、
私達人類は、かつての恐竜が辿った運命から逃れられないのかも知れません。
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