早くも八月に入ってしまった。
梅雨が明けるといよいよ本格的な夏の訪れ。
ニイニゼミが鳴き、アブラゼミがうるさくなると、
子供達が水遊びで歓声を上げる長い夏休みが始まる。
夕方には疲れて帰ってきた兄弟が、井戸水で冷たく
冷えたスイカを頬張る。日陰の縁台で大人たちが
麦茶を飲みながら将棋に興じる。暑さで昼寝をしていた
母が陽の傾きと共に夕飯の準備に取り掛かる。
夏の一日が走馬灯の様に思い出せれる。
だが、最近の日本の夏はどうなってしまったのだろう。
まるで熱帯の様な猛烈な日差し、梅雨が明けたというのに
各地で集中豪雨の被害が絶えない。
夕方になると決まって怪しげな雲が空を覆い始め
にわかに滝のような雨が降ってくる。
排水の悪い都会の道路は直ぐに冠水、いたるところで
交通規制になって、帰宅する人々は大混乱となってしまう。
先週の目黒川も酷かった。いつもは川底が見えるほどの水深が
橋桁に濁流が叩きつけかの様な激流と変わった。
今の家に住むようになった頃は、護岸が今よりもずっと低く
川幅ももう少し狭かったが、大雨が降ってもこれ程の水量で
流れ下ることはなかった。川幅も深さも増したのに、それ以上に
水量が増しているという事なのだろうか。
大都会に住んでいると、自然は人の力でどうでもできる様な
錯覚を起こしてしまう。美しい並木道、公園、河川の遊歩道、
どれも計算されて我々の生活を豊かにしてくれている様に
感じてしまう。しかし、作られた自然はいずれ本物の自然の
大きな力で簡単に押しつぶされてしまう。
我々も動物として自然のサイクルの中で生かされている事を
忘れてしまうと、その歪にいつかは自滅してしまうのではと
心配してしまう。飲料水がもしなくなれば、空気が汚染されれば
いとも簡単に我々の文明は姿を消してしまう。
この小さな地球の限られた空間であらゆる生物がお互いに
支えあっていることを決して忘れてはいけないと心の中で
深く思う。
梅雨が明けるといよいよ本格的な夏の訪れ。
ニイニゼミが鳴き、アブラゼミがうるさくなると、
子供達が水遊びで歓声を上げる長い夏休みが始まる。
夕方には疲れて帰ってきた兄弟が、井戸水で冷たく
冷えたスイカを頬張る。日陰の縁台で大人たちが
麦茶を飲みながら将棋に興じる。暑さで昼寝をしていた
母が陽の傾きと共に夕飯の準備に取り掛かる。
夏の一日が走馬灯の様に思い出せれる。
だが、最近の日本の夏はどうなってしまったのだろう。
まるで熱帯の様な猛烈な日差し、梅雨が明けたというのに
各地で集中豪雨の被害が絶えない。
夕方になると決まって怪しげな雲が空を覆い始め
にわかに滝のような雨が降ってくる。
排水の悪い都会の道路は直ぐに冠水、いたるところで
交通規制になって、帰宅する人々は大混乱となってしまう。
先週の目黒川も酷かった。いつもは川底が見えるほどの水深が
橋桁に濁流が叩きつけかの様な激流と変わった。
今の家に住むようになった頃は、護岸が今よりもずっと低く
川幅ももう少し狭かったが、大雨が降ってもこれ程の水量で
流れ下ることはなかった。川幅も深さも増したのに、それ以上に
水量が増しているという事なのだろうか。
大都会に住んでいると、自然は人の力でどうでもできる様な
錯覚を起こしてしまう。美しい並木道、公園、河川の遊歩道、
どれも計算されて我々の生活を豊かにしてくれている様に
感じてしまう。しかし、作られた自然はいずれ本物の自然の
大きな力で簡単に押しつぶされてしまう。
我々も動物として自然のサイクルの中で生かされている事を
忘れてしまうと、その歪にいつかは自滅してしまうのではと
心配してしまう。飲料水がもしなくなれば、空気が汚染されれば
いとも簡単に我々の文明は姿を消してしまう。
この小さな地球の限られた空間であらゆる生物がお互いに
支えあっていることを決して忘れてはいけないと心の中で
深く思う。