めぐろのめばる

目黒川近辺で日本の四季を楽しみ、未来の日本を憂う。
かつての美しい日本と日本人がいかに素晴らしかったかを思う。

優しくなくなった日本の自然

2013-08-01 14:10:44 | 日記
早くも八月に入ってしまった。
梅雨が明けるといよいよ本格的な夏の訪れ。
ニイニゼミが鳴き、アブラゼミがうるさくなると、
子供達が水遊びで歓声を上げる長い夏休みが始まる。
夕方には疲れて帰ってきた兄弟が、井戸水で冷たく
冷えたスイカを頬張る。日陰の縁台で大人たちが
麦茶を飲みながら将棋に興じる。暑さで昼寝をしていた
母が陽の傾きと共に夕飯の準備に取り掛かる。
夏の一日が走馬灯の様に思い出せれる。

だが、最近の日本の夏はどうなってしまったのだろう。
まるで熱帯の様な猛烈な日差し、梅雨が明けたというのに
各地で集中豪雨の被害が絶えない。
夕方になると決まって怪しげな雲が空を覆い始め
にわかに滝のような雨が降ってくる。
排水の悪い都会の道路は直ぐに冠水、いたるところで
交通規制になって、帰宅する人々は大混乱となってしまう。

先週の目黒川も酷かった。いつもは川底が見えるほどの水深が
橋桁に濁流が叩きつけかの様な激流と変わった。
今の家に住むようになった頃は、護岸が今よりもずっと低く
川幅ももう少し狭かったが、大雨が降ってもこれ程の水量で
流れ下ることはなかった。川幅も深さも増したのに、それ以上に
水量が増しているという事なのだろうか。

大都会に住んでいると、自然は人の力でどうでもできる様な
錯覚を起こしてしまう。美しい並木道、公園、河川の遊歩道、
どれも計算されて我々の生活を豊かにしてくれている様に
感じてしまう。しかし、作られた自然はいずれ本物の自然の
大きな力で簡単に押しつぶされてしまう。

我々も動物として自然のサイクルの中で生かされている事を
忘れてしまうと、その歪にいつかは自滅してしまうのではと
心配してしまう。飲料水がもしなくなれば、空気が汚染されれば
いとも簡単に我々の文明は姿を消してしまう。
この小さな地球の限られた空間であらゆる生物がお互いに
支えあっていることを決して忘れてはいけないと心の中で
深く思う。