4月11日午後5時58分ごろミンスクの地下鉄駅構内で爆発物が爆発しました。
2人が死亡。多数のけが人が出ているもようです。報道がまちまちなのですが、けが人は20人とも、80人とも、死者は7人、とするニュースソースもあります。
我が家は3人とも無事です。
爆発が起きたのはミンスクの地下鉄の駅「オクチャブリスカヤ」駅です。
ミンスクは地下鉄の路線が2本あります。
その2本の線が交わる駅があります。それがオクチャブリスカヤ駅です。
もう一つの路線に乗り換えるには、二つ方法があって、一つはオクチャブリスカヤ駅のホームの端にあるエスカレーターに乗って一旦駅構内上層に上がり、階段を下りて乗り換え駅クパロフスカヤ駅のホームに下りる方法。
もう一つの方法はオクチャブリスカヤ駅のホームから直接クパロフスカヤ駅のホームにつながる連絡通路を通る方法です。
爆発物は連絡通路に仕掛けられていました。しかもこの時間帯は夕方のラッシュ時。
しかもオクチャブリスカヤ駅はミンスクの地下鉄の中で一番乗降者数が多いのです。
地下鉄の駅は全て封鎖されています。携帯電話は携帯電話同士の通話ができなくなっています。回線がパンクしたのか、通話規制をかけたのか、よく分かりません。
今ネットがつながりにくくなっています。
目撃者によると、爆発後、連絡通路に黒煙が上がったそうです。
爆発物の種類などはまだ分かっていません。
その後の様子を携帯電話で撮影した人もいたようですが、白い煙のようなものが立ちこめ、画像は不鮮明でしたが、連絡通路らしき場所に倒れている人や、血を流して座り込んでいる人が映っていました。
白煙の中を地下鉄のよろめきながら外に出ようとする人たち。
爆風で吹き飛ばされたのか服がぼろぼろになっている人もいました。
YOUTUBEで爆発事故の映像が見られます。
http://www.youtube.com/embed/GBG-KY3Md7k?rel=0
・・・・・・・・・・・・・・
以下は4月11日午後10時半の書き込みです。
9時40分にベラルーシの大統領がテレビ番組を通じて発表しました。
今回の爆発事故で11人死亡。100人以上が怪我。(103人が怪我をして、うち20人ほどが重傷という情報もあります。)
市内5つの病院に分散されて治療を受けています。すでにこの事故のホットラインを設けているそうです。
地下鉄はしばらく封鎖する。代わりに無料のバス路線を増やすよう指示。
テロと思われるが目的が何か不明。2008年7月に起こった爆発事故との関連は?
http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/b704d6d389e11c386e7cfff6eb722b5b
ベラルーシのテレビ局ONTが事故の後のオクチャブリスカヤ駅の様子を撮影し、ニュースで報道しました。
前述のエスカレーターはめちゃくちゃな状態。
オクチャブリスカヤ駅の中は白く煙っています。ホームには1台の地下鉄車両が止まったまま・・・。
もう一つのホームには何も止まっていません。
ホームには乗客の持ち物などが散乱して、足の踏み場もないほどです。
連絡通路ではなく、地下鉄の駅にちょうど停車していた車両に爆発物があった、という情報もあります。
こちらの情報のほうが正しそうに思えました。
爆発が起こったとき、ちょうどホームの両側に2台の車両が到着していた、という情報もありますが、映像でみた限りは1台だけが止まっていました。
助け出された人も目撃情報がまちまち、というか、ショックのあまり、うまく話ができない様子でした。
ある女性は爆発のとき閃光が走り、その場に倒れた。ショックのあまりその場にいた乗客誰も彼もは1分ぐらい口がきけなかった。その後誰かが
「落ち着いて! パニックを起こさないように! 冷静に!」
と言ったおかげで皆我に返り、駅から外へ逃げた・・・そうです。目の前にたくさん人が倒れていたとも。
バラバラになった遺体を見た、という人もいました。
消防車が駅に駆けつけましたが、最初は爆発ではなく
「地下鉄構内で火事発生」
の連絡を受けて来たようです。
実際には炎は目撃されておらず、
「ガスが出ていた。」
とか
「炎が出ていたが、青かった。」
とか
「熱よりも、爆発の衝撃波が強烈だった。」
とかさまざまな目撃者の情報が飛び交っています。
地下鉄の上をミンスクのメインストリートが走っています。
オクチャブリスカヤ駅の上の部分は京都で言うと四条河原町の交差点のようなところです。そこに救急車と消防車がそれぞれ10台以上止まって、負傷者を運び出し、応急処置をしていました。
その周りにも怪我をしたり、ショックで座り込んでいる人が多数いました。
・・・・・・・
そういう私は・・・。事故が起きる1時間前、子どもを新体操の練習のため地下鉄に乗って行きました。
夕方5時過ぎ、支援物資の一部を買いに行くため、徒歩で地下鉄一駅半歩いて百貨店へ。
その後また徒歩で新体操教室へと戻りました。(地下鉄に乗らなくて良かった!)
そのとき「科学アカデミー」駅の出入り口付近を通りかかりました。
そこに救急車が1台止まっていたので、「あれ?」と思ったのです。
科学アカデミー駅はオクチャブリスカヤ駅から3駅目の駅です。
しかし、静かに救急車が離れて行ったので、
「地下鉄の乗客の誰かが、気分が悪くなったので、救急車を呼んだのかな?」
ぐらいにしか思っていませんでした。
その後新体操クラブへ行って、練習が終わるのを待っていたのですが、携帯が鳴り、それが午後6時17分。夫からでした。
「まだ練習終わらないのー?」
というたわいもない電話。
その後、6時半ごろ練習が終わった子どもを連れて、最寄地下鉄へ行くとき、通りかかったバス停にたくさんの人が集まっていて
「どうして今日はこんなにバスに乗る人が多いのだろう。」
とのんきなことを考えていました。
それから最寄り駅に行くと・・・閉まっている・・・。
理由の詳しい説明などはありませんでした。
気がつくとメインストリートを歩いている人が大勢いる・・・。
私たちも次の駅まで歩いて行きました。
私はてっきり投身自殺だと思っていました。前にもこういうことがあって、自殺者が出た駅の前後1駅ずつが、閉鎖されることがあるのです。
しかし、行き来するバスの様子からして、3駅ではなく、たくさんの駅が閉鎖されている気がしました。
夫が心配しているだろうと携帯に電話しましたが、全く通じなくなっていました。
それで、自宅の固定電話にかけたら、夫が出たので
「どうして携帯通じないの? 電池切れ?」
と尋ねましたが、そんなことない、という返事。
「地下鉄が閉まっているから、帰りが遅くなると思う。」
と連絡しました。
その後、夫は「何か変だ。」と思ってテレビをつけ、びっくりしたみたいです。
それから私の携帯に電話したそうですが、全くつながりませんでした。
次の駅も閉鎖されていたので、仕方なくバスに乗ろうとするとバス停は黒山の人だかり。ぎゅうぎゅう詰めになって、ようやく8時過ぎ帰宅。
「地震にあった日本人と比べてご覧。私たちは家に帰り着いたんだから、こんなの大変なうちに入らないよ。」
と子どもをなぐさめつつ、家にたどり着き、夫の話とニュースを見てびっくり仰天。
うちの子は「もう人が死ぬのいやだ。」と泣いていました。
確かにこの一ヶ月、精神的にきつかったです。一生忘れられないと思います、2011年の春。
2人が死亡。多数のけが人が出ているもようです。報道がまちまちなのですが、けが人は20人とも、80人とも、死者は7人、とするニュースソースもあります。
我が家は3人とも無事です。
爆発が起きたのはミンスクの地下鉄の駅「オクチャブリスカヤ」駅です。
ミンスクは地下鉄の路線が2本あります。
その2本の線が交わる駅があります。それがオクチャブリスカヤ駅です。
もう一つの路線に乗り換えるには、二つ方法があって、一つはオクチャブリスカヤ駅のホームの端にあるエスカレーターに乗って一旦駅構内上層に上がり、階段を下りて乗り換え駅クパロフスカヤ駅のホームに下りる方法。
もう一つの方法はオクチャブリスカヤ駅のホームから直接クパロフスカヤ駅のホームにつながる連絡通路を通る方法です。
爆発物は連絡通路に仕掛けられていました。しかもこの時間帯は夕方のラッシュ時。
しかもオクチャブリスカヤ駅はミンスクの地下鉄の中で一番乗降者数が多いのです。
地下鉄の駅は全て封鎖されています。携帯電話は携帯電話同士の通話ができなくなっています。回線がパンクしたのか、通話規制をかけたのか、よく分かりません。
今ネットがつながりにくくなっています。
目撃者によると、爆発後、連絡通路に黒煙が上がったそうです。
爆発物の種類などはまだ分かっていません。
その後の様子を携帯電話で撮影した人もいたようですが、白い煙のようなものが立ちこめ、画像は不鮮明でしたが、連絡通路らしき場所に倒れている人や、血を流して座り込んでいる人が映っていました。
白煙の中を地下鉄のよろめきながら外に出ようとする人たち。
爆風で吹き飛ばされたのか服がぼろぼろになっている人もいました。
YOUTUBEで爆発事故の映像が見られます。
http://www.youtube.com/embed/GBG-KY3Md7k?rel=0
・・・・・・・・・・・・・・
以下は4月11日午後10時半の書き込みです。
9時40分にベラルーシの大統領がテレビ番組を通じて発表しました。
今回の爆発事故で11人死亡。100人以上が怪我。(103人が怪我をして、うち20人ほどが重傷という情報もあります。)
市内5つの病院に分散されて治療を受けています。すでにこの事故のホットラインを設けているそうです。
地下鉄はしばらく封鎖する。代わりに無料のバス路線を増やすよう指示。
テロと思われるが目的が何か不明。2008年7月に起こった爆発事故との関連は?
http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/b704d6d389e11c386e7cfff6eb722b5b
ベラルーシのテレビ局ONTが事故の後のオクチャブリスカヤ駅の様子を撮影し、ニュースで報道しました。
前述のエスカレーターはめちゃくちゃな状態。
オクチャブリスカヤ駅の中は白く煙っています。ホームには1台の地下鉄車両が止まったまま・・・。
もう一つのホームには何も止まっていません。
ホームには乗客の持ち物などが散乱して、足の踏み場もないほどです。
連絡通路ではなく、地下鉄の駅にちょうど停車していた車両に爆発物があった、という情報もあります。
こちらの情報のほうが正しそうに思えました。
爆発が起こったとき、ちょうどホームの両側に2台の車両が到着していた、という情報もありますが、映像でみた限りは1台だけが止まっていました。
助け出された人も目撃情報がまちまち、というか、ショックのあまり、うまく話ができない様子でした。
ある女性は爆発のとき閃光が走り、その場に倒れた。ショックのあまりその場にいた乗客誰も彼もは1分ぐらい口がきけなかった。その後誰かが
「落ち着いて! パニックを起こさないように! 冷静に!」
と言ったおかげで皆我に返り、駅から外へ逃げた・・・そうです。目の前にたくさん人が倒れていたとも。
バラバラになった遺体を見た、という人もいました。
消防車が駅に駆けつけましたが、最初は爆発ではなく
「地下鉄構内で火事発生」
の連絡を受けて来たようです。
実際には炎は目撃されておらず、
「ガスが出ていた。」
とか
「炎が出ていたが、青かった。」
とか
「熱よりも、爆発の衝撃波が強烈だった。」
とかさまざまな目撃者の情報が飛び交っています。
地下鉄の上をミンスクのメインストリートが走っています。
オクチャブリスカヤ駅の上の部分は京都で言うと四条河原町の交差点のようなところです。そこに救急車と消防車がそれぞれ10台以上止まって、負傷者を運び出し、応急処置をしていました。
その周りにも怪我をしたり、ショックで座り込んでいる人が多数いました。
・・・・・・・
そういう私は・・・。事故が起きる1時間前、子どもを新体操の練習のため地下鉄に乗って行きました。
夕方5時過ぎ、支援物資の一部を買いに行くため、徒歩で地下鉄一駅半歩いて百貨店へ。
その後また徒歩で新体操教室へと戻りました。(地下鉄に乗らなくて良かった!)
そのとき「科学アカデミー」駅の出入り口付近を通りかかりました。
そこに救急車が1台止まっていたので、「あれ?」と思ったのです。
科学アカデミー駅はオクチャブリスカヤ駅から3駅目の駅です。
しかし、静かに救急車が離れて行ったので、
「地下鉄の乗客の誰かが、気分が悪くなったので、救急車を呼んだのかな?」
ぐらいにしか思っていませんでした。
その後新体操クラブへ行って、練習が終わるのを待っていたのですが、携帯が鳴り、それが午後6時17分。夫からでした。
「まだ練習終わらないのー?」
というたわいもない電話。
その後、6時半ごろ練習が終わった子どもを連れて、最寄地下鉄へ行くとき、通りかかったバス停にたくさんの人が集まっていて
「どうして今日はこんなにバスに乗る人が多いのだろう。」
とのんきなことを考えていました。
それから最寄り駅に行くと・・・閉まっている・・・。
理由の詳しい説明などはありませんでした。
気がつくとメインストリートを歩いている人が大勢いる・・・。
私たちも次の駅まで歩いて行きました。
私はてっきり投身自殺だと思っていました。前にもこういうことがあって、自殺者が出た駅の前後1駅ずつが、閉鎖されることがあるのです。
しかし、行き来するバスの様子からして、3駅ではなく、たくさんの駅が閉鎖されている気がしました。
夫が心配しているだろうと携帯に電話しましたが、全く通じなくなっていました。
それで、自宅の固定電話にかけたら、夫が出たので
「どうして携帯通じないの? 電池切れ?」
と尋ねましたが、そんなことない、という返事。
「地下鉄が閉まっているから、帰りが遅くなると思う。」
と連絡しました。
その後、夫は「何か変だ。」と思ってテレビをつけ、びっくりしたみたいです。
それから私の携帯に電話したそうですが、全くつながりませんでした。
次の駅も閉鎖されていたので、仕方なくバスに乗ろうとするとバス停は黒山の人だかり。ぎゅうぎゅう詰めになって、ようやく8時過ぎ帰宅。
「地震にあった日本人と比べてご覧。私たちは家に帰り着いたんだから、こんなの大変なうちに入らないよ。」
と子どもをなぐさめつつ、家にたどり着き、夫の話とニュースを見てびっくり仰天。
うちの子は「もう人が死ぬのいやだ。」と泣いていました。
確かにこの一ヶ月、精神的にきつかったです。一生忘れられないと思います、2011年の春。