ベラルーシの部屋ブログ

東欧の国ベラルーシでボランティアを行っているチロ基金の活動や、現地からの情報を日本語で紹介しています

チロ基金の活動「ビタペクト2&『放射能と栄養』無料配布・SOS子ども村 第116回」

2011-04-20 |   ビタペクト配布活動
 4月18日にビタペクト2と「チェルノブイリ:放射能と栄養」のコピー無料配布運動として、SOS子ども村への第116回目の配布を実施いたしましたので、ご報告いたします。
 今回はビタペクトTを10個、そして「放射能と栄養」のコピーを10部渡しました。
 これで今までに配布したビタペクト2(ビタペクトT)は合計1795個、「チェルノブイリ:放射能と栄養」のコピーは1550部となりました。
  
 今回で通算126回目のビタペクト2(ビタペクトT)の配布となりました。延べ人数ですが、1795人の子どもにビタペクト2(ビタペクトT)を、1550家族分の「放射能と栄養」のコピーを配布したことになります。

(これまでのビタペクト2配布運動について、詳細はこちらをご覧ください。)

http://belapakoi.s1.xrea.com/chiro/katudou/bitapekt/index.html


http://blog.goo.ne.jp/nbjc/c/e1e67d76a4796f3c95377bb7bdabd215


(またこの活動報告を読むにあたり、「チロ基金の活動『ビタペクト2無料配布』について追加のご説明」も併せてご覧ください。)

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/67c3b73ea2f30e880c3d4eb8bedded13


(ビタペクト2とビタペクトTについてはこちらをご覧ください。)

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/5cab63b65562dd2f64a820a7e4298a0b


(「チェルノブイリ:放射能と栄養」について詳細はこちらをご覧ください。)

http://belapakoi.s1.xrea.com/chiro/katudou/chel/index.html


(SOS子ども村についてはこちらをご覧ください。) 

http://belapakoi.s1.xrea.com/jp/no2/2001/soschild.html


(ビタペクトTを開発、製造、販売しているベルラド放射能安全研究所のサイトはこちらです。)

http://www.belrad.nsys.by


(ベルラド研究所について日本語でご紹介している記事はこちらです。)

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/c382ef7eca8660531e895c8a646e7f2a




(家族A)
 
 ピンスク(チェルノブイリ原発から約280キロ)から来た家族。この家族に6個のビタペクトTを渡しました。子どもは全部で8人いますが、そのうち7人だけが保養に来ていました。
 この家族は2009年5月、2010年7月にもSOS子ども村に保養滞在しています。そのときの様子について詳しくは過去ログ「ビタペクト2&『放射能と栄養』無料配布・SOS子ども村 第90回」(家族A)をご覧ください。

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/5605baafc47f087d39d977d760920c4d

ビタペクト2&『放射能と栄養』無料配布・SOS子ども村 第105回」(家族A)をご覧ください。

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/7437295375f3748d57670e7dad042869


 2009年と2010年、そして今回(2011年)の体内放射能測定結果はこのとおりです。○印の子どもにビタペクトT(ビタペクト2)を渡しました。

母親(事故発生時14歳)  0ベクレル → 9ベクレル → 17ベクレル
男子(14歳)27ベクレル ○ → 26ベクレル ○ → 39ベクレル ○
女子(11歳)21ベクレル ○ → 36ベクレル ○ → 21ベクレル ○
男子(10歳)32ベクレル ○ → 29ベクレル ○ → 34ベクレル ○
女子 (8歳)26ベクレル ○ → 33ベクレル ○ → 23ベクレル ○
男子 (8歳)                      18ベクレル ○
女子 (7歳)22ベクレル ○ → 32ベクレル ○ → 19ベクレル ○
女子 (4歳)(2009年は測定なし)30ベクレル ○ → 17ベクレル 

 こうして結果を見てみると、9ヶ月前にビタペクト2を飲んで、放射能値が減った子どものほうが多いのですが、増えている子どももいます。
 たとえば14歳の男の子は39ベクレルと高い値です。どうしてなのかと言えば、成長期に入り食べる量が増えたからで、さらに食べたものの中に放射能が多く含まれていたからだろう、ということでした。
 ピンスクはブレスト州にあるのですが、ベルラド研究所によると食べ物がかなり汚染されているそうで、牛乳1リットルに100ベクレル以上の放射能が検出されたこともあります。
 たしかに中学生ぐらいになると牛乳をがぶがぶ飲めるので、3歳の妹よりは放射能をたくさん取り込んでしまうと思います。 

 子どもたちの健康状態ですが、11歳の女の子は生まれつき腎臓が一つしかありません。また肩のあたりの骨と関節が歪んでいて腕を上げることができません。一昨年の秋にミンスクの専門病院で検査入院しました。その結果、もし歪みの程度が進んで、麻痺状態が起こるほどになったら、手術して肥大した骨の部分を削るように、と言われて退院したそうです。
 その後お母さんは手術を希望しましたが、結局病院からリスクが高すぎる、と断られ、別の病院を当たってみるかどうか悩んでいるそうです。

 8歳の男の子と女の子は双子です。この男の子は一昨年は歩くことができませんでしたが、その後車椅子に乗って生活してます。 
 小学生用の紙おむつをしていますが、ときどきドイツからの支援で紙おむつをもらっているそうです。
 そうするとしばらくは紙おむつを買わなくていいので、家計的にはその期間助かる、というお母さんの話でした。


(家族B)

 ミンスク州クループキ市(チェルノブイリ原発から約340キロ)から来た家族。お母さんには5人実子がいますが、上の2人は同行していません。このほか孫を1人と現地の多子家庭協会の会員の子ども2人を引率していました。
 この家族には4個のビタペクトTを渡しました。それぞれの体内放射能値はこのとおりです。○印の子どもにビタペクトTを渡しました。

母親(事故発生時19歳)21ベクレル ○
男子(13歳)23ベクレル ○
女子(11歳)16ベクレル 
男子(5歳)17ベクレル 
孫・男子(3歳)12ベクレル 

女子(13歳)21ベクレル ○
女子(18歳)26ベクレル ○ (この2人は姉妹。)

 お母さんは成人なのに、どうしてビタペクト2をあげることになったのか、よく分かりません。と言うのも、放射能を測定する場所はベルラド研究所ですが、測定にかかる費用はSOS子ども村が負担しています。そして普通子どもは20ベクレル以上だとビタペクト2をあげることにしていますが、19ベクレルや18ベクレルでも年齢(成長期であるかどうかなど)おまけであげることが多いです。
 あげるかあげないかは、SOS子ども村専属で働く医師、リリヤ先生が決めるのですが、今回はちょうどリリヤ先生が不在で、尋ねることができませんでした。
 お母さんは「自分より子どもに飲ませたい。」と希望したので、お母さんにビタペクトTをあげています(丸印がついている)が実際には、11歳の女の子と5歳の男の子が半分ずつ分けて飲むことになりました。

 11歳の女の子は1年前に糖尿病を発病。甲状腺も異常があり、検査入院していて、退院後、すぐにSOS子ども村へ来たそうです。
 お母さん自身は喘息を持っており、3歳の孫(長女の子ども)はよく風邪をひき、しかも長引くことが多いそうです。

 引率してきた姉妹のうち13歳の女の子は胃潰瘍をわずらっており、毎年夏休みになると3ヶ月かけて療養所生活を送っているそうです。
 他の子どもは比較的健康状態はいい、ということでした。

 住んでいるクループキ市はミンスク州にあり、放射能汚染地域ではありません。しかしお母さんの話によると、糖尿病の子どもが増えてきているそうです。
 
 今回もいつものように子ども達に折り紙、折り紙の作り方などをプレゼントしました。また日本文化についての簡単な紹介もしました。絵葉書に名前を筆ペンで日本語で書いてあげたら、とても喜んでいて、
「自分でも書けるようになりたい!」
と日本語にとても興味を示していました。
 そして羅臼昆布のプレゼントもありました。家族Aには前回も昆布をあげていましたが、尋ねてみると、家族Aの子どもたちは
「海草が好き。」
という子どもがほとんどだったのに、家族Bのほうの子どもは
「海草をは嫌い。」
と話していました。やはり慣れが大事だと思い、ヨウ素を摂ることの大切さなど改めてお話しました。

 最後になりましたが、ビタペクトTの購入費、そして「放射能と栄養」をコピーするために必要な経費を寄付してくださった方々、折り紙や絵葉書、昆布など子どもたちへのプレゼントを寄贈してくださった方、また日本ユーラシア協会大阪府連主催のバザーなどでSOS子ども村への交通費を捻出してくださった多くの日本人の皆様に、この場を借りて深くお礼申し上げます。
 多くの方々に支えられて、この活動が続いています。
 ベラルーシの子どもたちもお母さんたちもSOS子ども村の職員の方々も皆様に大変感謝しております。本当にありがとうございました。