電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

新田次郎『ある町の高い煙突』を読む

2011年09月17日 06時02分10秒 | 読書
東日本大震災にともなう福島原発の事故で、水素爆発によって放射能汚染が広がることが予想されたとき、ふと思い出したのが、新田次郎著『ある町の高い煙突』でした。日立銅山の煙害問題をテーマにしたこの物語では、地域気象を扱い、銅鉱石の精錬にともない発生する亜硫酸ガスの煙がどのように流れるかや、逆転層の存在、海風・陸風、一般気流などという概念がどのように役立ったかを知ることができました。日立市と条件のよく似た地域にある福島原発でも、建屋に充満した水素の爆発の規模では、逆転層を突き抜けて高層気流にまで到達することはなかろうし、おそらく数百メートル程度の標高の山地に遮られる形で、低いところへ、谷や峠や道路ぞいに汚染雲が流れるのではと考えたのでした(*1)。

原発問題はともかく、『ある町の高い煙突』を再び読んでみたいと考え、本棚を探してようやく見つけました。1979年1月29日、成田で購入し、同日に渋谷で読了しています。また、メモによれば、1981年の8月にも再読しています。30年ぶりに再読するきっかけが原発事故とは悲しい話ですが、久々に良い小説を読んだという感想を持ちました。






入四間村の旧家・関根家に養子に入った三郎は、馬に乗って旧制中学に通っています。明治も終わり近い年のある日、村にチャールズ・オールセンというスウェーデン人の技師がやってきて、三郎が英語で通訳を試みます。彼は、銅鉱山の出す煙で何か被害は出ていないか、という調査に来たのでした。これが、三郎が煙害問題に取り組むようになる、最初の出来事でした。三郎は、旧制第一高等学校に合格しますが、鉱山を買収した木原組の事業拡大策により鉱山の生産量は増大し、煙害も拡大していきます。三郎は一高進学を断念し、煙害問題とたたかう中心人物となっていきます。

会社の中でも、良心的に対策に取り組もうとする、農学畑の加屋淳平のような人もいれば、悪徳買収屋のような者もいます。村人のほうも、酒を飲まされ言いなりになってしまう年寄りもいれば、青年会のように結束して当たろうとする人たちもいます。他の煙害被害地を見てきたり、明治末に高価な写真機を購入して被害前後の証拠となる写真撮影をしたり、現地に行き事実に即して対処しようとする三郎たちの努力で、煙害対策は成果をあげますが、有毒煙の発生を止めることはできません。困難で絶望的な状況の中で、加屋淳平の妹の千穂との悲恋、兄妹のようにして育った婚約者みよの成長と三郎への信頼など、恋物語の要素もからみます。

そしてクライマックスは、高さ150m以上の東洋一の大煙突を建て、海抜高度を数百メートルまで確保し、逆転層の上の一般気流の中に首を出すことで、煙害を激減させる場面です。木原社長と関根三郎の睨み合いは、社運を賭けた決断と劇的な成功をもたらします。

三郎とみよの結婚式に際して、会社が贈った祝は、はげ山となった入四間村の山々に植える杉苗16万本だったというエピソードなども、明治の男の気骨を感じさせる、いい話ですし、晩年のオールセンとの再会の場面も素敵です。



公害とたたかう物語は、多くが悲劇的で怨念にみちたものになりがちですが、この『ある町の高い煙突』は、こんな歴史があったのなら、人間を信じようという気持ちにもなります。今だから、もう一度お薦めしたい本です。なんとか、復刊してもらいたいものです。

(*1):「放射能と山形」~「電網郊外散歩道」2011年3月
(*2):「日立の大煙突アルバム~復刻版~」

【追記】
最近、復刊され、映画化もされているようです。嬉しいことです。
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