ヨハン・セバスチャン・バッハの「音楽の捧げもの」、ふだんはもっぱらパイヤール室内管弦楽団の演奏で聞いている。そこで、先週は古楽器の演奏で「音楽の捧げもの」を楽しんだ。
演奏は有田正広(フラウト・トラヴェルソ)、寺神戸亮(バロック・ヴァイオリン)、若松夏美(同、バロック・ヴィオラ)、中野哲也(ヴィオラ・ダ・ガンバ)、有田千代子(チェンバロ)らのピリオド楽器によるもので、1993年12月に東京の秋川キララホールにてデジタル録音されている。DENONのクレスト1000シリーズの中の1枚(COCO-70463)である。
「音楽の捧げもの」は、その表題に見られるような敬虔なわかりやすい音楽ではないように思う。どこか神秘的で、謎に満ちている。捧げられたフリードリヒ大王に媚びたような要素はあまりなさそうだ。だから、パイヤール室内管弦楽団の演奏では、現代の室内管弦楽団の音の傾向もあり、どこか抽象的で冷たい感じさえ受ける。
ところがこのCDでは、冒頭のチェンバロによる「3声のリチェルカーレ」から、とても活発な、いきいきとした印象を受ける。古楽器の音は森のフクロウが鳴くようなひなびた味があり、ホールの雰囲気のよく出た録音のせいもあって、とてもこころよいものだ。曲の配列などにはそれぞれ根拠に基づく主張があるのだろうし、私にはコメントできる力もないけれど、通勤の音楽として繰り返し聞いても飽きさせないものであることは間違いない。
演奏は有田正広(フラウト・トラヴェルソ)、寺神戸亮(バロック・ヴァイオリン)、若松夏美(同、バロック・ヴィオラ)、中野哲也(ヴィオラ・ダ・ガンバ)、有田千代子(チェンバロ)らのピリオド楽器によるもので、1993年12月に東京の秋川キララホールにてデジタル録音されている。DENONのクレスト1000シリーズの中の1枚(COCO-70463)である。
「音楽の捧げもの」は、その表題に見られるような敬虔なわかりやすい音楽ではないように思う。どこか神秘的で、謎に満ちている。捧げられたフリードリヒ大王に媚びたような要素はあまりなさそうだ。だから、パイヤール室内管弦楽団の演奏では、現代の室内管弦楽団の音の傾向もあり、どこか抽象的で冷たい感じさえ受ける。
ところがこのCDでは、冒頭のチェンバロによる「3声のリチェルカーレ」から、とても活発な、いきいきとした印象を受ける。古楽器の音は森のフクロウが鳴くようなひなびた味があり、ホールの雰囲気のよく出た録音のせいもあって、とてもこころよいものだ。曲の配列などにはそれぞれ根拠に基づく主張があるのだろうし、私にはコメントできる力もないけれど、通勤の音楽として繰り返し聞いても飽きさせないものであることは間違いない。