電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

網野善彦・森浩一『馬・船・常民』を読む

2013年06月08日 06時05分48秒 | -ノンフィクション
講談社学術文庫で、網野善彦・森浩一著『馬・船・常民~東西交流の日本列島史』を読みました。当方、数十年前の受験生の頃は理系の世界史選択でしたので、日本史、とくに古代や中世にはとんと疎く、雲の中のような印象を持っています。しかも、政治的な事件の背後でどんな社会の変化が起こっていたかに関心があり、権力者の名前を漢字で正しく書けることがそれほど大切なこととは思っていないという、きわめて出来の悪い読者でもあります。本書のタイトル『馬・船・常民』というものに、まず興味をひかれました。何かを運搬する昔の人々の話かなと思ったわけです。考古学・古代史の森浩一氏と中世史の網野善彦氏との対談をまとめた本書の構成は、次のとおりです。

I. 馬の活躍と人間の争い
II. 海からの交流
III. 歴史の原像

対談の内容は実に幅広く、当方が理解できる範囲はごくわずかであったと感じます。その数少ないポイントを列挙すれば、

(1) 東国には牧と馬の文化圏があり、高句麗との関係が深いと見られる。
(2) 城を構えた場所は、単に軍事的要衝というだけではなく、前時代から連なる人々を支配する象徴となる土地を選んだと考えられる。
(3) 田畑の面積と穀高を基本とする考え方の他に、海運や舟運に基づく経済力を考慮すべきである。特に、点在する天領や寺社領など。
(4) 商業活動と宗教との関わり:神に捧げ無縁となったから交換できる、交換が成り立つ、という考え方。貨幣の基礎。
(5) 塩の交易と製鉄・鉄釜。錆びて破損する鉄釜の修繕と現地鋳造。

などでしょう。それだけでもたいへん興味深いところです。



なお、本県(山形県)に関係するところを一つだけ挙げるとすると、p.173 が興味深い。平泉の仏像が寄せ木造りになっている理由を、都で作って運搬するからだとし、太平洋を経由して北上川で運ぶのであれば一木造りでも可能だったはずで、むしろ日本海経由で酒田か鶴岡のあたりで船から下ろし、最上川を使って運んだ後に、峠道を馬か牛の背中に載せて運んだのではないか、と推測しています。それゆえの寄せ木造りではないか、というのです。うーむ、日本海~最上川~平泉というと、義経伝説そのままではないか。興味深いところです。
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