行徳生活日記

「行徳雑学館」作者の日記。

2021年2月27日(土)の日記

2021年02月27日 | 日記

行徳橋の架け替えが完了し、新しい橋が昨年3月10日に供用開始になったのを見に行ったのは、その少し後の3月15日だったがまもなく1年になる。今日は晴れているし、予報だと来週以降、週末の天気が今ひとつ芳しくない。なので今日、今のようすを見にいく。

橋の南詰側(行徳側)は用地買収が遅れたということで確保できた用地を使い、橋のそばが急なS字カーブになるルートで暫定開通した。その後、本来のもっと緩いカーブのルートにもうなったのか情報がないが、とにかく行ってみる。

すると、去年と同じでやはり急なS字カーブでのアプローチだった。

ただ、去年はまだ残っていた道路に面した建物(2階が橋への上りに面した建物)は姿を消していた。

本来のルートが見える側へ行く。写真で橋からの盛り土が本来のルート。その延長上は写真で見る限りは土地が確保されているように見える。ちょうどコーンが並んでいるあたり。だが、今日時点では工事をしている感じではなかった。

江戸川放水路堤防へ来て上流側から見た行徳橋。

掛け替え前の橋(二代目の行徳橋)は、行徳側から見ると去年の3月と同じ状態。

ところが可動堰付近は上部のコンクリートや柵などが取り去られ、鉄骨の橋桁だけになっていた。

去年の供用開始時には本来、県道市川船橋線とのT字路になる橋の北詰(本八幡側)は暫定的に本八幡方向だけに曲がることが出来る形だった。新しい橋は前の橋より少し高くなっているため、県道のかさ上げが必要となるのでそうなっていた。稲荷木の街頭掲示板でT字路の形になる予定が去年の4月下旬と出ていた。それから1年近くたっているのだから当然、とっくにT字路が復活している。

県道市川船橋線の原木中山方向。

古い橋は堤防に接する箇所だけが撤去されていた。

工事現場のようすを見ると、堤防の法面を整えるためだろうと思える。

行徳橋付近の県道市川船橋線の歩道は川と反対側だけ。しかも原木中山のほうへ向かおうとすると、T字路の信号を渡ってすぐに階段で堤防下の道へ降りないといけない。

そして県道が堤防から降りてきたあたりで合流する。

前にこの県道を歩くか自転車で通ったのは、外環道の工事もまだだった頃。外環が通って初めて来たが、県道と交差する箇所はこんな感じ。

この付近では外環の高速道路は地下を通っていて、地上は一般道部分。

交差箇所の歩道橋から見る。横断歩道があったので別に上らなくてもよかったが、少し高いところから俯瞰できる分、様子が分かりやすい。

原木中山への県道は左の方。

外環と分かれた先は田尻の昔からの集落を通る旧道。自分が30年余り前に原木中山の独身寮にいた頃と雰囲気は変わっていない。

原木中山駅へ着いた。

前回、原木中山駅で降りるか乗るかしたのはいつだっただろうと過去日記を探したら、なんと12年前の2009年3月15日。市川市のイベントの信篤・二俣街回遊展へ行ったときだった。

 

昼飯は原木中山のメトロセンターで道路からの入口そばにあるラーメンのみそ膳

この場所は30年余り前の自分が独身寮にいた頃はどさん子ラーメンだった。ラーメンだけでなく定食類もあって、寮の食堂が開いていない休日の飯をよく食べた店だった。2009 年に信篤・二俣街回遊展へ来たとき、別のラーメン屋になっているのを見たが名前はそんなに意識しなかった。単に「ああ、どさん子ラーメン無くなったな...」と思ったぐらい。その後、葛西メトロセンターにもみそ膳があるのを知り(葛西はどさん子ラーメンもある)、調べるとみそ膳はどさん子グループであると分かる。原木中山の店もみそ膳だった。

今回食べたのは信州みそラーメン。太麺・細麺選べる麺は太麺

なお、2009年の信篤・二俣街回遊展のとき、昼飯はやはりメトロセンター内の福徳食堂という店で食べたが、ラーメン屋を出て改札口の方へ向かうと福徳食堂は今も健在だった。

 

原木中山から乗って葛西のいつもの床屋で散髪してくる。

行徳を降りて高架北側の店舗用建物が解体された跡を見ると、杭とロープで柵にしていたのが工事用の囲いが建てられていた。新しい店舗用建物の工事開始のようだ。

今日の時点で建設工事のお知らせはなかったが、道路占用使用許可証は貼ってあった。

仮囲いの許可期間が4月18日までだから、その頃には新しい建物が出来上がるのだろう。

 

今週末の家飲みは自分の定番の笹かま他の手巻きをつまみにする。

飲みものはまず第3のビールでアサヒ ザ・リッチの500ml缶。

これを飲み終え、家にある焼酎で芋焼酎の一刻者紫と麦焼酎の閻魔をそれぞれロックで。

締めはコンビニの手巻寿司シーチキンマヨネーズ。