夏休みが終わって今日から仕事。そして、今日からは、行徳駅から電車に乗っての出勤となる。
そうなるといろんなことを思い出してくる。
1988年の暮れから1989年のはじめにかけて、独身寮の年齢制限が近づいてきたので引っ越し先を探していた。そのときは行徳駅最寄り圏で探していた。
独身寮は原木中山にあった。原木中山の駅は市川市と船橋市との境界にある。船橋市側は住宅地としてきれいに区画整理された街。一方、市川市側はそういうことはなく、昔の農村地帯の道路のままで、そのなかにアパートやマンションが建ちつつあった。独身寮の場所は市川市側だった。
雑然とした雰囲気の場所で、飲むところもたいしてなかった。実際、原木中山の独身寮にいた4年間は、地元の飲み屋へ入ったことはない。それが1980年代の後半だから、25年以上経った今はマンションなども増えているだろうし、駅周辺の店もまた増えているかもしれない。
とくかく当時はそういうところだったから、独身寮を出たら原木中山だけには住みたくないと思っていた。
行徳駅のあたりを歩いたのは、実はステップという店に行くためだった。1988年の終わり頃だ。
ステップは1980年代の終わり頃から1990年代の前半にかけて、時代の寵児のようにもてはやされたディスカウントショップで行徳にあった。(1996年に倒産)
ステップへ行くために行徳駅を下りて街を歩くと、原木中山のあたりと同じ市川市とは思えないぐらい、区画整理されてきれいな街だった。駅の近くにはいい感じの飲み屋も多くあった。都内への通勤にも便利だし、それで住むなら行徳と思って探し始めた。
行徳駅の南側にあるビル。
写真で左の方に1階にはアパマンショップ、2階にはハウスゼロの看板が見える。1階と2階のどちらだったか、とっくに忘れたが、家探しで入ったのはこのビルにあった不動産店。店も当時とは違っているはずだ。すくなくともアパマンショップでもハウスゼロでもなかったと思う。
1人用の物件を探すのを申し込んだら、次の週末ぐらいに電話がかかってきて、南行徳にいいところがあるということで見に行って、そこに決めた。それがつい1週間あまり前まで住んでいた部屋。
しかし、それから27年も経って、最初に望んだ行徳駅最寄り圏に住むことが実現したのも不思議なものだ。
晩飯は上の写真で右の方。銀座コージーコーナーの赤い看板のすぐ上の2階にある大戸屋へ入る。
食べたのはもろみチキンの炭火焼き定食。
台風10号は関東の直撃コースからは東にそれたようだ。でも、明日の朝は風が強いだろうから油断は大敵。