行徳生活日記

「行徳雑学館」作者の日記。

2010年6月12日(土)の日記

2010年06月12日 | 日記

天気は持ってしかも暑くなった。洗濯物は2日に分けずまとめてやって、ベランダに干す。掛け布団はまだ冬物を使っていたが、片付けて夏物を出した。午後には南風が強くなってきた。雨がやってくる前触れだ。

昼飯はバイパスの吉野家へ行って、並牛丼お新香けんちん汁

午後は火曜日に買った東宝特撮映画DVDコレクションの「妖星ゴラス」を見る。

1962年(昭和37年)の映画で自分が1歳か2歳の頃だから、見たのは当然テレビ放映で、小学生ぐらいのとき。

大きさは地球の4分の3以下だが質量が6000倍という妖星ゴラスが地球衝突コースで接近してきたので、南極大陸に重水素を使ったロケット噴射口を大量に作って地球を安全圏に移動させるという物語だった。


小学生の頃はとてつもなく凄い映像だと思えた。今見ると、ガスバーナーを大量に並べて炎を出しているのが分かるし、炎がまっすぐでなく横に流れたりしているのが見えて、可笑しかったりするが。DVD付属の解説によると、大量のガスバーナーから炎を出すから、撮影現場は暑くて大変だったそうだ。

人類が叡智を結球して地球の危機を救うという物語がその時代に作られていたというのも驚くが、この前年の1961年には同じく東宝で「世界大戦争」という映画が作られている。自分が見たのは高校生か大学生の頃にテレビ放映で。そちらは核戦争が起こって人類が滅亡してしまうという話。中学生のころにノストラダムスの大予言がブームになった時期があって映画も作られている。その映画でも、このままでは1999年に人類が滅亡するかもしれないという危機を訴える終わり方をしていたから、自分が生まれた年の映画で本当に人類を滅亡させていたのには驚いた。

1960年代の初め頃にはアメリカとソ連が対立して、核戦争が起こるのではないかという恐れが世の中にあったので、人類が滅亡する映画も団結して地球の危機を救う映画も同じメッセージ性を持ったものとして作られたのではないかと思う。

物語としては筋もよく練られていて、あまりにきれい事過ぎていたり、大きな破綻があったりするものではなかった。

他に細かいところで目に付いたのは、日本の宇宙港の正面にヘリが着陸する場面。後ろの建物はかつての特撮ものでおなじみの、川崎市にある長沢浄水場。

ここは6年前に見に行った。ヘリが着陸する場面は合成にはとても見えない。本当にヘリを着陸させて撮影したというのには驚いた。

今回、DVDを見て、この映画の時代設定が1979年(昭和54年)から1982年(昭和57年)というのを初めて知った。冒頭で日本のロケットが発射される場面が1979年の9月で、ゴラスが地球に再接近するのが1982年。

最初の場面は、自分が予備校通いをしていて、週末にガンダムを見るのが楽しみだった頃ということになる。この映画は公開時点から約20年後の未来を描いたことになるが、画面に映る街の様子や人のファッションはやっぱり昭和37年だ。公開からもう50年近いわけだから、半世紀前の人間が予想した20年後の世界を、その30年後から見ていることになる。

面白かったのがテレビ電話。1980年代初頭には家庭にテレビ電話が普及しているという設定になっている。

手前は池辺良。画面内は子役の人。

こちらは、手前が志村喬で画面内が上原謙。

画面は四隅が丸いブラウン管でモノクロ。受話器はコードでつながっている。今から見ると可笑しく思えてしまう映像だけど、公開当時に小学生ぐらいの歳で見た人は、わくわくするような未来の光景だと思ったかもしれない。

ゴラスが接近すると高潮が来るというので、人がみんな避難した東京都内の場面。これは有楽町駅付近で、実写ではなく特撮のセット。京浜東北線と山手線のホーム、そのとなりに東海道線の線路が見える。手前が東京駅側で奥が新橋。昭和37年だと新幹線は開業2年前だが、工事はやっていただろうに新幹線の高架やその用地らしきものが見当たらない。

画面左上のほうの茶色のビルは日本劇場。同じ場所には1984年(昭和59年)に有楽町マリオンが完成している。日本劇場が閉館して取り壊されたのは1981年のことだというから、1982年にはもうなくなっていたわけだが、そこまで予想するのはいくらなんでも無理な話だ。でも、新幹線は映画制作時には工事中で、映画の設定の時代に存在していることは明らかなのだから、やっぱり線路だけでも入れておいて欲しかった。

最後のシーンで、高潮で水没した東京から水が引いて行くのを登場人物たちが見ている場面で、上のテレビ電話画面にいた子役が、
「また新しい東京を作ればいいさ!」
という場面がある。この楽観的感覚は小学生のときに見たときから印象に残っている。そして、登場人物たちは飛行機かヘリコプターから見ていたような覚えがあったのだが、今回見てみたら、何と東京タワーの展望台からだった。東京タワーの周りだって水没していたのだから、上る前にどうやってたどり着いたんだと突っ込みたくなった。

 

ここまで夕方に書いて葛西のいつもの床屋へ行く。まだ明るいと思っていたら、もう午後5時半を過ぎていた。

散髪をしてから浦安まで一駅乗って浦安のメトロセンターへ行く。4月下旬つり舟に行ったとき、自分の好きな菊正宗の樽酒が宴会のお客さんたちに飲まれてしまって品切れだったので、今日は樽酒を飲もうと思って行く。ところがつり舟の区画はシャッターが降りていた。

外に看板らしきものは見当たらないから、もしかしたらつり舟は閉店してしまったのかと思った。

それで斜め向かいの鳥起に入る。鳥起はもっと先の区画にあったときに2回ぐらい入っている。前回入ったのは2008年の4月だった。

鳥起でのお会計のとき、店の大ママという感じの人につり舟はいつ閉店したのかというふうに聞いて見た。すると、つり舟は土日と祝日に休みになる店だと言われた。土曜日は飲み屋はかきいれどきなのだから、そんな日に休みということが想像できなかったので、てっきり閉店してしまったのかと思ったのだった。前回来たときの日記の画像をよく見ると、通路の天井に看板らしきものはなかった。なるほど、シャッターが降りていたら、その向に店があるのかどうなのかも分からない。それならまた、平日の会社の帰りにでも寄ってみることにしよう。

鳥起で飲み食いしたもの。お通しと生ビール。

焼鳥類はまず、手羽先ししとう2本ずつ。この手羽先はボリュームがあって大きめなのにちょっと驚いた。

続いて一緒に注文したねぎまなんこつが来た。

生ビールが終わったあとは梅一輪の生貯蔵酒。

焼鳥類の次は本日のおすすめにあった馬刺し

980円とおすすめの中でも高めだったが、久しぶりに馬刺しを食べてみたいと思ったので注文。

最後は冷しトマト。生酒瓶のあとはレモンサワー。

さて、明日は梅雨入りになるか。