日本語学校からこんにちは ~水野外語学院~

千葉県市川市行徳にある日本語学校のブログです。日々の出来事、行事、感じたことなどを紹介しています。

「聞き違い。『入学式』と『留学生試験』」。「自分なりの意見を持つということ」。

2011-05-12 09:53:38 | 日本語の授業
 曇り。空一面、白い雲で覆われています。昼過ぎから、東北・関東地方で大雨が降るとか。東西線は風に弱いので、大風を伴わなければいいのですが。

 昨日、「Bクラス」で、「入学式は、一月遅れの今月の13日(授業は、予定通りに始まっています)にする」と連絡し、ついでに、このクラスの学生でも、その日、11時に来られる人(このクラスは午後のクラスで、1時15分始まり)は来てもいいと言いました。

 私はこの話はもうこれで終わったと思っていたのですが、授業が終わるとすぐに、一人、「先生、もう留学生試験ですか。場所はどこですか」と聞きに来た学生がいました。

「留学生試験は、六月ですよ。それにまだ受験票が届いていないでしょう。受験票に受験地が書いてありますから、それまで、待っていてください。…でも、どうして(急に)???」

 彼が、どうして急にこんなことを言い出したのか、しかも焦って…。よくわかりませんでしたので、聞いてみると、「先生が、今、13日と言ったでしょ。六月の13日ですか」。

 これは冗談ではありません。彼は、本当にまじめに聞いていてきたのです。

 この学生は、頭は決して悪くありません。読解力もあると思います、しかもまじめです。ただ、「話す」「聞く」という方面、つまり、「相手がどういうつもりで話しているか」とか、「相手の話をどう理解すればいいのか」とかいった能力が、どうも少々欠けているらしいのです。これは適応力とも関係があるのでしょうが。

 彼の場合、大学をすでに出てから来日していますから、年齢的に見ても、高校を出てすぐに来日した学生たちと(ヒアリング能力を)較べてみるのは、確かに酷ではあります。しかし、それにしても、反応がちょっと…なのです。

 しかしながら、いつも、言われているからなのでしょう。説明してわかると(最後は中国語でです)、ほっとして照れくさそうに笑いながら帰って行きました。

 私も苦手な分野が、かなり、たくさん、あります。ですから、彼の気持ちがよくわかるのです。が、ただ(教師という、しかも強面でやっているという)立場上、安易にそれを言うわけにはいきません。それで、うんとからかってやりました。けれども、それでも大丈夫なのです(これもからかった場合とからかわなかった場合とを比較して、なのですが)。こういう人は、きちんとなにがしかの分野において自信が養成されているので、少しぐらいからかってやっても、ちょっとやそっとではぐらつかないのです。もちろん、致命傷を与えないように気をつけながらですが。

 その反対に、高校を出たばかりで、自信らしいもの(これはという分野が)が、まだ構築されていない人や、大学を出ていても、(そこで)適当にやっていただけであったりした人には、その拠って立つところがありませんから、あまり厳しくは言えないのです。言葉の勉強というのは、「中級」くらいまでは、楽しんで、楽して勉強していくべきものでありましょうし。

 それが「上級」程度か、あるいは「上級」が終わった頃になりますと、徐々に大学や専門学校などを視野に入れた勉強に入っていきます。つまり、新聞や雑誌の記事、あるいは高校の社会科系の教科書を用いたものになります。世界は、今、どう動いているのか、またそれに対する有識者や一般の人々の考え方にはどんなものがあるのか。

 とは言いましても、まだそれほど何でも読みこなせるレベルにはありませんし、個人差もかなりあります。それでも、彼らなりに、大学に入った時に困らないようにさせておいてやらなければなりません。

 せめて、それらの勉強を通して、(自分の国では)金太郎飴のように他の人の言ったことを繰り返していればすんだ生活から、自分の意見を持てるようにさせておきたいのです。知らなければ、意見の持ちようもありませんから。

 確かに、みんなと同じことを叫んでいれば、楽ですし、安全です。これさえ言っておけば、だれからも非難されないというものを知っておけば、(その国の中だけでしたら)無事に暮らせもするでしょう。

 けれども、日本ではそれは通用しません。日本だけではありません、他の国でもそうなのです。つまり自分の国から、一歩外に出れば、「あれ、国ではこうだったけれども…」と驚かされるようなことが少なくないのです。そういう国が自分の国より経済的に劣っていたり、科学の分野で後れていたりすると、安心して、「だから、お前たちは後れているのだ」と言えるでしょうが、そうではなかった場合、もう一度我が身を振り返ってみなければならなくなります。

 一方的に、権力者の意見に迎合する、あるいは常に権力者に楯突くといった、その国の「みんなの意見」ばかり述べる傾向のある人達は、その頃から大変になってきます。日本では、一方の意見だけではなく、対立する二者の代表意見なるものが新聞には載せられます。それを読んで自分の意見を考えていけるように。時にはどちらの意見にも「なるほどな」と思ってしまい、選択できなくなることもあるのですが、それとても、一方的なものよりはましでしょう。それらを読んだ上で、最後は「現実の生活感」から、皆、自分なりの意見をまとめていくようです。

 時には学生から、「先生、どっちが正しいの」と聞かれることがあります。
「正しい意見なんて、そんなものがあるかどうかさえ、誰にも知らない。自分で考えてごらん。データはこう。両者の考えはこう。あなたはどちらに賛成する?二者を比較しながら考えてごらん」」

 実際、私たちもそうとしか言えないのです。来日している学生たちの後ろには、それぞれの国情があり、皆それらを引きずりながら、日本で勉強し、生活しているのですから。

日々是好日
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