日本語学校からこんにちは ~水野外語学院~

千葉県市川市行徳にある日本語学校のブログです。日々の出来事、行事、感じたことなどを紹介しています。

「『世界史』の基礎」。「『身の丈』を知る」。

2010-03-01 08:27:04 | 日本語の授業
 暖かかったり、寒かったりと、三寒四温どころか、もっと幅狭い期間で、上下しているような毎日です、気温だけでなく、お天気さえも。一日のうちに、寒さと暖かさが、そして、雨とお日様が交互にやってくるのです。

 まったく、これでは落ち着いて「菜種梅雨」などとしゃれてなどいられません。学生達が、毛糸のセーターにした方がいいのか、それとも半袖で出張った方がいいのか、悩んでしまうのも当然です。何を着て出たらいいのかといった日々の生活に追われてしまうのです。他のことが頭の中に入らないのも、こういう毎日が続いてしまうと、学生達を責めるわけにはいかないでしょう。

 とはいえ、確かに「春」は近づいています。学校の「ウメ(梅)」の花も、散り始めました。この花は、細くはかなげで、凛としたところなど、一欠けらもありませんでしたけれども、「ウメ」は「ウメ」です。そして、学生達との別れ、新たなる出発は、もうすぐそこまで迫っています。

 さて、今日から、「卒業生クラス」は「卒業旅行」の週まで、「世界史」の勉強予定です(「卒業旅行」の二・三日前には、「京都」と「奈良」の勉強も、少ししておかねばなりませんから)。「高卒」の学生達は、(中国で)「考」のための勉強をしっかりと積んで来ているはずですのに、何も知らないので嫌になってしまいます。こんな調子では、せっかく大学へ入れても、(基礎的な単語や国際関係、歴史上の各国の軋轢がわからなければ)、日本の大学の先生方の講義のおもしろさが半減してしまいます(「国際教育」やら「国際経営」やら、「建築」などですから、彼らが選んだ学部やコースは)。

 これまでにも、彼らが「日本語能力試験(一級)」に合格してからは、また、合格せずとも「留学生試験」で、「一級」レベルの成績をとってからは、できるだけ、「映像」を見せて説明するようにしていました。彼らもそれなりに一生懸命ついてきたのは、ついてきていたのですが、けれども、その基本の基本がどうしても、欠けていたのです。

 彼らは「『中国』の高校では、日本よりもずっと難しいことを勉強した」というのですが、私から見ると、「いったい、どこが?」とでも言いたくなってしまうのです。いい成績をとったり、難しいことを勉強したとしても、「丸暗記」は「丸暗記」でしかないのです。それで終わりです。人の心に「印象」として残っているような感じがしないのです。

 というわけで、一人以外は、大学受験が終わったという今週から、「人類の初め」を勉強します。

 この期に及んで…とお思いになるかもしれませんが、去年の6月から、「大学入試」に直接関係のある試験は続いていたのです。6月に「留学生試験(『日本語』のみ)」、7月に「一級試験」、11月に「留学生試験(この時には、『日本語』の他に、理系の学生は『数学Ⅱ』、『物理』、『化学』を、また文系の学生は『数学Ⅰ』、『総合問題』を受けました)」、12月には「一級試験」。そのほかにも、10月くらいからは、大学入試が始まっています。試験のための勉強、つまり「予備校」のような勉強をさせざるを得なかったのです。

 というわけで、やっと、大半が受験に合格したという今頃になって、大学での勉強のための「常識」を入れてやることができるというわけです。

 ただし、これも、(毎回言うことですが)毎年やるというわけではありません。彼らのための「授業時間」は、すでに終わっています。私が、これまで彼らのために使っていた授業時間は、すでに他のクラスのために組み込まれています。授業時間としては、成立していないのです。あくまで、これは学校側の、そして私の、一生懸命勉強したいという学生への「好意」なのです。

 ある年は、国立大学での入試に「日本史」が必要な学生がいました。けれども、9時から17時までの時間中には、彼女のための時間が、なかなかとれませんでした。それで、放課後か土曜か日曜日に来させてやりました。今年は、「世界史」を受けたいという学生が三人もいますので、授業時間の合間を縫ってやることができます。まあ、忙しいのは忙しいのですが、知的好奇心を持っている学生が出てきたというのは、教師にとってはうれしいことです。しかしながら、これとても、おそらくは、一人が受けるというので、「私も、私も」という集団心理のなせるわざでありましょうが。

 「(世界史に関する)基本的な知識」を、子供のうちから与えてやることができるような書物がないということもありましょう。が、それよりもなによりも、圧倒的に(視覚的な部分における)知識に、彼らは「馴染み」がないのです。

 日本は島国ということもありましょうが、日本へは、世界のどこかで起きた小さなさざ波が、直ぐに大きなうねりになって跳ね返ってきます。だから、(日本人は、国にいながらも)神経を張っていなければならないのです。また、世界各国の事情や歴史、風物などに、関心を持っている人も多いのです。いつでもどこでも(一・二ヶ国を除いて)行けるということも関係があるでしょうが。

 それが、少しでもいい加減になってしまうと、直ぐに「トヨタ」のような事件になってしまうのです。もしかしたら、「トヨタ」は時勢という流れにただ乗ってしまったが故に、こう言うことになってしまったのかもしれません。本人にそれほどの自覚もないままに巨人になってしまったのでしょう(これはトップの話です。現場の人間はそんなことは言っていられません)。が、かつての日本人は「世界に通用するものを作ろう」と、「『日本一』の製品、即ち『世界一』の製品」を目指して突き進んでいったものです。

 それが、一国では、自給自足ができなくなった小さな島国の宿命かもしれません。

 日本人は、自らを語る時に、かならず「小さな」とか「島国」とかいう言葉を用います。日本語では、普通、こういう言葉には、「蔑称」の意味はありません。しかしながら、国によっては、この「冠」を見るだけで、「自分でも言ってやがる」とばかりに、せせら笑うような習慣があるのです。それにも拘わらず、日本人は使い続けています。

 もしかしたら、これは、「他者」に対してではなく、「自分」に対して言っているのかもしれません。もしそうなら、そういう気持ちが日本人に甦ってきたからには、日本人はなかなか沈没しないと思います。何と言っても、一億を超える人口を抱えているにも拘わらず、中等教育(高校を含む)レベルは、江戸期からですが、世界屈指のものだと思えるからです。

 昔から、自分を大国と思って、栄え続けた国はありません。現在のロシアもそうでしょうし、アメリカの超大国も影が随分薄くなってきました。それゆえに、自分の「身の丈」を忘れないようにしなければならないのかもしれません。

日々是好日
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