日本語学校からこんにちは ~水野外語学院~

千葉県市川市行徳にある日本語学校のブログです。日々の出来事、行事、感じたことなどを紹介しています。

「『卒業旅行』を控えて」。「一歩退いたら、二歩のさばる」。

2010-03-12 08:42:16 | 日本語の授業
 空は晴れ渡っています。けれども、私の心はそういうわけには行きません。鬱陶しいのです。「卒業旅行」のことを考えると、もうイライラしてくるのです。

 最初、「今年は、みんな最後まで頑張ったから、『卒業旅行』をやってみないか」という話があった時には、教員一同、納得しました。それくらい、例年の学生達に比べて頑張っていたのです。

 それなのに、何が鬱陶しいのかというと、一年以上経っていても、まだ日本のルールがわからないインド人学生に対する怒りです。この「卒業旅行」の対象者は「頑張った人」です。「頑張ったから連れて行く」のです。勿論、卒業生だったら、「それなりに頑張ったから、連れて行く」でしょうね。何と言っても、この学校を出て新しい世界へ羽ばたこうというのですから、門出を祝う意味も含まれます。

 ところが、これに「頑張ってもいない」しかも「在校生で卒業は来年」とうインド人が、自分も行くなどと言いだしたのです。「君は卒業生ではない」「頑張ってもいないから参加資格はない」と言っても意味が通じないのです。ごり押しすればいいと思っているのです。「お金は自分で出すし、ホテルも自分でとるからいいはずだ」と言うのです。「お金がないから」といういつもの理屈はどこへ行ったのでしょうね。

 私の方が行きたくなくなりました。たとえわずか2日の日程であろうと、「楽しみ、そして心置きなく送り出したい」という当初の趣旨からはドンドン外れていきます。こういう気持ちで行って、なにを「頑張って勉強し、そして新しい世界に行こう」という、本来の「参加者」にしてやれるというのでしょう。

 まったく、何という人たちなんでしょうね。在校生が卒業生の卒業旅行に(友達がいるからと)割り込むというわがままが許されるような学校が、日本にあるでしょうか。もう一年以上も、この地にいるというのに、まだこういうことがわからないほど、彼は愚かなのでしょうか、日本語が下手なのでしょうか。

 いえ、そうではありません。日本語で、かなり意思の疎通を図ることができます。そうであるからこそ、こんなにイライラしてしまうのです。この学生が、もし、来日時から、「これは、だめだ。きっといつまで経っても母国の文化・習慣に引きずられてしまうだろう。日本の習慣を理解できないままで終わってしまうであろう」と、思われるような学生であれば、また話は別です。こちらにも、心の準備というものができていますから、それほどのことはありません。

 つまり、もう慣れっこになっているのです。「(一年経っていとうと、また5年、10年経っていようと)相変わらずだね。自分の国でやっていたように、ルールも守らないし、相手(日本人)の気持ちも理解できないんだね」と笑っておわりにすることも出来ましょうが、来日時には、「あれ、これは、少々、どうにかなるかな(日本人を理解できるかな)」と期待を抱かせた人が、一年経っても、変われないままでいれば、もうズンと肩の荷が重くなったような気がしてきます。暗黙のルール(外国人にはわかりづらいので、この学校の学生達には、折に触れ、常に説明しています)が感じられずに、(自国にいる時と同じように、自分の要求を主張し)騒げばいいといった感じでやってくるのを見ると、もうため息どころの問題ではないのです。

 そういうタイプの学生の共通点は、「学校に毎日来てはいない。それから、来日直後に同国人の友人からアルバイトを紹介されている。しかもそのアルバイト先は、同国人が開いたレストランであるとか、仕事をしている人たちも同国人が占めているとかいったところ」なのです。

 日本にいながら、自分の国の価値観を持ったままでいても許されるし、自国の習慣でやっていけるわけですから、これでは変わりようがありません。その上、唯一、日本人の価値観、乃至習慣を知ることの出来る場所、つまり学校を疎かにしているわけですから。

 それにもう一つ、こういう人の特徴は、「日本語なんて簡単だ。一人でもできる」と思い込んでいることなのです。こういうのを中国的に言えば「小聡明」、日本語的に言えば「小利口」なのでしょう。言語の拠って立つ所、つまり文化・風土・歴史が見えないのです。

 見えないけれども、存在するもの、見えないものの中にこそ含まれている「存在」を理解できないし、感知もできないのでしょう。こういうのは、最初は、その国の人に言ってもらわなければなりません。ものみな、見え、理解できると思う人は、それでその人の進化は止まります。どん詰まりにいたったのです。見えないものに気づき、それを探ろうとするからこそ、信仰が生まれるのでしょうし、科学が発達するのでしょうし、また哲学がそれを深めていくのでしょう。

 私は、授業の時に、見えないものについてもよく語ります。もちろん、これは「信仰」や「科学」や「哲学」といった深遠なものではありません。「空気」とか「雰囲気」とかいった半分見え、感じられるもののことです。また、学生達が、日本でのアルバイト先で出会ったことについて聞いてきた時にも、(授業で)取り上げるべきであると判断した時には、説明を加えることもあります。それらも、後で考えてみれば、そのほとんどは、日本の文化・風土、そして歴史に関することが多いのです。

 「日本列島」という、この島国が地球上における位置、またその形から話が進むこともあります。死刑に処することを畏れた平安貴族のことに話が及ぶ場合もあります。信仰がないかのようにも見える日本人の「宗教心」についても話したことがあります。こういうことは無形有形の形で、彼らの目の向き方、生活の仕方、或いは(日本への)理解度に影響を与えていくものと、私は思っています。

 普通、「毎日学校へ来る。そして毎日授業を受ける。学校が催す課外活動には参加する。その事前指導にも参加する。アルバイトは自分で苦労して見つける。できれば、日本人ばかりのところがいい、それが無理なら、(アルバイト先は)同国人に取り巻かれないにする」ことさえ気をつけていれば、来日直後には、「岩石だ」とお手上げだった学生も、日本のルールをまもれるようになるのです。

 これは、日本語学校だけでやっても無理です。日本語学校で、いくら口を酸っぱくして指導していても、アルバイト先が自国の文化で完全に覆い尽くされていれば、それは「暖簾に腕押し、糠に釘、豆腐に鎹」なのです。しかもその人によかれと思って言うことも、「馬の耳に念仏、猫に小判、豚に真珠、犬に論語」で、指導している時の(私の)気分というのも「蛙の面になんとやら」なのです。自国にいる時と全く同じことをしていればいいのですから。

 今回も、このイライラはこういうことが原因なのです。相手はインド人です。ちょうど対照的な二人がいましたので、この差というのは、はっきりと浮き彫りになりました。初めは日本人の空気が少し読めるようになったインド人学生の事をいいます。

 彼は来日直後から、「インド風」を吹かしていました。いわば、「天上天下唯我独尊」というやつです。いくら言っても聞かない。全く耳に入らないのです。どれだけ叱りつけたことでしょう、こういう手合いと戦う時には理屈を言ってもだめです。もう力尽くでしかないのです。ですから、全部説明なしの「頭ごなし」です。

 とはいえ、相手は大卒のインド人です。若いとはいえ、頭はいい。これは直ぐにわかることです。その上、単に頭がいいだけではなく、外国で生きぬいていくための知恵、つまり臨機応変の才もあるように見受けました。ただ問題は、彼にとって「インドが世界のすべて」なのです。もっと詳しく言いますと、「インド人で、しかも英語力がある人」が世界の中心なのです。モンゴロイドで、しかも英語など話せない人間は、吹けば飛ぶような木っ端のような存在でしかないのです。

 多分、彼はこの学校に来た当初はそう思っていたでしょう。それが頭ごなしにやられるわ、「ひらがな」の横にアルファベットで書いているのを見つかれば、全部消せと怒鳴られるわ、見つからないように隠れてこっそりと書いていても、それをやめるまで睨み付けられるわ、もう最初の頃は自尊心もズタズタだったでしょう。でかい図体をして、物陰で泣いているのを何人かの教員に目撃されていますし、泣こうが喚こうが、私は手を緩めませんでした。

後で、彼はこっそりと私に言いました。
「日本は先進国だから、みんな英語を話していると思っていた。だから、インドの大学を出た後、日本へ来たのだ。自分は日本でビジネスをして、ビッグマンになりたかった」

 勿論、「それがわかったのに、なぜ今日本語の勉強をしない」と、数倍の勢いで、怒鳴りつけられたのは言うまでもありません。

 とはいえ、漢字の問題だけで、話すのを聞いていれば、全く流暢で淀みがなく、達者なものです。 
 来日直後から半年ほどは、こういう調子でしたけれども、あの頃から一年半が過ぎまし現在では、私のの表情や雰囲気から、直ぐにいろいろな事が察せられるようになっています。何か言った後「あっ。これ、駄目ね、先生」とか「お願い、駄目でもやって」とか、どれくらいが日本人の許容の範囲であるのかが、わかるようになっているのです。「自分の国ではこうだけれども、日本人はそれを認めない」ということがわかるほどには、(日本人を)理解できるようになっているのです。ですから、今は、彼について苛立つということは、ほとんどありません。ちょいとおしゃべるが過ぎるだけです。

 それにひきかえ、来日直後は、かなり日本人教師の間で評価が高かったもう一人のインド人学生は大変です。最初は「気遣いができる」とか、「相手の表情を見て話せる」とか、およそインド圏の学生では考えられないようなことが、かなり出来ているように見受けられたのです。

 ところが、一年と半年が過ぎようとしている今現在、彼の評価は、下がる一方です。最初はあれくらいわかっていたのに、それが、来日後すでにこれほどの日数が経っているのに、平行線状態、少しも変化していないのです。進歩していないのです。(日本を)学んでいないのです。

 今回も卒業生の「卒業旅行」に、「自分も行きたい」と言いに来ました。本来ならば、彼の友人のもう一人のインド人も就学生ではありませんし、まじめに勉強して「一級」を目指す、「二級」を目指す、或いは大学進学や大学院進学、日本の会社就職を目指しといったタイプではありませんでしたし、アルバイトだけやっているのは寂しいから気の向いた時に来るくらいの人でした。ですから、頑張った人たちに対するご褒美として、今回初めてやる「修学旅行」に、参加できる分際ではなかったのです。それ故、自分も参加したいとやって来た時、初めは、だめだと言いました。けれども卒業生が「一緒のクラスだったし、いた方が楽しいから」と言うので、渋々特別に認めたのです。

ところが、それを聞きつけて、「自分も彼の友達だから行きたい」とやって来たのです。

 いったいどういう理由で、卒業生の中に、卒業しない学生が潜り込んだり出来るのでしょう。彼らには、「一生懸命、頑張ったから、先生達が特別に考えてくれた」ということも理解出来なければ、そういう中に在校生が大きな顔をして入り込むことの図々しさが、忙しい中、計画してやった人の心にどれほどの苛立ちを与えるのかといった気遣いも感じられないのです。

 彼は、あまり学校へ来ません。アルバイト先もインド人の輪の中です。結局、この学校では何も習得出来ずに出ていくのでしょう。

日々是好日
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