日本語学校からこんにちは ~水野外語学院~

千葉県市川市行徳にある日本語学校のブログです。日々の出来事、行事、感じたことなどを紹介しています。

「春の足音」。「『節分』と『巻き寿司』」。

2011-02-04 08:47:22 | 日本語の授業
 今朝も快晴。少しずつ春の足音が聞こえてくるような、そんな今日のお天気です。「ロウバイ(蠟梅)」の便りは二週間ぐらい前でしたろうか。最近はスーパーなどで、鉢植えの「スミレ」が売られているのを見かけます。「ナノハナ(菜の花)」も、先週、河原の土手で見かけましたし、今は「ウメ(梅)」が一輪一輪、綻んでいくのをのを待つばかり。

 どうも、日本人は、季節を先取りしたがります。「サザンカ(山茶花)」が咲くまでは、まだかまだかと焦らせ(花にしてみれば、うるさい奴というところでしょうが)、いったん花開いてしまうと、楽しむどころか、今度は「ツバキ(ツバキ)」はと、来てしまいます。

 そして、その時節に来るべきものが来ると、「ああ、冬は終わったのだ」という感慨を催すのです。時間は、カレンダーのとおりには過ぎるのではないのです。自然の中で、季節を感じ、そして初めて、時の流れを認めるのです。

 だから、「梅雨」がなかったりしますと、時間が失われたような気にもなってしまうのです。

 それを「非科学的」という人もいますが、これは、だ日本人がヒトであることをやめない限り続くでしょう。また、それ故に、日本人が日本的であるとも言えるのでしょう。カレンダー上の時間は、早く言えば、我々とは関係ないのです。便宜上用いているに過ぎないのです。私たちは、もう一つの五感で、生き、そして日本での時は刻まれているのです。

 さて、そうは言いましても、妥協はせねばなりません。世界の時は、カレンダーに則って流れているのですから。

 昨日は、皆で「節分」を祝いました。
「一年生グループ」の一つ、「Dクラス(去年の四月に入学)」の授業をしている時に、隣の教室から「二年生グループ」の笑い声や歌などが聞こえてきます。実は、例年、「二年生グループ」だけは、特別待遇で、「巻き寿司」に挑戦しているのです。

 そのさんざめきに、どうもおかしいと思ったのでしょう、フィリピンの学生が、
「先生、隣の教室で、何をしていますか」
「今日は『節分』だから、『海苔巻き』を作っています」
「『節分』?」
「みんなには、後で説明をします。今は授業、授業」。

 で、ごまかしたつもりだったのですが、この学生、二時限目と三時限目の休み時間に、こっそりと覗きに行ったようです。そして、何か頼んだのかもしれません。帰りに、「二年生グループ」の、同じくフィリピン人学生が、作ったばかりの「巻き寿司」を手渡していましたから。

 一方、「一年生グループ」は、三・四時限目に「節分」の授業です。「節分」の由来、そして、その活動を、説明と同時にDVDで、勉強していきます。これは午後のクラスも同じです。勉強が終わると、「オニ(鬼)さん」役を選び、「福豆」を配ります。後の掃除のことを考えて、「たくさん撒いてはだめ」という注意を添えて。

 まあ、相手のことを考えて、軽く「鬼は外」とぶっつけるだけに止めて、「福は内」で(構いませんから)、教室に撒きます。これを二・三回繰り返してから、交代です。一応、皆に鬼になってもらいます。それが終わると、鬼の面を皆つけて、「はい、ポーズ」。かわいい鬼やら、かわいくない?鬼やらが笑いながら写真に写っています。と、そこへ「二年生グループ」の二人が飛び込んできます。
「先生、私も鬼になりたい」
「そのままで(お面はいらん)宜しい」
「いやだ。先生とは違う(先生こそ、お面なしの鬼)。私はお面をつけたい」

 というわけで、ガーナ人学生とネパール人学生の二人も、鬼の面をつけて写真に収まることになりました。

 とはいえ、先輩達は優しいですね。「一年生グループ」のみんなが、お腹をすかせているだろうと、まあ、中には、自分達がお腹いっぱいになったからという輩もいたでしょうが、下の階に、「巻き寿司」を持ってきてくれました。けれども、ベトナムの学生は食べませんね。食べられないのかな。以前、イスラムの学生が、一つ一つ具材と調理法を聞いて、そうでなければ口にしなかったことがありますが、ベトナムではそんなはずもないのですが。単なる好き嫌いかもしれませんね。

 彼らの成長の記録が刻まれていく、毎年の行事。次は三月の「ひな祭り」です。

日々是好日
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