今朝は雨です。家の中でも雨音がはっきり聞こえるほど本格的な雨です。まるで梅雨時の雨です。今週初めの、あの雪は、いったい何だったのでしょう。強く強く押され、固く固く作られていた雪だるまは、昨夜までしっかりとした原型を保っていましたのに、この雨できれいに流されていました。
春が近づくということは、冬の姿が消えていき、それが面影と化すること。こんな道理、判ってはいるのですが。けれども、良きにつけ悪しきにつけ、また思い入れがあろうとなかろうと、あったものの姿が見えなくなるというのは寂しいものです。
窓に打ち付ける、ビシビシという音を聞きながら、そんなことを考えています。
さて、昨日、学生が一人、「先生、一昨日から耳が痛くて、眠れなかった。まだ痛い、触ると痛い」とやってきました。彼女は学校の近くに住んでいませんので、何かあったからといって、すぐに私たちが行けるわけではないのです。それで、初めは寝ていたものの、とうとう耐えかねて学校へ来たというわけでしょう。
ところが運悪く、学校に一番近い病院は木曜日が定休日です。それで、彼女の帰りを考えて、駅の近くの病院へ行くことにしました。けれども、まだ昼休み。始まるのは午後2時半からです。それまでは、授業を受け、病院が始まる頃に行くことにします。
学生達は(と言いましても、これは国内外を問わず、日本人でも同じことなのですが)、何かあった時にすぐに学校に言ってくる者と、その反対に何も言わない者とがいます。すぐに学校に言いにくる者にしても、自分で出来ることまで、学校側にやらせようとかかっている者もいれば、自分が出来ないから手伝ってもらえないだろうか、あるいは教えてもらえないだろうかとやってくる者もいます。
なかなか学校を頼らない学生にしても、遠慮して来ないという者から、勝手に自国流を押し通し、最後に出来ないと泣きついてくる者まで様々です。在日の身内がいるから大丈夫かというと、そんなものでもなく、この身内からして、何年日本にいようと、自己流をただ押し通してきただけという人までいるのですから、大変です。下手に信用していると、学生まで大変なことになってしまいます。
一人一人事情(背景)が異なり、しかも、それにそれぞれの性格までが絡み合って、時々ため息をついてしまうようなことが起こります。こちらの思いがうまく伝わらないというのも稀なことではないのです。というわけで、学生を大雑把に分けてそれで事足れりとするわけにはいかないのです。
彼女の場合は、遠慮していたようで、「そんな遠慮は必要ない」ということをクドクドと、クドクドと言い聞かせました。学校が既に彼女を学生として受け入れたわけですから、在学中は学校が責任を持って世話をします。とんでもないことをしでかせば、また話は別ですが、普通の学生生活をしていれば、何かが起こったとしても、まずは学校が世話が出来る範囲内のことです。
特に病気であれば、尚更のこと。(学校に面倒をかけるから、それで)申し訳ないとか思う必要など全くありません。だれかそのとき、授業のない教師が連れて行けばいいだけのことですから。そんなことを考えていて、手遅れになってしまったほうが、大事(おおごと)です。
病院へ向かう道で、また病院の待合室で、繰り返し繰り返し、また様々な言い方で(例を含めながら)彼女に言ったのですが、さて、私の言わんとしたことは、ちゃんと伝わったでしょうか。
まあ、診察の結果は病気などではなく、大したことがなくてほっとしましたが。
日々是好日
春が近づくということは、冬の姿が消えていき、それが面影と化すること。こんな道理、判ってはいるのですが。けれども、良きにつけ悪しきにつけ、また思い入れがあろうとなかろうと、あったものの姿が見えなくなるというのは寂しいものです。
窓に打ち付ける、ビシビシという音を聞きながら、そんなことを考えています。
さて、昨日、学生が一人、「先生、一昨日から耳が痛くて、眠れなかった。まだ痛い、触ると痛い」とやってきました。彼女は学校の近くに住んでいませんので、何かあったからといって、すぐに私たちが行けるわけではないのです。それで、初めは寝ていたものの、とうとう耐えかねて学校へ来たというわけでしょう。
ところが運悪く、学校に一番近い病院は木曜日が定休日です。それで、彼女の帰りを考えて、駅の近くの病院へ行くことにしました。けれども、まだ昼休み。始まるのは午後2時半からです。それまでは、授業を受け、病院が始まる頃に行くことにします。
学生達は(と言いましても、これは国内外を問わず、日本人でも同じことなのですが)、何かあった時にすぐに学校に言ってくる者と、その反対に何も言わない者とがいます。すぐに学校に言いにくる者にしても、自分で出来ることまで、学校側にやらせようとかかっている者もいれば、自分が出来ないから手伝ってもらえないだろうか、あるいは教えてもらえないだろうかとやってくる者もいます。
なかなか学校を頼らない学生にしても、遠慮して来ないという者から、勝手に自国流を押し通し、最後に出来ないと泣きついてくる者まで様々です。在日の身内がいるから大丈夫かというと、そんなものでもなく、この身内からして、何年日本にいようと、自己流をただ押し通してきただけという人までいるのですから、大変です。下手に信用していると、学生まで大変なことになってしまいます。
一人一人事情(背景)が異なり、しかも、それにそれぞれの性格までが絡み合って、時々ため息をついてしまうようなことが起こります。こちらの思いがうまく伝わらないというのも稀なことではないのです。というわけで、学生を大雑把に分けてそれで事足れりとするわけにはいかないのです。
彼女の場合は、遠慮していたようで、「そんな遠慮は必要ない」ということをクドクドと、クドクドと言い聞かせました。学校が既に彼女を学生として受け入れたわけですから、在学中は学校が責任を持って世話をします。とんでもないことをしでかせば、また話は別ですが、普通の学生生活をしていれば、何かが起こったとしても、まずは学校が世話が出来る範囲内のことです。
特に病気であれば、尚更のこと。(学校に面倒をかけるから、それで)申し訳ないとか思う必要など全くありません。だれかそのとき、授業のない教師が連れて行けばいいだけのことですから。そんなことを考えていて、手遅れになってしまったほうが、大事(おおごと)です。
病院へ向かう道で、また病院の待合室で、繰り返し繰り返し、また様々な言い方で(例を含めながら)彼女に言ったのですが、さて、私の言わんとしたことは、ちゃんと伝わったでしょうか。
まあ、診察の結果は病気などではなく、大したことがなくてほっとしましたが。
日々是好日