日本語学校からこんにちは ~水野外語学院~

千葉県市川市行徳にある日本語学校のブログです。日々の出来事、行事、感じたことなどを紹介しています。

「湯島天神」。「どうして大学院へ行きたいのか」。

2011-02-01 13:23:19 | 日本語の授業
 今日も、快晴です。そして、ブルッ、寒い…。昨日は、あの寒さの中を、築地駅から、朝日新聞社本社まで行進です。人数も20人程度と少なかったせいもあるのでしょうが、連れて行くのも随分楽になりました。午前も午後も、一年生グループは残って勉強し、行ったのは二年生グループだけでしたし。

 だいたい、皆がお互いにはぐれないように気をつけてくれているのです。こういう初歩的な団体活動(?)が出来ない人達が多かった時期が、この学校にも、かつてはありました。それに比べれば、ある意味では、ノホホンとしていてもいいのですから、まさに(引率者としては)天国です。昨日などは、たった二人の教員が引率していただけでしたから(後ろからついて行っていた私などは、「もしも要員」というわけで、現地集合の学生が道に迷っていたり、誰かが何か突発的な事故に遭ったりした場合に控えているだけのこと)、一人くらい逃げ出してもおかしくはないでしょうに。みんな律儀についてきてくれました。

 というわけで、お行儀よく朝日新聞社の見学は終わり、それから(アルバイトがあるという学生は教員の許可を得てから離脱しましたが)、皆で「湯島の天神様」へ合格祈願に参りました。何も五円玉でなくてはならないというわけではありませんが、一応、「縁結び」をしてもらっておかないと困る人がいるので、神社の神主さんや巫女さんがじっと見ている中で、申し訳なき事ながら、十円玉と五円玉の両替をしました。すると、どうしたわけでしょうね。おみくじに「凶」が出た人がいないのです。確か去年は「凶」が出た人が多かった…(特に皆で浅草に行ったときには、最悪でした。ガーナから来た学生はこういうものを真剣に信じてしまうのです。簡単な日本語に置き換えるときに、彼の性格や希望などをうまく入れ込みながら、マイナス思考にならないようにさせるのに(冷や?)汗をかいたくらいでしたもの)。

 そうやって、学生達を連れて行きながら、(こういう時には)彼らと教室ではなかなか出来ない話をしたりします。そして、その時に、彼らの悩みや、おかしな思考回路に気づいたりすることがよくあるのです。

 自分の国では「良い大学」を出ている、あるいはそう思っている、だから日本でも「良い大学院」にいけるはずだという考え方から抜け出せない人が少なくないのです。この「良い大学」というのも「井の中の蛙」で、おそらく中国という国レベルで見れば、そう対したことはないのでしょうが。また大学のクラスの中でも一番というわけではないでしょうに。

 口幅ったい言い方かもしれませんが、先進国で通用する「秀才」ではないのです。何でも言われたとおりに頑張った。おそらく彼らの頭では120%は使ったと言うかもしれません。つまり、国で、その国でしか通用しない「大切なこと」を覚えるために、せっかくの「脳みそ」を使いすぎているのです。日本では、好きなことに頑張れる人、興味があることに必死になれる人の方が認められるというのに。その好きなことを聞かれて途方に暮れたり、何に関心があるのかと聞かれて、いったいそれが(進学するのに)何の役に立つのだと戸惑ったりしてしまうのです。

 こういう状態で日本に来ているので、大半の学生は、自分捜しに、半年から一年はかかるとみておいた方がいいような気がします。

 国が違えば価値観も異なります。大学へ行くまでは丸暗記も役に立つかもしれませんが、大学院では、それは、まず、役に立ちません。(どんなレベルの者でも構わない)誰でも良い、どんと来~いという大学院もあるにはあるようですが、「そういうところは嫌だ、国立だ」なぞと言っていれば、まずは門前払いです。相手にされないのです。レベルが低いから拒否されているという理屈がどうあっても頭に入っていかないのです。それに先生に会うことができても、その分野のことを知らないのでは、話にもならないでしょう。相手はプロです。彼らが会おうとしているのは、そのことに一生をかけて研究していっている人なのです。

 コイツはそのことに興味があるかどうか、本気で研究したいと思っているかどうかは、(もし研究生になれたとしても)一ヶ月ないし二ヶ月の間に悟られてしまうでしょう。いったん、そう思われたら、まずは相手にされません。先生は気づかなくとも(席の温まる暇がないくらい忙しくても)、同じ研究室には、研究生の後に修士コースに合格している人や、博士コースで研究している人がいるのですから。その人達にまずは認めてもらわなければなりません。それも難しいでしょうね。

 (何でも良いから)「修士」の資格を取りたいだけなら、大学院のレベルを下げるか、国に帰って母国で資格を取った方がいいような気がするのですが。(彼らは)母国では大学院に入るのは難しいと言いますが、その難しさは日本の国立の大学院のように「研究内容で勝負」という難しさではないでしょう。それなら手立てはあるはずです。勉強もせぬのなら、普通は大学院など目指してもしようがないと私たちは思うのですが、する気がないくせに、「大学院、大学院」という人がどうも多くて困ります。これも彼らの母国の「悪しき習慣」なのでしょう。大学を卒業しても仕事はない。大学院を卒業さえすれば仕事があると思い込んでいるようなのです。しかし、本当にそうなのでしょうか。

 だいたい東京や東京周辺の大学院を目指しても、こういう中国人が犇めいているのです。地方に行けば、そういう中国人も少ないでしょうから、チャンスも多いでしょうが。私立であろうと、こういう人達ばかりでは教授連だって、気が萎えてしまいます。いくら財政難であるからといっても、二人は嫌だ。いくら譲っても一人だけしか受け入れてやらないと来るのではないでしょうか。

 こういうことがわかるのに、一年くらいはかかるようです。つまり、身の程を知るという作業です。それと同時に、本当にやりたいことを見つけるという作業です。日本語や国での知識が、多少劣っていようと、本当にやりたいことさえあれば、大学院の先生方は、その情熱を買ってくれるということもあり得るのです。そういうプロの心を揺さぶるような力が何よりも必要なのです。

 日々是好日
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