ぐうたら里山記

兵庫の西の端でただのほんと田舎暮らしをしています。ぐうたらです。のん兵衛です。

嫌いなもの

2009年04月13日 04時10分36秒 | 雑感
好き嫌いはいけませんよ。何でも食べなさい。

~もし自然の中で何でも食べたらどうなるだろう?
トリカブトやドクウツギを食べてたちまち死んでしまうだろう。
何でも食べるということは人に自分の命を預けることでもある。
どうしてそんな無謀なことをするのだろう。
どうして自分の命を自分で守ろうとしないのだろう。
食べれるかどうかを自分で判断しないために、賞味期限切れという理由だけでまだ食べれるのに捨てたりする。
まったく無断なことじゃないか。
人を信じるのでなくまず自分を、自分の目を鼻を舌を信じよう。

というわけで好き嫌いはあるのが自然なのだ。
あの旺盛な食欲の山羊だって鹿だって好き嫌いはある。
・・・なんてながい前書き、あるいは言い訳の後、嫌いなものは・・・。

ひじき、おから、キンピラ、高野豆腐、野菜の煮物。
でも年とともに次第に食べれるようになってきた。

・ひじきは海藻の中では最低の部類に属する。いかにも見るからに卑しい。よほど空腹で他に何もないときしか食べる気にはなれない。

・おからは動物の餌。なんの因果で人間が豆腐の搾りかすを食べないといけないのだろう。でもたまに我が家で作る豆腐の搾りかすは意外とうまい。きっと手作りなので充分に絞れていないのでうまみがいっぱい残っているのだろう。

・キンピラはいかにも貧しい。そもそも材料のごぼう自体がいけない。あの土臭い色からしていけない。木の根っこのような味もいけない。あれは昔の野菜が何もないころの日本の貧しさの象徴みたいなもの。キンピラをちょっと齧るたびに思う。昔の日本の食生活を。貧しい貧しい食生活を。

・高野豆腐はあの海綿のような食感がいけない。でも最近食べてみたら、食べられないこともないと言うことに気づいた。非常食として餓死寸前に食べるものとしてはいいかも知れない。

・葉物野菜の煮物は今でもいけない。サラダは好きだけど、どうしてわざわざ手間隙かけてまずくして食べるのか理解できない。しかし家内に強制されて無理やり食べさせられる。それでしかたなくちょっとだけ口に入れて、ごくっと飲み込む。
葉物野菜の煮物は忍耐を養う薬みたいなもの。食べさせられるたびに、この言葉が強制的に迫ってくる。

好き嫌いはいけません。何でも食べなさい!
コメント (2)
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