ぐうたら里山記

兵庫の西の端でただのほんと田舎暮らしをしています。ぐうたらです。のん兵衛です。

大晦日~カレンダーのことなど

2018年12月31日 18時04分52秒 | 田舎暮らし
大晦日。
どこも人でいっぱい。
スーパーのレジも長い行列。

今住んでるたつの市の合併前の旧市街・龍野には古い城下町の雰囲気を残した街並みがある。
そこには昔ながらの小さい魚屋さんが何軒かあり、時々そこで買う。
今日も正月に備えて買いに行った。
スーパーのよりもずっといい。
ところでふと気づいた。
それはなんと勘定の計算に、レジでなく、電卓でもなく、なんとそろばんで、それも5つ玉のそろばんを使っていた!
うんうん、古い城下町、こうでなくっちゃ!

大晦日。
今年は門松は作らなかった。
ほぼ毎年、手作りしていた。
竹と梅と南天は我が家で手に入る。
松はないけど近くでとってくることができる。
それで簡単に作れる。
でもそれもなんか面倒になってきて、今年は作らなかった。
それで買ってきた来た花に南天を伐ってきてそれなりになんとかすませた。

大晦日。
カレンダーをかえた。
そして毎年のように思う。
それは表紙のこと。
何の役にも立つこともなくすぐにはがされて捨てられてしまう。
実にむなしい生涯ではないだろうか?
いったい何のために生まれてきたのだろう?
もちろん中には(このぐうたら百姓)のように裏紙を使おうと、
とっておく、せこい人間もいるだろうけど・・・
でもたいていの場合、せっかくとっておいても有効利用するされることもなく、そのうちたいてい捨てられてしまう。
中には表紙をせめて少しでも使ってもらおうと旧年の12月のカレンダーを印刷しているものもあるけど、
でもやっぱり何の役にも立たない。
今までのカレンダーを12月いっぱいまで使うから。

カレンダーの表紙を見ていると、ついつい自分とだぶってくる。
いったい何のために生まれてきたのだろう?
いったい何のために生きてきたのだろう?
生まれてきたこと自体資源の無駄遣いではなかったか?と。

ところでカレンダーのこと、どうして1月から始まって12月で終わるのだろう?
どうして年度カレンダーが、4月から始まって3月で終わるカレンダーがないのだろう?
学校も会社もスケジュールは年度で決められている。
新入社員を紹介したり、あるいは担当が変わったときなど得意先にあいさつ回りするとき、手土産に年度カレンダーを配る。
こんな時、年度カレンダーが重宝されるだろう。
それに他社のカレンダーが12月で捨てられるのに、年度カレンダーだったら、3月まで捨てられることはない。
特に来年は春に元号が変わる。
こんな時こそ年度カレンダーの商機。
すべてのカレンダー屋さん、年度カレンダーを作ったら?
コメント
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