ぐうたら里山記

兵庫の西の端でただのほんと田舎暮らしをしています。ぐうたらです。のん兵衛です。

ものの見方

2015年01月10日 02時28分24秒 | 雑感
ものの見方。
・・・まず普通に、当たり前にものを見ようと思う。
普通に見る・・・これは簡単そうでとっても難しい。
新聞を読む・・・うん、そうだそうだと思う。
講演を聞く・・・うん、そうだそうだと納得する。
これは簡単だ。
でも・・・
普通の見方をしたら・・・
なんか変・・・と思うことがよくある。
そう気付くのはなかなか難しい。
すべての権威を払いのけて、
色メガネで見ることをやめて、
新聞社や講演者の立場で見ることをやめて、
まず自分の目で見る、普通の目で、子供のような目で見る。
これはなかなか難しい。

次に別の立場や反対の立場でものを見る。
するともっと大きな世界が広がる。
そこにユーモアが生まれる。
これはさらに難しい。

さらに自分を離れて、ものを見る。
これはもっと難しい。
いつも頭にありながらまったく実践できない格言、それは
「ならぬ堪忍するが堪忍」
我慢することならだれでもできる。
ぐうたら、小心、臆病・・・
早い話が、このぐうたら百姓みたいな人間だったら、
だれでも我慢できる。
でも堪忍することは誰にもできることじゃない。

渡る世間に鬼はなし・・・とは思わない。
どうしようもない人間はやっぱりいる。
それを堪忍できるか?

我慢と堪忍。
これは同じ意味かも知れない。
でも自分ではまったく別の意味でとらえている。
それは施しとお互い様。
別の言葉で言えば、愛と慈悲。

施しは富者が貧者に与える特権。
施しをずっと与え続けるにはその身分階級を維持し続けないといけない。
でもお互い様は違う。
その立場は対等。
でもどうしようもない人間に、
どうしようもない仕打ちにあったとき、
人は、「ならぬ堪忍するが堪忍」と思うことができるかどうか・・・
これはとっても難しい。

ものの見方。
まず普通に見る。
次に別の見方をする。
さらに相手の立場で見る。
いつも心がけている。
でもなかなか難しい。

コメント
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