ぐうたら里山記

兵庫の西の端でただのほんと田舎暮らしをしています。ぐうたらです。のん兵衛です。

らぬき

2009年10月25日 19時13分27秒 | 雑感
日本語は進化している。
2つの方向に向かって。
省略することと、曖昧にすることと。

省略はいいと思うけど曖昧は許せない。
シェークスピアの劇を日本語ですると時間が2倍かかるという。
実に効率が悪い。
というわけで省略には賛成。
でも曖昧になることは許せない。
「・・・です」というところを「・・・になります」
「・・・円いただきます」というところを「・・・円からいただきます」
こんな言葉を聞くと、ついつい「あほか!」といいたくなる。

そこで多分気になる人も多い、ラ抜き言葉。
「食べられます」という所を「食べれます」。
この使い方には少しも抵抗を感じない。
もともと「・・・られる」という言い方は曖昧な言葉。
・・・られるという使い方には尊敬、可能、受動の異なった意味があって、とても日本語を曖昧にしている。
「食べられますか?」という相手に対する尊敬の意味と、「とっても辛いけど食べられますか?」というような可能の意味と、「ウサギがライオンに食べられる」という受動の、まったく違った意味が同じ言葉で使われて日本語をとてもあいまいにしていえる。
というわけで可能を表す言葉をら抜きことばであらわすのは、短くかつ明快になるので日本語にとってとてもいいことのように思われる。
というわけで、ら抜き言葉賛成!
コメント (1)
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