ぐうたら里山記

兵庫の西の端でただのほんと田舎暮らしをしています。ぐうたらです。のん兵衛です。

「兵庫県南部地震」

2007年01月17日 07時07分08秒 | 雑感
12年前。
あの時大阪にいた。
夜明け前、どーん、という大きな音と縦ゆれにびっくりして飛び起きた。
爆発事故か、それともテロか、と思った。
まもなく大きな横揺れがやってきて、地震だと言うことがわかった。

あの時我が家にも被害があった。
室内においていた植木鉢が1個倒れて、畳が汚れた。
でも同じ棟の上のほうの家は家具や電化製品なのほとんど倒れているし、同じ団地で死者も出ている。

あの時あまり大きくは報じられていないけど、大阪でもずいぶん多くの被害があった。たくさんの避難民と死者もでた。知ってる限り、まったく被害のないところは一軒もなかった。

交通機関もすべて止まったので、ずっとテレビの字幕を見ていた。
大変なことが起こったことがわかってたのに、驚くほど情報は少なかった。
西宮、芦屋、神戸は厚い雲に覆われていた。

夕方地下鉄が動き出したので、会社に行った。会社の中はロッカーなどすべて倒れててめちゃくちゃな状態だった。その後片付けをして、早々に引き上げた。

テレビでは次第に死者の数が増えてきた。しかしその実態はほとんど見えてこなかった。首相官邸では「みんなで寄付金でも送ろうか」と雑談して、地元選出の前社会党の党首はカラオケで歌を歌っていた。
そのころ西宮、芦屋、神戸では煙が何本も何本も立ち上って、その下では人がばたばたと死んでいってたのに・・・。

・・・「兵庫県南部地震」はこうしてはじまった。
あの時、日本という国家そのものにものすごく不安を感じた。
国家として最低限しないといけないことは国民の生命財産を守ることなのに、それさえできる国家だとはとうてい思えなくなった。
またマスコミの実態を知って愕然とした。政府の対応が遅れたのも政府の情報収集力のなさはもちろんだけど、マスコミの情報収集力のなさも大きな原因だった。

あれから12年。
今ではあの頃からは想像もつかない生活をしている。
でもときどき思う。あの頃からどれだけ変わったのだろうかと。

マスコミは相変わらず中央集権化している。もし東京であのような大地震が起きたら、ちゃんと報道できるのだろうか?

同時多発で火事が起きたとき、それに対処できるのだろうか?
田舎では火事が起きたらまず自分たちで消すという意識が徹底しているし、そのような訓練も受けている。若者は必ず消防団に入らないといけないし、各地域ごとに消防車が常駐している。でも田舎ではそれほど家は密集していないので都会に比べると、同時多発の火事の危険性は低い。
それで都会こそ、地域での消防団の組織は必要だと思う。火事が起きたら消防署が消してくれると思うのでなく~そんなこと絶対できないよ~、まず自分たちで消す、という意識・装備・訓練・組織が。

食料の保存はどうだろう?
田舎ではたいてい一年分の米を各家庭では保存している。我が家でも一年分まとめて買っている。野菜は畑に行ってとったらいいし、水は沢の水、井戸水が使える。
雨水もたくさんためている。
都会ではどうだろう?
3日分?1週間分?・・・それから後は人頼み???
コメント (2)
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