きのう「ひょうごの在来種保存会」主催の海老芋試食会にいってきた。
海老芋はサトイモの一種で作るのにとても手間がかかるので今ではもうほとんど作る人がいないという。
料理もとても手がかかっていてどれも満足すべきものだった。
ただ素材よりも料理のほうが勝っているように思った。
きっと普通のサトイモでも同じようにうまく食べられたことだろう。
ただ海老芋の煮くずれしない特徴を生かして棒鱈と何十時間も煮込む「いもぼう」という料理、これなんかは普通のサトイモではできないだろう。いもぼうは京都の高級料亭でしかお目にかかることはできないらしい。貧しい食材を手間隙かけてつくるいかにも京都を思わせる料理だった。
ただできれば、単にゆでただけの海老芋を食べて、普通のサトイモと味を比べてみたかった。
ところでこの海老芋、海老のように曲がってて縞模様が入っているので海老芋というそうだが、これは自然に曲がるのではなく、何度も何度も土寄せをして人為的に曲げるという。そのために手間隙がかかるので作る人も少なくなったという。
それならどうして普通のサトイモとおなじように栽培しないのだろう?もちろんえびのようには曲がらないだろうけどきっと味は変わらないだろう。煮物用のサトイモとして安くで売り出したらいいのではないだろうか?
一部の人しか食べれない芋よりも、みんなが食べれる芋のほうがずっといいと思うのだけど。
よく四角のスイカやメロンが売り出されることがあるが、あんなのを食べたい人は食べればいい。でも普通の人は丸いスイカやメロンをたべようと思うだろう。
海老の形のサトイモを食べたい人は食べればいい。でもたいての人は丸くていいから安いサトイモを食べたいと思うだろう。
海老芋はサトイモの一種で作るのにとても手間がかかるので今ではもうほとんど作る人がいないという。
料理もとても手がかかっていてどれも満足すべきものだった。
ただ素材よりも料理のほうが勝っているように思った。
きっと普通のサトイモでも同じようにうまく食べられたことだろう。
ただ海老芋の煮くずれしない特徴を生かして棒鱈と何十時間も煮込む「いもぼう」という料理、これなんかは普通のサトイモではできないだろう。いもぼうは京都の高級料亭でしかお目にかかることはできないらしい。貧しい食材を手間隙かけてつくるいかにも京都を思わせる料理だった。
ただできれば、単にゆでただけの海老芋を食べて、普通のサトイモと味を比べてみたかった。
ところでこの海老芋、海老のように曲がってて縞模様が入っているので海老芋というそうだが、これは自然に曲がるのではなく、何度も何度も土寄せをして人為的に曲げるという。そのために手間隙がかかるので作る人も少なくなったという。
それならどうして普通のサトイモとおなじように栽培しないのだろう?もちろんえびのようには曲がらないだろうけどきっと味は変わらないだろう。煮物用のサトイモとして安くで売り出したらいいのではないだろうか?
一部の人しか食べれない芋よりも、みんなが食べれる芋のほうがずっといいと思うのだけど。
よく四角のスイカやメロンが売り出されることがあるが、あんなのを食べたい人は食べればいい。でも普通の人は丸いスイカやメロンをたべようと思うだろう。
海老の形のサトイモを食べたい人は食べればいい。でもたいての人は丸くていいから安いサトイモを食べたいと思うだろう。