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ぐうたら里山記

兵庫の西の端でただのほんと田舎暮らしをしています。ぐうたらです。のん兵衛です。

尾道

2016年11月17日 04時13分17秒 | 本の中から
この前行った尾道に刺激されて、志賀直哉の「暗夜行路」と林芙美子の「放浪記」を読んだ。
「暗夜行路」の尾道の描写、今もそのまま。
よく描けている、というか尾道、今もさほど変わっていないのだろう。
しかし「暗夜行路」と「放浪記」、どちらも自伝的な作品。
しかも尾道にいたときは5年くらいの隔たりはあるものの、時代もほぼ同じ。
でもなんという境遇の違いがあるのだろう。
三軒長屋に間借りしてた直哉。
風呂もトイレもない。
狭い2部屋と炊事場。
最初見たときその貧しさが意外だったけど、あくまで原稿を書くための仮の宿。
炊事などお隣さんに任せていた。
そして一つの作品も書き上げることなくあちこち観光旅行をしていた直哉。
でも当時作品がやっと売れ出した・・・稿料だってわずかなものだっただろう。
それなのにこんな景色のいいところで曲がりなりにも優雅な生活がおくれた直哉。
それに比べると浜の傍。
浜側は壁。
狭い2階の1室で家族3人かつがつその日ぐらしをしていた学生時代の芙美子。
直哉にとっては仮の宿、
芙美子にとっては生涯の心のふるさと。
直哉はほんの1年、芙美子もほんの5~6年。
でも二人の心に尾道の暮らしはしっかり刻まれている。

しかしあえて水を差す。
「暗夜行路」~それぞれの章はとってもしっかりしている。
でも全編を通して読むと、これが日本の小説を代表する作品の一つなのかなぁ~と思いがっかりする。
やっぱり直哉は短編にとどめていた方がよかった。
この作品からもいい短編小説がいろいろできたのに・・・と思う。

「放浪記」~これはもはや小説ではない。これが芙美子の出世作。
当時ベストセラーになってたらしい。
女性一人での放浪暮らし、当時は珍しかったのかもしれない。
でも今では珍しくとも何ともない。
ついでに他の作品もいくつか読んだ。
この方がもっといいと思う。

水滸伝

2016年09月29日 05時36分31秒 | 本の中から
北方健三「水滸伝」19巻を読み終えた。
これで「水滸伝」「楊令伝」「岳飛伝」合わせて51巻完了!
今までで一番長い本。
もしかしたら世界で一番長い本ではないだろうか?
面白かったとはいえ、さすがに読むのにも疲れた。
(特に18巻・19巻・・・勝ち戦は面白いけど負け戦はつらい、読むスピードが急に鈍った)
しかしこれを書くってすごいことだね!

水滸伝

2016年08月19日 19時19分30秒 | 本の中から
ついに覚悟を決めて北方健三「水滸伝」を読みだした。
全19巻!
ここまできたら51巻全部読むぞ!

でも19巻読むのにそんなに時間はかからないだろう。
登場人物の多さにはまいるけど、それさえ慣れたら、読みやすいし、はまる。

当然のことながら水滸伝・楊令伝・岳飛伝の順に読んだ方がいい。
でも楊令伝・岳飛伝の次に水滸伝を読むとなにかしら懐かしいような気がしてくる。

日本の小説というと志賀直哉病とでも言いたくなるようにとにかく短い作品が多い。
でも小説の醍醐味というとやっぱり長編小説、それも大河小説のように長い長い読み応えのある作品だ。
トルストイの「戦争と平和」とかロマン・ロランの大河小説とか短編小説とはその読後感・充実感がまるで違う。
日本にも「源氏物語」があるし、「南総里見八犬伝」とか「大菩薩峠」とかの大衆小説がある、
これからもどんどん出てほしい。
そして北方健三・「水滸伝」・「楊令伝」・「岳飛伝」の3部作・全51巻とか宮城谷昌光・『三国志』全12巻とか・・・こんな作品が出るのはとても嬉しい。
ただ題材が中国でなく日本だったらもっと嬉しい。
普通のフランス人が、あまり小説を読んでない人が自慢し愛するのは、きっとスタンダールやバルザックではなくデューマの「ダルタニアン物語」だろう。
でも日本にもこんな大衆小説あるのだよ。

岳飛伝

2016年08月18日 07時56分27秒 | 本の中から
北方謙三「岳飛伝」を読み終えた。
ほっとした。
なんせ水滸伝、楊令伝、岳飛伝の3部作でなんと51巻!!
たまたま読んだ楊令伝・15巻。
それから癖になって岳飛伝・17巻も読んだ。
ものすご~く長い!
楊令伝は一気に読んだけど岳飛伝は連載中だったこともありちまちま読んだ。
やっぱりこんな小説は一気に読むに限る。
いかし全編戦の連続、それに登場人物の多さにもさすがに疲れた。
最後は岳飛軍・梁山泊と南宋、金との全面的な消耗戦。
そして最終的な決着がつかないまま終わった。
これからどうなるのだろう?
このまま完結なのだろうか?
蒙古に逃れた胡土児、紙数のわりには目立った活躍をしてない日本に渡った王清、平清盛らしい炳成世・・・
これからどう書かれるかとっても気になるところだけど、こんな終わり方、きっと作者も疲れたのだろう。

楊令伝を読んだのはふとしたきっかけ。
最初に買って読んだ人が感激したのだろう、
みんなに読んでほしいと思ったのだろう、
回し読みを条件に無料で上げるということでまわりまわってここまで来た。
なんせ無料大好き人間。
北方謙三という作家も知らなかったけど、読んでみるととっても面白かった。
というわけで楊令伝を読んだ後で、続きの岳飛伝を図書館から借りて読んだ。
水滸伝はまだ読んでないけど、そのうち読もうと思っている。
(なんせ19巻!読み始めるにはちょっとした決心がいる)

ところで楊令伝・15巻、誰か読みたい人いませんか?
無料だけど読んだら他の人に無料で上げることが前提です。

船を編む

2016年07月24日 12時36分38秒 | 本の中から
たまたま「船を編む」(三浦しをん)を読んだ。
何年か前バストセラーになった小説らしい。
ベストセラーに疎い人間なので今まで知らなかった。

これは国語辞典の編纂と出版を小説にしたもの。
15年もかけてやっと出版された。
きっと現実の世界でも同じようなことが行われているのだろう。

辞書を小説みたいに通して全部読む人はまずいないだろう。
それどころか読むのは必要な個所ほんのちょっとだけ、
あとは一度も読まれることなくやがて捨てられる。

それに近頃は辞書を引くこともほとんどなくなった。
たいていネットの検索で済ませている。

しかし辞書作りまだ今でもこんなことしているのかなと不思議にも思った。
最後になって「血汐」が抜けていたことがわかり、
たくさんの人手をかけ1か月間、泊まり込みで他に抜けがないか調べるシーン、特にそう思った。
もし辞書がデータベース化されていたら、自社だけでなく他社の辞書もデータベース化されていたら、簡単に発見できる。
電子辞書としも利用できる。
これは小説の世界だけだろうか?
現実はもう少し進んでいるのだろうか?

出島の千の秋

2016年06月25日 16時46分33秒 | 本の中から
イギリスの作家デイヴィッド・ミッチェルの小説「出島の千の秋」を読んだ。
舞台は長崎・出島の商館。
フェートン号事件や、シーボルトらしい医者、怪しげなカルト教団などエピソードいっぱいの小説。
故郷が長崎なので興味を持って読めた。
フェートン号の時の長崎奉行はイギリス船が去った後、切腹した。
その墓地に両親の墓もある。
最後はシーボルトらしい医者の葬式が稲佐の外人墓地で行われる。
稲佐は生まれ育った町。
でも長崎を出てずいぶん時がたった。
今では故郷にそんなに未練があるわけではない。
墓さえなかったら2度と行くことはないだろう。
それでもちょっぴり懐かしく感じられた。

ところで小説の中に「2回腐らせたキャベツ」の話がのってた。
船員はこの腐ったキャベツを誰も食べようとしない。
それで「士官専用」と張り紙をしたら、みなこっそり食べだした。
こうして、みな壊血病にかからなくなった。
この腐ったキャベツはドイツの漬物で「ザワークラウト
どんなのだろう?
ドイツの肉料理・ソーセージなどの傍に出てくるそうだから多分食べたことあると思うけどよく覚えていない。
まぁどうでもいい話だけど・・・


図書館

2016年05月21日 18時40分11秒 | 本の中から
ひさしぶりに図書館に行った。
しばらく手持ちの本をまず読んでしまおうと図書館に行くことを避けていたのだ。

でもちょっと気になることがあって借りて読む気になった。
それは平塚らいてうのこと。
前の朝ドラ「あさが来た」で平塚らいてうの話がありよく描かれていなかった。
そして今度の朝ドラ「とと姉ちゃん」でも平塚らいてうの話がでて、こちらはいい方に描いていた。
いったいどうなのだろう?
それで読んでみようと思って図書館で「平塚らいてう評論集」を借りてきた。
「元始、女性は太陽であった」~どうしてそう言えるのか?どんな根拠でそういったのか?
それを知りたいと思った。
もしかしたら福島瑞穂タイプの人間、やたらと人にレッテルを張り一面でしか見ようとしない人間だったのではないか?
あるいはそうではないもうちょっと中身のある人間だったのかもしれない。
そこら辺を知りたくて本を借りてきた。

それからついでにふと目に着いた伊藤若冲の絵画の豪華本を借りてきた。
定価が58000円!
こんな本、到底自分では買えない。
図書館で借りるに限る。

亀と兎~イソップ寓話集から

2016年04月28日 04時01分57秒 | 本の中から
ウサギとカメ。
イソップ寓話集の中ではきっと一番有名な話だろう。

あるときカメとウサギが速さのことで言い争った。
そして後日競争することにした。
さて当日、ウサギは持って生まれた速さをたのんでかけることをおろそかにして途中で道をそれて眠ってしまった。
一方カメは自分でも遅いのを知っていたから、休まず走り続けて眠ってる兎のそばを走り抜け、とうとう目的に達してしまった。

地道をこつこつ、
地道にこつこつ。
生まれつきをないがしろにするとしばしば努力に打ち負かされるものだ、といういかにもイソップ風な話だ。

しかしこの話よく分からない。
どうしてカメとウサギが勝負をしたか?
兎にとっては何のメリットもない。
勝って当たり前、負けたら恥さらし。
勝ったからといって誰も褒めてくれない。
それなのになんでこんな勝負をしたのか?
きっとこのウサギはものすごくあほだったのだろう。
他に何も自慢するものがなくてのろまなカメを馬鹿にして、
唯一の得意技かけっこで勝負しようとした。
カメもどうして勝ち目がないのに勝負しようとしたか?
それとも何か勝算があったのだろうか?
短距離走者と長距離走者がマラソンをしたら長距離走者が勝つに決まっている。
だもカメが長距離走者だとはとうてい思えない。
この勝ち目のない戦いをどうしてカメはしたのだろう?

しかしその時ではなくて後日勝負をした・・・
きっとこの間にカメはいろいろ作戦を考えたのに違いない。

たとえば、実はこのウサギとっても呑兵衛だった。
それであらかじめ道の途中に酒を置いておく、
その先にも置いておく、
そのまた先にも・・・
こうして酒瓶をいくつもおいておく・・・
そこでレース。
兎は亀をどんどん引き離す。
すると道端に酒瓶が・・・
通り過ぎた後でまた引き返す。
もうカメとはずいぶん差がついているので
ここらへんでちょっと休憩しようかなぁ・・・
水分補給もしないといけないしね。
そこで酒をぐいぐいぐい。
するとその先にまた酒瓶が!
一杯飲むと止まらない止められない。
酔っ払いのどうしようもない悪い癖。
こうして次から次に酒を飲みとうとう寝てしまった。
そこをカメが一生懸命に、傍から見るとのろのろと、通り過ぎてとうとうゴールに到着してしまった。
・・・というわけ。

でもこの話には無理がある。
兎が酔っ払いではなかったらどうなるだろう?
もちろんこの話は成り立たない。
そこでカメは考えた。
そうだ、よし、韓国ルールで行こう!
審判を買収して、ウサギがゴールに近づくとゴールをちょっと先に移動する。
また近づくとまたまた先に移動する。
これではウサギは絶対にゴールすることはできない。
そのうち疲れ果ててギブアップ。

しかしこんな韓国ルールというインチキな話でなく、本当にカメがウサギに勝つことはできないのだろうか?
鶴は千年、亀万年・・・という。
カメが万年生きるかどうか知らないけど、きっとウサギよりもずっと長生きなはず。
それなら一生かけた勝負をしたらいい。
確かにウサギは亀をずっと引き離して自分が勝ったと思って満足して死ぬだろう。
でもカメはその間もひたすら走り続ける。
地道をこつこつ。
地道にこつこつ。
そして死を迎えたとき知るだろう。
後ろを振り返り、ウサギよりもずっとずっと遠くまで来たことを。
ウサギに勝ったことを。

そう、
地道をこつこつ。
地道にこつこつ。
毎日こつこつ生きたら最後は勝つのだよ。

きっとこの話はこんなイソップの教訓風に終わることだろう。

牝猫とアフロディテ~イソップ寓話集から

2016年04月18日 04時45分51秒 | 本の中から
牝猫がきれいな一人の若者に惚れてアフロディテに、どうか自分を女の姿に変えてください、と祈った。
女神はその心を不憫に思い、牝猫を綺麗な乙女の姿に変えてやった。
その後若者はこの乙女に出会いすっかり好きになって結婚することになった。
そして婚礼の部屋で休んでいるときに女神はこの乙女が体だけでなく気立てまで入換えたかどうか知ろうと思って、1匹のネズミを部屋の真ん中に放った。
すると乙女は床から跳ね起きてネズミを食べようとおいかけた。
女神は怒り乙女を再び元の姿に戻してしまった。

教訓・人間でも生まれつき悪い人々はたとえその姿を変えても決してその気立てまで変わらない。

~イソップの教訓には首をかしげるものが多いけど、これはなっとく。
人の本姓は変わらない。
教育はうわべを変えるだけだ。
みな人は自分の本姓を見せないで人のうわべだけを見て暮らしている。
イソップの教訓は強者への迎合、奴隷根性にあふれているけど、それは表面だけのこと。
ときどきイソップの心の中のあきらめだけでなく、悲しさを感じることができる。

葦とオリーブ~イソップ寓話集から

2016年04月18日 04時24分13秒 | 本の中から
葦とオリーブが忍耐・力・不動について言い争っていた。
葦はオリーブに、力がなくどんな風にもすぐなびく、といわれた。

その後強い風が吹き、葦は風に曲げられなびかされても、ようやく助かった。
しかしオリーブは風に逆らったので折れてしまった。

この話の教訓・・・いかにもイソップらしい。
時節や自分よりも優れたものに逆らわない者は自分よりも強いものと争う者よりもすぐれている

でもこの葦、浮き草ではない。
一見風になびいてばかりいるようでも、実は少しも自分の位置、立場を変えていない。頑固なのだ。
一方オリーブは強者に抵抗して一見強そうだけど、実は容易に折れて変節する。
こころが弱いのだ。

蟻と甲虫~イソップ寓話集から

2016年04月14日 19時38分20秒 | 本の中から
夏の季節に蟻は田畑を歩きせっせと小麦や大豆を集め回った。
それを見た甲虫、「みんながのんき過ごしてる時に精が出るんだね」と笑った。
蟻は何にも言わないで、ただただせっせと黙々と食べ物を集め続けた。
そして冬が来て大雨で牛の糞が流されたとき、
甲虫は飢えて食べ物のおすそわけを蟻に願いに行った。
蟻は言った
「ねえ、甲虫さん。あなたが私を笑ったときあなたが働いてたらこんなことにはならなかったでしょうにね」

この話の教訓にイソップはやっぱりイソップらしく、
盛ん時将来のことを考えない人は時節が変わった折りにひどく不幸なめにあうものです、と締めくくっている。

そこでこの話、ぐうたら百姓らしくついつい突っ込みたくなる。

でもその前に、
この話は「蟻とキリギリス」という話で知られている。
蟻がせっせと働いてる時キリギリスはバイオリンを引き遊んで暮らしていた。
そして冬が来て困った困った・・・という話。
あるいは「蟻とセミ」という話でも知られている。
やっぱり冬が来て困った困ったという話。

でももともとは「蟻と甲虫」。
甲虫ってカブトムシ?
でも牛の糞が流されて困った困った・・・というと、
きっと甲虫とはカブトムシではなくコウチュウ。
きっとカブトムシなどを含む甲虫類、
それも糞を食べて生きるダイコクコガネやフンコロガシやエンマコガネだったのだろう。

でもそれはまあどうでもいい。
問題は最後は蟻が甲虫の生き方を笑ったという話。
蟻は1年以上生きる。
でもカブトムシは、他の甲虫類もたいていそうだけど・・・、
1年くらい土の中で冬眠生活を終わった後、地上に出てわずか2か月くらいしか生きられない。
残されたわずか2か月!
残された時間を、今までできなかったことを精一杯やって終わりたい!と誰でも思うだろう。
仕事を辞め、精一杯旅行や趣味に時間を使いたいと誰でも思うだろう。
これを非難できる?
人はみな違う。
皆好きなように生きたらいい。
蟻の生き方もカブトムシの生き方もみな正しい。

二つの背負い袋~イソップ寓話集から

2016年04月12日 13時41分03秒 | 本の中から
プロメテウスがあるとき人間どもを作って二つの背負い袋を彼らにぶら下げさせた。
一つは他人の悪が入っているもの、もう一つは自分の悪が入っているもの。
他人の悪が入ってるものは前に置き、もう一つは後ろにかけさせた。
そのため人は他人の悪は遠くからでも見えるが自分の悪は目前のものでも見えなくなった。

その後プロメテウスは旅をして同じように人間を作っていった。
そして地の果て海の果ての日本に着いたときはすっかり疲れはて、
背負い袋を前後間違ってかけてばかりいた。

そのため日本では今でも日本や日本人たちを悪く言う自虐的な人が多いのです。

仔山羊と狼~イソップ寓話集から

2016年04月09日 05時04分23秒 | 本の中から
群れから外れた仔山羊が狼から追いかけられた。
子山羊は狼に言った
「あなたの餌食になる前にどうか最後に躍らせてください」
そして笛を差し出し狼に吹いてくれと頼んだ。
そこで狼が笛を吹き仔山羊が踊っていると、
それを聞きつけ犬たちがやってきて狼を追い払った。
狼は「俺は者なのに笛吹のまねなんかしなければよかった」と後悔して逃げて行った。

イソップ寓話集では狼は悪役だけどいつも騙されるお人よしでもある。
ところでこの寓話、たとえ寓話のことではあっても山羊に踊りを踊らせるという発想はどうして生まれたのだろう?
山羊飼いだったらそんなこと考えもしないだろう。
あるいはイソップは雄山羊の威嚇のポーズ~2本足で立ち上がって前足を幽霊ように前にだらりと下げ、首をかしげる。
あのポーズを見て踊っていると思ったのだろか?
まあ見方によっては阿波踊りを踊っていると見えないこともない。
イソップが阿波踊りを知ってたかどうかは別として・・・

でもふと思う、普通の山羊飼いだったらだれも山羊に踊りを踊らせようなんて思わないけど、
お座敷山羊派だったらどうだろう?
なんせ山羊を家の中で飼い、排せつ訓練をし、着物を着せ、「お手!」まで覚えさせるお座敷山羊派だったら?
うんうん、やりかねない!

養蜂者~イソップ寓話集から

2016年04月06日 06時46分49秒 | 本の中から
ある人が養蜂家の家に入ると誰もいない。
それで巣箱と蜜を盗んでいった。
さて養蜂家が帰ると、蜂たちは針で刺した。
養蜂家が嘆いていうことに、
「ひどい奴らだ、盗んでいった盗んでいった人をとがめないで育てて心配してる私をさすのだから」

この話、イソップは教訓として、人間の中にも無知のために敵を警戒しないで見方を裏切り者と排斥する人がいると締めくくっている。
でも蜜蜂としては同じようなものではないだろうか。
泥棒はたまたま盗んだだけ。
でも養蜂家は意図的に蜜を盗むいわば確信犯。
どっちもどっちというところだろう。

敵同士~イソップ寓話集から

2016年04月06日 06時32分30秒 | 本の中から
ある敵同士同じ船に乗って一つの同じ船に乗って航海していた。
一人は艫(とも)に一人は舳(へさき)に。
ところが嵐が起き船は沈みそうになった。
艫の男はかじ取りに聞いた。
「艫と舳と、どちらがの方が先に沈みますか?」
かじ取りが「舳が先に沈むでしょう」と答えたので大いに喜んだ・
敵が先に苦しむのを見れると。

この話をイソップは多くの人は敵が目の前で悪いことに会うのを見さえすれば自分の損害なんかちっとも気にしないものだ。
と締めくくっているが、たしかにもっとも。
イソップの教訓には首を傾げるものが多いけど、(たとえ否定的に締めくくってても)これは納得。
うんうん、敵が苦しむのを見るのは楽しい!